奇妙だけど矛盾でない「無限」という疑似パラドックス

 パズル問題にはパラドックス系の問題がありますが、その亜種と言える「疑似パラドックス」の問題もあります。
 疑似パラドックスの一種である「無限」の不思議さにちょいと迫ってみます。

1.まずは定番のパラドックス話

 まずは、ちょいとパラドックス系パズル問題の話をしてみましょう。
 定番のパズル問題にはこういうのがありましたよね。
 「○○円が消えちゃった!?」系のヤツ。

 3人の客が旅館に泊まり,部屋にお茶とお菓子を持ってきた仲居さんに1万円ずつ,合計で3万円の宿代を払いました。仲居さんがこのお金を帳場にもっていくと,旅館の女将は「今日は週日なので,5000円だけまけてやりましょう」と言って,客に5000円だけ返すように言いました。この仲居さんは,5000円では3等分できないと勝手に考え,2000円くすねて,客に3000円だけ返しました。
 この結果,客は1人9000円ずつ,合計で2万7000円を支払いましたが,これに仲居さんがくすねた2000円を足しても,2万9000円にしかなりません。残りの1000円はどこに消えたのでしょうか。
『間違いさがしパズル傑作選』p.27 より

 これは昔から知られている問題ですよね。
 さまざまな金額で多数のパズル本に収録されていて、ご存じの方々は多いことでしょう。

 この問題の罠は「宿代27,000円とくすねた2,000円をシレッと足しちゃった💦」というところです。
 やっぱり、堂々と足し算を主張されると鵜呑みにしちゃうよね😅
 問題文に惑わされず、収支を正しく勘定することが大事です。
 客が支払ったのは30,000円。
 それが 帳簿25,000円+返金3,000円+仲居2,000円 に分かれた。
 客は実質27,000円を支払ったわけだけれど、2,000円はその27,000円の中に含まれている金額です。
 だから、27000+2000=29000 は2,000円を二重に計上してしまっている。
 無意味な等式なんですね。

 引用元の『間違いさがしパズル傑作選』によると、どうやらこの類いの問題は小説の題材にもなっているという!
 調べてみたら、そういう小説が本当にありました。
 その小説の名は『阿房列車』。
 これは1950年代に内田百閒が執筆した紀行文シリーズです。
 全15編、単行本は『第一阿房列車』『第二阿房列車』『第三阿房列車』の全3巻あるそうです。

 調べるにあたって新潮文庫『第一阿房列車』を取り寄せてみました。
 その『第一阿房列車』には7話が収録されていて、その一話『特別阿房列車』の中に「消えた一円」と題せるような一節があります。

 それから今度は電気機関車で走り出した。暮れかけている外を眺めていたが、頸のカラの外れの所に蕁麻疹が出来て、痒くて堪らない。爪で押して窓の外の一所を見つめていると、景色の方がどんどん移って行く。山系が隣りからこんな事を云い出した。
「三人で宿屋へ泊まりましてね」
「いつの話」
「解り易い様に簡単な数字で云いますけれどね、払いが三十円だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、つけに添えて帳場へ持って行かせたら」
 蕁麻疹を搔きながら聞いていた。
「帳場でサアヴィスだと云うので五円まけてくれたのです。それを女中が三人の所へ持って来る途中で、その中を二円胡麻化ごまかしましてね。三円だけ返して来ました」
「それで」
「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあったのです。十円出した所へ一円戻って来たから、一人分の負担は九円です」
「それがどうした」
「九円ずつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆て二十九円、一円足りないじゃありませんか」
『第一阿房列車』pp.44-45 より

 この後、「蕁麻疹を押さえた儘、考えて見たがよく解らない」と本文は続きます。
 当時も、考えて見たがよく解らなかった読者が続出していたのかもしれませんね。

 パラドックス系のパズル問題は他にもたくさんあります。
 一例を挙げると、「等式 a=b を式変形していったら 1=2 になっちゃった😵」とか。
 まぁ、この問題はまだ可愛い方かもしれません。
 なぜなら、数学の知識を少し持っていれば論理の穴を見つけられるから。
 皆さんは「ゼロで割ってはいけない」をご存じですから、割り算が現れた時に皆さんは警戒できる。
 a=b なのに a-b で割ってるのを見て間違いに気付いたりしますもんね。

