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 空に穴が開いていた。それは、昼近くだというのにも関わらず真っ黒で、そこだけ絵の具をこぼしたかのようにすら見える。まるで世界を侵す闇。だけどその闇の中に星は確かに瞬いていた。
 それはきっと、せめてもの慰めなのだ。


 博士は、死神を見たことあるんですか? そんなたわいもないエリカの質問に博士は、読んでいた本から視線を上げる。少しだけ驚いたような目はすぐに細められ笑いに変った。テーブルごしに身をのりだし、今にも食いつきそうなエリカと対照的に、博士は何処までも落ち着いている。
「どっちだと思います?」
 はぐらかされた事にも気がつかず、エリカは首をひねりだした。ソレがおかしくて、サフィニアは声を出さずに笑う。
「あんな昔の事、証拠がありませんからね、私の答えなんてなんの信憑性もないですよ」
 そういうと、博士はゆっくりと立ち上がりそのまま部屋の奥へと消えていく。エリカの視線を背で受け、そして扉がゆっくりと閉まった。
「そりゃね、中央にいる女王は延命処理うけてて大祭害からずっと王位についてるし? 生きてる人がいてもおかしくないかもしれないけど――」
 めんどくさそうにつぶやいたのはサフィニア。中央と呼ばれる世界の中心にある大きな国。そこの女王は、遺失した技術により延命処理を施されているという。
「だよねぇ」
「そうそう」
「おかしくないよね!」
「……エリカ、人の話きいてた? っていうか、いうか会話の流れ読んでる?」
 呆れ顔でサフィニアは背もたれに体を預ける。木のきしむ音が、部屋に響く。エリカの手元には一冊の本。ソレは遺跡から発掘された娯楽品ではない簡素な雑誌だった。そこには大きく、『星流祭特集、大祭害ディグ・ザ・スカイの謎に迫る!』と書かれている。
「だって、ほら死神と一緒にいた人のなかに色無しの式術師が二名って」
 エリカはその雑誌をばっと勢いよくひろげると、サフィニアの眼前に突き出した。
 そこには見開きで、大天蓋に開いた穴とそこに広がる星空の写真がうつっていた。横には、死神と星が降ってきた大祭害を、面白可笑しく誇張した煽りが書き込まれている。
「中央にある式術近衛団の団長でしょ?」
「だからもう一人が、博士なの! きっと!」
「だってその一人って隻腕じゃない。博士両手あるんだけど」
「きっと義手なの!」
 偏執的ともいえるエリカの勢いにサフィニアはため息をつく。本人を目の前にすると大きく出れない辺りがなんとも面白い。はいはいと軽くあしらいながら、サフィニアはカップに口をつけた。
 エリカの根拠も証拠もない推測をBGMに、アクレギアはサフィニアの足元で丸くなっている。ずいぶんとサフィニアはエリカを気に入っている、人見知りもあんな出会いでは関係なくなるらしい。電子脳は声を出して笑わない。カメラアイをアンマウントすると、彼は関節を弛緩させサスペンドに入った。

 サフィニアのカップに入っていた紅茶が空になった。ちょうどエリカも落ち着きを取り戻したのか、椅子に腰掛けて雑誌を手に取っている。
「ねー、ニアちゃんは何かしらないの?」
 雑誌をめくりながら、それでも諦められないのかエリカはサフィニアに問いかける。何度も受けた質問に、サフィニアは無言で首を振る。ちょうどそのときサフィニアの背後で扉の開く音がした。首を向けると、博士が盆をもって立っていた。
「お茶いれましたよ。エリカちゃんもどうですか?」
「へ? え、でも私」
 いくら精巧に作られている人型バイドとはいえ、食事をする必要性はない。本来口に物を入れることは可能であっても、もとより電子脳に食欲はないので食事を取るバイドは極めて稀である。エリカは自分のことを人間だと思い込んでいたので、食事を取ろうとはしていたが自分をバイドと理解してからは、やはりほかのバイドと同じく食事はとっていなかった。
「これはバイド、というか機械体のために作った試作品なんです。内部感覚器に働きかけて、電子脳に味を伝えるナノマシンのジェルといったところです。アクレギアに飲ませようと思っていたのですが、よかったらどうですか?」
 落ち着いた女性の笑みを浮かべる博士。しかし、サフィニアはその笑顔が何かをたくらんでいる表情にしか見えない。
「エリカ、やめ――」
「はい、いただきます!」
