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【夕日の街】




・三題話 第091話
お題 :「造花」「表情」「疑問」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 道路脇で雨風に晒されて、私はただそこにいる。倒れそうな私を支えているのは、重たいコンクリで出来た土台。体は、雨にぬれ錆を吹いている。それでも私はここに立ちつづけている。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌う。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 晴れた夏の空は、質量をもって地に這うもの達へ、平等に圧力をかけることに余念が無い。道を行く人は、しばしば此方に訝しげな表情を見せる。照り付けている日光に、体を丸めながら人が此方を見る。いつもなら、こんな事は無いのだけれど、今日は久しぶりに違うようだ。
 バスが止まらない私の横で、バスを待っている人がいる。私がときたまに、怪談のネタや願掛けの場所にされていることはあるので特に珍しいことでもない。いわく夜の夜中、私の前で止まるバスの怪談。はたまた、私のところで待てば、待っていたモノに出会える。そんな、眉唾もいいところの噂である。だから、たまに若い学生が私の横で少しの間時間をつぶしていくこともあった。けれど、今私の横にいるのは若く見積もっても定年退職を済ませた初老の男だった。夕方近くとはいえ、まだ太陽は高く、アスファルトが焼ける臭いが鼻につく。こんな中を老人が日陰にも入らず立ち尽くしているので、人が見ているのだろう。
 しかし、老人は微動だにせず静かに私の横で何かをまっていた。停止したような粘性を持った時間が流れている。空気が湿気で重たく沈みこむ中で、遠くの茂みから虫の声があがる。私の横で彼はただじっと佇んでいる。彼も、人工物なのではと疑問に思うような雰囲気すら漂っている。どれぐらい時間が経っただろうか。夏独特の夕日に照らされた町は赤く染まり、蝉の鳴く小さな声が聞こえてくる。
「ゴホッ」
 彼が一つ、重たい咳をした。初めて聞いた彼の声でもある。声は思ったより老け込んでおり、疲れ果てたイメージで私に届いた。咳に反応して、近くで蝉が一度鳴いた。
「ここでまっても、バスはこないよ」
 彼の逆側から聞こえたのは若い女の声だった。重苦しい空気の中、その粘性を帯びた空気を貫き通すような、透き通る声だった。彼は声のした方向に顔を向ける。ゆっくりとした動作、そこかしこに疲れと諦めを感じる動きだった。
「ああ……まさかまた逢えるとは。お久しぶりです」
 声の主を認めて、いささか元気を取り戻したように彼が答える。一言一言を確かめるように、紡がれた声に、意志が宿っていく。
「何を待ってるんだい?」
 女性は、静かに私の近くへと歩み寄る。女の子というには大人びて、女というにはまだ若い、そんな見た目の女性は夕日に照らされ此方に歩いてくる。色の知れない髪の毛が印象的で、思わず目がくぎ付けになる。彼女の問いに、彼は静かに遠くを見る。まるで、そこに答えが書いてあるかのように。
「妻が、先日この世を去りました」
 告げられた告白。憤りも、悲しみも含まれない言葉は、静かに地面に染み込んだ。ただ、寂しさだけが彼の表情から見て取れる。
「そうか、早かったね。もしかして、ここでその奥さんを待っているのかな?」
 私にまつわる話に、確かに死んだ人にもう一度逢えるという話もあったきがする。彼女の言葉に、彼は少し照れくさそうに微笑んだ。
「お恥ずかしい話で……体が弱く、長くは無いのは判っていたんですけど……。けれど、実際こうしてみると、何とも」
 彼は、本当に恥ずかしい話ですと、薄くなり始めた頭を掻いた。
「終わりはいつだってくる。判っていても心構えなんて出来なやしない」
 彼女は下を向き、表情は読み取れない。言葉はどこまでも平坦で、透き通っていた。
「貴方は、変わってませんね。まるで造花のようにいつまでも変わらない」
「ココでは、私はいつも置き去り。造花のように共に歩けはしない」
 自嘲めいた声が、蝉の鳴き声に混ざる。少しずつ、夕日が山の向こうに消えていく。闇が染み込むように辺りに充満しはじめた。相変わらず、アスファルトは熱を吐き出しつづけ辺りの温度はまるで変わらない。私の体が、温度差で震える。
「さぁ、夜になるまえに帰ったほうがいい。ココでまっていてももう誰もきやしない」
「でも、先輩にはあえました」
 その言葉に、女性は一瞬目を丸くした。そして、すぐに笑顔になる。
「こいつはね、標なんだ ―――」
 
そういって、彼女は私の体を軽く叩く。体が震え、静かに音を立てた。
「どこまでもいっても、こいつは迷わないようにただこの場所にいるんだ」
 だから、もしかしたら逢えるかもしれないよ、そういって彼女は彼に背を向ける。
「また、逢えるでしょうか?」
 彼がすがるように言った。彼女は歩き出そうとするわけでもなく、ただ背を向けて佇んでいる。道の向こう側を自転車がゆっくりと通り過ぎていった。
「私とは保証しかねるが、君の奥さんなら必ず会える。それまで恥ずかしくないように、生きるべきだね」
 少し笑いの含まれる、意地悪そうな声。
「この年で、生き方を教えられるとは」
 軽い笑いは、伝染する。悲しみは、もう彼の声からは聞き取れない。
「私から言わせれば、君はまだ子供だ」
 見た目は、成人前の彼女が言う。けれど、その言葉はそのまま彼に受け止められた。何十歳も離れているはずなのに。夕日は落ち、辺りにはつたない街灯とまばらな家の明かりしか見当たらない。闇が支配する時間、ねっとりとした風が街を吹き抜けていく。海へと風が、錆びた草の臭いを載せて流れていった。
「帰ります。まだやることは沢山ありますから」
 そういって、彼は歩き出した。ゆっくりとした歩みに、危なげな雰囲気は一切無い。私に背を預けた彼女は、振り返らずに静かにそのまま佇んでいた。
 辺りは、闇に支配され、冷えようとする空気はゆらりとゆれていた。相変わらず、暑い日が続きそうな夜空を彼女は見上げている。どこかの家で、笑い声が起きる。別のところでは、子供の泣き声。
「今日は、雨がふらなかったな」
 くっ、と笑いをこらえ彼女は体を揺らす。反動をつけて寄りかかっていた背を私から離した。変わりに反動で私がゆれる。軽く、コンクリの土台を揺らし私は抗議の声を上げる。それを無視して、彼女は歩き出した。静かな足音だけが、夜の暗闇に響いて消えていく。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌う。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第092話
お題 :「帆船」「思考」「力」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 むせるような程の湿気、頭を覆う緑色の葉、体に巻きついてくる草、すべてが青く染まっている。元より、身じろぎ一つできるような体ではないが、それでも逃げ出したくなるような環境。私は心の中でため息をつく。幾度となく登る太陽を数えていたのは、どれぐらい昔のことだろうか。人のいない森の中、ひっそりと私は立ち尽くす。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 体中に巻きついたつる草が、私を隠している。シルエットさえあやふやに、草の中に埋もれそうな私は、それでもその場にいることしか出来ない。雲ひとつ無い日々が続くが、なぜか草木は青々と茂りそこら中に水分をばら撒いていた。地面は塗れ、葉が露を宿し、湿った幹につる草が巻きつく。ただ一つ、そう一つだけ、此処には生物がいない。虫も、鳥も、獣も此処にはいなかった。そんな中で育つはずの無い木々は、そんな事実を意に介すことなくただもくもくと勢力を広げていた。私の記憶にあるこの森は、昔、虫も鳥も獣もいた。けれど、その数が減り、変わりに樹がふえたのだ。まるで、意志をもっているかのように。私には動く力はない、ただそれを見ながら静かにここにいるだけしか出来ない。生き物が消えていくのを、黙って見届けるしかできないのだ。
 この場所は雨が降り、雲が太陽をさえぎることは稀で、殆ど雨は降らない。雲すら見かけることが珍しいほどだ。日陰といえば、空を行く浮遊大陸の影ぐらいだろうか。今も大陸が私の上を通り過ぎている。帆船のように、静かに空を行く大陸は同じ航路を永遠とたどりつづけていた。上を通る浮遊大陸の影に隠れた森は、その輪郭を闇に溶け込ませあやふやに。風に擦れる葉が、まだ私が森の中にいることを教える。そんな闇の中、風にゆれるでもない葉の音を聞いた。確かにそれは風が起こす自然の音ではなかった。踏みしめる音。意志のある静かな音が森の中を伝わってくる。次第に近づいてくる足音に、なぜか森がざわめいた。本当に意志があるのかと疑ってしまうほど、いつもと違う雰囲気が辺りを包み込みだした。
「本当、何処までいっても木ばかり……」
 先ほどから、声はしていたが、初めて明確に聞き取れる大きさの声がする。女性の声だ。誰かに話し掛けているようなそんな感じだ。相変わらず、辺りの木々は緊張を隠さない。むしろ次第に強くなっている。まるで外敵を拒むかのように、辺りは殺気だった空気に包まれていった。
「あそこに、何かあります」
 女性の声ではない。無機質な声だ、まるでスピーカーを通したような音だった。声に答えるように、足音が近づいてくる。つる草の隙間から、次第に声の主が見えてきた。けれど、一人しか見えない。先ほどの無機質な声はやはり、スピーカーから漏れた声なのだろうか。だんだんと見えてくる声の主を私は見続ける。胸に抱いているのは、ラジオだろうか。ずいぶんとふるい型のラジオが彼女の胸に抱かれていた。
「なにこれ……」
 
