暁星山岳部のあゆみ 年代
●2001年2月 田辺正夫
8月3日 立川乗換え青梅線氷川駅下車。バス日原下車。日原林道をたどる。鍾乳洞から先はすごい桟道。なれない足元に手間取り重荷にあえぎ予定の半分も進まない。夕方炭焼小屋(名栗沢出合)で檜尾小屋の情報を聞く。(無人で荒廃、後2時間かかる、無理をせずここに泊まれ)。合宿一日目を其処に泊まり翌日に備えることにする。
8月4日(曇りのち雨)樵道をやっと昼過ぎに檜尾小屋へ到着。話にたがわず、無人小屋は荒廃しすごい。これから世話になる小屋の設営。床の笹を刈り、水源を探し水路を造り、竈を作る。全員疲れて早く寝るが、ダニに悩まされて眠れない。
8月5日(曇り雨)大ダワ林道をえんえんとたどり、大ダワから一気に雲取山頂上へ。雲取山荘で有名な“鎌仙人”こと富田さんから不安な明日以降の天気を詳しく聞き、富田新道を駆け降りる。
8月6日 唐松林道を石尾根まで直登、後半は藪こぎ。ブナ坂から稜線上を雲取山頂へ。下りは、主稜線を三条ダルミまで降り、巻き道で雲取山荘を経て昨日の大ダワ林道を駆け下る。さすがに疲れた。
8月7日(午前中晴れ)ゆっくり起きて久しぶりに太陽の陽に当たる、風呂を沸かしたり昼頃までのんびり。入山時とは違い荷も心も軽く、気分も軽やかに下山。氷川山荘の畳の上でゆっくり眠る。
8月8日 合宿解散の日、みんなほっとして帰京。

当時は戦後の混乱期で食料調達もままならず、登山道は荒廃し、かろうじて山仕事の人が補修した桟道を利用させて頂くのがやっとだった。事前の情報収集は大仕事で、戦前の本の情報などでは参考にしかならず、土地の人や、炭焼の人や、樵の人の話など断片的で不確かな情報を基に総合判断するしかなかった。しかも入山してみると、事前に調べた資料と矛盾する現実に絶えず遭遇し、その度に何とか適応していかなければならなかった(応用問題の塊)。今の様に整った登山界からでは想像できないだろう。
テントも寝袋もない装備で一般ルートでない、人の入らない秩父の谷を選んだのは、若さとはいえ登りたいという気持ちだけが先行していた時に、初めて自分たちの力だけで(知識・経験・体力・器材)企画した合宿は、終わってみれば自分たちの力量不足をしみじみと実感させられた。自然の厳しさと山の素晴らしさに深い感銘を受け、以降の山行計画がとても慎重になった。
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