 思わずエリカをとめようとするが、その言葉はエリカの言葉にかき消された。
 伝説に近い大祭害の生き残り(かも知れない)にして、至宝の頭脳とまで言われているDr.白眉の勧めを断る理由は、エリカにはない。勢いよく椅子から立ち上がると、博士の所へと走りよっていく。サフィニアの伸ばした手は、エリカをつかむ事はなかった。
 博士の持つ盆には、カップが三つ並んでいる。ひとつはサフィニアのための紅茶だが、もう二つは少し青みがかった得体の知れない液体が注がれている。
「この青いのがそうです。見た目は無視してるんで、我慢してください。味は、大丈夫だと思いますよ。自分で試せればいいのですが」
 自分で試したことなど、一度だってあるか。危うく突っ込みそうになったサフィニアだが、ぐっと言葉を飲み込む。少なくてもエリカは乗り気なのだから、とめるべきかどうかサフィニアは迷っているのだ。その迷いは、そのまま足に伝わりアクレギアを蹴りあげる動きに。
 硬い音を立てて床に転がるアクレギアは、サスペンドから復帰する。
「何するんですか! ……えーっと、何してるんですか?」
「博士が機械体用の食べ物作ったんだって。アクレギアも飲む?」
 言いながらも、サフィニアの視線はエリカを見ている。その視線を見てアクレギアはなぜ自分が蹴られたのかを理解。サフィニアは言っているのだ、エリカだけでは何かあったときに対処できないと。アクレギアであれば、少なくても製作者がこの場所にいるだけ原因がすぐにわかる、と。
 人身御供ですか、いや機身御供でしょうか。アクレギアの嘆きは言葉にはならず、メモリのなかで揮発した。
「……博士、私もいただきます」
 のそのそと、乗り気じゃないことをアピールしながらアクレギアもまた博士の足元へと歩いていく。テーブルでいただきましょうという、博士の提案に皆がテーブルに着くとカップが配られた。サフィニアの前にはいつものとおり紅茶が入ったカップともうひとつ青い液体が入ったカップが並んだ。アクレギアはサフィニアの太ももの上に乗り、そのカップに入った青い液体を覗く。
 特に、怪しい感じはしませんが……。アクレギアはカップを取り、そのまま摂取口に青い液体を流し込んだ。
「……どう?」
「……うあ、なんですかこれ。変な感覚が」
「すごい! ほんとに味がする! 紅茶? ですよね? すごいすごい!」
 人間の記憶を転写されてるエリカには、なじみの感覚だったのか久しぶりの味覚に彼女ははしゃぐ。が、生まれてはじめての感覚にアクレギアは戸惑っているのかプルプルと体を震わせていた。
「感覚器が無理やりレンジ拡張されてるような……、ん?」
「はれ? 体が――」
 椅子から立ち上がって手をたたいていたエリカの動きが止まった。アクレギアもまた、カメラをちかちかと世話しなく点滅させている。
「ちょっと、どうしたの?」
 サフィニアはアクレギアを持ち上げるが、すでにアクレギアからの反応はなく、変りに静電気が放電するような乾いた音がした。そして、エリカもまた自分の体を見下ろすような格好のまま固まって動かない。
「博士!?」
「あー、失敗してしまいましたね。内部感覚器に強制的に偽の情報を流し込むだけですから、あってもエラーだけだと思ってたのですが。すぐに調べましょう」
 そういって、博士はエリカを抱き上げる。気絶した人間とはちがい、マネキンのように固まったエリカをゆっくりと抱き上げる博士。火の落ちた関節が、乾いた金属音を立てて軋んだ。
「え、あ、ちょっと」
 エリカを抱えて研究室へと消えていく博士の背に、サフィニアは思わず声をかける。調べるなら、アクレギアから調べたほうが早い。なぜ、という疑問は届かず扉が閉まる音に拒絶された。
 あわてて扉に駆け寄り、ノブを回す。
「鍵?」
 回転する感触は得られず、変わりに手首にはノブの硬い感触のみ。
 思わず扉から退く、サフィニア。博士の持ってきたカップ。ナノマシンジェル。扉の鍵。エリカとアクレギアの強制停止のような状況。どう贔屓目に見ても、それは博士の仕組んだ結果にしか思えない。サフィニアは、偏見だろうかと一度だけ思案するが、すぐにその考えを頭から追い出した。思考が決まれば、行動が決まる、サフィニアはじかれたようにテーブルに転がって身動きしないアクレギアを持ち上げると、慣れた手つきでアクレギアの腹に当たる部分に手を突っ込む。がちりという重たい音と共に、アクレギアの肉まんのような体がばらばらになった。
 
