■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
『奈良・和歌山』その4
 明けて五月一日、最近の遠距離通勤のせいか五時半には目が覚めてしまう。昨日までに
手に入れたタウン誌を読んだり今日のルートを考えたりしながら大久保氏の起きるのを待
った。
 寒さを感じて来たのでエンジンを掛けヒーターを入れ、更にラジオをつけているうちに
大久保氏もとうとう目を覚ましたようだ。
 七時頃、大久保氏も起き出して来たので行動開始。
 30分程で朝の支度を終え、出発した。R42にはそろそろ通勤の車が増え始めている。近
くの日石で給油を済ませ、その先の港へのスロープに車をとめた。僕はすでに朝食を食べ
てしまったが大久保氏はこれからだ。
  浜では15m程のキャビンすらない木造漁船を浜から海に押し出そうとしている最中だっ
た。船の進路上の砂浜に丸太を敷き、ブルで船を押し出す作業をしていた。その作業をし
ばらくのんびりと眺めていた。

 R42を北上し、R309に入る。道はいつの間にかR169に合流する。昨夜、釣り客でにぎわ
っていたあたりも今は静けさを取り戻している。
  小口橋の手前で空き地を見つけた。地図を見ると小口橋から北山川に沿って旧道が伸び
ている。大久保氏の了承を得ずに右折する。左に見降ろせる北山川は川と言っても七色貯
水池の上流にあたり、ダムの様相を呈している。実際1km程走った所で『小口水没之碑』
というのを見る事になった。昭和41年3月20日のものだった。
  しばらく走るとはるか上流の川面にチラチラと建物が見え出した。どうも水没した建物
のようだった。川沿いに回り込んで建物の裏手までやって来た。鉄筋コンクリート三階建
のその建物はほとんどのガラスが無くなり内部も持ち去られたかのように何もないようだ
。おそらくは学校か役場かそういったものだったのだろう。昭和41年以前にこのような山
間に建てられたにしては不釣り合いに大きいその建物はまるで成仏できないとでも言うよ
うに水面上に建物の影を映していた。

  左手の川を釣り船が通り過ぎて行く。あの建物を過ぎた辺りから道が少し悪くなりだし
た。やがて、左側に真新しい柵とオレンジの浮きに支えられた網のようなものが見えてき
た。真新しい看板には『浄化施設』と書いてある。

  一休みして車をだす。浄化施設の先は砂利敷きが途切れている。これより先は草生えの
林道だ。視点を遠くに移して思わず目を疑った。
  道は川の上流に向かってズッと続いている。しかし、よく見ると20m程先から約30m程
がザックリと川に没していた。その手前にかろうじて土の小山が築かれており、土砂崩れ
地点への侵入を防いでいた。
 顔を見合わせてみても戻るしかなく先程の浄化施設の所までバックしていってUターン
させて戻った。
 小口橋、小口トンネルを過ぎ北上を続ける。先程のりんどう出口を横目でにらみつつ車
を進めた。池原でR425に右折。すぐに旧425 とのY字路があり、これから向かう名もない
林道の入り口もすぐに見つかった。例によって『ここは○○営林署の管轄であり・・・』
という形式通りの標識が立っている。
 とりあえずゲートやチェーンの無い林道は『自分で責任を持つ限り、行ける所まで行っ
てよい』と拡大解釈しておく。道は渓谷沿いに急激に高度を稼ぎ、山肌を上っていく。

  助手席でビデオを回していた大久保氏が「野猿だ」と騒ぎ出した。三匹の野猿がいたと
いう。僕には見えなかった。ゴトゴトとダートを進むうちに僕にも野猿の一匹が見えた。
三匹の猿は車に気付き左側の崖に逃げてしまったようだ。そして、僕が見たのが、そのう
ちの最後の一匹だったと言う訳だ。

  右側の谷はどんどん険しさを増す。対岸の斜面が右側の視界に迫って来る。
  車をとめる。のどかな青空。両側の淡い山の緑。しかし、一歩路肩に寄るとまっさかさ
まに落ちていきそうな崖の下に谷川が険しい地形の間を縫って流れている。
  6km程走った所で再び営林署の看板がある。『白倉・十津川方面通行止め』という真新
しい看板がある。奥駈け道の経路である『ねはん岳』の麓まで行って通り抜けられるか、
確認する事にした。標識を過ぎて行くと道は本格的なダートに変わった。道は既に尾根沿
いの高い所を走っているので視界は開けている。

