暁星山岳部のあゆみ
あとがき 2001年4月10日 部歴編纂副委員長 柴野邦彦
暁星山岳部の歴史がやっと一冊にまとまりました。前途多難な事業でしたが、ひとえに中村泰徳OB会会長の強い要望と情熱により実現にこぎつけることができました。その意志に支えられて、OBが一つに集まり各人が与えられた仕事を果したことが結果につながったと思います。
部歴の編纂は中村会長と小浦副会長の膨大な記録集めと、それをパソコンに打ち込んでの名簿と山行記録リスト作成からはじまりました。次に小浦副会長を委員長にした部歴編纂委員会がスタートし、委員諸氏によるさらなる記録や写真の収集が行われました。年代によっては連絡がとれずたった一行の記録を埋めるために多くの時間が費やされました。
その間にメンバーの変更もありました。小浦委員長が仕事の関係で鹿児島へ移られ、柴野が副委員長として仕事を引き継ぎました。平井君が資料の整理や打ち込み、頁のデザイン他全ての仕事の中心的役割を果たしてくれました。そしてもちろん編纂委員の諸氏がそれぞれの役割で仕事を進めました。OB会の全員がこの仕事に積極的に協力し、散逸した記録や写真を探し出してくれました。
それでもまだ全ての記録が明確となるには至りませんでした。部員数の少ない学年があり、しかもその人達に連絡を取れなかったりしたからです。それらは今後の課題として、新しい資料が見つかればまたこの部歴に書き加えてゆくということになるでしょう。

この仕事を進めることによって、いろいろな喜びもありました。三十年も、それ以上も昔の部員が連絡をくれて会うことができたり、忘れていた山行の、忘れていた古い写真が当時の部報の間から出てきたりしました。
それらの古い写真を見る時、一気に何十年もの月日が逆もどりし、その写真を誰かが撮った時の部室のスエた匂い、あるいは冷たい雪渓の上を渡ってくる風や、毎日食べ飽きたカンパンの味までが鼻や、頬や、口の中に戻ってきました。
写真の中の人物達は少し色アセて、ほんの少しボヤけていますが、成長する肉体に寸法の合わないシャツを着て、微笑んだり、しかめ面をしたり、あるいは誇らしそうにはにかんだりしています。そしてその表情のうしろに一様に見られるものがあります。身体に合わないシャツと同じに、あり余るエネルギーと情熱が毎日の単調な日常の繰り返しの寸法に入り切れないいらだちと不安、そして山へ行くことでやっとその解決を見出したという満足など、つまり一言で言えばそこには「我々の青春」が見られるのです。このアルバムの中で、我々は未完成な、しかし、人生の中で最も色彩やかな時間を過していた我々自身に再会します。

最も多感な時期を山岳部で過ごしたということは、それぞれの部員にとって大きな、貴重な出来事であったことでしょう。そして考えてみると、その機会は多くの先輩達が山岳部を途絶えることなく引き継いでくれたからこそ我々に与えられたものだったのです。

実は今回このような大きな規模で部歴の編纂を行うまで、暁星学園山岳部の歴史がこんなに古く、またこんなに偉大なアルピニスト達を輩出していることに我々の多くが気づきませんでした。船田大先輩の思い出にもあるように、暁星のガバルダ先生もフランスでは山岳兵でザイル・ワークを山岳部員が教わったそうです。

暁星の山岳部の歴史はおそらくたくさんある中学高校の中でも最も古いものの一つでしょう。こうした部の歴史は我々OBにとってはもちろん貴重なのですが、暁星の現役の人達にもぜひ知って頂けたらと思います。それが部活動を行う上での励みや誇りになってくれたらと思うのです。山登りと同時に暁星の山岳部のOBの中には、山登りが一流であるのみならず、山登りで培った精神と肉体を生かして立派に仕事をし社会的に高い評価を受け、大きな貢献をしている先輩達が多いということも書き記しておく必要があるでしょう。

この部歴編纂の実現が、今後さらにOB間の結びつきを強くし、また現役の諸君への刺激ともなって、OB会や山岳部の一層の発展に役立つことをねがって編纂委員を代表してのあとがきといたします。

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