 床に転がったアクレギアの破片からサフィニアは電子脳を取り出し強制再起動をかけた。ただの四角い箱にしか見えないそれについていたランプがカチカチと光るのを確認して、彼女はスピーカーとカメラを直接その箱につなげなおす。床に投げ出された部品類の中央で、あぐらをかいて座るサフィニアを見上げたカメラは、チカチカと光り通電を彼女に伝える。
「聞こえる?」
『あー。あーあー。あー、おっけーです』
「状況、あとエリカのほうも」
『パイプラインのことごとくに過電流が流れました。それで強制的に回線がパージされまして。あ、そっちのワイヤシリンダは五番プラグ側です。ナノマシンジェルそのものに、無接点超超短距離送電の受信機能があったみたいですね。幸い私は、ジェルの量が少なかったんで幾つかの回線が生きてましたけど』
「無接点超超短距離送電?」
『バイドや、機械体に限らずエネルギーを使うものに装備される、熱量受信装置です』
「ああ、電池ね。んでこれはどこ?」
 そういってボルトのようなものを、サフィニアはアクレギアのカメラの前でひらひらとさせる。
『それはケミカルポーチの……そう、そっちです。エリカさんを確認しました。地下の第一研究室ですね。そこ以外はカメラ作動してますが、第一だけモニタリングシステムが完全に落とされてます。通路のカメラログに一瞬だけ博士がうつってますし間違いないでしょう』
「出して」
 言いながら今度は、外装を組み立て始めるサフィニア。答えるように彼女の目の前にALFのウィンドウがひとつ。エリカを抱き上げた博士が研究室に入る瞬間が捉えられていた。そして、博士のの顔が、
「笑ってる。……やっぱり、」
『間違いなく何かするつもりですね。しかも、邪魔できるものならしてみろという感じで。挑発されてますが、どうしますか?』
「エリカを改造するつもりかな」
『……可能性はあります』
「エリカが壊されることは無いかもしれないけど、出てきたら両手がドリルとか困るし」
 アクレギアは昔、博士に無理やり改造された。そのときは、
『両手がライフル、背面に動体センサ付のガトリングガン……10秒で大天蓋まで到達するロケットエンジン五発……思い出したくもありませんね』
「しかも、あんた暴れだすし……町まででるまえに無力化できてよかったけど」
『面目ありません』
「問題は、エリカはきっとソレを喜ぶだろうところと、そんな重武装で気にせず街中に繰り出しそうなところ。急がないと……っと、よし出来た。どう?」
 ほとんど組みあがったアクレギアの体は、花開いた花弁にも見える。肉まんもこうすれば、幾分か見れる形になるのだ。細かい配線などはほとんどなく、まるで模型の町のようにすら見える。そこに最後のパーツを差し込み、外装を閉じる。やっとのことで、アクレギアは元の姿に戻った。
 体の各部にpingを飛ばしアクレギアは自分の体を確認する。回線のほとんど全ては安全装置が働いてるため無傷で、再接続に己の無事を答える。
「あー、あ、あ、あー。もう大丈夫です、幾つか過電流で応答しないところがありますが、支障はないでしょう」
「おけー。んじゃ、いこうか」
 立ち上がり、背中から棒を一本取り出し、おもむろにアクレギアの腹にある穴に差し込む。一瞬にしてアクレギアがバラバラになった。しかしそれは、先ほどとはちがう意思のある動きに統率され、新たな形へを作り出す。くみ上げなおされたそれは、サフィニアの両腕にまとわり付、グローブのような形へ。程なくALFが彼女の目の前にひとつ現れた。そこに表示されているのは、リアルタイムでモニタされた扉の鍵のコード。
『更新タイミングは18ミリ秒です。乱数表から直接デコード処理してる余裕はないので、私はマザーに。サフィニアさんは、そのまま鍵に対してアタックをかけてください』
 声が耳元から聞こえてくる。同時、もうひとつのALFが出現。そこにはビジュアル化された研究室のインフラモデルが浮かび上がる。
「いそごう。せめてドリルは片手」
『了解。状況開始します』
 無線アクセスポイントはほとんどが抑えられ、研究所はたからみればスタンドアロンにも見える。が、実際直接アクセスするサフィニアの方法以外にも、手はある。ソレはバイドや、機械体、それ以外にもエネルギーを消費しアクションを起こすもの全てが持っているシステム。無接点超超短距離送電の受信機だ。