私の目の前で彼女は立ち止まった。続いていた足音が途切れ、一瞬静けさが戻る。戦争があった頃、よくみた強化人間特有の体つきをしている。その彼女が一瞬思考したかと思うと、私の体に巻きついた蔓をはぎ取り出した。
「私を地面に置いたほうが、作業効率はいいと思いますが?」
 間違いなく、胸に抱かれたラジオからの声だった。ラジオは、本来そういうものではないような気がする。そういうものが、いったいどういうものなのか私には理解しかねるが。彼女は、一瞬ふてくされたように顔をそむけると。ラジオを捨てるように地面に置いた。地面といっても、草で埋め尽くされて緑色の地面である。
「鉄? 別に兵器じゃないみたいだけど」
 殆ど露出した私をみて、彼女が言う。久しぶりに体が軽くなった、けれど私は彼女に礼を言うことも出来ない。彼女に触られた場所が、弱々しく震えている。
 しばらく彼女は、私を見ていた。ラジオを拾い上げ、二人で私を見ている。いや、二人という表現が適切なのかどうか私にはわかりかねるが。ふっと、辺りが明るくなった。空を覆う葉の隙間から光が差し込んでくる。上空にいた浮遊大陸が抜けたのだ。一気に視界が広くなり、彼女の顔もしっかりと見えるようになる。
「なにこれ……」
 本日二度目の疑問を投げかける。光の中で、私の形がしっかりしたのだろう。改めて、私を触りながら彼女が言う。
「バス停ですね」
 ラジオが言う。相変わらず、感情の聞き取れない声ではあるが、機構が鉄どうしなのか微細な感情が私に伝わってきていた。
「バステイ? なにそれ? ステイっていうからには、駅みたいなもの?」
「当たらずとも遠からじ、といたところでしょうか」
 ラジオの言葉に、あいまいな返答をしながら彼女は私を見続ける。
「こんな森になっちゃって、これじゃ駅の役割も果たせない」
 そうですね、とラジオが答える。私は、駅ではない。バスが私の前で止まった記憶は私には無かった。私はただここにいる。だから、それが役割だと思っていた。彼女は、私にまだ少しついた草を綺麗に払っていく。殆どを取り終えた辺りで、彼女は一枚の葉を拾い上げた。
「……マイクロマシン入りの植物なんて、馬鹿げてる。大体、それが食べられないって始めに気が付くべきなのにね」
 そういって、彼女は葉っぱを投げ捨てる。
「危機は思考を、鈍らせるものです。結果、生物は植物に負けました」
 沈黙が降りる。この森の発展には、マイクロマシンがかかわっていたらしい。だから、次第に獣たちは、餌にならない森を抜け出した。枯れない森は、土を弱らせ虫も、何もかも済めない環境になっていたのだ。木は生い茂っているが、土地はすでに枯れ果てている。
「……さて、ここも焼き払わないと」
 意を決したように彼女は言う。
「バス停はどうしましょうか?」
 ラジオの問いに、静かに彼女が私に手をかけた。ゆっくりと押される、地面がゆるくなっているので、難なく私は押された方向に傾いだ。しばらく押された後、今度は引かれる。同じように、私の体は彼女の意のままに動く。一瞬、とんでもない力で、私の体が引かれた。手元に引き寄せる方向。けれど、私はその場から動けなかった。
「なっ」
 驚愕の声。
「馬鹿力で動かないのでしたら、無理でしょう。あきらめますか?」
「馬鹿力ぁ?」
「空耳ではないでしょうか?」
 しれっと、ラジオが馬鹿にした口調でいった。
「無理ね、動かせそうにない。動きたくないみたい」
「とうとう、自分の馬鹿力を棚にあげてバス停に責任転嫁ですか。無機物のバス停に意志を認め、さらにはその意志を尊重するかのような言い訳をするとは……」
 静寂が辺りを支配する。木々すら恐れおののくような殺気が辺りを埋め尽くしてく。
 ラジオが軋む音が聞こえる。
「さ、さぁ、早く森に火をかけましょう。人間が、ほんの少し長生きするために」
「……そうね」
 怒気をはらんだ返答は、もう辺りが燃えているのかと思われるような錯覚すら覚えた。
「バステイには悪いけど。人間も生きるのに必死だからね」
 そういうと一人と一台は、私に背を向ける。来たときと同じ、静かな足音が森に響く。足音が小さくなるたびに、森の緊張は収まっていった。まるで、これから起こることを知らないかのように。
 太陽が沈み始めた頃だろうか、森の向こうが明るくなった。彼女達が消えた方向である。明るくなった原因は知れていた。火である。枯れ木でもない森が、燃えていた。次第に、熱風が私のところまで届く。もうすぐ、私もあの炎の中に飲み込まれるだろう。鉄で出来た私が燃えるかどうかは、知らないが。木の弾ける音が聞こえる。まるで枯れ木が燃える音だ。ああ、元からこの森の木は死んでいたのか。煙が、風に煽られ、炎に照らされている。湿気ていた空気を切り裂くように、熱が駆け抜ける。森は静かに、その炎を受け入れていた。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第093話
お題 :「波紋」「周辺」「作為」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 遠くで、工事の音が聞こえる。鉄が震える高い音。コンクリを打ち付ける杭の音。甲高く、良く響く音が伝わってくる。しばらくすると、アスファルトを固める音も響いてきた。この街も、開発の手が伸びたのかと、少し悲しくなる。日差しの熱を丁寧に反射しつづける地面の向こうに、蜃気楼が見えた。地面の熱で移りこんだ空は、まるで自分はここにいるぞとばかりにゆれながら、自己主張している。汗をかけないこの体が、しばしば疎ましくも思う。見上げた青空を、飛行機が白い尾を引きながら横切っていった。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 遠くで聞こえていた工事も、数日たつと私の立つ場所に移っていた。工事を行う日中は、日差がつよく、騒音が耳を突く。私は、動けないまま工事の進みを見守っていた。黄色いヘルメットにタオル、油と泥で汚れきった作業服に。工事を行っていた人間が、私のそばに立っている。しばらく私を押したり引いたりしていたが、諦めて去っていった。次にくるのは重機だろうか。去っていった男が、タバコを咥えて影で座っている男に話し掛けている。
 その日は、彼らはその日、もう何もしてこなかった。夜になると、周辺からアスファルトの新しい臭いが漂ってきた。空に上っている月が、雲の無い夜空に滲んでいる。まるで波紋のように広がる光、瞬く星と、流星。それを見ながら、私は静かに新しいアスファルトの臭いを体に浴びる。静かになった夜、遠くで花火の音がする。ここから川は聞こえないが、花火の音が場所を伝える。夏の夜は、終わりを見せず、ただその場でゆらゆらと所在なく漂っていた。
 朝焼けを見ながら、私はいつもと同じ場所に佇む。しばらくすれば工事が始まり、そして私をどかそうと、重機が唸りをあげるだろう。エンジンから、黒い煙を吹き上げ、地面を抉り、そして気が付く。私が動かないことに。しばらく眠ることにしよう。少なくても工事が始まれば私は否が応でも起こされる。静かに私は意識を沈みこませていった。
「あいつが、言っていたバス停かネ?」
 不意に遠くから声が聞こえる。戻される意識をそのまま外に向けると、工事の人間と対照的な、病的な白さを誇る肌と無精ひげ。セットを知らない髪の毛が此方に向かってくるのが見えた。工事に携わる人間のしゃがれた声とは違う声なのからも、間違いなくそいつが声の主だった。だんだんと見えてくる姿は、白衣の姿。横に工事の人間が付き添うように歩いている。
 二人は、そのまま私の横にくると静かに私を見下ろした。
「ふむ……今日は、別のとこロをすすめてくれたまえ」
 白衣が言う。視線はまったく私から外そうとしない。
「は? はぁ、判りました。あの、できれば理由などを……」
 現場で一番偉そうだった男がこのありさまだと、多分雇い主かなにかだろう。疑問を浮かべた男に白衣がやっと視線を向けた。
「君ね、長く生きていたかったら。そういうことハ、いうもんじゃないよ」
 まったく口調も変えずに、白衣が言う。けれど、工事の男は震え上がった。
「ひっ。す……みません。そのようにしておきます」
 そういって、逃げるように去っていった。男そ静かに見送る白衣。完全に見えなくなるのを確認した後、白衣は私に向き直った。
「まさか、こんなところにあるとはね。標とは目立たナいと意味がないんじゃないのかな?」
 そういいながらも、嬉しそうに私の体を白衣は叩いた。抗議をあげるように、私の体が揺れる。けれど私の体は、やはりこの場から動かなかった。その場で揺れる。
「ふむ、バス停そのものが固定されてるわけじゃなイんだね」
 そういって、私を回し始めた。揺れることはあっても、回ることは初めてかもしれない。私はその場でなすがままにされている。しばらく回されつづけても、一向に白衣が手を緩めることはなかった。
「遅れました」
 その声と同時、やっと白衣の手が私から離れる。
「ん、どうだい? 動かせそウかな」
 回転の反動はすぐに摩擦に吸われ、私は体を揺らしながらゆっくりと停まる。白衣が声をかけた方向をみると、そこにはメイド姿の女性が立っていた。白衣に言われるまま、彼女は私に近づくと、ためらいもなく私を掴む。そのまま力いっぱい上へと引き上げた。破砕音がするが、私は動かない。
「ふむ、やはり無理のヨうだね……」
 良く見れば、彼女の足元が陥没している。私の体は軋み上げずただ、その場で彼女につかまれたままだった。さらに破砕音が響いた。私を持ち上げ様としている彼女を見ると、足首辺りまで地面に足を埋めていた。
「ストップだ、これ以上やっテも無理だろう」
「はい」
 言われるまま、彼女は静かに私から手をはなした。反動で揺れる体。
「物理的に固定されているわけじゃないから、無理なのは判ってイたんだけどね」
 そういって、白衣が私を軽く叩いた。震える体が、低い唸りを上げる。遠くで蝉が鳴き始めた、うだるような暑さは、忘れようとも確りと地面を暖めている。
「破壊しますか?」
「標を破壊したら、怒られてしまウよ。もちろん破壊できればの話だけど」
 そういって白衣は、作為的な笑いを浮かべる。
「あちらには何と?」
「動かさないまま作業を進めてくれと伝えてオいてくれ」
 そういうと、白衣は私に背を向け歩き出した。街は、少しずつ開発が進んでいる。元いた地主がいなくなり、この街一体があの白衣に買われたらしい。動き始めた街の足音のように、工事が進む。土を返し、アスファルトをならし、街が新しくなっていく。淡々と、進む開発に私だけが取り残されていく感じがした。
 ふと横に、動く気配がして意識を向ける。先ほどのメイドはまだここにいたらしい。無言で私の横にたっている。まだ日は高く、地面が揺らいで見えるほどの熱が降り注いでいた。そんな中で、静かに立ち尽くしている。風すらない、夏の空。メイドは、顔をあげまぶしそうに雲を探していた。私も見あげる。静かに時間だけが通り過ぎていった。


