■ MaSaNa's OUT DRIVER ■
 9/27-10/6に渡って北海道を車で旅行し、その傍ら廃線めぐりもして
来ましたので廃線関係部分のみダイジェスト&編集します。
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「MaSaNaの北海道廃線ツアー」

 9/29の朝、快晴の海峡を渡り函館に着いた。一気に市街を抜けR278で恵山を
目指す。左の崖に旧道のような段差が見えたので、脇道を歩いて登って行くと
廃線跡の道床が砂利道として使われていた。この廃線跡は調べていないので、
いまだ何線の跡だったのかわかりません。

道南の海岸線を走り続け襟裳岬も過ぎた。

 JR広尾線広尾駅跡にはキハ、オハ、ヨ、ワム等定番のJR車両が保存展示
されている。ただ、レールの両端はセメントの壁になっていて悲しかった。
駅舎を中心としたロータリーの一角には鉄道公園の看板をつけた公園があった。
ここで夕飯を仕入れナウマン国道に向かう。

 翌日は、朝からJR広尾線幸福駅跡、大正駅跡、愛国駅跡、帯広札内川河
川敷き鉄橋跡等を見て回った。
 幸福駅は以前のまま残っているが、壁面には名刺、定期などがベタベタと
はりつけてある。ホームにはキハ22が2両と保線車両が保存されていた。
 北の方を見ると道床と防風林などが残っているようなので、農道を辿って
踏切跡に出た。道床はレール、枕木が外されていたが砂利が残っていた。タ
イヤの跡があったので乗り入れてみたが4WDだと重すぎて砂利が、沈んで
しまう。MTBあたりがちょうどいいんだと思う。慌ててバックして戻る。
 大正駅には何故か、新幹線車両がおいてあって不気味だった。自転車で来
たオバサンがホームから飛び出していったので、あっと思って見に行くと
駅員横断用の階段から2m長程のスロープが作ってあり、そこを降りていっ
たのだった。
 大正駅の北側には広尾線を跨ぐ真新しい陸橋が残っていて虚しい。
 愛国駅は交通記念館の看板が立てられ19671というSLが保存してあった。
 
 帯広付近に広尾線の痕跡を求め朝の市街を一時間程さまよった。
 
 帯広近辺では住宅地の中に道床が残り、札内川の堤防にある鉄橋の基部で
プッツリと途絶えてしまう。河原には跡形もない。橋の付け根のコンクリ跡
の標記を見るとS62で河川敷占有許可が切れていた。

「帯広札内川河原まっぷ」
               川
---R38-------+------------=====-+----
             |           札  |
       LAWSON|     |     内 河
             |     |     川 原 
+++++[___]+++|+++根室本線++++++++++++
     帯広駅  | +   |     札  
             |  ++++++広   内 
             |     |  +尾  川
---大通り----+-----+  +線  札 
-------公園--+-----+    +   内 
             |消防署 鉄橋跡 川
            R236   |        札 
             |     |-----河 内 
-------------+-----+     原 川
             | [雪捨場]看板

道東林道という林道を走り3匹の鹿と、紅葉や自然林を見る事が出来た。
ようやく林の陰に赤い橋影がチラチラしだし、R392に出たと思って
最後の峠を降りて行くとそれは鉄道橋だった。白糠線の跡だった。

R392沿いに残る白糠線の鉄橋を見ながら南下した。白糠線はR392沿いで平行したり
クロスしたりしながら茶路川を下っていく。中茶路では国道脇に道床の築堤跡を
見ることが出来たが、もう暗くなっていた事もあって沿線で駅跡を見る事は
できなかった。
白糠の町の文房具兼書店で「北海道・鉄道跡を紀行する 堀淳一 北海道新聞社」
という本を手に入れる事ができた。

