■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
 『安ケ森林道他』

 7/29日から30日へ日付も変わった午前2 時。僕はMUに乗って自宅を出た。
助手席に置いたかばんには旅行雑誌が2 冊と地図、そして出がけに作って貰った
おにぎりが2 つ。
  R118からR293、R400と走り繋いで、塩原に着く頃には夜も明けていた。
会津西街道(R121)に出たところで会津鬼怒川線の上三依塩原駅に寄った。高原のペンショ
ンと言った雰囲気の駅舎になっている。丁度、先の電車が出て行った所でしばらく電車は
来ない。ここからR121を南下する。段々、五十里川の川面が国道の右下に広がって来る。
しばらく川のたゆたいに沿ったワインディングを下っていくとダム展望台入り口があり、
そのまま進むと〇〇橋で五十里ダムを渡る事になる。橋を渡り左折する。トンネルをくぐ
ったところに小さな茶屋があった。早朝の為、まだ開いていない茶屋の駐車場に車をとめ
てダムを眺めた。ちょうどアーチと、その下流に位置する川治温泉の一部が見える。
  川治温泉の裏手に入り込み、下からダム方向を見上げる。アーチまでは見通せなかった
が今走ってきた国道が山肌に見え隠れしている。
  川治温泉の下流から川治ダムに向かう県道に入る。トンネルを抜けた所にいきなり、交
差点があった。ここが川治ダムだった。ダムの端には川治ダム資料館があったが8時半の
開場まではまだ時間があった。ダムの駐車場の看板を見ていると川治ダム移住地があった
ので更に県道を先に進んでみたが、移住地といっても普通の住宅が並んでいるだけだった
。山荘の裏からのびる山道をみつけ入っていってみる。いくつかの人家を過ぎ道は更に奥
に続いていたが、どこまで行っても全面舗装で角も直角カーブが多く魅力がなかったので
引き返す事にした。
 県道に戻り、更に先に進んでみる。どうも選挙があるらしく沿道のアチコチで集会を開
いて演説などをしている。道が旧道と新道に分かれている所に来た。新道は川俣ダムまで
続いている。旧道は黒部の集落に入っていく。新道の方へ向かいトンネルを抜けトラス橋
に出たところで右を見ると黒部ダムの湖水に取水門が反射している。橋を渡りきった所で
右へ、右へと曲がり取水門へ向かう。黒部の集落に向かう道は案の定、取水門の上を横切
っていく。取水門の上からみると湖水は手が届くかという位に近い位置にある。
 何枚かの写真をとった後、黒部の集落を抜けて、川治ダムの方へ戻る事にシタ。田代山
林道を越えて行くだけなら、黒部からまっすぐ行った方が早いのだが、五十里湖もまだ、
あまりよく見ていなかったし、湯西川温泉にある平家落人民俗館も見てみたかったので、
一度、川治ダム方面に戻る事にした。川治ダムのアーチを渡りトンネルをくぐって行くと
五十里ダムへ続く国道121 号へ戻った。北上し海尻橋を右折する。橋の先から展望台へと
登っていく。展望台には大きな駐車場と団体が食事できるくらい大きな観光センターがあ
ったが、午前10時くらいではまだ観光客はまだほとんど見られなかった。
  観光センターの反対側に石碑があった。これこそ治水に失敗し、自害した〇〇〇〇の碑
だ。江戸時代に男鹿川が地滑りで一時期、堰止められ、その折り、五十里湖が作られたの
だ。幕府は五十里ダムが万が一、決壊すると危険なので、少しずつ水を放出して、五十里
湖の湖を排水しようとしたが、結局間に合わないまま決壊を起こし、下流の村々に大損害
を引き起こしたという。
  五十里ダムを後にして、県道を湯西川に向かう。県道は川沿いの平坦な道で、道はよい
。湯西川温泉は山間の県道沿いにのびる小さな温泉地。平家落人民俗館は街角の民家を改
