山本:あの、イコライザーアンプの終段にパワー管を使うという発想は?
佐久間:2A3をイコライザに使ったのはあの記事がでる3年前からやってたの。ただね、終段をチョーク負荷にして、何というんだ30Hの50mAのチョークあったでしょ、ああいうので40か50mAくらい流して、コンデンサで切ってタムラのTN351の10K対10Kっていう2wのあのでかいやつをつないで、10Kで送りだしていた、なんていうのをやってたの。
で、その頃はそれで自分ではかなり納得してた。ただやっぱり直流を流してアウトを使うという発想はなかなか出てこなかった。インピーダンスを16オームまで下げるというのは、あれはねやはり品物が乏しかったから、できたんじゃないかと思う。あれパワーアンプだったの最初は。だからあの時点でそれをいろいろといじっているうちに、パワーアンプにイコライザの素子を入れてゲインさえあれば、それでうまく行くのではないかって、ある日気がついた。
山本 :佐久間さんは非常にユニークな回路とか発表されて、どうしてこういうの 思いつくんだろうと思うんですけど、今のを聞いてると、とりあえず今持っているものを何とかよく使おうという、それが発想の秘密ですね。ハングリー精神というか、それいうことですか?
佐久間:それは言えるね。もう、あるものはとことんボロボロになるまでやってみ ようという…やっぱり一つのものに情熱をかけられないと、次から次へとやってもダメだと思うの。
だからスピーカもそうだし、Lowtherなんかこんなに大枚はたいたんだから、この野郎なんとかしてやろうって。御神酒あげて本当に柏手打ってもいいと思ったよ。Lowtherがうまくなってくれれば。まあ、とにかくね、寝る暇なかったね。若かったしさ。昼間店やるからどうしても夜、店が終わった後でしょ。で、前の夜やって、これで完成しようなんて思って、翌日の朝聴くと正直言って、何か聴くに耐えられない音だってこともあるんだよな。だから2A3イコライザは衝撃的なデビューだったとみんなに言われるけれど、俺にしたら数年の格闘があったわけ。いろんな、ね、だからあの16オームで出したイコライザアンプはやっぱり、その2A3の数年にわたるイコライザアンプの終局だったんだよね。
山本 :それで、一つのアンプができるまでいっぱい試行錯誤なさってきたようで すが、それまでは自分のペースで作ってこられたけど,、『MJ無線と実験』の筆者になると読者がほっとかないわけでしょう?
佐久間:そんなことなかったね。僕はやっぱり自分の納得するもの以外、絶対出さ ない主義だったから。MJの筆者の中でも僕がいちばん作品少ないんじゃない?年間にわたる作品ってのは。
山本 :年2回とか3回ですね。
佐久間:例えば僕がこまめに毎月毎月1台ずつ作ってそれを原稿にすれば、毎月出ますよ。ただそんなことはできないし、やってもいい物できるわけないし。アンプはやっぱり20台くらい作ってるから、その中から選び抜いた3台ぐらいでしょ。これはと思う自信作でないと。
山本 :読者はそのうわまえをはねると?(笑)
佐久間:うわまえというか、でもこれはしょうがないんじゃない。
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