  林道の始点から約11km程でT字路にぶつかった。ここが当初、目的にしていた峠だ。
  T字路の正面にたくさんの矢印のついた標識があった。右へ行くと山小屋『持経の宿』
だ。そしてそのまま行くと林道は『ねはん岳』へと続いている。
  左へ行くと白倉・十津川方面。ただし、ここでも通行不可となっている。そして更に左
にはもう一つ。奥駈け道の入り口だ。登ってみると道自体はけもの道のような規模だが、
シーズンとなれば団体が通るだけあり、路面は踏み固められている。
  東を見下ろせば十津川方面への林道が木に隠れ隠れ続いているのが見え行ける所まで行
ってみたい要求にかられたが既に11時という事もあり、これ以上のロスを出す訳には行か
ず引き返す事にした。R425に出て十津川を目指す。間もなく左に神社、右に池が見え、景
色が良かったので車を止める。たまたま通りかからなければまずガイドブック等では気付
かないであろう。池の名は明神池という。神社の方はその名もずばり、池神社という。明
神池にはたくさんの鯉が餌を求めて、浅瀬に集まっており、大久保氏は朝食の残りのパン
を投げ与えていた。

  行仙岳を貫通する行仙トンネルの前後ではいたる所で崖崩れの復旧や拡幅の工事に大忙
しだった。狭い道をダンプが行き交っている。途中、車をとめ、奥地川の川原に下りてみ
た。澄んだ豊かな水流には小魚が泳いでいる。
  トンネルを過ぎてしばらく進むと先程通行止めにあった林道の出口があった。林道側は
崖崩れの復旧を終えたばかりという感じであった。この分では奥にはまだ復旧ままならむ
部分が残っていたかも知れない。そう思えばつうこうどめ執要な標識にも納得が行く。
  奥駈けの尾根を左手に見つつ谷沿いにR425を進む。七泰の滝?の回りには手元の地図に
は載っていない『紀伊半島森林植物公園』が出来ていた。
  単なるキャンプ場ではなく『モデル林業地区』と組み合わせた当地ならではの公園だっ
た。
  R425を更に進むと左手に吊り橋が見えてきた。国道はその先で芦丙瀬川?とともに左に
カーブし、ちょうどそこに車をとめるスペースがあった。先に来ていたCR−Xのカップ
ルは30mはあろうかという崖の下の河原にどこからか下りて遊んでいる。僕らは吊り橋へ
と向かった。草やぶを分けて吊り橋のたもとへと向かう。吊り橋は簡素な造りだった。両
側に二本ずつワイヤーが張られ、その間に板が渡してある。それが手すりで吊り下げられ
ているという具合だ。少し歩いて見るが白く干からびた渡り板一枚へだてて30mの空間が
あると思うとほとんど先に進む事は出来なかった。

 R425は相変わらず芦○瀬川の谷に沿って続いている。対岸の山の上の方に突然、民家が
見えた。高滝という部落らしい。どうやって登って行くのだろうと思いつつ走って行くと
小さな発電所のようなものが現れた。どうやら、ここの橋を渡って延々と山道を登って行
くようだ。どうして、そうまでして、あんな所に住まなければいけないのかと思えて来る
。
  発電所を過ぎトンネルをくぐった所でT字路にぶつかった。R168だ。左折して十津川へ
向かう。新宮川に沿った国道は快適だ。久し振りにセンターラインのある道だ。
  いくつかの集落を過ぎて十津川温泉に入った。
  時間も昼を回っており、「そば」「釜めし」「ドライブイン」「鮎塩焼」といった看板
を見るたびに腹の虫が騒ぐ。
  蛇行しながら温泉街を過ぎ龍神村へ向かう林道と分岐すると国道はまた単調なワインデ
ィングロードになってしまった。
  車を寄せて地図を見る。次の熊野本宮までは10数km。十津川にはさして見るところもな
いが( 十津川は単独で日本一の面積を誇る村であり、それは失礼である) 食べるとしたら
ここしか無い。
  車をUターンさせ、先程チェックしておいた長谷川ドライブインの駐車場に車を滑り込
ませる。ちょうど神戸ナンバーのバイクの集団と入れ違いにドライブインに入るとそこは
いかにも観光地。薄暗い土間に並べられた安っぽいテーブルと椅子。川を見下ろせる窓側
にはお座敷。そしてカラオケセット。マンガ本。おみやげコーナー。訳の分からないカレ
ンダーやポスター。
  僕らは御座敷の一角を占める。客は他に一組みだけ。
  最初、釜めしを食べるつもりだったが突如アマゴの塩焼きを注文する。アマゴはマスの
稚魚だという。鮎と違って縞模様がある。四万十川で食べたのはアメゴ。僕には鮎とアマ
ゴとアメゴの味にはっきりした違いがわからない。
 大久保氏は釜めしを選んだ。これもまた、この辺ならではの山菜をぶちこんだもの。
  本棚にマンガにまじって古い4WD FREAK を見つけ読みふけってしまった。

  余談だがR425は尾鷲から始まり、ここ十津川で切れているように見えるが実は龍神村か
ら御坊へと結ぶルートもR425なのだ。しかし、十津川と龍神の間で工事が行われている風
でもなく、最早R425は幻の紀州横断道なのだ。同じ様に河内長野から始まり串本に抜ける
R371も龍神付近を始め数ケ所で分断されてこれもまた幻の紀州横断道に終わっている。

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