文章を斜め読みせず、内容を一文ごとに自分の頭でじっくり理解せよ。

 隠れた罠を見逃さない。勝手な解釈をしない。枝葉に惑わされず話の本質を読み取る。
 これが、かりそめの矛盾を打ち破る必勝法です。
 パラドックス系パズルは必ず罠が仕込まれているので、それを看破することに集中すれば勝てます。
 ただ、罠は巧妙に隠されているから、細かいところまで意識しないと罠を見破れないんですけどね😅

 このパラドックス系パズルの世界、実は、もうひとつの世界があります。
 当ページでは、その世界の一角を紹介しましょう。
 論理的には正しいのに矛盾にしか見えない、不思議な世界です。

2.無限世界の入口、ヒルベルトの無限ホテル

 「無限」という世界。
 その入口をちょいと覗いてみましょう。

 パラドックス界には「疑似パラドックス」と呼ばれる世界があります。
 論理に矛盾が起きているわけではないので本当はパラドックスではないんだけれど、まるでパラドックスにしか見えない。
 そういう不思議な世界です。
 そして、その一角には「無限」という小世界があります。
 この「無限」という概念、実にややこしい!
 論理的に進めているはずなのに相反する複数の結果が平気で生まれ、まるで矛盾を引き起こしたかのように混乱に陥ってしまう。
 だから、浅い理解や先入観では太刀打ちできません。
 正確に理解しない限り混乱から抜け出せない、まるで迷いの森のような厄介な場所です。

 その迷いの森を堪能する題材として、『ヒルベルトの無限ホテル』というパズル問題を紹介しましょう。
 こういう問題です。

 あるところに、無限の客室がある「無限ホテル」という奇妙なホテルがあった。
 ある日、そのホテルには無限の客が宿泊し、満室だった。
 そこへ1人の客がやってきた。
 その客は「他に泊まれるホテルがないので、どうしてもこの無限ホテルに泊まりたい」のだと言う。
 無限ホテルのオーナーは困ったが、ある妙案を思いつき、その客を無事泊めることができた。
 その妙案とは何か?

 さらに、今度は無限の人数の客がやってきた。
 オーナーは驚いたが、ここでも妙案を思いつき、その客たちを無事全員泊めることができた。
 その妙案とは何か?

 オーナーの妙案は、こうでした。

 まず、オーナーは宿泊客全員に「次の番号の部屋に移ってください」とお願いをした。
 つまり、1号室の客は2号室へ、2号室の客は3号室へ、3号室の客は4号室へ、etc...
 客たちが1部屋ずれたことで、1号室が空いた。
 そのため、最初にやってきた1人客は1号室に無事泊まることができた。

 さらに、今度は、宿泊客全員に「自分の部屋番号を見て、その2倍の番号の部屋に移ってください」とお願いした。
 つまり、1号室の客は2号室へ、2号室の客は4号室へ、3号室の客は6号室へ、etc...
 そうすることで、宿泊客はすべて偶数号室に移動し、奇数号室はすべて空いた。
 そのため、無限の客たちは奇数号室に無事泊まることができた。

 最初の妙案はこう。

 どの部屋番号にも次の部屋番号があるから、無限ホテルに「最後の部屋」というものは存在しません。
 だから、すべての宿泊客は移動できます。「最後の宿泊客が移動に困る」なんてことは起こらない。
 無限ホテルの強みですね。

 2つめの妙案はこう。

 これも理屈は同じ。
 無限ホテルの強みが活きていますね。

 まぁ、部屋数が無限だとわかっていても、なんとなくキツネにつままれたような感覚をおぼえますよね。
 とりあえず、こんな疑問がすぐに浮かびそうです。

満室なのに、なんで客があぶれないんだ??

