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桜は笑う
 目を閉じて、空間を意識する。音が気にならないぐらい、集中する。手を広げるイメージ。大丈夫、距離はつかめている、イメージの中で手が動く。指標の無い暗闇でも、僕は自分の手の長さを意識できる。
 次に、輪っかをイメージする。フラフープのような輪っかだ。暗闇に立つ僕の体の周りに、白い輪が浮かぶイメージ、今にも触れるぐらいに思い描く、温度、触感、重さ、バランス。まるでそこに本当にあるかのようにイメージする。輪っかと体の隙間が何センチか確りとわかる。丁度、腕が120度ぐらいでつかめる丁度いい広さ。白い輪っかはそのまま僕の腰の辺りで浮いている。音を立てないが、完璧なほどリアリティーに裏打ちされた輪がイメージの中にある。
 イメージを広げる。輪っかを広げていくイメージ。同心円状に、わっかを広げていく。頭の中で何処までも何処までも。そして、輪っかは僕のイメージの限界に広がる。しかし、自分の後ろがイメージできない。完全な円であったイメージは、広げた瞬間崩れ、前方と左右にしか伸びない。後ろにはあまり伸びないのだ。それは多分、僕が後ろを知らないからだ。視覚の限界がイメージの限界。これをこえたら、僕は何処にでもいける気がする。見ぬ世界をイメージできれば、僕はきっと何処にでもいける。
 けれど、その試みはいつも失敗する。何も無い暗闇の中で輪っかのイメージは、確かにそこにある。だが、ひとたびそれを広げてしまえば、それはくずれる。あの、触れる程のイメージは、一瞬にして厚みを無くし、記号に成り下がる。後ろに至っては広がってるイメージを無理やり作れば、もうそれは確固たる感触をもたない絵にしかならない。
 僕はその視覚の限界であろうあの場所を越えたかった。だが、それを誰かに言ったところで、笑いものになるだけであろうし、その恥じをかなぐり捨ててまで誰かに言って、応援してもらいたいものでもなかった。
 たまに、思い出したようにイメージするその輪は結局、いつもその場所で霧散する。
 僕は、あの先を知らない。

 春先の、縁側はお気に入りの場所で、いつもそこで僕は寝転がる。板張りの床のひんやりとした冷たさと、日に当たった部分の柔らかな暖かさがいいのだ。混ざってないのがいいと思う。かといって、境界がはっきりしてるわけではない。そのあやふやさもいいと思う。だから、こうして体を伸ばして縁側に寝転がる。夏になると縁側の板が熱くなるのでよくない、やはり春が丁度いい。きっと、あの輪も境界がはっきりしないからいいのだ。じわじわと霧散するイメージがすきなのかもしれない。輪っかは、庭の塀あたりで崩れて消えた。
 塀の向こうに樹が生えている。大きな桜の樹だ。毛虫がひどいので、あまり近付かないから実は良く知らない。春は丁度この縁側から咲き乱れる桜が見れるので、花見に行かなくてもいいので重宝していた。過去形なのは、最近めっきり咲かなくなったのだ。去年は久しぶりに、まばらに花をつけたが、それもすぐに散った。もう年なのだろう。世界に切れ目はないのだ、じわじわと咲かなくなる桜が、ぱたりと咲くのをやめないように。今年はさくだろうか? できれば、また咲いて欲しい。子供の頃、近所の友人と共にここから眺めた視界を埋め尽くす桜色。あれをもう一度みてみたい。
 そうしてまた、僕は日向で目を閉じる。光が焼きついたまぶたの裏で、残光が踊っていた。光は、赤くなって広がりまたその広る、その中から緑色の明かりがうまれ広がり消えていく。光を追いかけようと、視線を巡らせれば、ゆらりゆらりと動いていた残光は、まるで命を得たように逃げ回るのだ。眼球に焼きついた光を追いかけて、僕は踊る残光と共に。
 風が吹いた、薄着だった体が一瞬で硬直していく。その反応に、睡眠に落ちかけていた意識が引き戻される。目をあけると、日が蔭っていた。いや、遮られていた。
「おはよう」
 疑問が言葉にならないまま、頭の中でどろどろと流れ出している。目の前に居るものが判らない。寝起きの、重たい頭は回転することを拒み軋みを上げる。ああ、えーと、だから……。思考は止まりつづける。
「もー、電話してもでないんだもの此処まできちゃったじゃない」
 声が頭の中を跳ねる。焦点が定まらないが、派手な色の服を着ている。声が、高くて寝起きにはつらい。で、えーと、そう、だから……。頭はまだ回らない。
 無理やり出そうとした言葉は、「う」とか「あ」などと、良くわからない喘ぎにしかならなかった。体を起こそうとする、眠い。あまりの眠さに死んでしまいたい。ああくそ、眠い。
「ちょっと、聞いてる?」
 焦点があってきた、といっても焦点が合う前から誰だかはわかっていた。正確に言えば。
「だれだ、あんた?」
 知らない誰か、というのだけはわかっている。
「え? えーと」
 視線ををそらす少女。髪の毛がふわりと揺れた。焦点はまだ完全に合わない、けれど彼女の顔ぐらいならわかる。ただ、それには警察につかまるぐらいににらむ必要があるわけで、僕はそれを諦めた。とりあえず、刃物などで脅されるようなことはないのだろう。ならば、何かされるまでは別に、そう、眠い。頭が重い。痛い、血液が、水銀になったように重い。ああ、眠い。
「えーっと……、お兄ちゃん」
「妹なら、先月他界したし、僕のことは名前で呼ぶ」
「ひぇ……、ごっめんなさ……い」
 尻すぼみな謝罪は、後悔と罪悪感に塗りつぶされている。
「嘘だ。妹は居ない。で、あんたは誰だ?」
 涙目になってるのがわかった。視界が回復していくなか、一つだけおかしいところに気が付いた。はて? それ以外は、都会で流行ってるのか理解不能な服装と、風に飛んでいきそうなふわふわの髪の毛が目に付く。そんな奴が、目を潤ませながら、芝居がかったポーズで僕を見ている。何で、うちの庭にいるんだ。
「ひどい、幼馴染をわすれるなんて」
 完全に頭が回り始める。ついでに、こいつの頭がどこか遠くに置き忘れてきていることも良くわかった。
「………、とにかくあんた誰だ」
「えと、――」
 携帯に手をかける。たしか、あの三桁の数字はつながるはずだ。よくしらないけど。
「わー! 止めてくださいっ、止めてー」
 いちいち動きが大げさなのが気に障る。漫画の読みすぎか、それとも都会はこう言うのがはやっているのか。ああ、そういえば聞いたことがある。
「それ、コスプレ?」
「ちがいます! これは、私の正装でして」
 胸を張る姿に、哀れさすら感じる。ああ、頭のネジどころの騒ぎではなかったらしい。おもむろに、携帯を叩く。
「やめてー、警察はやめてくださいー、後生ですからー」
 携帯を奪おうと、彼女はいきなり僕に乗りかかってきた。どけようと、頭を抑える。
 長い耳は、引っ張っても取れなかった。

