山本 :『MJ無線と実験』の筆者になられたその辺のいきさつはどうですか?
佐久間:これは僕もよくわかんないんですけど、僕がMJに出て今年で足掛け12年になるんです。だから12、3年前にね、どんな人か全然見当がつかないんですけど、うちに来た人がMJの編集部に電話かなんかしたらしいの。
うちは一頃、夏とか春とか観光客がものすごく多くて、僕は自作のアンプとLowtherでBGMを流してたの。それを聞いた東京から来た人らしいけど、その人が『MJ無線と実験』読んでたんじゃないかな。それでね、ディスカバーニューサウンドっていうページ、あれに館山のコンコルドっていうおもしろい、なかなかいい音だしてる店があるから取材に行ったらどうかって。
それで『MJ無線と実験』から電話で問い合わせがあって、俺は断わったわけ。金がかかるから。あの、よく宣伝してやるっていうような広告の電話があるけど、みんな3万円とか、必ず金取るわけ。俺はそんな金払ってまで店やりたいとは思わないから、それもありがたいけどお金ないからって言うと、いや無料ですっていうわけ。無料に弱いから。(笑)それで取材に来てくださいということになった。で、取材に来た人は、もうやめちゃったんですけど、僕の10年間担当をやった高野さんという記者で、その方がやっぱり樽入りのLowtherから出たバド・パウエルに感激したわけ。その時は2A3のシングルのイコライザと2A3のパワーアンプだったと思う。そういう組合せで高野さんが聴いて感激して記事を書いてくれって、それで2A3イコライザが『MJ無線と実験』に記事として出たわけ。
山本 :そこを聞きたいんですが、技術雑誌には今まで全然なかったような「饒舌な音は...」で製作記事が始まるでしょ。あれを書こうというのは生半可な精神ではないと思うんですが。
佐久間:やっぱりね、NFBと決別して測定器を全部すてたでしょ、だから僕はその頃やっていた先生達と違う姿勢で、オーディオ的なものよりも音楽ってものを重視して文学的な音づくりを目指そうと、その時に決心したの。それでああいうふうに…だから奇をてらったと言えばそういうふうに言われるかもしれないけど、俺としては下手な詩をまたその頃やっていたからね、文学とか人間の音楽とかいうものは耳をついて感性に訴えるものだと思うから、NFBと決別して計測器を捨てた時点でそういうオーディオ はやめようと思ってたわけ。それでああ言う感じで。
山本 :するとあの記事は一気に書けたほうですか?
佐久間:そうだね。
山本 :で、書いて『MJ無線と実験』に送って本に出るまでの間どうでした?
佐久間:友達みんなに言った。「出るゾ!」って言ったよ。そうねやはり活字にな るってのは初めてのことだからやはりっちょっとドキドキしたね。
山本:それまで佐久間さんは何か文芸誌とかそういうところに書いてらしたんですか?
佐久間:あ、詩集なんかだしてた。自費出版で。いわ『MJ無線と実験』のような商業雑誌とかはやったことはない。ただ僕のところで詩の仲間で一月に一回、5人くらいで同人誌で詩集だしてたから。そういう点では書き馴れてたかもしれない。でも俺にすれば「饒舌な音は疲れる」っていうのは自分のNFBに決別した思いと、あの頃の当時のデータ最優先主義の、僕から聴いてつまらない音に聞こえるオーディオに対する強烈な批判のつもりだった。でもね2A3のイコライザに発展するまでに、そう、数年にわたる試行錯誤があったわけ。あのイコライザに。
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