暁星山岳部のあゆみ 年代
LT
CL
SL
本松暉雄先生  吉野興一先生
市川創作
安齋和之
■■■■ 深田康介 佐藤洋一
●ルート
8月2日 新宿−
8月3日 甲府ー夜叉神峠ー杖立峠ー苺平ー南御室小屋
8月4日 南御室小屋ー薬師岳ー観音岳ーアカヌケ沢の頭ー高嶺ー白鳳峠ー早川尾根小屋
8月5日 早川尾根小屋ーアサヨ峰ー栗沢山ー仙水峠ー北沢小屋
8月6日 北沢小屋ー仙水峠ー駒津峰ー甲斐駒ヶ岳ー北沢小屋ー長衛小屋
8月7日 長衛小屋−分岐ー小仙丈岳ー仙丈岳ー長衛小屋ー北沢峠ー広河原
8月8日(1)広河原ー甲府−新宿 (2)広河原ー北岳ー広河原−甲府−新宿
●最も思い出深い合宿 2001年3月18日 安齋和之
振り返ると、この合宿は全てにおいて充実した、特に私とCLの市川にとって現役をしめくくるにふさわしい合宿であったと記憶している。当初、メンバーをみておわかりのように、年齢差が激しく、このスケジュールはいま思えば中学1年生が二人もいるこのパーティーにはかなりハードであったように思えるが、最後は私と市川の南アに対する“思い”が優先してしまったのだと思う。しかし、実際は初日の夜叉神峠から最初のテン場である南御室小屋まで何の問題も無く、初めての合宿にもかかわらず中学1年の二人は、私達のペースについてきてくれ、全てにおいて予定通りに進んでいった。2日目、テン場を後にしたメンバーは薬師岳に向かう途中、御来光が迫ってくるのを感じ、視界のいい場所まで思いっきりダッシュした。その瞬間は、回りのことを気にせず、夢中で走っていたように思うが、そのときも中学1年の二人はピッタリとついてきてくれていた。しかしあの登りをキスリングを担ぎながら、いくら御来光のためとはいえよくあのスピードで走れたもんだとつくづく思う。その日の夜、予報では翌日の天候がかなり崩れるというものであった。最悪の場合、下山もやむをえないという判断であったが、そのとき、私は何の根拠も無くただなんとなく大丈夫な気がした(自分は晴れ男と信じていた)のと、最後の合宿を途中で終わりにしたくないという気持ちで、“明日は大丈夫ですよ”と無責任な発言をして、吉野先生に怒られたのをよく覚えている。しかし、私の思いは通じ、“晴れ”とまではいかなかったが、雨だけは降らず、予定通り山行は継続となり、3日目も無事に終わった。4日目は、憧れの甲斐駒ヶ岳の日。甲斐駒ヶ岳は先輩の高野さんの憧れの山であり、一度登りたかった山の一つであった。この日は最高の天候に恵まれ、一番いい状況で甲斐駒に登る事が出来た。その夜のテン場からの星空の素晴らしかった。吉野先生も“星”についてロマンを語っていた。4日目も天候に恵まれ、憧れの山の一つである仙丈岳にも登る事が出来た。その後広河原に向かう為、北沢峠からバスに乗ったが、あの「南ア スーパー林道」には反対しつつ、つい便利さにかまけて、その「スーパー林道」を利用してしまった瞬間は、なんともいえぬ複雑な気持ちであった。広河原において、本合宿の最後の夜となった。やはり、頑張って着いてきてくれた中学1年のメンバーもさすがに疲労が溜まってきており、翌日の北岳は吉野先生、安齋、市川の3人で行く事となる。その夜、残った食材で作ったカレーは非常に美味かった。最終日、残った3人で北岳に出発。途中、迷ってしまったが、さすがに経験豊富なメンバーであったためにすぐに挽回し、無事北岳に到着。その日も最高の天気に恵まれた。北岳は3回目だが何度来ても、素晴らしい山だと思う。この日の3人の行動で、特筆すべき点は“スピード”。ピストンであったというのもあるが、私達が愛用していた地図 エアリアマップの行程時間の登りで半分、下りに至っては3分の1という驚異的なスピードだった。本合宿は、パーティー、天候、もちろん山に恵まれ、全てにおいて充実した山行であり、特に私と市川にとっては現役最後を締めくくるに最もふさわしい合宿となった。

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