造したような館で車を置くところもロクにない。そのまま温泉を過ぎて、平家の里へ行く
。こちらは小高い丘の上に平家の落人の集落を再現した公園。
  茅ぶきの農家風の家が数軒、軒を並べそれぞれの中には当時の農具や平氏の歴史を記し
たボードが展示されている。まだ、できて間もないのか庭園の樹木などがまばらで何とな
く物足りない。それでも観光地然としていなくて保存しようという意気が感じられるのは
よい。
  平家の里を離れて、元の県道に戻る。しばらく行くと狩人の里というのが出来ている。
こちらも比較的新しいようだ。県道沿いの駐車場に車を置いて階段を登っていく。ここは
狩人の暮らしを再現した建物や、熊や鳥を飼育しているようだが、入場料が1000円くらい
したのでバカらしくてやめた。
  そのまま川沿いに進むと段々と川の方も源流に近付き、分水嶺に向かって上っていく。
どんどん上って行った所でT字路にぶつかった。看板が出ていて、『馬坂林道通行止め』
とある。目的の田代山林道は馬坂林道の途中から伸びている林道なので迷ったが、しばら
くすると一台のバンが入っていったので更に暫く待って、後に続いた。坂を上っていって
コーナーを曲がった所で先に工事車両が止まって道を防いでいる。先程のバンもそこに止
まっていた。関係者だったのだ。仕方なくUターンして元の県道を湯西川方面へと戻る。
湯西川を過ぎた所で安ケ森林道の入り口を見つけた。湯西川キャンプ場の案内などもある
のですぐわかった。林道を越えるのにどのくらい時間がかかるか分からないので林道入口
のそば屋に入った。まだ、10時半だったので客は誰もおらず、どうも今日一番の客になっ
てしまったようだ。山菜天ぷらそばを頼む。
  ここもまた選挙カーが外を走り抜ける度に店員は手を振ったりしている。どうやら何も
ない田舎町の事ゆえ、選挙というのも一つの大きなイベントなのだろう。さんざん待った
あげく天そばはやって来た。それは手打ちとはいえ900 円もするとはいえ、駅で食べるそ
ばと大して変わりなく薄味のツユと相まって単に空腹を満たしただけにすぎなかった。
  安ケ森林道に入っていく。キャンプ場までは舗装されているが、そこから先はダートだ
。砂利などが入っていず、白っぽい土が続く。あちこち溝が掘れている為、前を走るバン
が道を譲ってくれた。道はあちこちにギャップがあり、ミラーを見るとバンは路面を選び
つつそろそろと苦労して走っている。その点、こちらはギャップでカメになる事なんて気
にする事なく走っていけるから気楽だ。
 森を抜け、段々と右側に空がひらけ、道が尾根の先まで続いているのが見えてくる。い
つの間にか、峠を抜け福島側になったところで道は茶色っぽくなって来た。フラットダー
トの下り坂だ。カーブはことごとくブラインドになっており、慎重に車を進める。
 途中、景色が開けたところがあったのでしばし車を止め、景色を写真におさめ、残って
いた缶コーヒーを飲み干した。
 そこから集落に出るまではまだかなりの距離があった。道は川沿いになり、やがて山間
の草原地を進むようになる。以前、猪苗代湖の近くで見た林道に似た感じを受ける。
 鱒沢川という川に沿って下っていくうちようやく国道 352号にぶつかった。国道を一路
田島町へと向かう。しばらくする内に正面の山にスキー場が見えはじめ、同時に左右に、
『会津高原たかつえスキー場』の看板も増え始めた。
  国道を離れたかつきスキー場の方に上っていく。左右にはペンションが乱立する。カラ
オケハウスなんかもある。季節はずれの今は地元人間の唯一の娯楽場所となっているのか
もしれない。そんな事を思いつつ( それにしても今日は関電工のトラックをよく見る) 