 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第094話
お題 :「日光」「揺れ」「交差」

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 この街は、あまりにも静的だった。それは、取り残されつづける私にとってすら、静かなぐらい。日々は変わらず続き、人と動物達が時間を刻む。確かに流れているはずの時間は、なぜか同じ場所で足踏みをしているような感覚を覚える。動いてるはずなのに、何も変わらないという矛盾した事実すら、そこにうずくまっていた。まるで、車輪のように。その場でただ回る。運命の輪があるとしたなら、同じようにその場で回っているのかも知れない。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 昔、一度だけあった開発も、今では静かに過去という名の砂に埋もれている。時折吹く風に、片鱗が見え隠れするが、それもすぐに隠れてしまう。風が体を撫でるのを感じながら、私は静かに時間の刻む音を聞く。残暑はまだ熱をもって、その事実を伝える。けれど、アスファルトの向こう、もう空が溜まるようなことはない。次第に、雲が多くなり風の臭いも変わってきている。少しずつ、だが確実に、秋の染み込む音が聞こえる。夕焼けの綺麗な時期だ、夕日の街にふさわしい季節。秋手前、まだ寒くも暑くもならないこのあいまいな時期。この街は一番綺麗になる。今日もきっと、綺麗な夕日が見えることだろう。
 私の記憶は、あまり古いことを覚えていない。けれども、猫と散歩する人間は、人間の古い歴史の中でも、間違いなく稀だと断言できる。しかも、猫に散歩させられている人間は間違いなくこの飼い主だけである。飼い主を散歩させている黒猫は、私の台座になっているコンクリの上に丸くなる。しばらくすると、遠くから女性の声が聞こえてきた。
「どこー? うわーん、迷子になっちゃったよー」
 情けない声。猫の飼い主である。その声に答えるように、私の台座の上で猫が一声ないた。仕方なさそうな、けれど楽しそうな鳴き声。飼い主が追いつくのをまって、猫は立ち上がり先に行く。そして、飼い主が置いていかれ、猫は先で待っている。そうやって何度も同じことを繰り返しながら、一匹と一人の散歩は続く。
 学生が、交差点を走ってわたっている。自転車にのって、買い物に行く主婦がいる。車道を横切る子供と、それを怒鳴り散らすトラックの運転手。空に、ヘリコプターが飛んでいた。断続的に空気を揺らす音が、地面に叩きつけられている。まるで辺りが揺れているのではないだろうか、と思うほどヘリコプターの発する音は騒がしかった。しばらくその音に身を揺らしていると、次第に音が小さくなっていく。開発が一段落し、車が多く通るようにはなった。空気は悪くなったかというと、そうでもないが騒音は増えただろうか。次第に移り変わっているものがある、けれど変わらないものもある。運命の輪はその場で回っているのではなく、実は確実に走っていた。輪は変わらないが、確かに時間の中を進んでいたのだ。
 しばらく物思いにふけっていると、猫が戻ってくる。そんなに時間がたったのか、空を見れば太陽はすでに低く、日が終わる寂しさに虫が鳴き始めていた。
「標か、昔からこれだけは何もかわらない」
 猫が言う。けれど、私は返事は出来ない。猫に座られ、台座の熱をわけるのみである。しばらくすれば、飼い主の人間がやってくるはずだと思っていたが、いつまでたっても人間は現れなかった。
「……」
 猫は静かに、私の台座で丸くなる。それは信頼なのか、それともこなくてもいいという意思表示なのか、私にはわからない。空を巡回していたヘリコプターが頭上に戻ってきた。空気を叩く音があたりに充満してくる。少しずつ近づいてくる音に、猫が空を見上げた。空は、もう赤くなりはじめ、夕日の準備をしている。そんな、空の中をヘリコプターは爆音をとどろかせて泳いでいく。
「おや、猫じゃないか」
 声を発したのは、飼い主の人間ではなかった。声の主は、逆光でシルエットしか見えない。声から女性であろうことぐらいしかわからなかった。
「なんの用だ、私は忙しい」
 猫は突き放すようにはき捨てると、うずくまる。まるで、もう声も聞きたくないといわんばかりに猫は丸まった。
「ここに用事があるんじゃなくて。ただの散歩か」
 そういいながら、透き通る声の持ち主は近づいてくる。
「主人の散歩は大事な仕事だ」
 ふてくされたように猫は言う。その丸くなった猫を、声の主が持ち上げた。猫は暴れずなすがままにされている。猫の重みの反動で、私の体は少し揺れた。コンクリとアスファルトが擦れる音は、頭上のヘリコプターに消されていく。
「離せ、私は動くわけにはいかないんだ」
 そういいながらも、猫は暴れようとしない。たぶん、暴れても無駄なことを知っているのだ。
「ここで待ってても、あの子はこないよ」
 その声に、猫がピクリと反応する。腕の中で身じろいだ猫をみて、クスリと笑いを漏らす。
「……」
 一人と一匹は無言になる。
「ここは、人間にとっては標にすらならないんだ。ここでいくら待っても、人はこない」
「人間は見捨てられた存在だと?」
 悲しげに猫が呟いた。風が吹く。太陽が沈み始めたのだ、日光がさえぎられ温度の変化が起こる。停止していた空気が動き出した。
「ちがう、人間が見捨てたんだ」
 彼女が呟いた声は、風と共に流れてゆく。草の揺れる音が、いつのまにかヘリコプターがいなくなった事を教える。虫の鳴き声が混じる。夕焼けがやってくる。
「人は強いな、世界を見捨ててそれでも生きていける」
 いつのまにかに、猫は顔を上げていた。

