暁星山岳部のあゆみ
暁星山岳会に望む 1952年9月7日 吉村惇
初の合宿が無事に終わり、秋風と共に夏山のシーズンは一段落という事になった。ここに於いて暁星山岳会の現状を省みるに、上級生の人達は受験を控えて活動不能であり、畢竟一年の人達を主体として事実上再発足を強いられている情勢にある。今後会員を増して発展していく為には随分苦労されると思うが、これから会が良くなるも悪くなるもその責任はすべて現在の第一線会員である一年の諸君の双肩に懸かっているのである。会を強化するにはどのような方針で望むか。堅実な会にするにはどうしたらよいか。諸君と共に考え私の所信を明らかにしてご参考に供したいと思う。
暁星山岳会は暁星の山の好きな人のグループであることは云うまでもないが、人が集まって会ともなればそこには団体としての目的が生まれてくるはずである。しかしその前に皆は何のためにグループを作ったのだろうか?集まった目的は各個人によって様々かも知れぬが、その共通する処、即ち各人の目的の最大公約数は結局「より楽しく安全に山に登る為」に相違ない。この共通の目的を実行し達成させるために互いに協力し合うのが共同体としての会の根本目的なのである。会はその目的に対して最も賢明な手段を選び、会の発達過程に応じた方針を立てていかなければならない。
どんな険しい山でも自由に闊歩出来たらどんなに楽しいだろう…。誰でもそうなりたいのである。しかしながら、それが出来るには熟達が必要であり、また熟達の為の絶対条件は基礎の確立である。即ち暁星山岳会が現段階に於いて当面の目的或いは方針とする所はすべて基礎訓練、土台を築く事にあると思われる。
登山の基礎となるものは技術、知識、体力脚力等である事は既知の通りだが、初歩の段階に於いて最も基本となるのは体力と脚力である。これが無くては高等な技術は覚えられないし、また少し覚えたとしても直ぐに行き詰まってしまう。
それでは体力脚力を増進する為にはどうするか?何といってもよく歩いてよく山を知ることだと思う。一にも二にも所構わず歩くのである。特に尾根縦走を提唱したい。何処の山はつまらない、何処は行く所ではない等の先入観念はすべて捨てるべきである。何処へ行っても皆異なった特徴があり、また季節によってそれぞれ千変万化の味がある。山の好き嫌いは各人の好みによるがそれはすべて味わった後で論ぜられるものであって、人から聞いた先入観念に捕らわれるのはよくない。万遍なく歩いて山のあらゆる面を知らなければならない。山は広い!方々歩いている内、思わぬ所によいヘルツハイマートを発見するだろう。荷の軽い時、特別な所でなければ1時間半で一里は歩けるようにする等の練習は有効だと思う。
山に登る場合、山を知る為、また危険を防止する為に必ず順を踏んで歩くべきである。
即ち、ある目標の山を決めたら初めからバリエーションルートをねらうような事をせず、必ず一般登山道を歩いてから特殊ルートをとる。また、谷を登る前には必ず尾根を歩いてみるとか、冬登ろうと思う山は夏の間に何度か歩いておくというふうに、必ずその山の概念を掴んでから易より難へと進むべきである。こんな事は普通の常識であるが、この頃は一般に忘れられているような傾向があるらしいが、我々は是非守らなければならない。高い山を目指す場合は特にその必要がある。こうすると外面的には進歩が遅いように見えても遙かに確実性がある。
山の大小にかかわらず月に一回位は行きたいものだ。そして夏休みには合宿なり縦走なりを行って一年の総括をする。また併せて放課後日を決めてトレーニングをすることも是非実行したい。登山には相当な闘志が必要であることは勿論だが、計画は必ず安全を第一に考え、分相応の場所を選び、無理のないプランを立てるべきであって、絶対無謀な冒険をしてはならないのである。登山者にとって遭難は最大の不名誉であり、自ら自分の無力を暴露するものだ。
登山には一応の技術がいるが、それはある程度まで歩いているうち自然に修得出来ると思う。同時に本をよく読んで基本的な事を心得ていれば相当な応用は効くはずである。また、欠く可からざる山の生活技術(炊事、焚火、野営法等)は誰でも心得ていなければならない事だから、合宿の時等全員が練習しておくべきで決して軽視してはならない。
また時にはゲレンデで岩登りの練習をする事も結構だが、その場合はあくまで正しい方法により正統なテクニックを覚えるよう心掛けなければならない。我流は排すべきである。我流で遮二無二岩に取り付くのは非常に危険であり、ある程度以上の進歩は望まれないからしっかりしたOBや実力のある堅実な人にコーチを頼むのがよい。また岩登りは登山の一部または一手段であることも深く心得ているべきであり、岩登りの為の岩登り練習はすべきでない。これを行うと次第にアクロバティックな方向へ進み、山全体を見ることを忘れ、単に岩場のスリルのみを追う先鋭化した偏狭な会に陥ってしまうだろう。大いに警戒を要する事である。山はそんなに小さなものではないのだ。