 もうすぐ夕方か、空に赤い色がつき始めている。風は少しつめたいが、それでも厚着をしないといけないほどではない。家に入って窓を閉めれば何の問題も無い温度だ。
 けれど、窓はしめられなっかった。そして僕は、縁側から、部屋に戻ることができなかった。 僕は、昔からお洒落とかが判らない。センスもあるとはおもってない。だから、人の服装なんかについてあれこれ思うことは無い。それに、田舎ということもあってテレビの向こうにうつる都会の人間達が不思議な格好をしようと、全くうらやましいとも思えないのだ。かといって、それが変だとも思えない。無感動すぎるといえばそうだが、ブラウン管の向こうは完全に別の世界だ。境界は確りしている、あのガラスの向こうとこっちだ。
「で、だれ?」
 目の前にいる少女の格好は、やはりガラス越しではなかった。少なくても、生まれてこの方見たことすらない。
「え〜っと……、お母さんですよ」
 精一杯、大人びた声を出そうとしているのだろうが、努力は徒労でしかなかったようだ。
「次ぼけたら、警察に電話する」
「えっと……、妖精?」
 1、1、―――
「わー! ボケてないのにー」
 だんだんと、疲れてきた。もうどうでもいい感じになる。そうだ、荷造りをしないといけない、うんそうだった。面倒臭くて全くやっていなかったが、春から都会の大学にいくのだ。引越しの用意をしないといけなかった。
 少しひんやりとした縁側の床を手で押さえつける。じわりと、手に湿気が染み込む感じがした。
「わー、待って下さいってばー」
 立ち上がると、背の高さは一段と顕著になる。縁側い座っていた自分と、丁度目の高さが同じぐらいだったから、今は腰ぐらいの高さに頭があった。
「なに?」
「えーっと、ですから妖精で」
「その、妖精さんがなんの用?」
「信じてないでしょ」
 さすがに投げやりなのが伝わったのか、彼女は僕を指差して言う。流石に関わっている心の余裕がなくなってきた。このさい、此処から立ち去ることができるのならなんでもいい。
「あー、まってください。まってくださいよぅ。何もしませんから、その……あの……」
 グゥ、という音が聞こえる。まるでゆでたように、少女はどんどんと赤くなっていく。もう、このさいどうでもよかったのだ。この縁側から離れて部屋にはいれるなら。
 だが、わすれていた。僕は、彼女から離れたいから縁側から離れたかったのではないだろうか?
 頭に輪を描く。白い白い輪だ。僕を中心に、腰の辺りで浮いている。それを、同心円に広げるイメージ。一瞬で、イメージは崩れ、霧散し、記号へと形を変える。記号だと認識した瞬間リングが薄れる。ああ、イメージが崩れた。そして、その思いにあわせるようにバラバラに崩れていくリング。
 ああ、花びらのようだ。
 庭先に生えている桜が見える。老木で、いまにも枯れそうな桜。桜は咲かない。  全く暖かくならないのもあるのだろうけど、去年のつぼみの数からいって、今年は流石に絶望的だろう。昔、まだ桜が元気だった頃、木に登って枝を折ったことがある。咲いていた桜を見せたくて、その枝をおったんだ。確か、君にそれを見せたかったんだと思う。病院の白しかない部屋が、寂しくてどうしても桜を持っていきたかった。
 けど、親にこっぴどく怒られた。当たり前だ、あの時でもうすでに老木と呼ばれて久しいほどの桜だ、枝の一つでも致命傷にすらなりえるというのに。だんだんと減ってきた花の数に、年々桜を見上げることも一緒に少なくなった。今年は、花をつけるだろうか。
「あのー」
 覗きこんでいるのは、少し心配そうな顔をした自称妖精。ただのコスプレ少女にしか見えないが。
「なに?」
「白いご飯というのは、とても美しいと思いませんか? やはり、湯気の向こうでなお輝くあのつやつやとした……」
「腹が減ったのなら、正直にいったらどうだ?」
 いくら、他人のことに疎い僕でもまるで壊れたCDみたいに、腹の虫をならされては無視することすら出来ない。
「なっ、そんなことないですよ!? 私は、先日書籍で手に入れた知識を、事実と照らし合わせて、更なる知識の裏打ちをですね」
「なんて本?」
「今日の晩御飯」
 背を向けて部屋に戻る。
「あーいやー、えっと。その、お腹が……」
 すごい勢いで、目の前に回りこまれた。
「お腹が?」
「減りませんか?」
「そこの庭に咲いてる花でも食え」
「わーい」
 ためらいも無く、庭に飛び出し彼女は花に本当にかぶりついた。
「ギャーーーー」
 少女から一生聞くことが出来ないような叫び声があたりに響く。
 木造のいえが、軽く震えたかもしれない。ガラス扉なら確実に皹がはいっていただろう。
「これ、なんかとげ! とふぇが!」
 口に赤い筋を走らせながら、自称妖精が抗議する。
「まぁ、薔薇だし」
 薔薇を口にくわえたまま、衝撃を受ける姿はなかなか見ものではあった。
「な……んてことを、実の母親に向かって」
 ヨヨヨヨヨ、と泣き崩れるガキを部屋から見下ろす。これを他人に見られたら、いらぬ疑いをかけられそうな構図だ。
「母親なら、海外旅行だ。妹は居ない。姉は、母親とともに旅行だ。幼馴染は居ない」
「じゃぁなんとか父親で、それとこの薔薇に関して、言いたいことが私にはありますが」
「ああ、いま警察読んでやるから賠償金でも、裁判でも、なんでもいいから勝手にしてくれ」
「ああっ護無体な! ご主人様ぁ 償いなんていりません、後生ですから警察だけはっ」
 芝居がかった物言いに、頭痛がおそってくる。面白いぐらいの涙が出ているのをみて、世界びっくり人間大賞とかに応募したらとか考えてしまう。
「お前を雇った覚えは無い、それに僕の性癖が疑われるから勘弁してくれ」
 年齢もそうだが、その服のセンスが頭で警告を鳴らす。
「大丈夫ですよ! ロリコンなんて最近じゃ珍しくないですから! それに私こう見えても50歳ですし! 熟女趣味ですよ! それと、前回から性格かわってませんか? 気のせいでしょうか!?」
 息を撒いて迫ってくる少女は、どうみても50ではない、下手したら一桁だ。あまりにもむかついたので、耳を引っ張る。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ! 駄目! そこは大事なアンテナでして! 世界が!」
 世界がどうなるのかはきになったが、あまりにも叫ぶの声のでかさに手を離した。辺りを見回すが、さすが田舎声が届いていないのか誰も家から顔をだしているようなことはなかった。
「で、妖精が何しにきたんだ?」
「えっと、寂しく性欲をもてあます少年のために、こうして萌え萌えでキャッキャウフフな生活を過ごしていただくためにこうして派――」
「あ、警察ですか?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 空高く叫び声が響く。


 春はまだだろうか。心の奥のほうで、針で刺したような痛みが走る。春には都会にでるのだ、桜が咲いたところで、見れないだろう。どっちにしたって、咲くかどうか判らない桜に期待したところで、無意味なのはわかっている。目の前で、病気のように白米を掻き込む自称妖精を見ながら、ため息をついた。
「もーふはんでべゲベッ」
 何か言おうとして、喉に詰まらせたらしいが、そんなことはどうでもいいのでそっと無視。それにしても、見れば見るほど変な格好である。女性の服のことはわからない。そう、頭で納得させて一人頷く。小さなテーブルの向かいでは、顔を真っ青にして咽ている自称妖精。うんうん、自分で言うのもなんだが、やはり良くわからない。
「むぐっ。げへぉ」
 およそ、可愛らしくないむせ方で、というより顔も素になって咽ている姿からは、必死さが滲みでている。仕方ないので此処は一つ ―――
「空が青いね?」
 質問でもしてみよう。
「げはぁっ!」
 テーブルが空を舞った。
 
 あまりの咳き込みで、喘息のようにゼヒゼヒと息をしている自称妖精が、お茶を啜っている。意外と、見ているだけなら面白い。咳き込まないようにと、ゆっくりゆっくりお茶を流し込む。
「!!」
 熱かったらしい。
「ぶほぉっ!」
 盛大な衝撃波と共に、辺りが霧に包まれたとしか思えないほど細かく飛沫になったお茶。
「で、いいかげん話を進めませんかね?」
「……、抗議と質問はどこで受け付けてますか?」
「自分の胸の中に秘めておけ」
「人権無視!?」
「人なのか?」
「妖精です!」
 かなくなに、そこだけは譲らない。
「じゃぁ、なんの用? わざわざ人の家に上がりこんでおいて、ただ飯くらいに来ましたですむとはおもってないだろ?」
「えーっと、お仕事でお手伝いに」
「うちの?」
 そういうと、彼女は頷いた。
「ふぅん、誰に頼まれて?」
「え?……え〜と……」
 彼女は、初めて目をそらした。一瞬、部屋に風が流れ込んでくる。つられて流れてくるのは、食事の匂い。
「もういいよ。わかったから。勝手にしてくれ。……手伝うって何をなんだ?」
 そういいながら、僕は立ち上がる。
「えーっと、身の回りのお世話とか……、まぁ、無茶な願い事はかなえられません」
「んじゃ、食器片付けとけよ」
「えーと、食器洗いとは相性がわるく……」
「じゃぁ、晩飯作れ」
「……料理とは、敵対関係にありまして」
「んじゃ、掃除」
「ざんねんだったな、MPが足りないようだ」
 ため息をついて、僕は部屋を後にする。どうやら、ただの役立たずだというのには間違いないみたいだ。晩飯の用意はめんどくさいし、今日はもう風呂でも沸かして寝よう。
「あ、どこいくんですか?」
 部屋を出ようとした僕の背中に声がかかった。手をかけた障子が殆ど抵抗もなく開く。
「風呂沸かしてくる」
 返事もまたずに、僕は後ろ手に障子を閉じた。パタリという、柔らかい音がなる。廊下は、日も当たらないためかひんやりとした空気が充満している。
「煙突掃除ならデキマスケドー」
 障子の向こうで妖精が何かをいっている。
「駅前に銭湯あるから、そこでバイトしろ役立たずが」
 一瞬障子の向こうで、彼女がピクリと振るえ感じがした。しばらく、そのまま障子を背に廊下に立っていたが全く反応はなかった。静かに時間が流れる。
 踏み込んだ廊下の板が、ギシリと静かに軋む。
 突き当たりの扉を開けると、風呂場がある。廊下よりも更にひんやりとした空気と、湿気ている空気が肌を撫でる。洗濯に使ってへった湯船の残り湯に水を足す。一瞬硬い音をたてて、水道が震える。すぐに、その音は水が流れる音にかき消された。
 風呂釜に火をいれ、風呂場を後にする。そういや、掃除しにきたんだった。僕は、一瞬軽い目眩に襲われたが、まぁ風呂が一日二日で腐るわけでもない。今日ぐらいいいじゃないか。
 冷たい廊下の床を踏みしめながら、居間に戻る。
「おい、せめて……」
 食器の片づけを頼もうとおもったのだが、妖精は居間には居なかった。
 辺りを見回すが、食器は切れに片付き妖精の姿かたちもない。
 夢でも見ていたのだろうか。
 テーブルの辺りを触ってみれば、まだ食器があったばしょにぬくもりが残っている。自称妖精の匂いが少しだけ残っている。帰ったのだろうか。
 それもいい。
 庭に開けている縁側に出る。
 庭を囲う垣根が、風に揺られて乾いた音を立てていた。春はまだこない。胸にちくりとした痛みがはしった。寝転がり、そのまま空を見上げる。傾き始めた空に、雲が所在なさげに流れていた。風はまだ冷たい。それでも、日が当たったところは暖かくなってくる。それが気持ちよかった。まるで布団に包まれているような感覚に眠気がおそってきた。