「寂しさを忘れてしまったのかもしれないけどね。そらお迎えが来た」
 彼女の声につられて猫の耳が動いた。遠くから猫の飼い主の声が、風に乗って聞こえてくる。
「おーーい……どこー……ーん!」
 風に乗って、聞こえてくる途切れ途切れの声に、猫が彼女の腕を飛び出した。それをみて、女性は笑いながら言う。
「少なくても、猫は彼女の標らしいね」
「……ふん」
 猫はもう振り返らないで走り出した。声のする方向へ。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第095話
お題 :「新人」「得点」「編集」

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 辺りが赤く染まる。それは夕日の所為ではなくて、紅葉した木々たちの色。ここの木々達は、あまりにも鮮やかに赤く染まる。闇を吸い、夕日を吸った彼らは毒々しいほどの赤に葉を染め上げている。新人の若木すらも、赤く赤くその葉を染めていた。黄色にそまる葉は目に映る限り一枚もないほどだ。まるで、朝から晩まで夕日に染まっているように見える。この季節、この街の名前の所以に誰しも納得するところである。風が冷たく、太陽の熱も届かない。白い雲が所々、青い空に浮かんでいた。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 本来、私が立っている場所は人通りがない。ときたまに、大通りから外れた人間がふらりとやってきては通り過ぎていく。人通りがない道は、寂れ埃を溜め、汚れ朽ち果てていく。物も、人も使われなければ劣化するのだ。それは思いも、心も、そして繋がりですら。
 いきなりの、墜落音に驚いて辺りを見回す。液体っぽい音、しかし雨の音ではない。ぬれた雑巾が地面に落ちたような、水の音。音の主を探して、辺りを見回すと私の真下に何かが落ちていた。
「はっ……はっ」
 か細い、今にも途切れそうな呼吸が聞こえる。赤い、赤い塊。鳥に捕まえられ、空から落ちた獣にしては大きい。いや、赤く丸くなっていたから判らなかったが、これは。
 人だ。
「ヒュー……」
 呼吸なのか、空気の漏れる音なのか、それすらわからないほど頼りない空気の移動。ほんの少し体を動かしている。赤い、赤い塊。それが女性だとわかったのは、彼女が体を仰向けに倒したからだ。赤い木々と同じ色で体をそめた女性は、仰向けにした体で空を見上げていた。
「やば、いな。失敗……だ。おねぇちゃん……ゴメン」
 途切れ途切れの声が、やけに人工的な雰囲気で伝わる。まるで、台詞を編集してつくったかのような、途切れ途切れの声。その声を聞いて助けようにも、私は何も出来ない。ただ、この息苦しい声を聞くことしか私はできない。じわじわと、地面に染み込むように赤い液体が広がっていく。音が立つはずがないというのに、その赤い液体は確かな存在感をもって、地面に広がっていく。ただ、静かに私はそれを見下ろしていた。赤い液体は、まるで赤く染まった木々のように。下も上も赤くなっていく。
「しょ……ご…ん」
 聞き取れない言葉に耳を傾ける、彼女の体から力が抜けるのを私はみた。せき止められていた赤い赤い血が、まるで待っていたかのように流れ出す。そして、そのまま地面は赤く染まっていった。
 ただ、淡々と時間だけが流れていく。血は乾き始め、鉄の臭いを立てている。むせるような鉄の臭いに、猫が顔をだして逃げていった。漂うのは鉄、染み込むのは赤、流れ出した命は辺りを染め上げ、木々はただ赤くなる。太陽は、いまだ沈む気配を見せず、遠くで泣いている鳥の声が違和感をさらに浮き立たせる。
 叫び声が聞こえた。誰かが見つけたのだろう。程なく救急車の音がきこえ、ここは騒がしくなる。けれどそれすらも一時。人の命はその程度でしかないのだ。比べられるものがないと言い、金で買えないものといい、最尊といわれる。けれども、それはただ一時でしかない。存在しない命に価値はないのだ。遠くから、救急車の音が聞こえる、遠めに人が集まっているのがみえた。警察もやってきている。辺りは、うってかわって騒がしくなっていく。この騒音が私は苦手だ。しばらく寝ることにしよう、きっとすぐに人は人を忘れる。

 予想通りといえば予想通り。人は、人を忘れた。幾日か置かれていた花束も、訪れていた男性も、もうここには無い。あるのは、赤い木々に囲まれている、寂れた通りだけだ。冬の夕日はすぐに沈む。ほんの一瞬、この街は何もかもが赤くなる。そんな中で、静かに時間だけが過ぎ去っていく。過去は置いていくもので、そして忘れていくものなのだ。赤い赤い時間の中で、少しずつ磨耗するように、溶け出すように、置き忘れるように過去は剥がれ落ちていく。
 コツンと、小さな石ころが転がる音をきいた。そちらを向くと、女性が一人夕日に照らし出されて立っている。静かに此方を見据え、微動だにせず此方をみていた。
「どうして……」
 言葉と同時、女性は歩き出した。足音が聞こえない。しかし、確りとそして確実に女性は私に近づいてきた。
「張り切って、得点稼ぎで死んでちゃ意味ないわ、ホント……」
 

気が付けば、女性は私の横に立って見上げていた。
「貫き通す物。みていたのでしょう? 私の妹が死ぬところを」
 久しく呼ばれなかった呼び名に、意識が跳ねる。あの時、ここで死んだ女性の姉は私を見る、その目に感情は映らない。ただ女性は、静かに私を見上げている。けれども、私は答えることが出来ない。ただ静かに、彼女を見続けることしかできなかった。
「もう、花も飾られてない。婚約者も、こっちにはもう足を運んでないわ。貴方から見れば、人間なんて薄情な物にみえるかもしれない」
 呟きながら、彼女は私の台座に腰をかける。重さで少しからだが傾いだ。夕日が見える、沈む音が聞こえるのではと思うぐらい、揺れながら夕日は地面に沈んでいった。
「けど、人は忘れるために、死者と別れを告げるために、式をあげ、死者を埋める。私達は、忘れないと生きていけないから」
 彼女はため息をついた。私はしゃべれない。ただ静かに彼女の言葉を聞くのみだ。
「そして、私も忘れに来た」
 言葉は、風に乗って消えていく。寂しがりやは、きっと寂しいと思う気持ちを忘れないと生きていけないのだ。夕日が沈む、赤く染まっていた町に闇が溜まる。
 私に腰掛けていた女性が、立ち上がる。すっかり闇に支配された町を静かに見つめている。私の体が、ゆっくりと揺れる。
「さようなら」
 ポツリと呟いた瞬間、彼女の姿は見えなくなってしまった。闇が、風をまとって流れる。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第096話
お題 :「細工」「放送」「回帰」