釧路、ノサップ岬、根室と走り繋いで2日が過ぎた。

 風蓮湖を右に見つつR44を西に戻る。厚床で突然陸橋があったので下を見ると
標津線跡があった。標津線跡に沿ってR243を北上した。
 標津線とR243の踏切があった緩いS字カーブは、舗装しなおしたようだが、まだ
段差が残っている。
 地元車の動きを見ていてどうも左側に並行して砂利道がある事がわかった。
国道として開通する前の旧道だろうか?
 砂利道をしばらく走ると踏切跡が現れた。踏切は撤去されていたが、そこから
北側のレールは残っていた。
 砂利道の傍らの草むらにセンターラインのある舗装路が埋もれていた。やはり、
旧道なのだろう。砂利道はそれを迂回して東からくる舗装路にぶつかり集落に
入っていく。
 その集落が奥行臼駅跡だった事に8km程行ってから気付き戻った。
 駅舎は何に利用される訳でもなく残っており、レールは撤去されているが
ホームは、そのままに残っていた。こういう駅が一番物悲しい。

 開陽台に向かう途中、標津線中標津駅跡に寄る。ここは中標津交通センター
としてたてかえられている。中に鉄道資料室があった。
 開陽台は残念ながらモヤで景色を見られなかった。今日まで殆どライダーを
見なかったが、ここの展望台には数人のライダーがキャンプしていた。
 北方領土館は10-11月休館だった。Uターンして国道に出ようとすると正面
に根室標津駅跡があった。駅前広場はバスターミナルだが駅舎は使われていな
い。ホームには色あせてピンクになってしまったキハ22が止まっていた。
 おばあさんが草やぶとなった構内をトボトボと歩いていくのが見え、やがて
キハの陰の民家に見えなくなった。

その日は知床半島に一日の大半を費やした。

 斜里という街からR244にはいった。越川という地区に根元線越川駅駅逓所跡が
あった。廃線後わざわざ国道脇に移築されたそうだが既に朽ち果てている。石碑
だけが妙に新しい。駅跡はすでに農地になっている。国道越川橋の先に巨大な、
アーチ橋が残る。ここは線路延長の為に作られたが開通前に廃線になってしまっ
た幻の橋だという(「鉄道跡を紀行する」より)。
 国道から見えない部分を求めて農道に入っていき、林の中を歩いていくと雑木
林の向こうに確かに巨大遺跡のようにアーチ橋があらわれた。しかし、草ヤブの
ガサガサっという音に驚いて車にかけ戻ってしまったので写真は一枚しかない

 R244を斜里町へ戻る。途中、畑の中にポツンと残る以久下駅舎をカメラに納め
る。

 屈斜路湖の夜明けを見る為に津別峠展望台で一夜を明かした。

 峠から6km程下ると牧草地の中の舗装路に変わる。廃屋が農地の中に点在して
いる。しかし、これは悲惨な離農農家ではないようだ。廃屋のそばに必ず新しい
母屋が建っている。昔の家を残しておけるのが北海道ならではだ。
 津別の町にでた。JR相生線津別駅跡は工事現場になっていて何も残ってい
なかった。
 しかし駅跡を境に旧市外と新市外がきっぱりと別れていた。
 R240を南下する。本岐という集落で旧道に入ると本岐駅跡があった。ここは
ライダーハウスとして残っていた。今日は誰も泊まっていないが、ホーム側の
駅員室口に流し台や洗濯機がおいてあり、まるで民家のようだ。
 さらに南下して相生の集落に入ると北見相生駅跡がある。
 この駅も元はライダーハウスだったようだが現在は男はホームに保存してる
旧型客車、女性は少し離れた国鉄官舎に泊まるようになっている。もちろん今
は誰も泊まっていない。ホームには他にもキハやSL時代の除雪車が保存して
ある。ここは鉄道公園として整備していくようだ。
 駅の北側の踏切跡に回ると腕木式信号が残っていた。