「おはよーございます」
 暗闇で、声をきいた。幼馴染の懐かしい声。あいつの声。そういえば、あいつはいつも僕に敬語をつかっていた。居間何処で何をしているのやら……。
「オハヨーございます」
 違和感に頭が覚醒する。体が勝手に跳ね上がり。
「ぎゃあ!」
 覗きこんでいた自称妖精とクロスヘッド。
「ぐあっ!」
 二人でうずくまり頭を押さえている姿は、さぞかし滑稽であろう。
「つつ……、おまえ石頭だな」
「あ、あの」
「なに? てっきりかえったのかとおもったけど」
「ヒドイ!」
 涙目に、更に涙を加え此方を責めるような顔をする。その顔が、なんだかむかついた。
「ぎゃああああ! だからそこは世界の終わりが! おわ! おわり!」
 むかついたついでに、耳を引っ張ってやる。
「で、なんの用だよ。寝てるところを起こしやがって。しかも二度目だ」
「あ、あと。えと」
 下を向き、言いづらそうにしている自称妖精の背中から、一瞬おいしそうな匂いが流れてくる。味噌? 醤油の匂いもする。
「もしかしてお前。晩飯つくってたのか?」
「……はい」
 立ち上がると、更に匂いははっきりしたものになる。ああ、食わなくてもいいと思っていたけどどうやら腹は減っていたらしい。
 振り返り、見上げた空は赤く染まっていた。まぁ、さめた飯を食べるより、いま食べた方がいいかもしれない。
「飯くうか」
「はいっ」
 居間のテーブルにはすでに食器が並べられていて、いつでも食べられるようにそろっていた。振り返ると、自称妖精が感想を期待していますといった感じの視線を此方に向けている。
 と、彼女の手に目が止まった。
「おまえ、手」
「ええ! ちょっと怪我しました! けど大丈夫です! たいしたことありませんから」
「……」
「? どうしました? 怪我なら大丈夫ですよ! たいしたことありません!」
「怪我してないだろ」
「ばれてるっ!」
 大げさなリアクションは相変わらずだ。両手を上に上げて驚いている、自称妖精。
「あ………」
 手を上げながら気が付いたらしい。
「誘導尋問!?」
 床にしなをつくり泣きくれている自称妖精を無視して、僕はテーブルにつく。味噌汁と、焼き魚、それと暖めなおした白米。
 十分だなと思う。
 焼き魚は焦げがおおかったし、味噌汁は味噌だけで出汁をつかっていなかった。うちには、出汁入りの味噌なんて置いていないから当たり前か。少し、自分の顔が緩んでいるが判る。
「おまえ」
「あ、はい。なんでしょうか?」
「名前なんていうの?」


 えーと、何処からお話しをしたらいいでしょうか? 私は、妖精ですからあまり長い時間存在していないんです。ですから、昔話もできませんし面白いお話を作ることもできないんです。ごめんなさい。
 妖精は、世界の法則から外れてるそうなので、長い時間世の中に残留することが出来ないそうです。私は良くわからないんですが、私を作った人は物知りなので、少しお話を聞いています。えと、私のような端末、えーと……すいません、馬鹿で。私を作った人が言った言葉をそのまま言うのでしたら『能動意志を持ちつつも、能動行為を行えないものが、唯一もちうる出力系統の現れが妖精であーる』あ、これ私を作った人の物まねなんですけど、似てました? あ、知らない。そうですよね。うーん……、似てるんですけどね。目の前でやったら怒られましたケド。ま、まぁ、そういうことらしいのです。頭のいい人なら判るんじゃないでしょうか?
 つまり、なんだか知らないですが。作った人のために働くのが私達妖精のお役目というか、お仕事みたいなものなんだそうです。でも、本来意志をもってるものは『出力系統』が世界によって定義されているらしいのです。意味わかんないですね。私を作った人は、本来意志をもっていない系統の存在だったらしくて、その出力が世界に認められていないとかなんとかいってました。つまり、裏技ですね。確認したら、作った人はため息つきながら『まぁ、そうかもしれない』といってました。
 ですから、私はズルしていま存在しているので、長いこと世界に居ることができないんです。ズルは見つかったらつかまっちゃいますからね。
 とまぁ。そんなこんなで私はかれこれ……1でしょ、3でしょ……えーっと……、生後一週間ぐらいじゃないでしょうか。生まれた瞬間は覚えてないので、もうちょっと長かったかもしれませんが作った人に誕生日を聞くのを忘れたので、判りません。まぁ、一年もいられないそうなので、知ってても祝えないんですけどね。あ、別に私達は消えることに関して特に何かおもうことはないんで、そんな顔しないでください。えーっと、生まれたばかりの赤ん坊に、『君の寿命は後数ヶ月だ』とかいっても、なんとも思いませんよね。あ、いまのはカツヤさんがみていたお医者さんのドラマで言ってた台詞の物まねです。にてました? あ、見てない……そうですか。
 とと、気を取り直して続けますね。まぁ、馬鹿なので私は寿命に関して特にこれといった感想はないんです。だから、あまり気にしないでください。それに、途中で私が消えてもすぐに代わりの者がくると思うので多分問題はないです。ハイ。
 え? 仕事の内容ですか? 私達の仕事はいろいろですが、仕事の内容を誰かに伝えることができないのです。しゅひぎむとか何とか言ってましたが。多分、その方がなんだかお洒落ですよね? え? いや、えーっと。……本当は、内容を教えると世界に気付かれるんだそうです。つまり、世界に属してる人達に、私のことが知られちゃうと、私が仕事を終えるまえに消えちゃう可能性があるってことです。これだけは、きつく言われているんで、教えるわけには行きません。や、だめですよー、あー、ご飯で釣ろうとしたって駄目です。それに、私だけでなくて同じ仕事につく妖精たちも同じ目にあってしまうので、私だけの責任じゃなくなっちゃうんですよぅ。
 うぅ……、駄目なものは駄目です。おもちゃも駄目です! え!? それなんですか? ふーせん? 風船ですか。おぉぉ! とんだ! おおおおおおおおお! まて! ええい! またぬかー! え? えーとですね、私の仕事は……。はっ! 危ないところでした。駄目なものは駄目です。あ、あ、触らせてくださいよう。 ふわふわふわふわふわ。わー。ぎゃー! 怒んないでください〜。すみません、すみません―――