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 浅考は、歪を生む。歪を正すために強行すれば、それは歪を通り越し亀裂になる。しかし、強行しなければ後がない。亀裂を生み出すことが判っていても、それを行う。結果、すべての責を取る物が必要になる。結局のところ、苦労は恨まれ結果しか見ようとしないで過去にすがりついたのだ。それが、このなれの果て。あたり一面が砂と岩に覆われた大地。元より、まともに育つわけもない枯れ果てた大地は、結果こうして地肌を晒すほか未来はなかった。世界は、枯れたのだ。何処までも隠さずに日の光を浴び、風をさえぎる術を忘れ、水を留める力すら流した。度重なる温度変化に、大きな岩は崩れ落ち、乾いた風に乗って辺りを踊りまわり始める。私の体に当たる砂が、リズムを刻んで過ぎ去っていく。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 擦るような、軽い音が鳴りつづける。風の音にあわせてハミングするように、軽い音が渇きを歌う。昔は、森があった。次第に森は、人工植物に取って代わられ偽りの森へと変わった。そして、偽りを焼き払い、変わりに得たのは本物の砂漠。
 遠くの砂に、空が溜まっている。追いかければ消える空、水のように揺れていた。その水の上に、影が伸びてきたのに気が付いたのは、いつ頃だっただろうか。飴細工のような蜃気楼を割って、現れた人影は蜃気楼の欠片に塗れて揺らめいている。だが、たしかにその影は蜃気楼なんかではない。ほんの少しずつだが、大きくなっている。ゆっくり、しかし確実に。乾燥した風とともに、細かい砂が飛び回る。雲もないのに遠くが見えない。世界は水ではなくて、砂に覆われてしまった。
 気が付けば、人影は間違いなく人とわかる大きさまで近づいていた。ボロで体をまとい、砂の侵入を防いでいる。なので、表情は見て取れない。こんな環境にあるというのに、わりとしっかりとした足取り。砂を巻き上げ、此方に近づいてきていた。久しぶりに、意志をもった物が動いているというだけでも、なんだか救われる気分になる。それほどまでにあたりは砂と風が支配する場所なのだ。ボロをまとって近づいてきた物は、間違いなく人間だった。しゃべる声も聞こえる。誰かと連絡を取り合っているのだろうか、スピーカー越しに、別の声も聞こえる。次第に近づいてくると、そのスピーカーがはっきりと見えてきた。ラジオである。放送など、大昔の戦争で流しているところなんて一つもなかったはずなのに。しかし、それより私は懐かしい感覚を覚える。昔まだここに、偽者の森があったころに見た人間なのだろうか。アレからどれぐらいの日付が立っているのか、私にはわからない。けれど間違いなくラジオはあの時彼女が持っていたラジオである。
「バス停です、ここが森だった頃に見つけたやつと同一の物でしょう」
 ラジオが言う。
「え……あの炎でまだ残っていたんだ。殆ど形も変わっていない?」
 聞き覚えのある明朗な声。確かにこの二人組みは私の前に現れていた。
「完全に一致しています。場所も、形も色も」
 そうか、とラジオをもった彼女は呟く。風が吹く。遠くに見えていた蜃気楼も風に飛ばされて今は見えなくなっている。
「結局、おんなじ場所にかえってきたのか」
 なんだか少し疲れたように、彼女がいった。静かに揺れる風が、ボロのフードを揺らしている。
「まるで、回帰癖でもあるかのようにピッタリと」
 ラジオの言い草に、少し顔をしかめるように彼女は体をゆすった。丁度、タイミングよく拭いた風に、顔を覆っていたボロが捲れあがる。ついで舞い上がったのは、彼女の髪の毛。赤い、久しぶりに見る鮮やかな色に私は目をうばわれる。初めて会ったときより髪の毛は長くなっていた。
「バステイはこのままだけど、世界はこのままじゃだめになっちゃった」
 彼女は、前を向いて言う。まるで私に言うように。
「……さぁ、行こ。世界樹をつくりに」
 そういって、彼女はうつむいた。まるでそれは、何か感情を押しつぶしているように見える。
「何度でもいいますが、私は反対です。人柱なんて」
 何度もかわされた議論なのだろう、ラジオのほうも、語尾は殆ど諦めに近いようなつぶやきに変わっていた。
「私が終われば次の人柱がいる。永遠に殺しつづけて生きることになる、でしょ?」
 ラジオは何も言わない。彼女はため息を一つ、フードを被りなおした。
「でも、少しでも生き延びれば別の方法が見つかるかもしれない。だからやるの」
 最後に、彼女はゴメンネと呟いた。砂と共に、呟きは風に乗って跳んでいく。雲ひとつないこの大地に、砂が舞う。
 彼女達は歩き出していた。静かに砂を踏みしめながら。私に背を向け、静かに歩く。と、いきなり彼女は足を止め、此方を向いた。
「さようなら」
 風に乗って聞こえた言葉。ひときわ強い風が吹く。砂煙が舞い上がり、辺りは砂で何も見えなくなる。きっと、この砂がなくなった頃には、彼女はいない。彼女がいた方向を見ながら私は一人思う。

 アレから数日、私は砂漠だったこの場所に雲を見た。きっと、世界はほんの少し生き延びることができる。それだけは確信できる。一人の命と引き換えに。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第097話
お題 :「事故」「抵抗」「歓喜」
 
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 雪の白さは、この闇の中ですら色あせない。独立した色は、存在感をもって空から降り注いでいる。音は、この柔らかい結晶に吸い込まれ、行き場を無くし霧散する。静寂が降り積もる、それは確かな存在感と色をもって確かに今降り注いでいる。遠くで、犬が吼えた。通らない己の声に、憤りが少し見え隠れしている。何度か吼えたあと、飼い主に怒られたのだろうか、途切れるように抵抗をやめた。そして、辺りはまた静寂に埋め尽くされていく。喧騒すら追い出すほどの圧力をもって、それはただ静かに降り注ぐ。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 年末年始に向け、街は騒ぐために動き出しはじめていた。たとえ、隔離された闇のダムの底ですら。海を渡ってきた風習は、恋人達へのチャンスと、ほんの少しの勇気を後押しする儀式へ変貌を遂げた。きっと、人と人が愛し合うことを止めない限り、永遠にこの儀式は残りつづけるだろう。ふと別のところを見れば、自分は不幸だと嘆くことに忙しい人間も見る、プライドと体裁のためだけに笑顔を作る人間もいる。この儀式の最終目的はただ一点、金銭物品の流通のエンジンでしかないのだ。一番に恩恵を受けうる物は、この喜怒哀楽の感情が混沌と渦巻いている儀式を遠くから、淡々と眺めているだけなのだ。ネオンと電飾の魔法陣はただ幾人かの人間が、優位に立つための儀式でしかないのだろう。こういう時、私の前を通る人間は多くなる。己を不幸と嘆き、儀式から逃げ出すように裏道を歩く人間。不確かな足取りで、雪を被り自分が不運の主人公だと悦に入りながら、歓喜に狂う幸せな人間を恨みながら、彼らは家路を急ぐ。本来、五体満足がどれほどの幸運か、生まれる確率がどれほどの幸運か人間は忘れている。今、この場で事故にも遇わず生きている確率が、どれほどの幸運の上に成り立ち、足元にどれほどの不幸がうず高く積まれているかを忘れている。だから、私には茶番にしか見えない。かりそめの感情で踊る彼らは、事実儀式の食い物でしかないのだ。
 積もった雪を踏みしめる足音は、水の摩擦音に変わる。結晶が崩れる抗議の音にも聞こえるその足音は、私に少しずつ近づいてきていた。足音が気になったのは、先ほどから私の前を通る人間と違い、しっかりとしたリズムを刻んでいたことだ。私の目の前で立ち止まると、静かに空を見上げる。足音とは違い、まったく生気を感じられない表情が印象的だった。焦点が、遠いところで結ばれている、まるでこの場所に居ないかのようなそんな雰囲気すらあった。
「また、会ったね。英雄さん」
 その声は、完全に意識不可能な場所から沸いた。まるでこの瞬間に、瞬間移動してきたような、それほどまでに気配がなかった。普通なら、飛び上がるような出来事に、英雄と呼ばれた男はほんの少し揺れる。
「一年ぶりか?」
 あまりの声の精気の無さに驚く。英雄と呼ばれた男の声は、まるで見取られる年寄りのそれと、何ら変わりのない声色だった。掠れて弱々しい声は、そのまま地面に落ちる。
「まだ引きずっているんだ」
 対する声は、軽い。闇に隠れてよくは見えないが、雪の白さでおぼろげながら輪郭が浮き上がっている。物陰に体を預けるようにうずくまっていた。
「人殺しをして、平然とできるほど図太くはない」
 さらりととんでもないことを、英雄と呼ばれた男は言った。無言が支配する。雪が振りまく静寂すらを打ち消すほどの無言が辺りを埋め尽くす。まるでこの辺りだけ、雪がやんだような錯覚すら覚えるほどだ。
「カカッ、ほっときゃもっと大勢が死んだのに?」
 一拍を置いて、物陰から動く気配。無言を打ち破る笑い声と共にゆらりと伸び上がったのは声の主だ。物陰の影がそのまま伸びていく。
「命を数で数えるようになったらお終いだ」
 英雄と呼ばれた男が、ポケットからタバコを取り出す。雪の白さに反して、薄汚れたタバコは雪に塗れて湿っていく。しばらくライターを擦る音が辺りを支配し、赤い火が、闇の中に一つポツリと穿たれる。煙は雪にとけ、吐く息の白さと見分けはつかない。
「お終いのほうが、長生きしそうだけど?」
 笑いを含んだ声を投げかける影は、ゆっくりと私の横へと近づいてくる。足音すら立たない、踏みしめる雪の音すらない。足跡も、ない ―――
「人を止めてまで、長生きしたくない」
 言葉と同時に、煙が吐き出される。一瞬だけ白い煙が辺りを埋める。
「すでに、人間を止めて英雄になったのに?」
 英雄と呼ばれた男は、ため息をつく。自分がやったことに対する自責が、彼の背中に真っ黒な錘になってのしかかっているようだった。重苦しいため息。影はひとしきり笑いをかみ締めると、英雄の前を通り過ぎていく。
「俺は、これからクリスマスでも楽しんでくるさ、じゃあな英雄さん」
 そう言うと振り返りもせず、足音も立てず影はそのまま駅の方向、ネオンと電飾の魔法陣へと足を向ける。
「……」
 無言で煙を吐き出し、英雄は影の背中を見詰める。次第に見えなくなる影。英雄は見えなくなってからもしばらく、影の向かった先を眺めていた。
「じゃあな……」
 ポツリと呟いた言葉は、果たして影への言葉だったのだろうか、それとも別の誰かへの言葉だったのだろうか。私にはそれはわからない。
 雪が降る。静寂が積もり、それを追い払うかのように人々は明るい場所で騒ぎ、わめく。次第に光は弱くなり、喧騒も静寂に埋もれていく。プレゼントを貰うために眠りにつく子供。夢を壊さないようにと自己満足に浸る親。まるで特別な日のように恋人の横で過ごす人。仇のように、一人やさぐれて空を見上げる人。消えた蝋燭が出す煙のように、光が消えた街から感情が渦巻き、狼煙のように空に還っていく。きっと、雲になって海に帰るのだ、人の感情は。静かに雪だけが、地面に降り注ぐ。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれる。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第098話
お題 :「爆発」「飲み物」「呼応」
 