 普通、満室ならホテルは新規客を受け付けできません。
 しかし、∞人→(∞+1)人→(∞+∞+1)人 へと宿泊客が激増したはずなのに、無限ホテルはまったくパンクしていないのです。
 このホテル、どうなってるんだ??

 疑問の答えをもう言っちゃいましょう。
 なぜ満室なのに客があぶれないのか?
 それは……

∞人と (∞+1)人と (∞+∞+1)人は「同じ人数」だからです。
そして、それらは部屋の数とも同じなのです。

 ……何言ってんだって話ですよね😅
 明らかに客が増えたのに、客数は部屋数と同じままなんだってさ😅
 意味がわからん😅
 でも、これが無限世界における正論なのだから驚きです。

 もちろん、この正論には根拠があります。
 それを次セクションで話そうと思います。
 「無限の人数」の不思議、それを数学の視点で解説していきます。

3.「個数が等しい」の本当の意味

 前セクションではこう述べました。

 これ、どういう意味なんでしょう?
 明らかに3つとも異なる人数に見えるのに、「同じ人数」とは……?
 あ、もちろん、「どれも無限だから同じ人数だ!」などという単純な話ではありません。
 ちゃんとした意味があるんです。

 無限個どうしの比較において、何を以て「個数が等しい」とみなすのか。
 数学では、個数の相等を次のように捉えています。

 実は、1対1の対応を利用した物は身近にもたくさん存在しています。
 例えば、多数決。
 賛成/反対 それぞれ挙手で多数決をとったりするけれど、手の本数を数えますよね。
 これは、挙がった手の本数が票数に等しいからです。
 「挙げた手⇔投票した人」という1対1の対応を根拠にしているんですね。

 実は、この「1対1の対応」という考え方は遥か大昔から存在していました。
 人類の知恵の1つです。

 われわれの遠い祖先が,まだ 1, 2, 3, 4, …… と数を数えることを知らなかった時代に,そこにいくつのものがあるかを記憶したり,記録したりしようとする場合には,そこにあるものと,いわゆる1対1の対応がつく見本を利用していた.
 たとえばある未開人が,自分の家畜の数を記録しておこうとする場合には,その家畜の集まりと1対1の対応がつくような刻み目を木の幹につけていたといわれる.英語に,刻み目を意味する tally という字があるが,字引きをひいてみると,
割符,刻み目,計算,得点,金札,計算単位
などを意味するとあるが,これは,人類が数をおぼえ,計算をおぼえるのに木の幹につけた刻み目から出発したよい証拠であろう.
 また未開人の酋長が,自分の家来の数を記録しておくのに,小石を1つずつ家来に渡して,それをまた集めてしまっておくということをする.この場合,彼の家来の集合と小石の集合は1対1の対応にあるわけである.英語に石を意味する calculus という言葉があるが,これも字引きをひいてみると,
結石,石,計算,微分積分学
などを意味するとあるが,これも,人類が数をおぼえ,計算をおぼえる最初に小石を利用していた証拠になるであろう.
『モノグラフ 数学史』p.53 より

 我々は既に「数」を知っているから、「4個と4個で個数は同じ」などと数値比較で簡単に把握できます。
 だけど、数を知らない大昔の人でさえ、個数の相等を把握できていた。
 実は、個数の比較において、数値はさほど本質的ではないんです。便利ではあるけども。
 1対1の対応の方が本質的だと言えるんです。

図 3-1

 では、この「1対1の対応」とは一体何だろうか?
 引用文章にある家来と小石を例に説明しましょう。
 家来の集合をA、小石の集合をBとして、個数を比較する際にA, Bの要素同士を1個ずつペアにしていきます。
 家来1人と小石1個をペアにする。
 家来1人と小石1個をペアにする。
 家来1人と小石1個をペアにする。

 図3-1 では、A, Bともにすべての要素がペアになりました。
 数学では、この対応の仕方を 全単射 と呼んでいます。
 引用文章では「1対1の対応」と書かれていますが、これは全単射という意味です。

