■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
 渡良瀬遊水池
 栃木県藤岡町の渡良瀬川に沿って渡良瀬遊水池がある。ここにはかつて谷中村という農
村があった。しかし、明治時代、渡良瀬川が鉱毒の被害を各地にもたらすと共にこの村も
被害を受け始めた。水の汚染とともにまず家畜が倒れ、稲が被害を受け、人が倒れていっ
た。田中正造は渡良瀬川汚染に立ち向かった人物として有名だが、谷中村も例外ではなく
彼の支援の元、国会へ賠償金の請求を訴え出た。しかし、国は谷中村の村民に賠償を与え
る代わりに藤岡町へ谷中村を吸収合併させ、村民は藤岡町に移住させるよう決定した。
 谷中村議会はこれに反対したが結局、国は村の建物を破壊し、むりやり、村民を追い出
したという。
 今、渡良瀬遊水池は湿地帯として一面の雑草がおいしげっているが、そこに昔あった田
畑や民家の面影は何もない。
 現在、渡良瀬遊水池の西側の県道を行くと『旧谷中合同慰霊碑』というのを見る事がで
きる。これを目印に遊水池に入っていくと『谷中村あと』に行く事ができる。
 8月17日、そういった予備知識などまったくなく、ある雑誌で赤池遊水池として紹介さ
れていたこの地に単にオフロードランを楽しむ為に僕は出掛けた。
 勝田から小山に向かうには国道50号を使うのが一般的だがお盆休みのこの時期、渋滞が
予想される為、一路、常北へ向かいそこから笠間に向かった。しばらくR50 を走ったが、
下館でまた渋滞が始まった為、関城町から鬼怒川大橋を渡るルートへと迂回した。
  R125と平行するように県道を走り、東北本線野木駅のそばで国道4号へと出た。
 4号を松原交差点から右折して森を抜けた所で渡良瀬遊水池が眼下に広がった。最初の
カーブの所に入口があった。入口にはダットラとバイクが一台止まっていた。大型車進入
禁止の為か両側にポールが立っていたがmuはかろうじて通る事ができた。
 草原は遥かかなたまで続いているかに見える。MTBに乗った親子、草むらの奥に車を
止め釣りをしているおじさん。オフロードバイクで走り回っているライダー。
 フラットダートとはいえ、みずたまりで掘れた後で道はデコボコだ。しかも乾燥しきっ
ている為、走り過ぎた後にはホコリが舞い立つ。
 草原の向こうに堤防のようなものが見えた。そこまで行くと堤防へ上る道は自動車進入
禁止になっていた。車をとめ、カメラを肩に下げ、堤防をトコトコと上っていく。遊水池
に入った時、近くに見えていたホテルの様な建物が遥か彼方に見えた。
 堤防を上りきった。堤防の向こうにはまだ果てしないかの様に草原が見えていた。今ま
で見ていた部分はまだ遊水池のほんの一部でしかなかったのだ。車にとって返すと僕は下
流に向かって走りだした。大きな水溜まりでは威勢よく水をはじきとばした。
 やがて下流に水門らしきものが見えはじめた。さらにいくと水門の下流側で川を渡る事
ができた。道はそのまま反対側の堤防をのぼり、遊水池西側の県道に出た。県道を堤防沿
いに北上する。しばらく行くと右側の堤防に進入路が見えた。堤防路を上り切ると、当然
また湿地帯があるものと思っていたが意に反して、堤防の内側は真新しい公園になってい
た。公園側の駐車場にはパラパラとファミリーカーが止まっていたが、はじっこの空いて
いるスペースではバイク少年達がスクーターやらレプリカやらを持ち込みグルグルと走り
回っていた。
 公園は駐車場から歩行者専用の橋を渡った先の島にあった。橋のたもとの看板によると
公園はとてつもなく広く3ケ所ほど入口がある。もっと北の入口には『谷中村あと』とい
うのがあり、そこだと公園のすぐそばまで車で入っていけるようだった。
 ここで初めて谷中村という言葉に突き当たった。『谷中村あと』という言葉には失われ
た廃村という暗いイメージはなく、貝塚跡のような遺跡だろうと勝手に想像して、そちら
に向かう事にした。川原沿いの道を進むとやがて道は途切れ、堤防の上の道へ回り込まさ