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 すべてが隙間無く、埋まるようなそんな音を聞いた。隙間から、空間が追い出されるような音だ。何もかもが完全に組み合わさった。そう感じた。整合性が正であるはずは無く、結局のところ最後にはすべてが黙殺されたのだ。空を厚い雲が覆い、太陽を隠し、街は潰れ、物は吹き飛んだ。この世界は、すべてを拒んだのだ。神に見放された大地、それでも神をあがめるのは、救いが欲しいのでも支えが欲しいのでもなくて。ただただ、利益を求めた結果でしかない。その反動に、太陽は顔を出すことを拒み、植物は大地から逃げた。求めた結果、何もかもを失ったのだ。一兎をおいすぎて二兎を逃す愚考は、この先いくらでも選ばれるだろう。それが、人が神になれない所以でもあるのだから。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれ、太陽を望む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。

 つまるところ、誰かのせいにして己個人のことだけを考える。何処までも利己的に生きるために。雲が世界を覆ってから、人は雲を神の所為にして落ち着きを取り戻し始めた。死んでいった仲間達は、信仰が足りないと一蹴し己を上に考えようとする。けれどそれもいつかは無駄だと気づく。事故の爆発で舞い上がった雲を、神の所為にし、技術を捨て、自然に帰ろうというだけで、人々はそれに賛同しそしてついてく。
 いつしか、繰り返しに気がつき、顔を上げ反発を行いはじめる。役数名の人間のためだけに生きていたことに気がついた人間は、それを正そうと立ち上がる。そして、彼らは最後に人を殺し始めるのだ。
 つまるところ、それすらもが繰り返しだということでしかない。変わったのは、空を覆う雲のみ。私は、山のふもとで人が行き交うのを見ていた。街が発展していくところをじっとみていた。街道が作られ、新しく待ちが出来上がり、またその先へ開拓は進む。行き着く目的は、少数の人間の腹を横に広げることのみである。
 街が広がりをとめ、私が見えない場所へといったあたり、久しぶりに雨が降った。空すべてを覆っているくせに、雨は殆ど降らない。珍しいこともあるものだと、私は空を見上げる。雨の臭いが立ち込め始める。乾いた砂を叩き、舞い上がる煙。久しく乾燥していた岩に水が染み込む音が聞こえる。石の上で水が跳ねる、土の上を叩く音がする。むせ返るような雨の臭い、私はただ、ここで雨にぬれていた。しばらくすれば、乾いた土も水を吸い煙を吐くこともなくなるだろう、降り始めのこの臭いも水に流れる。静かに、水が飛び跳ねる音だけが辺りを支配していた。と、いきなり背後から足音がする。雨の音に隠れて、近づいてくるまで気が付かなかったらしい。背格好からして男だろうか、体をすっぽりと覆う服の所為ではっきりとは判らない。ローブは雨にぬれ、雨をまるで飲み物のように吸い込んでいく。すっかりと色の変わった部分と、影になり今だぬれていない部分の色のがやけにくっきりとでていた。
「あれだけやって、雨だけか」
 呟いた声は、疲れきっていた。雨音に消され、そのまま消えるほどか細い。足取りもつたなく、頼りなかった。私の目の前にきて、そのまま座り込む。ローブが濡れた音を立てる。
「標か、人は、標を捨てて、何を、得たんだろうな」
 息が荒い。今まで、ずっと走ってきたようなそんな感じの声だ。彼は、雨を飲むように上を見上げる。
「ふー、あの雲の、向こうはもう生命のあふれる、世界じゃないなんて」
 重い水をすったローブがずり落ち、顔があらわになる。真っ赤に腫れあがった皮膚が雨に濡れていた。
「草木は生い茂っても、人は生きていけないとはね。まるで水の中と変わらない」
 自嘲的な調子で、呟く。長い間閉ざされた日光の下で、人間ももう太陽に体を晒せる状態ではなくなってしまっていた。雲が覆い始め、呼応するように木々は枯れた。その中で生活してきた人間達は、こうして太陽からも背を向けて歩き始めていたのだ。
「やっぱり、神様のばつだろうか? はっ……」
 空気が漏れるような笑い声と共に、彼の体が傾く。一拍置いて、重たい物が地面に当たる音がした。私の台座の横で、彼は空を見上げながら気絶した。雨は地面を満遍なく濡らしていく。
 人は、独り立ちを望み結果、彼らが寄る物はなくなった。そんな中で彼らは神を望み、自分達の中に神を作った。独り立ちを望んだのに、結局は何かにすがっている。不思議だとも思うが、当然だとも思う。雨に煙る街を眺めながら、私は静かに横で倒れる男と共にある。
 ふと、雨の向こう側に動くものを見た。こちら側は町がない、人がくるようなことは殆ど無いのだが。疑問に思いながらその動くものをみていると、次第に大きくなる。間違いなく此方に近づいてきていた。人間だ、ローブが揺れるのまではっきりと判ったことにやっと人だと認識できた。
「やっぱり、雨を降らせたのは貴方ですか……」
 女の声だ。フードが妙に膨れているのは長髪の所為だろうか。私の横で、仰向けに横たわる男に彼女は近づく。
「気絶してちゃ、世話無いですね」
 そういって、男を起こそうとする。真っ赤に腫れている肌をみて、一瞬手が止まった。
「こんなになっても雲はなくならない、神様はよほどお怒りなんでしょう」
「そんなこと……」
 気絶していたとおもっていた、男が口を開く。呼吸も多少落ち着いているが、体はうごかないようだった。静かに二人は見詰め合う。
「あります。少なくても人の力ではむりです」
 言いながら、彼女はフードを外す。長い髪が流れた。長い髪の隙間から、とがった耳が顔を出す。エルフだ。
「神の力でもむりさ……」
 男は上体を起こそうと体を揺らすが上手くいかない。女が横にきて手を添える。静かに、ただ二人の間に雨が降っていた。
 しばらくして、二人は立ち上がり街へとむかっていった。無言。地面に染み込まなかった水が、表面を流れている。
「神がきっと応えてくれます」
「何もかも人の意思だよ……」
 雨の煙の向こう。二人の影は街へと消えていった。

 私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれ、太陽を望む。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第099話
お題 :「資格」「惨事」「史実」
 