「何をしてるんだ!」
 風呂から上がり、騒がしいので覗いてみたら案の定、自称妖精ことピケが庭の住人に成り下がった野良猫と格闘していた。
「あ、えーとですね。この方にお話を、聞いていただいてたのです」
 総意ってピケが刺した猫をマジマジと見る。だが、猫以外にはやはり見当たらない。とうとう、やばいのか。
「うぇ? どうしたのですか? 熱ならないですよ」
「いや、新手のウィルスにでも感染したのかと」
「な! 失礼な人ですね! めちゃめちゃ普通ですよ! ……おー」
 と、手を振り上げ憤るピケの近くに風船が浮いていた。その風船は、猫の首輪に結び付けられていて、器用に猫はその糸を前足で操っている。それにつられて踊るピケ。あーとかおーとかぎゃーとか良くわからない奇声が上がっているが、猫は全く動じないで淡々と紐を操りピケを踊り狂わせていた。
「私で遊ばないでください!」
 そういって、ピケは猫に掴みかかる。猫は猫であるがゆえにつかまらない。大体、こんなドン臭い奴につかまえられる道理がない。しかし、必死なだけあって動きが大きくなっていく。飛び上がり、フェイント。座布団をなげ、飛び掛る。猫も負けじと、ピケを引っかいたり、風船を操っている。さながら乱戦の様相をていしてきた。
「うるせー!!」
 叫んだ声に、ピケの動きが止まり、猫が端って逃げていった。ポテと、面白い音を立てて静止していたピケが縁側に倒れる。目からは大量の涙が流れている。そこで初めて僕は、彼女の髪の毛がピンクなのに思い当たった。はなから変態と決め付けていたので、特にマジマジと見ることもなかったから目にとまってなかったのかもしれない。涙を流してる目はライトグリーンの澄んだ色だ。まぁ人間じゃないのは良くわかる色でもある。
「ご利用は計画的に……」
 ピケは見ていたテレビのCMのフレーズを、繰り返し呟いていた。
「おい」
「ひぃ! 止めて! 田舎にはお腹をすかせたお母さんと年の離れた弟が〜」
 何処でそんなことを覚えたのだろうか。全く、影響だけは受けやすいらしい。
「どうでもいいけど、風呂開いたぞ」
「あ、はーい」
 いきなり立ち上がると、ピケは軽い足取りで風呂場へとむかっていった。やっと、一息つける。僕は、いれておいたお茶を喉に流し込む。丁度飲みやすい温度になっている、ぬるいお茶は滑り込むように体の中にはいっていった。
「ぎゃあああああああああああ!」
 騒々しい叫び声と、足音。その音に振り返ると。すごい勢いで障子が開いた。漫画みたいに、綺麗な音を立てる障子。その向こうに―――
「ぶほっ」
「あああああああ! 熱湯じゃないですか! 煮殺すきですか!」
 すっぱだかの妖精が居た。
「ごほっ!」
 息が苦しい。叫ぶところまではよそうできたが、まさか裸で飛び出してくるとは思わなかった。
「妖精の煮物ですか! 水煮ですか! いい出汁取れますか!」
「ごほっ。 服を着ろぉ!」
「え? あ〜」
 そういって、納得したようにピケは風呂場に戻っていった。
 噴出したお茶を掃除し、新しくお茶を入れなおす。ポットにはいっていたお湯はまだ十分に熱い。湯気が立ち上る湯のみを見ながら―――
「ぎゃああああああああああああああ」
 どうも、風呂場に戻ったときに、ここにきた理由を忘れたらしい。
 小気味いい音を立てて、障子が開いた。


 目を閉じて、意識する。いつものように想像する。体の周にフラフープのようなものが浮く。白い線。そいつは僕の想像の中で次第にリアリティーを持ち、ついには本当にそこにあると錯覚できるほどになる。意識を集中する。目を閉じて意識する。円を広げる。中心は僕。同心円に広げていたつもりの円は、いつしか後ろに伸びなくなり、それを意識した瞬間にリアリティーを失う。もう一度やり直し、目を閉じて意識する。円は僕の体を中心に広がってく。何処までもいける、僕の想像はどんな距離だって踏破してみせる。けれど、息が詰まるほどのリアリティが、気が付けば消えている。気を許した瞬間、虹の燐光を残して円は掻き消える。あそこが限界。僕の想像の限界はそこにある。僕の意識は、あの先には届かない―――
 誰かに祈られたのを覚えています。懇願されたことを覚えています。どうか、どうか。その声だけが私の頭の中に残っています。けれど、私は馬鹿で、忘れっぽいから良く思い出せません。私を作ってくれた人は、私の仕事を細かく教えてくれました。それは、さすがに私でも覚えています。けれど、それ以上に、あの時の声が私の頭から離れないのです。その祈りは、私を作ってくれた人がいったお仕事と同じです。けれど、私はその祈りを直接聞いたはずなのに、忘れてしまいました。同じ内容だと、作った人はいっていました。おぼろげながら、私もそうだと記憶しています。けれど、あれほど苦しくて、悲しくて、それでも意地を張りつづけた祈りを忘れてしまったことが、悔しいのです。祈りで生まれる私達は、祈りそのものを覚えていることが殆どないのです。だから、思い出せないのはしかたないのだと作った人は言いました。でも、私は。それでも、私は悔しいのです。きっと、あの祈りはとても大切で、とても大事なお祈りのはずなんです―――

 夜の闇が、窓の隙間から差し込んでいる。同じように侵入してくる寒さが、布団の隙間を見つけては入り込もうとしていた。親と姉が旅行に行ったのは、多分僕を見送りたくないからだ。それはどうでもいい、彼女らが居ない間に俺は都会に行く。といっても電車で一時間弱しか離れていないのだけれど。ただ、この街は山に囲まれている所為か、都会と隔絶されているような感じをうけるのだ。多分それは、街の人間誰もが感じていることで、自分達と、都会を区別する節は何処にでもある。僕は、来週には家を出る。荷物を引越し業者に引渡し、僕は電車にのるだろう。一人暮らしの前哨戦である留守番が終われば、僕はもう此処から居なくなる。少し、感慨にふけったついでに、布団にもぐった。押入れの匂いがした。明日は、干そう。
 毎度、日課になった天気予報と桜前線の確認をして布団にもぐりこんだのは、数時間前。なぜか同じ部屋で、自分以外の呼吸を聞く。ピケだ。天気予報が始まる前にみた、ホラー映画の所為で彼女は一人で寝れないとダダをこねたのだ。耳が長いことを覗けば、かわいいであろう顔に涙を浮かべて懇願されれば、さすがに自分が男だということを自覚せざるを得なかった。最初は、同じ布団にもぐりこんでこようとしていたピケをなんとか止めるので必死だった。気が付けば、一人ピケは寝てしまっていたけれど。多分、此処にきたのが疲れていたのではなくて間違いなく、僕の布団に潜り込もうとしたときに全体力を使い切ったというのが正解だ。機械的なリズムの寝息が、今はやけに耳についた。
「う〜ん。世界情勢は、もう引き返しのつかないところまで来ているのです。即刻、自衛隊を派遣して、この状況を打開させなければならないと、私はそういっているので……うーん」
 寝言は、てっきり食事関係か、エロ関係だと思っていた。予想を裏切られ目がさめたてしまう。布団から顔をだし、心の中でため息をついた。
 月明かりに、映し出される自分の部屋。窓のすぐ下、机にのったディスプレイがシルエットになって見えている。机の下では、パソコン本体が、少し低い唸りを上げて動いている。電源は切らない主義だ、かといって何かやっているわけではないのだけれど。その唸りにあわせて、すぐ横で唸っているピケ。とその布団。耳が長いからか、寝言のワリに、寝相はいい。丁度、月明かりは机ので遮られ、ピケには直接あたっていないがパソコン本体が発するLEDの点滅でその輪郭を明滅させていた。
「むがっ。官房長官は何を考えておられるのかぁ!」
 布団を跳ね上げ、腕が上がる。寝言で討論が白熱しているらしい。と、勢いあまって振り上げられたその腕が、力なく此方にふってくる。あ、と思ったときにはもう遅かった。
 意外と細い腕が、ポフといった具合で僕の布団の上に落ちる。無視するのはたやすい。だけど、持ち主の布団に戻そうと僕はその腕と持ち上げた。
 風邪を引いたらいけないと思った。
 嘘だ、そんなものは大義名分でしかない。多分、正直に告白するなら、僕はこいつの手を取りたかったのだろう。すでに、親と姉がいなくなって一週間以上たっている。多分、人恋しくなっていたのだ。気の迷いというヤツである。自分に言い訳しているのはわかってるけれど……。だいたい、出会いからして最悪だったこいつに、何で僕が。
 意識が落ちていく。都合のいい夢が頭の中で展開されていく。
 幼馴染はもう居ない。馬鹿でうるさくて凶暴で、怒りっぽし貸した本も無くすしがさつだし……。でも、正直者で嘘がつけなくて、恥ずかしがりやで、寂しがりやだった。そして、僕の正義の味方だった。彼女は、正義の味方よろしく、いきなりいなくなってしまった。時々、彼女の夢を見る。馬鹿で五月蝿くて暴力女で、短気でがさつ。馬鹿にすると怒るくせに、僕のことをいつも馬鹿にしてた。そんな夢を見る。正義のヒーローの背中を追いかけて、走り回った記憶、失敗した告白の思い出。一緒にいた分だけ喧嘩もした。嫌な思い出の方が意外と覚えていたりする。それでも、きっとその夢を見ている僕は笑ってるんだ―――

 手のひらに、まだピケの腕の感触が残っていた。朝日にまぶたを叩かれて、僕は目を覚ます。体が目を覚ますまえの気だるさよりも、夜に触った彼女の腕の感触がリアルだった。
 違和感は、多分その感触。つぎに、音。そして温度。体の感覚が、明確になって今起きている自体に一気に目が覚めた。
「あ、おはよーございます。カツヤさん」
 僕の布団の中に、ピケが潜り込んでいた。布団の中から、見上げるようにしているピケが見える。ああ、腕の感触がリアルなのではなくて、僕がピケの腕を掴んだまま寝ていただけだった。ため息と共に、上体を持ち上げる。勢いをつけて、そのままピケを隣の布団に投げた。その風に、カーテンが揺れる。
「腰が! 腰が!」
 差し込んできた朝日に、僕は目を細める。