今までは行動面だけを論じてきたが、次に内面的な精神的な方向を考えてみよう。
先月の例会では会のカラーということが種々論議された。私にもカラーという厳密な意味はよく解らないが、そう単純な軽いものでないことは確かである。考えるに、団体の外面的内面的な洗練された伝統が、実際活動に結びついて現実に現れて来るものと会員間に交流する雰囲気とを総合してカラーと呼ぶのであると思う。それ故カラーというものは一朝一夕にして作り出されるものではない。また作ろうと思って作るものでもない。意識して作ったカラーと称するものは外面的な事にのみ捕らわれて、種々不合理が生じ上っ面だけで本当のカラーとは言い得ない。カラーは団体の伝統と経験と性格が結合して極めて自然に織り出されるものでなければならない。
しかし暁星山岳会には未だ伝統というようなものは存在していないし、性格も未だ明確な方向が示されていない。これから作られなければならない段階にある。然からばどのような伝統を打ち立てなければならないか、これは最も重要な問題だが、そもそも伝統というものは或思想に基づく経験が進化しつつ集積形成されるものであって、元々自然に出来てくるものである。立派な伝統を作るには各々の経験が健全な思想に立脚して行われて行かなければならない。然るに登山の思想等とは極めて広大複雑なものであり、個人個人によって千差万別であって、また根本的誤謬がない限り全く個人の自由に属するのである。
けれども団体に所属する限り、会の秩序の為にある程度統制されなければならない。しかし個人の思想を束縛することは正義に反するのである。然からばどうしたらよいだろうか。
これを解決する唯一の方法は、会員が団結して最も正しく最も適当と信ずるに足る秩序を守り、会の中に或雰囲気を醸し出すことである。
正しい秩序と適当な雰囲気の中に行動していくうちに必ず個人の思想も影響されて自然に健全な方向に近づき合ってくると思うのである。
正しい秩序、それは元来登山界に存在する不変の秩序であると同時に会の性格に最も適したもので、また大多数の会員に受け容れられるものでなくてはならない。それならどんなものが最も受け容れられるか。しかし個人個人の考えを勘酌していくわけにはいかないから、会員はすべて暁星の生徒であるという事を前提として暁星の校風、暁星の性格にあてはめて考えるのが最も近道であろう。
幸いにして暁星には名誉ある伝統が存在する。そして一つの型の校風を持っている。これに基づいて秩序を確立していくのが誰が見ても最も正しい方法であり、最も多くの人に受け入れられるだろう。いや会員も暁星の生徒である限り、学校の伝統と校風は守らねばならないのである。
我が校の伝統には高い品位がある。故に、山岳会員も品位を保たなければならない。山行に際して駅や車中で騒いだり、ハッタリを飛ばしたり、他のパーティーを野次ったり、不必要に汚いだらしのない恰好をする等、山でよく見掛ける一部の下品な堕落登山者のような真似は絶対してはならない。山行に限らず如何なる場合でもそうである。これは特に強調しておきたい。またどんな小さな山行にも節度が必要である。リーダーの命令には必ず服従する。各担当係は完全に自己の責任をもつ等云うまでもないが、節度のないだらしないパーティーは他人が見ても見苦しく、結局は自分等の分の不名誉になるのである。また暁星山岳会は公衆道徳を守り何人が見ても恥ずかしくないような会にしたい。下品に汚く罵りながら無統制な腕力で高い山に登る会より、たとえ登る山は低くとも、節度正しく着実に行動する会の方が遙かに立派で完成されているのである。
次に必要なのは勇気である。勇気は勿論登高に欠くべからざるものであることは云わずとも知れているが、それにも増して忘れられないのは引き揚げる時の勇気である。登山中天候の急変や突破出来ない障碍にぶつかった場合、的確な判断を下して登高を中止する事は実際に当たって生易しいものではない。非常な勇気を要する。天候をも見定めず自分等の実力以上のものを遮二無二突破してアクシデントを起こすのは単に血気に逸ったのみであって絶対に勇気ではない。困難を突破する勇気は賞賛されるがそれはすべて確実な判断の下に発揮される勇気でなくてはならない。
暁星の校風は非常によいものがある反面に、感心できないものも確かに存在するように思われる。その最たる顕著なものは団結力の欠如である。個人対個人の繋がりは非常に親密で円滑にいくが、団体行動となるとうまくいかない。勝手をしたがるという気風がある事は否めない。自由?である事は良いことだが我が儘は山岳会にとって甚だ面白くない気風である。一度山に入ったら自分勝手は許されない。山での勝手な行動には常に肉体的精神的な危険が伴う。山に入ってパーティーの精神的な一致が乱れればそれは次第にパーティーの分裂を来たし非常に不愉快な思いをする。更に嵩じて行動に現れてくれば、それはもう全員の肉体的危険に移行したのである。それを防ぐのは洗練されたチームワーク、パーティーの団結あるのみである。