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 詩人は、季節の足音を聞いたりできるらしい。間違いなく彼らは、人間という枠を超越しているのだ。それは、きっと普通ではたどり着けないほどの距離と、高さを持って私の前に立ちはだかっている。だから、静かに私は立ち尽くすのだ。焦る必要は何処にも無い、もしかしたらひょっこりと、私のすぐそばに転がってくることがあるかもしれない。静かに耳をすませる、もしかしたら聞こえるかもしれない。夜明け前の瞬間、確かに私は音を聞いた。冬の音をだ。太陽が昇る音を聞いた。冷え切っていた空気が、顔を出した太陽に当てられ空に上がっていく。光を直接吸収している地面は、ふくらみ軋む。草木は、待ちに待った光だと、喜びの呼吸をはじめる。家の屋根が光に、喜びの声をあげた。間違いなく私は、いま冬の到来を聞いている。私は、バス停。バスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれ、太陽を望み、季節の音に身をゆだねる。私は、バス停。バスの停まらない、バスが停まるための目印。

 夜明けはあっけなく訪れる。もったいぶって空を染めていくわりには、最後にはいとも簡単に太陽は顔を出す。雲が落とす影を、遠くに見る。隙間から差し込む光は、物理法則を忠実にのっとり一直線に街を照らす。風に吹かれ、形を変えながら、くもの形をなぞって光は地面に差し込んでいた。朝もや、それはきっとそういう類の物だ。白くにごった街を私は眺める、光が差し込む境界線だけがやけにくっきりとしていた。ほかの物は白くにごり、あやふやな中、その光だけはしっかりと存在している。それは何処まで言っても、いつもどおりの季節のめぐりで、繰り返す日常でしかなかった。ほんの少しの偶然の重なりさえ、何かを感じずには居られないほど退屈な日々。洞窟の天井から、常に同じ感覚で落ちつづける水滴のごとく、何も変わらずただこなすだけの時間。それは、どんなものさえ詩人にならざるを得ない事態なのではないだろうか、たとえ詩人になれなくても哲学者ぐらいにならなれるような気もする。詩人と哲学者を比べること事態、反感をかいそうではあるが。けれど、きっと鬱屈とした繰り返しの中で、飛び出したいという願いがその力の発端だったのだ、少なくても私はそう思う。ただ、残念ながら私は、哲学者にも詩人にもなる資格はないようだ ―――
 なぜなら、日常から私は今この場で離れそうになっているから。目の前に、立つ男が何よりの証拠である。夜明け前から私の横に居座っている男は、ただ静かに何をするでもなく立ち尽くしているのだ。ときたまに私の傍らで、何かをしている人間には出会が、そういった類のものでもなかった。ただここにいるのだ、目的は無く理由も無く、そこに必然は見出せなかった。背丈は成人男性の平均より少し低めだろうか、だが確実に目がいくのは彼の腹だ。健康状態よりも、まず通常生活において移動という行動が可能なのかどうか、疑わしくなるような腹の出かたをしている。髭面でいかにも暑苦しい見た目の彼は、ただ何もせず静かに私の横にたっていた。
 次第に太陽が高くなり、街が目を覚ましはじめる。犬を散歩させる飼い主のなかで、私近くをコースにしている人間も何人かいる。今日も寒い中、犬を連れて散歩するに違いない。飼い主達が、彼を見たらどう思うだろうか? そんなことを考えていると、彼が動いた。ゆっくりとした動きで、まったく意志を感じない。例えるなら、操り人形のようだった。あまりにも精巧に動かされた体から、意志を感じられるのではと思うが、事実意志が無いのだろうという、そのぎりぎりの境界線のように、すべてがあやふやな感じなのだ。彼の手は、そのまま、顔を掻くという動作に移る。静かに、髭にうずもれた顎を掻く。肌を擦る音が静かな辺りにかすかに響いた。それを合図に、私の後ろ側でゆっくりと気配が動いた。
「見つかったか?」
 髭の彼が言う。思ったより声はしっかりとしていた。そして、応えるように草むらが揺れる。
「そうか。引き続き頼む」
 草むらから、声は聞こえないが髭の彼が応えた。まるで電話をしている人間のように、話している相手の声だけは聞こえない。草むらに、彼が話し掛けているのは確かだが、ようとしてその草むらの中身はわからなかった。ただ、彼の声に対してほんの少し草むらが揺れる。
「いや、ただの我侭だ。私達の存在には関係は無いよ」
 髭の彼は淡々としゃべる。辺りはすっかり朝日が昇り、空気を暖め風を起こそうと必死になっている。辺りの草木も揺れ始めだした。
「ウンメイノタチの複製さえ可能ならば……」
 その声は、草むらからだった。やっとしゃべったとおもったその声は、消え入りそうなほど小さく掠れていた。
「無理だよ、ウンメイノタチは私達と同じ。この基底の法則に縛られていないというだけの存在だ。私達の基底の復活など到底不可能だな」
 髭の声に、初めて感情が混じった。寂しげで達観した声。辺りを冷たい風が吹き抜けていく、温まり始めた空気は、われ先にと空に逃げだしている。冬は何処までも冷たい。
「史実にあった記録とは違いますね。万能といえども、この基底のみということですか」
「そういうこと。これ以上何をしても意味が無い。もう青の時にも見つかってしまったし」
 草むらは、静かにそうですねと呟く。丁度、向かいの歩道に犬を散歩させている女性が走っている。子犬に引っ張られ、楽しげに。口から吐く息が白い。それを見て、気が付いた。この髭の男、しゃべっている間もまったく白い息はでていなかった。
「私はBAKUに出頭するよ、仕方ないとはいえもう十分な惨事になっている。それに、結果は出ているからな。お前はもう行きなさい。つながりの無いお前は、見つかれば殺されてしまう」
「……いつか我らの基底で……」
 掠れた声と同時、草むらから気配が消えた。それを確認して、髭の彼は少し肩を揺らして笑った。
「もういい、出て来いBAKUの飼い犬」
 彼が呟いた瞬間だった。先ほどまで、ゆっくりと流れていた風が意志をもって流れる。地面に沈殿していた埃が舞い上がる。草が揺れ、枯葉が舞った。
「お別れは済んだか」
 気が付くと、向かいの歩道に黒いローブが二つ。いや二人なのだろうが、髭の男よりもまったく存在感を感じさせない。まるで人工物のような黒いローブ。
「甘いな、なんの情けだ?」
「……」
 ローブは応えない。静かに道路を渡り、此方に近づいてくる。
「我ら夢魔の大義である、基底復活。成功するならよし、失敗したなら犯罪者。結果が出るまで野放にしていた……といったところか」
 やはりローブは応えない。ただ静かに近づいてくる。足音がする。ローブが風を切る音が聞こえた。そして、髭の男の前まであと数歩というところまで、ローブは迫ってきた。
「何処までいっても、貴様らはお役所しごとだよな、ったく ―――」
  気が付けばローブも髭面もいなくなっていた。何もこの場所には残っていない。ただ静かに風だけが通り過ぎる。ただ柔らかに、光だけが差し込む。ただゆっくりと、草木の臭いが漂ってくる。季節は冬。そろそろ何もかもが凍る時期。ただ、もくもくと太陽だけが昇っていた。

 私は、バス停。バスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれ、太陽を望み、季節の音に身をゆだねる。私は、バス停。バスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――