 荷造りをしている間、ピケは縁側で空を見上げていた。放って置けば静かにしているらしい。触らぬ神に祟り無し、とばかりに僕は商店街から貰ってきたダンボールに荷物を詰め込む。冬を抜けかけている今の時期、ときより春のにおいを運んでくる風がやってくる。着実に近付いてくる春に、もしかしたら引越しまでに桜が咲くのでは、と蕾もつけていない桜に期待をしてしまう。街を囲む山を眺めてみても、桜が咲く気配どころか、緑の芽吹きは感じられない。それどころか、白く染まっており標高の高い山脈を思わせる。
 一度、あの山に登った記憶がある。幼馴染に連れられて、街を見下ろすためだけに山に登ったのだ。見渡す限り、闇が溜まっていた街を覚えている、まるで廃墟。この街は明かりが少ない、都会に出ればきっと夜もまぶしく明かりがつき、闇を振り払い高らかにネオンが歌い上げているはずだ。僕はそこに行く。けれど、見上げているのは真っ青な空と、コントラストの高い雲。そして、冷たい風。まぶしいほどの日光も、まるで熱を運んでこようとはしていない。開けたタンスから、密度の濃い木のにおいと、自分の家の匂いが漂ってくる。かすかに匂っていた春の匂いを打ち消して、むせ返るような木の匂いがやってきた。
 綺麗にたたまれている服を、取り出すとほのかに暖かかった。手のひらから伝わってくる暖かさが、少しだけ気分を感傷的にさせる。大学に行き、卒業すれば就職が待っている、もう二度と家に帰って時間を過ごすことはない。平凡な人生だ、まるで決められたかのようなテンプレートどおりの人生。だが特に変わった人生を、歩もうとは思わない。今家にピケが居ること自体、変わった人生といえば人生だ。これ以上変化を望もうとは思わない。最後の最後に、僕は一人で過ごすはずの時間を、変だがなぜか憎めない馬鹿と共に居る。まぁ、引越しするまでの辛抱だ、それぐらいこれからの下らない人生の中に混ざっていてもいいだろう。
 朝から荷造りをしていたはずなのに、すでに太陽は天高く居座っていた。そろそろ、ハラペコ自称妖精がぶーたれるだろうか。
 多分、縁側に居るはずだ。そう思って、自分の部屋の窓から縁側を覗く。足が見えた、規則的に足が揺れている。まるでうたっているようだ。昼飯の用意は手伝わせよう、そう思い僕は自分の部屋を出る。部屋より幾分寒い廊下の空気が、服を突き抜けて肌を撫でた。まだまだ、冬はいなくなりそうにない。
 居間からつづく縁側に、ピケは腰掛けていた。空を見上げ、鼻歌を歌っているように見える。規則的に揺れる体にあわせて、頭に一つ角のように飛び出た、通称アホ毛が揺れている。風に揺れてる花みたいな……、もとい水の中でふらふらと揺れるビニールのように。
「おい、飯くうか?」
 ピケが振り返る。

 確かに、私は目覚めるときにあの声をきいたんです。心の一番深いところから、搾り出すような悲痛な声を。けれど、それがなんだか思い出せないんです。私を作った人がくれた私の仕事はその悲痛な声と同じ内容だと、そういう事になっています。私は、願い事をかなえるためだけに居るのですから、その内容が願い事で、あの悲痛な叫びが同じ願いだと。馬鹿な私でも、それは理解できるんです。でも、どうしても、頭のすみっこで黒いモヤモヤがグルグルと渦巻いているんです。違うんじゃないだろうか? 本当はそんな願いじゃない、そんな気がするんです。でも、私には知りようがありません。なんとかして思い出そうとしているのですが、やっぱり思い出せません。
 カツヤさんは、一向に私のことを妖精だと信じてくれません。別に、妖精だと信じてくれなくてもお仕事には関係ないのですが、なんだか納得いきません。
 お空が綺麗です。青い空に、くっきりとした雲がういてます。ゆっくり風に乗って空を流れる雲は、とてもおいしそうです。
 そういえば、ご飯はまだでしょうか? そろそろお昼のはずなのですが。
「おい、飯くうか?」
 カツヤさんの声が背中で聞こえました。

 昼ご飯といえど、料理は全く出来ないピケと、殆どやらない僕が作ったものは簡素としか言い様の無いものだった。これ以上凝ると、食えないものが出来上がる可能性が高い。せめて、お百姓様には顔向けできる程度の人生が歩みたい。
 ピケは食事のときだけは静かになる。静かにに飯を掻き込んでいる。というか、飲んでいる。噛んでいない。あ、詰まった。
「ごふぉっ! ごふっ!」
 無視して箸をすすめる。親が作った料理とは大違いのものではあるが、食えなくは無い。そのまま、勢いに任せて口に運んでいく。
「ピケ、なんで家にきたんだ」
「秘密です」
 即答。何度聞いてもごまかすか、答えないかのどちらかだ。
「まぁいい、食い終わったら買出しいくからな。寝るなよ」
「そんな、まるで私が食事後にすぐに寝るようないわれの無い疑いを!」
「昨日、晩飯のあとねてたじゃねぇか」
「よ、よるでしたから!」
「んじゃ、昼は昼寝の時間か?」
「もちろん!」
「……」
「……」

 結局、ピケは食事の後すぐに縁側で横になりいびきをかいていた。ため息をつきながら、僕は食器を洗っている。押しが強い相手に、反論できなくなるのは昔からだ。特に、こっちの言うことを聞こうとしないタイプは全く言い様に扱われる。向こうにしてみれば、体のいい奴隷といったところか。押しかけてきた自称妖精にまで、いいように使われるとは、自分でも流石にどうだろうかと疑問を投げかけたくなる。
 食器の片づけが終わり、居間に戻ってくる頃には、丁度ピケは目を覚ましていた。あまりのタイミングのよさに怒りを通り越した感動が襲ってきた。
「おはようございま……、ぎゃあああああ」
 むかついたので、耳を引っ張る。自称妖精というだけあって、この耳は良く出来ていた。服も、奇抜なのはいいが説得力には欠けている気がする。あと、叫び声が全く色気が無い本気の叫びなので、やはり駄目だと思う。
「服、どうすんだ? それで町の外あるけないし。留守番か?」
「あ、着替えてきます。一緒に行きます」
 そういって、廊下の奥に消えていくピケ。服なんかあるのか、大体どこに着替えに行くのか。姉の服だろうか? いや、姉とはサイズが違いすぎる。確かに姉も胸はないが、そういう問題でなくまず全体的な大きさが違う。家に合うような、服はなかったはずだ。つまり、ピケは自分でなんとかするということだろう。僕は、一人納得すると自室にもどる。僕も出かける準備をしないといけない。
 そうやって、自室に戻ったときにピケの声が聞こえてきた。
「カツヤさん。どうですか?」
 居間の方から声が聞こえる。
「カツヤさんが、消えたあああああ!! 大変! 神隠し!? それとも、透明人間に! 何にせよ大変です! 一大事です!」
 一大事らしかった。少なくても、自称妖精は一大事になっているきがする。ため息をつきながら、上着を羽織り部屋をでる。財布ももった、携帯も持った。明日からの食い物と、ピケがきた所為で必要になった物も買わないといけない。
 軽いため息と共に、自分の口元が緩んでるのがわかる。まぁ、仕方ない、馬鹿に付き合ってやることにしよう。
 空は青を強くして、太陽がそれを拒もうと無色の光を力いっぱい注いでくる。おかげで街は、青くならない代わりに、コントラストがきつくなる。コンクリートの灰色すら白く見える明るさに、僕は目を細めた。前面マジックミラーで覆われた、ビジネスビルが青い空を反射させている。所々に浮かんでいる、白い雲がまるで夏のように自己主張をしていた。残念ながら、風がそれを許さない。はっきりしていた雲が、風に追い立てられ姿を薄くしていく。冷たい空気が、それをしっかりと僕に見せていた。確かな緊張を持って空気は澄み、風は容赦なく肌を削る。魂まで染みてきそうな寒さは、あの青空には似つかわしくないと思う。