 図を見れば明らかですが、家来と小石は同数ですね。

  • 集合A, Bの間に全単射が存在すれば、家来と小石は同数である。
図 3-2

 ペアにする作業は、A, Bの一方が全要素を使い切るまで行います。
 図3-2 では、家来の方が全員ペアを組み終えました。
 小石は余っちゃいましたね。

 A, Bの一方のみが全ペア完成すると、他方は要素が余っちゃいます。
 この対応は全単射とは言いません。

 図を見れば明らかですが、家来と小石は同数ではありません。

  • 集合A, Bの間に全単射が存在しない場合、家来と小石は個数が異なる。

 「全単射」が存在するか否か。
 これが個数の相等を決める基準です。
 そして、実は、無限個に対してもこの基準が導入されています。

 冒頭の一文をもう一度。

 もし仮に、∞人 と (∞+1)人 の間に全単射が存在したとしたらどうなるでしょう?
 そう。∞人 と (∞+1)人 は同じ人数だと言えるんです。

 とは言っても、本当に全単射なんて存在するんだろうか……?
 実は、本当に存在するんです。
 前セクションで示したオーナーの妙案で証明してみましょう。
 その妙案をもう一度。

 まず、オーナーは宿泊客全員に「次の番号の部屋に移ってください」とお願いをした。
 つまり、1号室の客は2号室へ、2号室の客は3号室へ、3号室の客は4号室へ、etc...
 客たちが1部屋ずれたことで、1号室が空いた。
 そのため、最初にやってきた1人客は1号室に無事泊まることができた。

 妙案前後の状況を図で表すと、こんな感じ。

 ここで、妙案前後の間でごく普通にペアを作ってみましょう。
 同じ部屋番号の客同士をそのまま対応させます。

 どうでしょう。
 いや〜、両サイドともまったく人が余ることなくペアができてるじゃぁないですか!
 これは紛れもなく全単射です!
 このおかげで、∞人と (∞+1)人は同じ人数だと言えるんです。

 また、(∞+1)人と (∞+∞+1)人も同じ人数になりますが、これもオーナーの妙案が理由です。

 さらに、今度は、宿泊客全員に「自分の部屋番号を見て、その2倍の番号の部屋に移ってください」とお願いした。
 つまり、1号室の客は2号室へ、2号室の客は4号室へ、3号室の客は6号室へ、etc...
 そうすることで、宿泊客はすべて偶数号室に移動し、奇数号室はすべて空いた。
 そのため、無限の客たちは奇数号室に無事泊まることができた。

 ここでも同じ部屋番号の客同士をペアにしてみる。
 すると、これも全単射になるんです。

 以上から、宿泊客の人数に関してこういうことが言えました。

 驚きの結論ですよね。
 人が増えてるのに人数は変わらない。
 これが「無限」の持つ不思議さの片鱗です。

 もぅちょい話を進めましょう。
 宿泊客たちの対応関係をよ〜く見てみると、実は、単純極まりない対応をしているんです。
 1番同士、2番同士、3番同士、……、同じ部屋番号をひたすらペアにしているだけ😅
 別の見方をすると、これは「部屋番号と宿泊客の間に全単射が存在している」とも言えるんですね。

 これは、∞個も (∞+1)個も (∞+∞+1)個も部屋の数と同じだということです。
 また、部屋番号は1から順に割り振られているから、部屋と自然数の間にも全単射が存在する。
 部屋の数は自然数の個数と同じです。

 最終結論。
 こうなります。

 自然数の個数に等しい個数のことを、数学では 可算無限個 と呼んでいます。
 可算無限個どうしの物は個数が必ず等しい、ということは既に証明されています。
 ∞人、(∞+1)人、(∞+∞+1)人、部屋の数はどれも可算無限個であり、すべて同じ個数です。

 客が1人増えようとも∞人増えようとも、無限ホテルはパンクしなかった。
 これは当然だったんですね。
 だって、客数と部屋数がずっと同じままなんだもの。

4.混乱必至 !? 「無限個」の比較の難しさ

 ここからは余談です。
 いきなりですが、ちょいと質問をひとつ。

奇数の個数 と 自然数の個数、どちらが多いと思いますか?