せられる。堤防を越え県道をしばらく北上すると再び堤防内への進入路が現れた。入口の
先が丁度地図にも記載されている『旧谷中村慰霊碑』だった。思えば貝塚などに慰霊碑が
ある筈がない事に早く気付くべきだったのである。
 堤防を越え、標識通り進むと『谷中村あと』についた。広い駐車場の先に貸し自転車屋
があり賑わっている。看板を見るともうすぐ閉門時間となっている。とりあえず、谷中村
あとの位置を地図で確かめ早足で歩いて行く。役場跡と書いてある場所、誰々宅跡と書い
てある場所も、建物が再現されている訳ではないから応時の姿はわからない。ただそこに
ある看板には冒頭に書いたような谷中村の悲惨な歴史が淡々と語られていたのである。さ
っきまで広大な湿地帯に関心し、沢山の虫の鳴き声に心地好さを感じていたのだがそれが
単に自生したものでなく、こういった犠牲の末、生まれた物だというのが意外だった。
『・・つわものどもがゆめのあと』という句をつい思い出してしまった。
 閉門時間も迫っていたので急いで車に戻り、『谷中村あと』を離れた。堤防の方には戻
らず、そのまま島の奥へと進んだ。センターラインが途切れたところで道は細くなり、簡
易な造りの橋を越え、堤防にのぼり、とうとう堤防のてっぺんを行く一車線の道になって
しまった。しばらくすると対向車がやってきた。車が擦れ違うような退避ゾーンのない一
車線の道だったので仕方なく半車身をはみ出させて待っていると相手もテラノだったので
難なく半車身を落として擦れ違っていった。更に暫く走ると今度は古いジムニーがやって
きたのでさっきのように半分落として待っているとジムニーはササーッと堤防を下りてい
ってしまった。そのままジムニーは見事に堤防の底を走っていってしまった。
 ジムニーと擦れ違って間もなく集落が現れた。集落の裏の細い道を延々走っていくとや
がてセンターラインのある舗装路が現れた。しばらくワインディングを走り続けると最初
見た、入口が現れた。これで遊水池を一周したようだった。しばし車をとめて休む事にし
た。
 4号を北上しながら帰り道の算段をしていた僕は地図上の『陸の松島』という囲みに目
をとめた。それは栃木市郊外の太平山山頂だった。今からいけば日没前につけるだろうと
ふんで僕は太平山に行く事をきめた。4号から50号に左折し、思川を渡った所で旧道に下
りた。右に左に最短コースをとりつつ太平山を目指す。両毛線を陸橋で越えたあと、鋭角
的に左折すると道はずんずん太平山へと上っていく。
  道が急に90度左に曲がっていたので、つい正面の旅館の駐車場に飛び込んでしまった。
再び頂上への道にもどり、きついワインディングを上り続けた。左右の木々が途切れたと
思ったら広い駐車場に出た。山頂だった。車をとめて見下ろすとなるほど関東平野が一望
でき、特に眼下には田圃の中に島のように緑の小山がポツポツと浮かんでいる。
  ぐるりと太平山を一周するように反対側から山を下りた。こちら側のワインディングは
峠族のメッカなのか時折、対向車がドリフトしながら上って来るかと思うと途中の駐車場
には走り屋とおぼしき車が集合していた。
  栃木市内に入り、どうしたものかと思ったが、R50 で素直に帰る気にはなれないし、県
道をたどっても岩瀬から先はR50 を使うしかない。それならいっそ真岡、益子、御前山と
たどってR123で帰ってみようと思いたった。5時半という時間に当たってしまった事もあ
り、壬生からR4に出るのに若干混雑があったが後はそれほどでもなかった。R4を横切り、
真岡へと抜ける道は県道ながら整備されており、両側には大手チェーン店が立ち並び、さ
ながら地方都市のバイパスの様である。真岡をすぎると益子への間はすっかり明かりも乏
しくなってしまった。それでもR123と合流する七井にコンビニがあったのでここでオニギ
リを調達した。ここからはかって知ったる道、オニギリをほおばりつつ淡々と走り帰宅し
た。
    以上

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