チームワークは各人の良識ある節度、団結は相互理解と友情によって守られる。山のチームワークは他のスポーツのそれより実際的に重要なものである。他のスポーツでチームワークが乱れれば勝負に負けることになるが、山では山に負けてしまうのである。山に負けるという事は結局詰まらぬ退脚や遭難の憂き目に会うことに他ならない。
しかし団結は山に入って直ぐに作られる性質のものではなく、日常からの強い団結が必要なものである。我々は個人的にうまくいく繋がりをもっと広げていくべきだ。山仲間は一つの飯盒から飯を分け合い、苦楽を全く共にする兄弟以上のものでなくてはならないのだ。
しかし学校には学年という階級的観念を以て見られるものがあるが、その縦の繋がりは絶対に旧時代的封建的であってはならない。如何に上級生であろうとも不必要に高慢な態度をとってはならないのである。下級生が上級生をたてていくのは当然であるが、上級生が自ら特権を持って下級生を圧迫するような行為思想は排斥すべきである。会員間の繋がりは封建的でなく、我々は現代人としてもっと人間的な友情と良識によらなくてはならない。山岳会員はあらゆる権利に於いて根本的に平等である。現在は未だそんな因習が存在する余地もあるまいが将来会員が増えるに従って極めて起こりがちな悪弊であるから前もって心掛けておくべきだ。自由で明朗な気風を好む我が校の人々にとって封建的束縛は最も不適当とする所である。暁星山岳会の中には常に明朗な開放的な新鮮な雰囲気が流れていなくてはならない。山でのザイルパーティーは全く上下の別なくリーダーの命令に従って平等に団結して行動するように、山仲間は日常平地に於いても血の通った友情というザイルで固く固く結ばれたザイルカメラートでなくてはならないのである。時には例会懇談会を開くとか、また軽い懇親ハイキングをする等も良いことと思う。
次に山の知識についてであるが山に於いて経験をより効果的に助けていくのは知識である。前にも云ったように山の本を読むことは大切である。技術的な本ばかりでなく山の先輩の著した数々の立派な著書に親しむことはあらゆる点で非常に教訓になり、また楽しいものだ。登山者にとって気象地学植物等一応の常識は是非必要だが、「山は楽しむもの」なのだから「登山した以上何々を学んで来なければならない」等、山の知識を過大に評価しそれを以て登山を価値づけるのはどうかと思う。が、しかし、高校時代は記憶力に富み学ぶには最も適した時代だから、科学に限らず社会学でも民族学でも大いに知識を吸収し研究するよう心掛けるのは有意義なことだと思う。将来その道の専門家になるのではない限り、今を除いてはそれを学ぶ機会はもう殆ど与えられないだろうし、お互いの知的程度が高まればそれだけ山が広く楽しくなるのではないだろうか。
暁星山岳会は暁星のよい伝統とよい校風に習い、より強く、高度の品格のある気風を育ててほしい。今まで暁星に育ってきた諸君にはそう難しい事ではないと思う。他人が何と言おうと、暁星山岳会員はどこまでも暁星らしく行動するのが一番良く、それを以て誇りとしたい。
次に如何なる場合も念頭に置くべき事は、暁星山岳会に限らず高校山岳部は、大学山岳部とは違うという事である。年齢的に、精神的、肉体的にあらゆる点が相異するのである。
大学山岳部は肉体的に成熟し、殆ど基礎の完成された者を、更に高度に完成させ実地に行って楽しむものであるのに対し、高校の場合は白紙から基礎を作りつつ楽しむのである。
故にやたらに大学の真似をするのは無益である。高校生は高校生としての登山をすればよいのだ。
こうして基礎が出来れば更に高度の登山を望む人は大学で山岳部に入るもよし、またそうでない人も今後いつまでも山を楽しむことが出来るだろう。
最後に甚だ僭越であるが一言付け加えたい。暁星山岳会員はあくまでも暁星の学生なのだから山故に本分を疎かにするようなことがあってはならない。他の高校に於いてはよく面白くない例を見るようである。この会では絶対にそのような事がないようお願いする次第である。
今まで長々と述べてきたことは要するに、私は暁星山岳会に対して堅実で実力ある正統な登山を行い、暁星らしく、良識ある秩序と品位を保ち、知性に富み、更に円満な友愛溢れる楽しい会になって欲しいと望むのである。これらの事を理想として不撓不屈の精神を以て行動していくうちには、独特にして高級なカラーが生まれて立派な伝統を持つよい会になることは明らかである。会員も次第に増えていくだろう。私達も出来る限りの助力は惜しまない。会の発展の為に会員は固く団結せよ!明朗であれ!活発であれ!
暁星山岳会の前途に幸あれかしと祈りつつペンを置く。

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