 「そんなの簡単でしょw」とか言われそう😅
 じゃぁ、もうひとつ質問。

仮に「両方とも個数は同じだよ」と言われたとして、あなたはそれを信じますか?

 「何言ってんのw」とか言われそう😅
 なんでこんな質問をしたかというと、今から「無限個」の持つ奇妙な性質をお見せするからです。

 先に結論を言っちゃいます。

 まったく信じがたいですよね。
 理由はこれから話します。
 その話を通じて、直感や常識が通用しない無限世界の一角を味わってみてください😊

 前セクションでは、「全単射が存在すれば個数は等しい」と述べました。
 これはご理解いただけていると思います。
 さらに、常識的には「全単射でなくとも、要素の余った方が個数は多い」と考えるのが普通だと言えます。
 例えば、次のような至極単純な対応を考えれば、自然数の方が圧倒的に多く見えますね。
 奇数サイドはすべてペアが組まれたけど、自然数サイドは偶数が余ってますもんね。

 ところが!
 ここから摩訶不思議な現象が起こります。
 上記以外にも対応のさせ方はいっぱいある。例を2つ挙げてみましょう。

 あれ?
 奇数と自然数の間に全単射ができちゃった!
 いや、それどころか、奇数の方が余ってるじゃぁないの!
 一体どういうことだ!?

 実は、無限集合の間で1対1の対応を考える時、こういう厄介な問題が生じてしまうんです。
 対応のさせ方次第では、自然数が余ったり、全単射ができたり、なんと奇数を余すこともできる!
 相容れない3種類の結果が同時に成り立つことがあって、混乱してしまうのです😵
 「これって……矛盾じゃないの?」

 もちろん、3種類すべてを容認すると矛盾を引き起こします。
 それは許されない。
 そこで、数学では無限個の相等についてこういう定義をしています。

 たった1つでいいから、全単射を見つければそれでOK!
 全単射が絶対に不可能な時に限り、個数は異なる!
 こう決めているんです。
 んで、先ほど、奇数と自然数の間には全単射が存在しましたよね。
 というわけで、先述した結論に至るんです。

 セクション冒頭の質問に対して、「自然数の方が2倍多いに決まってるだろ」と考えた方々は多いはず。
 でも、実際はまったく違った。
 こういうふうに、「無限」という世界は我々の直感や常識を平気でブッ潰してきます。
 だから、直感と常識なんか何の武器にもならない。
 恐ろしい世界なんです😰

 しかも、さらに厄介なのは、「無限の種類は1つだけじゃない」ということ。
 もうひとつ質問をしてみます。

自然数の個数 と 実数の個数、どちらが多いと思いますか?

 「どうせ全単射が存在して同じ個数なんでしょ?」とか言われそう😅
 ところが、今回は実数の方が多いんです。
 なぜかと言うと、自然数と実数の間には全単射が存在しないから。そして、どうペアを組んでも必ず実数の方が余るからです。
 「自然数も実数も無限個で同じ!」などという単純な話ではないんですね。

 この話は「カントールの対角線論法」と呼ばれる論法で既に証明されています。
 ここら辺は『集合論』という数学分野の話になるので、論法の詳細は省略します。
 対角線論法を簡単に言うと「すべての実数に番号が割り振られたと仮定しても、番号の付いてない実数が新たに見つかって矛盾した〜😵」という論法です。
 その実数の見つけ方が「数字を矩形状に並べて矩形の対角線に着目する」という方法なので、対角線論法と呼ばれています。

 集合論は非常に理解の難しい分野です。
 「濃度」「アレフ・ゼロ」「対角線論法」「連続体仮説」「可能無限/実無限」「選択公理」など、未知の概念で皆さんの脳ミソを容赦なく痛めつけてきますので、集合論にチャレンジしたい方々は気力と体調をしっかり整えて臨んでください😊
 数学者カントールの悲劇も含め、無限世界の深淵がどれだけ恐怖に満ちた魔窟なのかを堪能できることと思います。

参考・参照

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