 揺れるバスの中で、僕は目を瞑る。輪をイメージする。いつもどおり、暗闇の中で僕の体の周りに円が出来上がる。揺れていたバスも気にならない。円を広げるイメージ、何処までも遠くへ、地平線に向かって遠く遠く。けれど、気が付いたら円はイメージから情報に代わっている。『本当にそこまで大きくなった円』ではなくて、『大きくなったであろう円と自分の対比』になっているのだ。旨く言葉で説明できない。一人称で眺めていた円が、気が付いたら三人称でそれを見ている感じだろうか。その違和感を感じたら、僕はそこでイメージを止める。今日は、少し短かった。いや、かなり短かったかもしれない。違和感は更に大きくなっていく。まぁ、バスの中で集中できなかったのだろう。風邪を引いたときもそんな感じだった。
 目を開けると、窓から外を楽しそうに眺めているピケがいた。服装は、普通に僕がみなれたような服になっている、やはりあの服は都会では流行っていなかったらしい。そのことに妙に安心する。少なくても田舎から都会に出る恐怖は払拭できたかもしれない。
 長い耳は外すのかとおもったらどうも地で長いらしく、今は髪の毛で隠している。ロングの髪をツーテールに纏め上げて、耳に丁度かかるようにしていた。器用なものだと関心する。どっちにしろ、その髪の色は多少問題があるとは思うが、これ以上は望めないだろう。
「どうしたんです?」

 今まで窓を見ていたピケが振り返った。おさげが揺れるが、耳は見えない。意外としっかり隠れているらしい。それとも自称とはいえ妖精だからだろうか?
「どうもしない。それより恥ずかしいから、乗り出してまで窓をのぞかないでくれ」
 言われてピケは、はてなと首を傾げる。
「恥ずかしいのは、私で、カツヤさんではないのでは?」
「一緒に居る僕の被害も考えてくれると、ありがたい限りだね?」
「ぎゃあああああああああああああああ!」
 髪の束で隠れている耳を引っ張ってやった。幸い、バスは僕らだけしか乗っていないので問題ない。バスの外から見れば、何が起こってるかわかるまい。
 駅前を告げるアナウンスが流れる。空っぽの鞄を持ち、窓にいまだ張り付こうとしているピケを引き剥がして僕はバスを出ようと立ち上がる。そして、金を払うとき車掌が女性だったことにはじめて気が付いた。アナウンステープだとおもっていたが、車掌がアナウンスしていたのかもしれない。そんなことを考えながら、僕は金を払った。
「ありがとうございましたー」
 ピケが車掌に挨拶をする。ピケの挨拶につられて僕も頭を下げた。
「どうも」
 目は帽子で隠れていたが、少し笑ったのが判った。ゆるく弓のようにあがった口から漏れた声は、ピケの下品な声とは大違いだ。一瞬体が動いていないことを、自覚した。
 慌てて、僕はステップを駆け下りる。背中で、扉が閉まる音を聞く。すぐに重たいタイヤがアスファルトを蹴る音が続いた。目の前では、ピケが駅を見上げて、おーなどと唸っている。
「別に、電車にはのらないからな」
 背中から声をかけると、ピケが振り返った。目に涙が溜まっている。
「ひ……、ひどすぎます! 何のために、私は今まで生きてきたのかと!」
 もう一度耳を引っ張ってやろうか。そんなことを考えながら僕はため息を吐き出した。
「少なくても電車を乗るためじゃないだろうな」
「そうですよねー」
 どっちだ。
 
 買い物はつつがなく終わった。ピケにはご飯を与えておけば、静かになることを僕は学習した。総合ビルはでかい。といってもこの田舎の中ではといったところで、その実3,4階ぐらいしかない。横には意外と広いが、駅の裏側なので、目立たないといった落ちまでついている。大抵は、海側の方に向かって駅から降りていくからだ。ビルがあるほうは、もう山しかない。本とは、海がわの大通りに面して作る予定だったが、商店街の猛反対により断念せざるを得なかったらしい。大人の事情は良くわからないけど、ある分には困らないのでそれでいいと思う。
 最上階は食い物屋ばかりで、軽食がないためピケをそこにおいておくわけには行かなかったので、一階にあるクレープ屋の前に置いてきた。いま、僕はそのクレープ屋を見下ろしている。地下で、当分の食料を買い込みピケに渡してあるので、大きい荷物に埋もれているのが此処からでも良く見えた。僕はというと、雑貨やピケの食器などを買い終わったところである。
 白い再利用ビニールに積み込まれた野菜や肉に囲まれて、クレープをほおばっているピケが見える。あいつ、三つ買ったのにもう一個しかないように見えるのだけれど……。あのハラペコ自称妖精の食費を考えると、頭が痛くなる。
 そういえば、このビルに来るのは久しぶりだ。いつもは、駅前の商店街ですますのであまり来ていない。出来上がった当初、幼馴染を連れて此処にきたことがあった。二階から見上げたビルはあの時と変わっていない。少し汚れただろうか。けれど、装飾も流れている音楽もあの頃とさほど変わったところはみあたらなかった。甘い匂いが流れてくる、子供の笑い声が聞こえる、カップルの話し声が聞こえる、学生の騒ぎ声、足音、扉の開く音。音の洪水の中に僕は居る。あの時と、かわっていなかった。
 確か、あいつとはぐれて放送で呼び出しをくらったんだ。本屋で物色していたときに、あいつは居なくなった。放送で呼び出されたセンターにいったとき、一向に自分がはぐれたことを認めなかったことを覚えている。
 思わず苦笑が漏れた。
 春休みということもあり、辺りはにぎわっている。あの時とかわっていない空気に、懐かしいものを感じた。一階の広場につながる階段は、見た目重視で変な曲がり方をしている。そこを、人をよけながら降りると丁度ピケがいるクレープ屋だ。
「もう食い終わったのか」
 ピケが振り返る、が、荷物にうずもれているため立ち上がれないようだった。それもそうだ、そのようにしておいたわけだし。
「あー、カツヤさん! 遅いですよなにしてるんですか! って、体が動かない! はっ、これはもしやかの有名なメデューサの呪い!? それとも、わら人形!? 私は何も悪いことはしてません!」
 一人漫才をはじめたピケを、ものめずらしそうに眺める子供達。その子供達を手で払いながら埋もれていた荷物をどかしていく。
「ほれ、後はお前の買い物だけだ」
「おお、体が動きますよー。カツヤさんは、魔法使いさんですか? それとも払い師?」

 重ための荷物を投げつける。受け取ったピケがよろけるが気にしない。
「服はいるのか? なんかいるものあるのなら買うけど、無いなら帰るぞ」
「えーと、あの……ほ」
「ほ?」
「包丁を……、あのカツヤさんの家にあるの大きすぎて私にはつかえませんので」
「……」
 こう言うときだけ、ボケないのはずるいと思った。
「あっ、あと……」
「ん?」
「なんでもないです……」
 もうピケは何も言わなかった。

 大量の荷物、そうはいっても二人で両手を使い、持ってきた背負いの鞄に物を詰め込めば、問題になるようなものでもなかった。少し大目の買い込みといったところか。
 昼飯を食い、久しぶりにきたビルをピケと共に一回りしていたらすでに日は落ちかけていた。まぁ家を出たのは、昼ぐらいだったのでそんなものだろう。屋上で、街を見下ろしている。ピケが、街を見たいといいだしたのだ。今から荷物を持って山に登るのはいやだったので、屋上で我慢してもらうことにした。街を縦断するように流れる川が、夕日を受けて赤く光っている。街の真中ほどに行けば、大きな病院が見える。この街で一番高い建物だ。夕日にくれた街は、赤く染まり、海の方まで一色にみえる。ピケはというと、静かにその街を見下ろしていた。こいつにしては珍しい。食い物にしか興味が無いと思っていたが、そうでもないようだ。
 彼女は静かに町を見続けている。
「そろそろ、帰るぞ」
 静かに頷くピケ。夕日は、こんなヤツでも感傷的にさせる効果があるらしい。
「夕日は……」
「ン?」
「目玉焼きみたいですよね!」
 そうでもなかった。