坂をのぼっていくとスキー場のロッジの所で舗装路は終わってしまった。スキー場の淵に
そって今は雑草に覆われた道が続いているがそれは入っていくべきではなさそうに見えた
のでやめた。下りの途中で脇道にはいったがこれもゲレンデの下までいって途切れてしま
っていた。それにしても国道からスキー場までの間、大々的に分譲地になっていたから、
数年後にはここもひどいものになるだろう。とうとう中山峠にいたる入口を見つける事な
く国道に戻ってしまったので、そのまま東へと向かう。国道の右側にペンションのような
外観の大きな建物が見えてきたので車を寄せると、会津高原鉄道の会津高原駅だった。
今朝、一番に立ち寄った上三依から3つ目の駅だ。駅の待ち合わせ室には帰省客らしい家
族づれがめだち駅の向かいにあるログ調のみやげ物屋には登山客がたむろしていた。
 国道121 号に合流し、会津高原鉄道を横目に田島へむかう。単調にまっすぐのびる国道
、点在する集落、時折行き交う高原鉄道、のどかな光景だ。
  高原鉄道は田島の手前で大きく方向を変え、町に入って行く。国道の方もここで 289号
と合流し、街に入っていく。田島の街は田舎とはいえ、この地区の中心であり、規模は大
きい。その上、会津高原鉄道の開通により、新しく立て直された建物も多いのか街の雰囲
気は明るかった。その上、2件のセブンイレブンさえ出来ていた。
  田島駅は2階建の駅ビルで2階はレストランになっていた。1階は駅施設とおおきな、
みやげ物売り場になっている。僕はここで栃餅はあるが栃餅まんじゅうはなく、栃木にい
るうちに買っておけばよかったと悔やむ。
 田島からは国道 289号と甲子林道を走り繋いで白河へ抜けるつもりだったが、入口の表
示では通行不可となっていた。地図を見て、その先の羽鳥湖から白河に抜ける県道で帰る
事にする。ふと地図の上の方にある大内宿という観光地マークに目をとめ、行ってみる気
になった。大内宿は江戸時代の宿場町を保存した町だ。つまご、まかご等の古い宿場町と
いうと細い路地にそって白壁の建物が立ち並ぶような風景を連想してしまうが、ここでは
だだっ広い通りの両側にポツポツと間隔をとって藁ぶき屋根の農家の様な家が立っている
感じだ。いかにも東北らしい。宿だけではやっていけず、半農半宿で生活していたのだ。
今でも各戸とも軒先で土産物を売るかたわら奥の納屋にはトラクタの類が見え隠れしてい
る。
  通りの中程に民俗資料館というのがあったので200 円程払って入ってみる。中には昭和
前半くらいの農家にはあったと思われる、脱穀機やら養蚕の道具、そして様々な日常生活
用品が展示してある。
  大内宿を出るといよいよ帰路につく事になる。国道121 号へ向かう小野川沿いの県道は
快適なワインディングロードだ。MUを右へ、左へと振り回すうちに後輪が悲鳴を上げはじ
める。国道に出て、またすぐ右折。羽鳥湖へ向かう県道に入る。こちらは、何度となく父
のライフに乗せられてガタゴトと走った覚えのある道だがいつの間にか快適な高速コーナ
の連続する道に変わっていた。退屈な道に眠気を覚え、パーキングに車を寄せて、一時間
程昼寝をした。
  羽鳥湖の直前を右折。羽鳥湖の西岸沿いに白河へと向かう。この県道から羽鳥湖スキー
場を経て、甲子林道へ抜ける西部林道の存在を知らなかった為、そのまま素直に県道で白
河に抜けてしまった。白河でひさしぶりに見たコンビニによって弁当を買った。まだ時間
は5 時を過ぎた所だったが南湖公園に行って弁当を食べた。その後、白棚線沿いに棚倉に
出てR118を南下、東館からR349を南下して7 時半頃には帰着した。

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