・三題話 第100話
お題 :「偶然」「一瞬」「完了」
 
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 標というのは、揺るぎの無い個である必要があった。時間も場所も超えた先に存在し、常にそこにあるという確実な証明項でないといけない。だが、世界はあまりにも脆かった。その脆い世界で生きる物、存在する物すべても脆い。だからこそ、標が必要だった。何もかもがあやふやで、頼りない場所に私は標として打ち立てられた。時間も空間も貫き、私は存在する。確固たる、存在。確かなる証明。私は、灯台のようにここに居る。しかし、人間だけは私を捨てた。人は一人を選んだのだ。私を忘れ、寂しがりやの人間は歩き出した。それは寂しいことでもあるし、嬉しいことでもある。静かに、私は見守ることができるから。
 ビルが崩れていた。遠くで銃声が聞こえる。風に乗ってやってくるのは、土の匂いでも、季節の匂いでもなくて悲鳴と硝煙の匂い。この世界は終わりかけていた、いや彼らが終わらせようとしていた。あと数百年もしないで全てがなくなるだろう、それだけは確かだった。遠くで爆音がとどろく。一瞬風が引き戻され、そして反発するように熱風が吹き抜ける。軽い銃声の連続、また悲鳴。ここからでも、何もかもがみえていた。おかしな所が一つあった、彼らは恐怖を口にしないのだ。上がる悲鳴は、苦痛によるのもののみ。けが人は放置され、補給隊を見たことはなかった。彼らは、死ぬために戦争をしていた。そう、世界を終わらせるために。それは、世界規模の自殺 ―――
 足音が聞こえる。歩幅が狭く、小走りだ。軽い音。しばらくして、土煙の向こうから足音の持ち主が見えてきた。小さい子供。満身創痍とはいえ、怪我はひどくなく足取りはしっかりとしていた。荒い息を吐きながら、齢10歳前後の少女が此方に走ってくる。息も絶え絶えで、表情はうつろ。けれども、足取りだけはしっかりと地面を踏みしめていた。
「ハッハッハッ……」
 犬のように荒い息を上げ、彼女は私の目の前で膝をついた。乾いた土が煙を上げる。また遠くで、銃声が聞こえた。うつろな目をした彼女は、銃声すら聞こえていないようだ。そして、膝を突いたまま私に寄りかかる。荒れた息を正そうと、何度か深呼吸を試みているが、この乾燥した空気はそれを許さない。倒れるように、私の支柱へ体を預け彼女は荒い息を繰り返す。銃声は次第に此方に近づいてきていた。
 鉄が震える音をきいた。大音響のわりに、まったく腹に響かない音。甲高い、鉄の振るえる音だった。流れ弾が偶然此方に飛んできたらしい。私の体にあたり、兆弾は私の下でうずくまっている彼女には当たらなかった。そのことに私は安堵する。大きな音に、うつろだった彼女の目に光が戻った。
「流れ弾……もう、こんなところまできたんだ」
 意識を取り戻したのか、彼女は体を少し起こして辺りを見回した。相変わらず、息は荒いが目にはしっかりとした意思を宿している。
「バス停? 私を守ってくれたんだ」
 銃弾を受け、今だに静かに揺れている私の体を触り、彼女が言う。振動音が少しずつ消えて、無音になっていく。静寂。遠くの発砲音がやけに耳についた。
 私は何もしていない。偶然流れ弾が私の体に当たっただけだった。けれど、彼女は私に礼を言う。これが、きっと私を離れ歩き出した人間の強さだ。
「違うよ、寂しいから。寂しいから、言葉にするの」
 私の言葉が伝わったのだろうか? 少女は、私を見上げ微笑んだ。埃にまみれ、擦り傷に汚れ、砂をかぶりそれでも、彼女は私に笑いかけた。
「言葉にして、繋がりを確かめるの。そうしないと、判らないから」
 立ち上がる、もう息も戻っている。ここにたどり着いたときとは大違いだった。その強い意志の宿る目で、戦場を見ている。乾いた風が吹いた。
「バス停なのに、時刻表も駅の名前もないのね、貴方は。かわいそうに……」
 言われて、自分が何故かわいそうなのかを考える。私は標、このあやふやな世界を繋ぎ止めるための楔。
「バス停なんだから、バスが止まらないのは悲しい事でしょ? 為すべき事は、一つだけじゃないの、沢山あるの。貴方は標だけど、きっとほかにもやることがあるの」
 そういって、私を軽く叩く。私は、初めて悲しいという気持ちを教えられたのかもしれない。けれど、錆びたバス停に停まるバスはない。私はここで、世界をつなぎとめるために居る。
 私を見上げていた少女が笑う。大人びてはいるが、無理をしているような笑顔。乾いた風が容赦なしに辺りで暴れている。吹き荒れる風の中、彼女が私を軽く叩いた。私の体が、響くように揺れる。それを合図に、彼女は歩き出した。一体何処へいくというのか。もう、その先は荒れ果てた大地と、死が待っている戦場しかない。と、いきなり彼女が振り返った。
「見つけに行くの、皆が死ななくて言い方法を。そしたら、またバス停に会いにくるよ」
 そういって、彼女は走り出した。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印。行き先は無く、駅名も錆の為に読めない。時刻表があった場所はただの鉄板が顔を見せている。ただ此処で彼女を待ちつづける。私は、バス停。パスの停まらない、バスが停まるための目印 ―――

 結局、あの世界は消滅した。それは理。始めからプログラムされていた運命。基底は、力を蓄え、そして放出し、すべての作業を完了した後消える。そして、新しい基底を作り出す。それは、決まりきった運命。永遠に繰り返されるプログラム。 けれど、確かにあの世界の人間は逃げ出したのだ。己たちの基底を抜け出した。あの時の少女はきっと夢をかなえたのだ。運命はただの決まり。それを破ろうが、それから逃げ出そうが、それに立ち向かおうが、それを選ぶのは意志の自由なのだ。あの少女はそれを教えてくれた。
 風が吹く、ここは闇のダムの底。夕日が沈めば世界から追い出された闇を溜め、吐き出さないように留めるためのダム。あの夕日が沈んでしまえば、静かに闇を溜め、朝日がくるまで静かに耐える時間が始まる。空気はめいいっぱい水を含み。鈍重な風となって、地面を這いずり回る。人々は家に帰り窓を締め切り、クーラーを付けて立てこもるのだ。遠くで蝉が一声鳴いた。続く蝉の声はなく、ただ静かにその余韻だけが木々の隙間に消えていく。近くの林を見れば、すでに闇を溜め込み始め、懇々と湧き出るその闇を必死で押さえ込んでいた。草の匂いが濃くなる黄昏時、辺りは夜に向けて準備をはじめる。
 湿気た空気に乗って、車の廃棄音が届く、重たい音だトラックだろうか。この道は舗装はしてあるが、車道の幅が狭くトラックのようなものが通ることはめったに無い。元から渋滞なんかには縁の無い町で、トラックなどは普通に大通りを通るのが常のはずだ。けれど、その音は確実に此方に近づいてきていた。夕日の方から聞こえるエンジンの音。大きいタイヤがはじくアスファルトの音。
 そして、その車は、私の目の前で止まった。アイドリングの音がすごい。ディーゼルエンジンだろうか、荒々しい駆動音が聞こえている。大きなトラック。いや、これは……。
「やあ、バス停。今日はちゃんと会いに来たよ」
 何個も連なる窓の一つから、女性が顔を出した。夕日に照らされて髪の色はわからない。湿った風に煽られてその髪が揺れていた。運転席にまだ一人いる。
 彼女が顔を引っ込めると、続いて空気が勢い良く抜ける音がした。驚くと、前の方の扉が開いている。そこから降りてくる女性。軽い足取りに、まるでこの、うだるような湿気と暑さを一瞬忘れそうだ。そして彼女は私の目の前で立ち止まった。夕日に照らされて赤く染まる頬。後ろのトラックは、いまだエンジンを止めずに唸りをあげていた。
「どうした、ほら嬉しそうな顔しろよ」
 そういって、私を叩く。顔といわれても、一体バス停の私にどうやって表情をつくればいいというのか。
「ちゃんと、約束どおりバスを停めにきたんだから」
 嬉しそうな笑顔。透き通るような声。あの消えていく基底で出会った少女がその笑顔に重なる。そして、私はやっと思い出した。ずいぶんと大きくなったが、確かにあのときの少女だ。そして、後ろで唸っていたのはトラックではなかった。私は初めて見る、これがバス……。人を乗せて運ぶバスだ。
「バスが停まるからには、名前をつけないとね」
 先ほどまでの笑顔が意地悪そうな笑顔に豹変する。これが成長するということだろうか。変化するということだろうか。標をすて、歩き出した人間が手にしたもの。きっと、この先も変わっていくために、人間は変化しつづけるのだ。そんなに悪くないものかもしれない。少なくても、私はバス停になれたのだから。私は、バス停。バスが停まるための目印。ただ此処で、私は空を見上げ、地面を見下ろし、風を聞き、雨を歌い、樹と歩み、時間と流れ、土に埋もれ、太陽を望み、季節の音に身をゆだね、そして彼女を待ちつづけていた。私は、バス停。バスが停まるための目印 ―――

 駅の名前が入る場所に、手書きで文字がかかれている。
『ユウヒノマチ』
拙く、カタカナでそう書かれていた。意外とへたくそな文字だ。けれど、私にはそれはとても大切な名前だ。
 私はバス停。バスを停めるための、バスが停まる為の目印。


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