 まるで、横殴りの雨。
 規則的に弧を描くその雨の軌跡は、家から漏れる光だったり街灯だった。
 BGMには、自分の足音と荒れた呼吸を。視界には、まるで輪郭の取れない暗闇と、光の雨。
 太ももに重たい感覚。腕はすでに力を入れないと振れない。呼吸は肺に何か詰まっているのかと思うほど浅い。半開きの口からは、呼吸と一緒に涎が出そうだ。
 けれど、まだ体は動いた。
 血管に無理やり酸素を送れ。目を開いて、先を見ろ。急げ急げ急げ! 後悔と焦りが口から叫びになって出てきそうになる。胃からこみ上げてきた吐き気と一緒に、それを飲み込む。
 呼吸が乱れた。鼻水がでた。
 僕の体は、弱い。
 でも諦めないと決めた。
 クラクション。目の前の車がアクセルを拭かせて通り過ぎる。重たげなエンジン音と共に、運転手の「アブネェだろ」という叫び声が聞こえてきた。
 ぶつかるすれすれの場所で、僕はその車を見送くる。立ち止まった体が熱い。呼吸は、意識と切り離されて何度も何度も酸素をむさぼろうと必死になっている。体に張り付く湿度が邪魔だった。服が吸い取った汗が重たい。靴だけは気にならないで済んだのは、出るときにしっかり紐を結んだからだろう。
 ランナーズハイは手に入らず、僕は安らぎを得ぬままただ走りつづけた。手に入ったのは、喘ぐほどの呼吸の苦しさと体中から吹き出るような疲れだけだった。
 何処へいったのか。
 その疑問以外、まともに何かを考えている余裕はなかった。いくらがさつで、男みたいだとはいってもあいつは女だし、それにいつも一緒にいた仲だ。それに、僕が家出の理由を作ったのかもしれないのだ。
 本の中に手紙を挟んでおいた。多分、生まれてから今までで一番勇気を振り絞ったのは、あの手紙を入れた本を渡したときだ。けれどその手紙はすでに回収業者によって、もっていかれた後だ。一日あれば、本は断裁されすでに再生紙の原料になっているだろう。一時的に持ってきたものを置く場所があるが、アレはインクの濃いものや再生紙だけだ。あるのは新聞、雑誌、そしてチラシ。僕の本は、手紙と共にすでに薬剤に溶けその役目を終えているだろう。
 そもそも、僕が悪かったのだ。もっと早く、彼女にいっておけば回収されずに済んだかもしれない。手紙を読んだか、早く聞けばよかったのだ。本なんかに挟まずに、直接言えばこんなことにはならなかった。別に、本自体が重要なんかじゃなかった。ただ、手紙を読んでもらいたかっただけなのに。
 気が付けば街灯の無い街の外れにきている。この先は回収業者の集積所がある場所。月明かりが辺りを照らしていることに、僕はいまさら気が付いた。音が聞こえた。間違いない彼女がいる。あの性格だ、きっと気に病んで探しに来ているのではと淡い期待を思い抱いていたが、そのとおりだった。
「おおーーい!」
 見つかるはずの無い本を探しつづけている背中があった。チラシと、新聞紙、雑誌のうずたかく詰まれている山。貸したようなハードカバーの本なんか一つも無かった。
 振り返る。長い髪の毛が揺れた。
「おーーーい、カツヤさーん! 本ありましたーー!」
 ピケの声が夜の集積所に響いた。
 あるはずの無い本が彼女の手には握られている。
 偶然だろうか、偶然まざっただけなのだろうか。疑問は、自分の激しい呼吸にかき消された。
 
 朝日が瞼を叩いた。
 カーテンがあいたのだと理解するのに少し時間がかかった。寝返りをうって、光から逃れようとするが、光は何処までも僕の瞼を叩いてくる。
「……」
 無言の抗議をしながら、僕は瞼越しに光を見た。
「おはよーございます」
 ピケの声が聞こえ、目を開けた。張本人はカーテンのそばにたって、僕を見下ろしているのだろうが、逆光で殆どシルエットしか見えない。
「おはよう……」
 いいながら、部屋に備え付けてある時計をみた。
「5時……、はや過ぎないか?」
「職人の朝は早いのです」
 胸を張って言うことか。プロジェクトXだったか、NHKドキュメントだったか……。眠い頭で、考える。
「なんの職人だよ」
「カーテン開け職人ですよう」
 どんなだろうか。
 夢の所為で体中が重たい。それとも寝起きだからか。この際どっちでもいいけれど。
 5時とはいえ、角度的に丁度朝日が入ってくるような場所に陣取って寝ている僕が悪いのだ。それはわかっているが、いつもカーテンを閉めているからきにしていなかった。これからは、枕を逆にする必要があるかもしれない。
「お休み」
 布団に潜れば問題ない。僕は頭から布団をかぶりもう一度夢の中に戻ろう。布団の向こう側で、ピケが叫んでいる気がする。ぐももった音で何を言っているかは聞き取れない。
 見ていた夢を思い出す。アレはピケだったか? それともほかの誰かだったか。
 僕が本が見つかるはずが無い、そういったとき。目の前にいたあいつは何をいったんだっけか。
 布団の匂いがする。自分の息が熱い。
 そう、たしかいっていた。不思議な髪の色の女の人が本を見つけてくれたと。ピケの髪の毛の色を思い出す。ふむ、確かに尋常あらざる色をしている。しかし、ピケはあの場にいて本を受け取った側だ。ということは、あの髪より不思議な髪の色をしているということか。それともピケではないのか? まるで、記憶がしまわれている箱が空かなくなったような感覚。おかしいな、そうだよな昔っからピケはいなかったよな。
「なぁ」
 顔を出すと、まだピケはカーテンのそばにいた。
 嬉しそうにカーテンを結んでいる。
「なんですか?」
 振り向かないままピケが答えた。逆光の中で僕は呟く。
「なぁ、お前ってさ。いつから家にいるんだっけか?」
 手が止まった。夢が頭の中でグルグルとまわる。思考がとまるような記憶の奔流か、それとも寝起きで寝ぼけているのか。
「……、なに言ってるんですか、……ずーっと前からですよ」
「ああ、そうだよな……。そうだな、幼馴染だものな」
 何を俺は馬鹿なことを考えていたんだろう。幼馴染がこうして世話を焼いてくれているのに、忘れてしまうなんて。
「……、そうですよ。幼馴染ですよ」
 ピケの背中が一瞬震えたきがした。寂しそうな声色なのは気のせいだろうか。寝ぼけた頭ではわからない。
「はは、ゴメンゴメン。寝ぼけてたみたいだ」
 朝日が高くなる。少しずつ顔を出してくる太陽に、僕は目を細めた。光の向こうで、ピケが泣いていた気がする。


 それがどういうことかは判っていました。けれど、本当は判っていなかったのです。なぜなら、私は今後悔しているから。何も出来ない自分がいます。何も出来ない自分しか居ません。テレビの向こうで動くゲームのキャラクターかなにかの様に思っていたものが、現実として突きつけられたときの痛みは、ここまで鮮明にえぐるものなのだと初めて知りました。でも、もうどうしようもないのです。後一つ願いがかなえられれば、私は霧散します。何も出来ないまま、何も残らないままきえるのです。最後まで諦めない、やれることを今やる、そんな美談は通用しない現実は、あまりにも鋭利に私の存在に突き刺さりました。そして、人の記憶がどれほどに曖昧なものなのかを知ることになってしまいました。心の奥底に刻み込まれた記憶すら、いとも簡単に消え去り、勘違いするものなのだと。何かの拍子に思い出したり、精神力だけで跳ね除けたりなんていうのは漫画の世界の話でした。そのきっかけすら残っていない記憶に、いま何かが間違っている、ということを教えることすら不可能なのです。
 例え、現実を映したムービーだろうが、日記だろうが、それを見せ様が全く真実には見えないのです。それほどまで人は自分の記憶を信じ込み、確実なものだと思い込んでいるのです。
 だから、私は何も出来ません。
 だから、私は無力です。
 だから、私はこうして笑うのです。
 せめて、私は涙を流さないようにと。
 服を着替えて部屋をでたところで、冷たい廊下の空気に混ざって朝食の匂いが漂ってきた。居間へ続く障子をあけて、僕は壁にかかっているカレンダーをみる。あと5日。あと5日で僕はこの街から出るのだ。あと5日でピケともお別れだ。ピケはこの街に残るといっていた、もしかしたらついてきてくれるかとも思ったが、大体進学しないピケがついてくるわけも無い。至極当然なことだ。大体受験にうかるわけもないし。
「おはよう」
「おはようございますー」
 鼻歌交じりに、台所からピケの声が聞こえた。
 親が旅行に出ている間、世話を焼きに来るといった言葉に偽りは無く毎日こうして料理を作り、掃除をしたりしている。いつもは居候のごとく家に居るだけだというのに。
「カツヤさん、食器だしてください」
 所在なさげにしていた僕に声がかかる。言われたとおりに、僕は食器棚から二人分の食器を取り出した。ピケの食器は買ったばっかりのように綺麗なので、すぐにわかる。棚から取り出して、居間のテーブルに並べていく。
 木のテーブルに陶器の食器が当たる乾いた音が響く。背中では、まな板を叩く包丁の音。春先の庭から見える桜の木は、いまだ蕾の姿は見えない。日付と、テレビの向こうだけが春の訪れを教えていた。
「はーい、運ぶからどいてくださーい」
 ぼーっとしていたらしい。背中から声をかけられ僕はからだをそらす。
「ぎゃ」
 声と共に、背中に衝撃。いや、衝撃だと思ったのは熱だった。熱というか灼熱。匂いでわかる、間違いなく味噌汁だ。のんきに考えていた瞬間、衝撃は熱に、そして灼熱になる。
「ぐああああああああっちー!」
 服にかかった味噌汁は、僕の背中を焼く。液体でも焼けるんだなどと、悠長な思考は引き剥がされるような熱にかき消されていった。
「ぎゃあああ! カツヤさーん! 水! 水!」
 熱にのたうち回る僕を尻目に、台所に逃げ込むピケ。そんなことより、服を脱ぎたいのだけれど、そんな思いは伝わらないのだ。
「おおおお!」
「カツヤさん! 水〜!」
 声と共に、冷水がかけられる。俺がいる場所は、畳だった気がする。水のはじける音と共に、全く足しにならない背中の熱さが僕の頭の中でグルグルと回っていた。

