■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
『奈良・和歌山』その3
 吉野神宮の前であらためて地図を見てミスコースに気がついた。地蔵峠を越えて天川方
面に向かおうとすると吉野山上の勝手神社のそばの林道を行くべきだったのだ。しかし、
再び吉野の狭い通りを通って戻る気にはならず少し回り道する事にした。
 山を下りきったが橋を渡った国道には出ず、手前の旧道を行く事にした。道はとても狭
くすれ違いに苦労する。時々現れる集落は古びた軒下と時代物の看板を見せてくれる。
 R309に出て左折する。商店街の中を南下する。商店が絶え絶えになって、なおしばらく
走った所で下市温泉の標識を見つけて左の脇道に入った。この道が当初の目的の地蔵峠方
面へと続いている。
  右手に小川を見ながら進んでいく。やがて、道は薄暗い林に変わっていく。山に入るに
つれ木々の歯は密度を増し空を覆いかくし、道は薄暗くなっていった。休憩のため、車を
脇によせエンジンを切ると静寂が訪れた。
  空気が湿っぽい。たっぷり酸素を含んだ濃密な空気だ。峠を下りるとY字路に出た。黒
滝村の中心に出た。
  この村は村の中心を国道が走っていない。あるのは黒滝川に沿った県道と天川に向かう
林道だけだ。これと言った観光地もなく、あるのは山また山の山ばかり。
  簡素な警察や役場を横目に集落を抜けた。樹齢のありそうな立派な杉のそびえる神社が
ある。しばらく走り、次の集落では野菜売りのトラックと擦れ違った。そして道はいよい
よ山中へと分け入っていく。
  「今、中戸って書いてあったな。ミスコースだ。Uターン、Uターン」
  いつの間にか大天井ケ岳の中腹で行き止まりになる県道を走っていた。Uターンして、
引き返すと天川に抜ける林道は先程の神社の手前を曲がらなければいけなかった。神社を
カメラに納め、その路地のような林道に車を乗り入れた。道はすぐさま高度を上げ尾根づ
たいの道に変わる。尾根の途中に松ケ茶屋という柱ばかりの堀立て小屋が残っていた。道
は更に高度を上げ、山の西側の急峻な斜面にへばりつくように続いている。右側の崖には
視界を妨げる樹などは一切なく深い谷になっている。
  車を止めてみる。西側には黒からオレンジへと色を変えつつ、山々の稜線が重なりあっ
ている。夕日が西の地平線におりる間際に西の空をオレンジ色に染め上げている。小南峠
随道という素堀りをセメントで固めただけのトンネルを過ぎると道は幾分広くなった。
  道は川沿いに高度を上げ、やがて集落が現れた。
  夕闇の中に無数の燈篭の明かりが灯っている。川の流れる音、薄モヤと相まって、何と
も不気味な雰囲気の集落は龍泉寺と龍泉温泉だった。
  ここは大峰山上権現という修験道発祥の地を持つ山上ケ岳への入り口に当たる。おそら
くは奥駈けの中継地点にも当たるのだろう。
  山上川を中心とした二本の通りに温泉旅館が立ち並ぶ。五月五日の子供の日を控えて、
川には鯉のぼりが掛かっている。
  温泉街のはずれの観光案内を見て出発した。山上川沿いに山を下りていくと左側に町の
明かりがチラホラしはじめ、やがて人家の中へ下りていく。
  T字路にぶつかった。右折して車をとめて地図を眺める。車を下りて観光案内板を見て
いるうちにバスが二台続けてやってきた。この辺りの運行ダイヤは一体どうなっているの
だろう?昼間、五条でも二台続けてバスが到着するのを見たばかりだ。
  時間は午後六時を過ぎている。既にとっぷりと日は暮れている。とりあえず行者還林道
に向かう事にする。割と広い舗装路の両側には点々と民家が続いている。左側、川向こう
にキャンプ場が見える。そこを過ぎてしばらく走った所で広い橋にでた。
  「あれ?あれは天河神社の印だ」
  「どれどれ、あれ?さっきキャンプ場があったって事は天河神社に向かって走ってたん
だ。」
  何故か、行者還林道には向かわず天河神社の方に向いてミスコースしていた。
  「ここまで、来たんだから見ていこうよ」
  車は近くの喫茶店の駐車場に置いて懐中電灯とカメラを持って歩き出した。
  天河神社は正式には天河弁財天社という。能をはじめとした芸能の神と言われる。宝物
殿、角川春樹の寄贈した石碑、弁財天などを暗い境内の中、見て回った。
  再び天川の町へ戻る。天河神社は『河』という字をつかい天川村は『川』という字を使
う。
  行者還林道への道はすぐ見つかった。龍泉温泉から来ると折り返すようなY字路だった
ので見過ごしたのだ。入り口には『通行止め積雪』の標識が出ていた。回りは標高千数百
mの山々だ。積雪はともかく、凍結くらいはあってもおかしくはない。
 地図を見ると天河神社の横をパスして熊野方面に抜ける道もある。どちらにしても天川
を離れると食事にはありつけそうにないので町の中のよろず屋的な店に入ってみる事にす
る。パンやハムを買い込んでいると後から来た客が
 「こんばんわ、どこから来たの?」
と声をかけてきた。
 「横浜からです」と軽く答えた後で
 「あの行者還林道が通行止めなんですが雪が残っているんですか?」
と聞くと
 「もう、雪はないわな」と答えが帰ってきた。これでゴーサインだ。
 車をまたUターンさせ行者還林道へと向かった。
 行者還林道と行っても途中までは国道だ。国道 309号が途中から行者還林道に名前を変
えると言った方がよいかもしれない。
  しばらく走ると正面にまた通行止めの標識が現れた。五月一日開通と書いてある。一夜
明ければ五月一日だから既に道の整備は済んでいるのだろうと解釈する。
  林道は新宮川の源流を辿るように南進する。月の明かりが時折ガードレールの向こうの
新宮川の水面を照らし出す。水面と林道との高低差はあまりない。
  全面舗装ではあるが時折、土石流が道を覆い湧き水が道路を濡らしている。路面決壊も
多く慎重に車を進める。濡れた路面では凍っていない事を確認して進める。
  行者還トンネルの手前でようやく自分達以外の侵入者を見つけた。トンネルの手前の広
場に乗用車が一台とオフロードバイクが二台止まっていた。乗用車は釣り、バイクはツー
リングだろうか?
  長さ約一km程の不気味な行者還トンネルを抜けた。道は下りになった。幅も天川側より
幾分広くなった。
  右側の広いスペースに車を止めて「飯食おうよ」と催促する。大久保氏は浮かない顔を
しているが、こういう時はドライバーに利があるからいいのだ。
  車をおりると、さすが標高千m近く。明日から五月とは言え肌寒い。
 谷間で四方を山に囲まれているので余計な光を受ける事がない。夜空の満天の星が降り
懸かってくる。見上げると視界360度、山の稜線が囲み、その中に星がちりばめられて
いるという感じ。
 パンやハムや揚物を平らげた僕らは再び走り出した。