 上士幌からR273を糠平に向かう。道すがら公衆電話を探すがこれが全くみつ
からない。山間にはいった所のドライブインにようやく電話ボックスを見付け
車をとめたがバンで来たおじさんが電話中だったので、しばし待つ事にする。
ふと見回すと駐車場の一角に糠平電力館があった。看板の文を読むと、ここが
電源開発の拠点だった頃は村があったが、拠点が移ってここが不要になった後
は自然村として開放しているらしい。「鉄道跡を紀行する」に当事の地図が、
出ていた(P118)。それによると電力館の裏手の林の中に電力所前駅という駅が
あったという事がわかる。砂利道を入っていくと左手に鉄棒があったりして、
往時をしのばせる。しかし、建物はなにもない。駅にたどり着く前に道は草で
閉ざされてしまった。
 電力館を見て、自宅に予定より早く帰ると電話して糠平に向かった。

 糠平駅跡は上士幌鉄道資料館になっていた。入場料100円を払って狭い館
内に入る。展示物は様々な道具、沿線の歴史とありきたりなものでざっと見て
しまえばおしまいだ。士幌線の事故では操車中に動きだした貨車が数駅間も、
転がり続けてしまったというものばかりだったという。
 館内には100インチのプロジェクターがあり、テンキーで希望した駅間の
運転台からの風景(雪景色)を楽しむ事ができる。これが嬉しくて黒石平駅か
ら糠平駅までの映像をじーっと見ていたら受け付けのおばさんがコーヒーを出
してくれた。そんなに熱心に見ているように見えたのだろうか?
 ちなみにこの映像で、電力所前のホームを見る事ができた。廃止時点で既に
電力所前駅は列車は止まらなくなっていたのだ。
 その他にもビデオで見る士幌線の歴史・車両、パソコンによる士幌線クイズ
等と凝っている。

 糠平からR273を北上する。糠平湖の回りにはまだまだ鉄道橋が残っている。
 例のオッパイ山を探しながら北上する内に十勝三股の代行バス車庫に辿り着
いてしまった。いったん三股を通り過ぎ旧道に入った所でオッパイ山らしき山
を見る事が出来た。旧道を戻ると駅舎らしきものが見えてきた。丁度、三股山
荘というログ調の喫茶店の裏に駅舎はあった。駅舎は窓をベニヤで塞がれ、そ
のベニヤには○○大鉄研、○○大サイクリング部とまるで寄せ書きのように、
一面の落書きがあった。駅舎以外にも二面のホームと四線のレール、給水塔が
草やぶのなかに残っていた。草ヤブの中に立っているとまるでダムに沈んだ村
にいるような気分になる。

 幌加駅跡を探して一時間程さまよった。幌加の集落はもう残っておらず、道
も、地図に出てる道は廃道になり、新しく別な林道が出来たりして駅の位置を
探しあてるのは大変だった。今ならR273を北上して「9の沢林道」に右折。
奥のT字路をもう一度右折すると右側に雑草に覆われた広場が広がる。
これが駅前だ。
                               --------+----+-----
                                作業場 |   広場 
               X----+---X ****道床跡**|****駅跡********** <--線路沿いに
**アーチ橋跡*道床跡*|*****        広場 |<--[9の沢林道]     電柱あり
至十勝三股----------+-----------R273---+---------------至糠平

 車を置いて草むらを歩いていくと足がコキっとなった。レールが残っていた
のだ。線路沿いにまた歩き出そうとして横を見るとそこにホームがあった。
2面のホーム以外何も残っていない草やぶと雑木林の殺風景な駅前風景だった。

 糠平駅、十勝三股駅、幌加駅といい気分になり糠平をあとにした。

 R38を西に向かう。根室本線の滝里駅に寄る。ここは10/22で営業を終了する。
平成8年にダムの湖底に沈んでしまうからだ。駅のまわりには既に草原しか無
くなっていた。周辺では根室本線およびR38の迂回路工事に忙しい。

 赤平駅、上砂川駅(悲別駅)、新十津川駅と寄って小樽をめざす。小樽では
夜景を眺めた後、港のかつない臨海公園で寝た。その夜、激しい雨が車を叩い
た。翌朝、北海道鉄道記念館を見て一路、函館をめざした。途中アリスファー
ムのある冷水峠を回って函館についたのは昼過ぎだった。

 夕方のフェリーに乗って大間に渡り、一昼夜かけて茨城まで走った。

[OutDriver]