 痛む背中を背負い、畳を拭く作業に没頭しているとピケが台所からもどってきた。
「すみません……」
 心なしか、ツーテールも下がってるように見えるほどシュンとしたピケを見る。だが、許すつもりはなかった。
「言い訳はあるかね? ピケ被告人」
「え。えーと。畳とカツヤさんの耐久テストをですね!」
「ふーん。で?」
「大変よく出来ましぎゃあああああああああ」
 むかついたので耳を引っ張る。長い耳が、余計に伸びる。
「誤解です、誤解です。不可抗力です! つまり何がいいたいかというとですね」
 手足をばたつかせながら、ピケが叫ぶ。
「何がいいたいかというと?」
 少し手の力を緩め、ピケの言葉を待つ。
「煙突っていいますが、突き出しているのは煙じゃなくてコンクリじゃないのかと! コンクリ突じゃないのかと! ……ぎゃあああああああ!」
 おもいきり引っ張ってやった。

 結局、冷めた卵焼きと表面が乾き始めた冷たい白米。そして、冷たい焼き魚。味噌汁は無し。暖めなおす気力も無くなった僕らはそれらの朝食を、そのまま胃に詰め込むことにした。湿った畳から、味噌汁のいい香りがする。あまりにも皮肉だ。事務的に、僕は食事を胃に押し込む。居間に風が吹き込む。居間から見える庭の奥に、年寄りの桜の木がポツリと風にゆれていた。
「桜、咲くかな」
 呟いた言葉に、ピケがぴくりと振るえた。
「そうですね、きっと咲きますよ」
 桜色の髪の毛が、居間に流れてきた風に揺れる。
 桜が咲けばいいと思う。ピケと同じ綺麗な桜色だ。
 想像する、一面の桜色に、染まった世界を。
 冷たい白米も、冷めた卵焼きも、冷たい焼き魚も許せる気がした。


 気温が低い。蛇口から出る水が、まるで氷水のように感じる。仕方なくつけた湯沸し機は、ガスの炎を上げて熱を発している。蛇口から出る水が熱を帯びるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
 じわじわと、肌を差す感覚が無くなりかわりに皮膚が擦れるような感覚になる。湯気が立ち上りはじめ、水の匂いが濃くなった。やっと食器が洗えると、僕はスポンジを手に取った。
 水の飛沫く音に食器があたる鋭い音が混ざる。水が跳ねる向こうで、食器が泡に塗れ、すぐに水流されていく。水に巻き上げられた食事の匂いと洗剤の匂いが鼻に届く。

 ピケは、庭で水遣りをしている。彼女のばあい、半分は遊びでしかない。証拠に、いまも庭のほうから彼女の騒ぎ声が聞こえる。一人で騒げると言うのはある意味、才能だ。旅芸人みたいなものだろうか。それだけで食っていけるかもしれない。
「ぎゃははははははは」
 およそ、女性の上げる笑い声ではない笑い声が、庭から響いてくる。食器を洗いながら、背中でその声を聞く。
 何も欠けていなかった。ピケの食器が顔を出した。買ったばかりのような艶の食器は、汚れを自らはじくように、軽く洗うだけで汚れが落ちた。
 水が落ちる音が聞こえる。庭から、少し冷たい風が忍び込んでくる。水の音。手に当たる熱さ。洗剤のぬめり。水を吸ったスポンジの重さ。
 そして、僕は荷造りの量に思い当たった。服は殆どつめ終わった。後は置いていくものだけだ。残っているのは、パソコンと小物、そして本。小物は殆どないからもんだいはない。パソコンもすぐに詰めることができるだろう。問題は本だ。本を捨てられない性格なのか、かなりの量になっている自分の部屋を思い出す。地震とかで倒れてきたら、生死に関わるような量が部屋にはある。しかも、捨てたくなくておいてある本だ、できれば引越し先に持っていきたい。けれどそれは無理な話だ。ダンボールの数はとっくに上限を定められているし。それに引越し代を払うのは僕じゃない。
 ため息が、蛇口から流れ落ちる水を揺らした。
 洗剤を流し終え、すすいだ食器を水切りに並べていく。手馴れたものだと自分でもおもう。最後に自分の手を拭いて、振り返る。
 庭のホースでがんじがらめになったピケがいた。
 あまりにあっけに取られて言葉が出ない。
 背中の側にあるホースの終端からは、水が痙攣するように頼りなく出ている。たぶんピケの動きでしまったり緩んだりして、水がおもしろいことになっているのだ。
 さけぼうにも、彼女の口は確りとホースにジャマされていてまるで猿轡のような状態になっている。腕も足もなんともまぁ器用な絡み方をして、もう一人で外すことは出来ない状態だろう。
「んー!」
 涙ながらに何かを訴えるピケをみて、やっと我に帰る。
 茶色の混ざった庭の草木に、青いゴムホースの彩色をくわえていた。彼女のピンク色の髪の毛も目立つ。なんだか面白いオブジェが出来上がっていた。ポケットにある携帯をおもむろに取り出し、カメラモードに。それに気が付いたピケが、ひときわ大きいうめき声を上げた。
「ん〜〜!!」

 しかし、聞き取れない言葉になんのいみがあろうか。僕は、カメラを面白オブジェにむけ、シャッターを切る。
「ハイチーズ」
 間の抜けた声と、面白オブジェが見事にマッチした瞬間を僕は確かにみた。
 すでにピケは、諦め涙を流すのみ。仕方なくそのままにして、僕は荷造りをしないといけないことを無理やり思い出した。
「うん、荷造りしないとな」
 一人確認すると、居間をぬけ自室に戻る。背中で、ピケの叫び声が聞こえた気がした。

 本を片付ける。本棚から抜き出して、いるものといらないものを分けていく。連載中の小説は持っていこう。連載が終了しているものにかんしては、此処においていこう。どうしても必要なもの以外は諦めないといけなさそうだ。ダンボール二つ分、それが僕に残された余裕。
 削りに削り、残りは文芸書と、更にでかい画集などのサイズ。文庫は最悪、行くときに鞄にもつめられる。しかしさすがに、画集や重たい文芸書を担いで移動するのは勘弁ねがいたいところだ。
 足音が聞こえる。自力でホースを抜け出したピケだろう。
「カツヤさーーーん!」
 怒号のつもりだろうが、へばっているのでいまいち迫力が無い。
「よお、手伝ってくれるのか?」
「そうじゃなくてーー! って、本片付けてるんですか」
「うん。流石に全部もっていけないから」
 そういいながらも作業をすすめる。かなりボロボロの本を取る。昔からある本か。
「あっ」
 ピケが声をだした。顔を上げると、少しばつの悪そうな顔で此方をみている。
「どうした?」
「あの、その本。おぼえてませんか?」
 いわれて本を見る。
 けれど、特に昔からある好きな本といだけで、なんでもない。
「嘘偽り無くいってください。カツヤさん、それおぼえてませんか?」
「ん〜」
 いわれて必死で記憶を探る。
「あー、そうだピケが古紙回収に間違って出した本だな。よくこれみつかったよな〜、本なんてその日の内に裁断されるはずなのにさ」
「そっ、そうですね。偶然ですよ……。偶然……」
「まぁ、雑誌にまぎれこんだんだろうな」
 その本をダンボールに入れる。ボロボロの本は、少しだけ悲しげな音を立ててその隙間に収まった。

 まな板の叩かれる音が聞こえる。昼は野菜炒めだそうだ。僕は、庭に投げ捨てられたホースを纏めていた。春の訪れなのか、庭の草木が少しだけ元気にみえる。茶色が少なくなって緑が増えたからだろうか? 記憶との違いは見当たらないけれど、確かに庭が元気になった気がする。庭の向こうにある、桜の木も少し元気そうに見える。だけど、蕾は見当たらない。ただ、元気に見えるだけなのか。少なくても引っ越す前には桜は咲きそうに無い。
 草の匂いがからだに染み付いた頃、僕は居間にもどる。携帯を取り出しカメラモードにする。面白オブジェもすてがたいが、ちゃんととってやらないと流石にかわいそうな気がしたのだ。背中を向けて料理をしているピケ。味噌汁の再挑戦は旨く行くだろうか。いまだ湿った畳に手をつけ、からだを支える。
「ピケ」
 呼ばれて、ピケが此方を振り向いた。いまだ!
「ハイチーズ」
 間抜けなシャッター音のあとに、携帯には時間を切り取られたようなピケが残った。
「ぎゃあああああああああああああああああああ」
 今度は指を切ったらしい。
 全く騒がしいヤツだ。

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