 林道の右側にランクルとジープが寄せてあった。一見してツーリング中の同類だ。カー
ブをいくつか過ぎるとヘッドライトに照らし出された向こうにダートが見えた。土砂崩れ
の後がまだ工事中になっていた。ビデオを構えつつ通過する。しばらく下りると前方が明
るい。工事をしているようだ。軽が一台止まっている。どうしたのかと思い、待っていた
が動きもしないので通り過ぎようとするとクラクションが一発。
 「どうかしました?」と声をかけると、その軽からおばさんが下りて「いえ、別に」と
言って工事現場の方に歩いていった。
 どうやら工事現場で働いているダンナに弁当を持ってきたような感じだった。
 林道も下りきりY字路にぶつかった。「国道 169号ってこんなに狭いのか?」と声をあ
げつつ先に進むと再びY字路にぶつかった。こちらが本当のR169だった。
  時間は夜九時を回っていた。

  国道 169号は北山川沿いの快適な道だった。既に標高は500m程だった。対向車は大型ト
ラックが多い。それも木材運搬車が目立つ。丸太を満載したものもあれば平床に何も積ん
でないものまで様々だ。
  とりあえず風呂はいいから、まともなメシを食おうという事で熊野に向かった。淡々と
R169を南下する。ほとんど集落といったものがない。
  池原ダムを通り過ぎたあたりから多少様相が変わってきた。国道のソコココに釣り具店
がこうこうと明かりを灯し、どこにも数台の車が来ているのである。大久保氏によると明
日五月一日が禁漁日にあたるので今夜はその為、釣り客が多いのではないかという事だっ
た。そのうちの何軒かは「うどん」「定食」「ラーメン」などの看板を掲げていたが、い
くつか見過ごしていくうちに釣り具屋はなくなってしまった。
  T字路でR42にぶつかり、右折して南下を続ける。間もなく、左側にキラキラと波頭を
見せる海面が広がった。
  熊野の国道沿いには店の明かりはなかった。南下するにつれ「ラーメン」「定食」など
の店明かりを見つけたが飲み屋と化していそうなので避けた。本当でこういう所で話を聞
きながら食べるというのもいいのだろうが、なかなか・・・
  結局、新宮まで行かざるを得なかった。新宮は南紀では大きな街であり、食堂、飲み屋
、コンビニなどがあった。
  まず、駅前に行ってみる。大久保氏がJRカードを買っている間に駅前を見渡したが、
開いているのは居酒屋と寿司屋だけだった。
 一旦、駅を離れてR42沿いのコンビニをチェックしつつ南下した。何軒かラーメン屋が
開いているのを見つけたが結局一番最初にチェックしておいた店に向かった。
  ラーメンジャンボつたやはR42熊野大橋のたもとにあった。橋の側道を使ってUターン
し、店の前に路上駐車し、店に入った。
  ガランとした店内には先客がポツリポツリといる。メニューを見て僕はカツ玉ラーメン
、大久保氏はラーメン定食を頼んだ。
  しばらく待って出てきたカツ玉ラーメンというのはカツ丼の具をそのままラーメンにの
せたモノだった。大久保氏のラーメン定食は冷や奴が付いているという事でラーメンライ
スとの際どい一線を守っていた。
  食事を終えると深夜零時をまわっていた。ちょうど、コンビニのTIMES は閉店してしま
ったのでコンビニ・サンキに車を入れ、明日の朝食などを調達した。

  再び、熊野大橋を北へ戻る。将来、鵜殿町をよけて通るバイパスと接続する為か熊野大
橋は現R42とは立体交差でつながる。なお近々R42にも見捨てられる鵜殿町は日本一小さ
い町だそうだ。地図を見るとなるほど狭い。しかし、紀州製紙なんてのがあるから以外と
企業城下町としてやっていけるのかもしれない。
  R42を北へ向かうとしばらくは右の林に視界を遮られるが阿田和橋を渡った所でバッと
海が広がる。阿田和橋の横のパーキングに車を置いて寝る事にした。
  僕は前席に寝袋で寝る。大久保氏はトランクにマットを敷き毛布にくるまって寝る。

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