■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
「MaSaNaの北海道ツアーPART1」(PART1-4)
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 北海道には高専4年の時、SF大会への参加ついでに鉄道で行っている。
その時は函館、稚内、旭川、網走、札幌とバスやレンタカーを併用して有名な
観光地を見て回った。(鉄道紀行同好会の面々だったので乗り継ぎ地獄(^_^;
 そんな訳で今回は前回のコースを避けつつ、計画をたてない気ままな一人旅
に出る事にした。
			1.北海道へ
 台風19号は9/28昼過ぎに函館を通過するというので9/27の夜、茨城を出発
し、R6を北上した。途中、風で吹き飛ばされた物置の屋根が国道上に散乱して
いて、15cm角の角材に右前輪をヒット、はずみで左前輪を舗道の縁石にヒット
するアクシデントがあった。これで右前輪から異音が出る様になってしまう。
 9/28は一日中、フェリー欠航という事なので大間港まで行く事にした。下北
半島西端のR338海峡ラインというダートの残る寂しい国道を北上する。
途中、九そう泊という漁村(ローカルバスの終点へ:宮脇俊三:新潮文庫)へ
よっていく。途中の道では堤防を越えて道路に波が打ち寄せ、漁村自体も自動
販売機の明かりだけがやけに寂しい港だった。
海峡ラインでは工事中の標識が出てから12kmのダートが続いた。野猿を見た。

			2.道東へ
 9/29の朝、快晴の海峡を渡り函館に着いた。一気に市街を抜けR278で恵山を
目指す。左の崖に旧道のような段差が見えたので、脇道を歩いて登って行くと
廃線跡の道床が砂利道として使われていた。
 恵山は中腹まで林道が通っているが7/1-10/10工事中だ。麓では恵山モンテ
ローザという白亜あり、ログハウスあり、観音様ありという情けないリゾート
施設を建設中だった。
 R278-R5-R37と海岸線をノンビリと走り繋ぎ、夕方に苫小牧に着いた。
 ウトナイ湖のそばで夜を明かす。ここは苫小牧東ICとR235を接続する道路の
予定地だが、今はまだ彼方に苫小牧市街の夜景をのぞむ湿原の一角だ。
 ここで四駆放浪児な夜を過ごす。
至札幌    R36
  |     | ウトナイ湖    +   +  |
  |     |  砂利道 ここ  +   +  |
苫小牧東IC----+-----------*   +   +  +------------R235---
  |     |         +   +  |
道央道    | コンビニASKA  室蘭  千歳線|
       | TrackTerminal 本線    R234
 朝、東の空が赤らむ頃、目を覚ます。朝モヤの向こうにウトナイ湖の輪郭が
はっきりしてくる。誰もいないウトナイレイクランドに行き、湖畔で白鳥や、
カモをカメラに納めて東へ向かう。
 旧R235勇払のあたりで浜に降りているジープを見付け降りてみる。浜は奥行
がなく、海に対し急で両側の視界も煙突に遮られている。降りてみただけ。

			3.東ノ沢林道
 マイルス・デイビスを偲ぶFM放送を聞きながら東に走り続ける。そういえば
サラ・ボーンの時も林道でFMを聞いていて知ったんだっけと思い出す。
 牧草地の中のダートとR235を交互に走り静内をめざす。静内の山奥に奥高見
小中学校という僻地校があり音楽教育に力をいれ、往時は日高の合奏コンクー
ルで優勝したという。(北海道探検記:本多勝一:朝日文庫)
 その僻地集落がダムに沈んでしまった事を知った。(4WD FREAK 91.8 P366)
 静内の北に二十間道路がある。日本の道路百選のひとつという事で全長8km
の桜並木は確かに見事ではある。
 二十間道路を離れ東ノ沢林道に続く道道に入るとまもなく右側の河原に壊れ
て落ちた橋が見えてくる。双川ダム入り口から橋のたもとの河原まで行く。
春別川にかかる大きな橋だが、流木が溜り、一部はねじまげられ、一部は流さ
れてしまっている。道道はここを迂回して上流で川を渡っていく。
 静内ダムのあたりから道はダートに変わった。
 静内ダムから東ノ沢左岸林道に入るが静内キャンプ場から先、一般通行止め。
この左岸林道の入口近くの広場から河原に下りる事ができた。河原には白く骨
のような流木がたくさん落ちていた。(しかし左岸、右岸って上流が基準?)
 本線である東ノ沢林道に戻り高見ダムをめざす。少し紅葉の始まった沿道の
景色は南アの林道を走っているかのような錯覚を覚える。
 高見展望台への斜路は短いが荒れていた。展望はよいが村を偲ぶものはない。
高見開拓の碑は更に数km先の道端にあった。
「昭和22年高山峡僻遠のこの地に烈々たる開拓魂をいだき入団せし一団あり
 筆舌に尽くせぬ苦難と闘い理想郷建設に萬進せし十七星霜営農ままならず昭和
 39年集団離農の止むなきに至・・・」
で始まるこの石碑が立てられたのは昭和54年である。離村した人達が生活を
とり戻し高見会を結成するまでに、それだけの時間が必要だった事を思うと、
この短い文にどれだけの悔しさ、虚しさが込められているのかと思う。
 この石碑のところからダム湖畔に斜路があり、降りてみたが何も残っていな
かった。この斜路にはタイヤの跡があった。更にダムに沈まなかった筈の民家
を探しながら先に進むがそれすらもない。村外れだった所には「高見青少年研修
広場」と「高見湖畔広場」が整備中だった。
 地図を見てみると日高山脈の北側R274と海沿いのR336の間、120km程の間には
日高山脈を越える道は林道さえも無い。国道としてはR236が工事中。道道とし
てはこの東ノ沢林道が静内ー中札内線として工事中である。
 高見村跡を過ぎ、最初の赤い橋が見えるあたりまで道は整備されていた。この
赤い橋が道道静内ー中札内線となる。ここまではダンプやミキサーがひっきり
なしに走る為にフラットダートで道も広い。
 ペテガリ山荘に続くペテガリ林道と別れると道はしばらくガレ場と化す。崩れ
た石がそのままになっている。その代わり静内川への渓谷がオーバーハングして
いて紅葉と岸壁の対比が見事だ。そこを抜けてしばらく高台のフラットダートを
快走して右側に道道の鉄橋を4つ程見た所で、道が狭くなり、崖崩れが現れた。
 車を置いて見に行く。左側の沢で崖が崩れ、それが林道の下をくぐる沢を埋め
ていた。流れる先を失った水は林道上に溢れ15m程の流れを作っている。
 水流は一番深い所でも30cm程度だったがここまでで断念する事にした。
 静内ダムから約40km地点だった。帰りは工事のミキサーのペースに併せて
帰って来たので、麓の牧草地帯まではあっという間だった。

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