 ――それそのものが、情報のやり取りにも使えるわけです。
 中継ポイントを探しあて、一斉にダミー情報をもったデコイを流し込む。デコイはその時点でセキュリティプロセスに焼かれるが、そこに穴が出来た。送電エラー。情報をオリジナルツバキへ送るために一瞬開いたポートめがけてさらにデコイを流し込む。中継基地の処理能力の限界が来たところで、システムリブートを促してやれば、まるで犬が尻尾を振るように素直に中継基地のシステムは終了シーケンスへと移り始める。まず最初にKILLコマンドが投げられるのは、
 ――セキュリティシステムのシャットダウンを確認。順調ですね。
 終了するまでのタイムラグ。その一瞬の丸裸な状態を逃さずシステムに侵入。終了シーケンスの強制終了。どんなシステムにでもある、状態未保存を防ぐための終了シーケンス一時停止コマンドは当然のように受け付けられ中継基地は幾つかのプロセスを落としたものの通常起動へと戻った。エラーは何処にも届かず、通常運用を始めた中継基地の異変に誰もがきがつかない。足跡を残すわけにもいかずアクレギアは適当にデコイを振りまきログを流しはじめた。全てが終わったころには、ダミーログで埋まりアクレギアのアクセスログはどこかに消えてしまっているだろう。
『中継基地の掌握完了です。サフィニアさんは? まだですか?』
「あんたねー、10秒やそこらで鍵が開けられるなら自分で鍵あければいいじゃない」
『マザーへアクセス開始。あーパスワードも権限も割り振りなおされてますねー。めんどくさい。おけーです。こっから廊下と、第一研究室までの通路のシステムの掌握完了』
「はやいっつーの。こっちもオッケー。んじゃいくよ」
『はい、カウントお願いします』
「3、2、1、マーク!」
 サフィニアの鍵への直接のアクセスに、システムが反応を返す。中継を介したアクレギアのアクセスが、その反応に割り込みをかけた。流れるような手つきで、幾重にもかけられたロックが外れていく。誰もが惚れ惚れするような手並みではあったが、しかしそれでもDr.白眉の設計したシステムは完全に鍵穴をさらすことはなかった。
「あーくそ、また変った。鍵の変調テーブルってどうなってんのこれ、前のと変ってる?」
『変ってますねー。お手上げです。変調テーブルの逆算時間で間違いなくエリカさんの改造は終了でしょう』
「ログだして」
 返事の変わりに、鍵のコードウィンドウの隣に数字の羅列されたウィンドウがひとつ。その数字を数秒眺めたのち、サフィニアは解除コードに4294967295と打ち込んだ。
『え? あ。開いた。なぜその数字だと?』
「博士が読んでた小説のタイトル。暗号化の変調テーブルにある最初の方の数字は、その小説に出てくる数字が途中まで順番に並んでただけ。その後は全部三重乱数の変調で並び替えてただけじゃない?」
 目の前で扉が開いてく。なるほどーと、アクレギアのあきれた言葉。その言葉に押されるように、廊下が目の前に広がっていった。
 
 アクレギアを両手につけたまま、サフィニアは走り出す。何もない廊下を駆け、突き当たりの階段を飛ぶように下りる。
 重力による落下ももどかしいのか飛び降りるというよりは、下へと飛ぶ動き。もとより凡人の体である彼女の体操作では、踊り場でのターンが間に合わない。それの補佐をアクレギアが担っている。壁に手を突き出し、全体重を一点に受ける。その間にサフィニアは床をけり90度方向転換、さらに殴るように壁を押し込み90度。目の前にはまた下る階段が見えてくる。そしてまた下へととんだ。
 体は一気に最下階に到達。
 弾んだ息を隠そうともせず、制圧完了した廊下を駆け出す。足元を照らすためだけのおぼろげな光しかない廊下の突き当たり、扉が見えている。
「エリカ!」
 サフィニアは手を伸ばしながら叫ぶ。いつもなら気にならない距離が、遠く感じられる。両手にドリルをつけ、暴れまわるエリカの姿が脳裏によぎった。加速に加速を加える。悲鳴を上げてる体を無視し、扉に手を――
「あら、どうしたんですか? ニア。そんなにあわてて」
 扉は向こう側から開かれた。驚きに反応がおくれ、勢いが止まらない。博士の胸にサフィアはまるで飛び込むように突きすすむ。
「うあああ!」
 ぼふっという音と共に、運動エネルギーが一瞬にして無くなった。
「危ないですねぇ」
 博士の胸に顔をうずめながら、サフィニアは必死で息を整える。幾度か咳を繰り返し、そしてやっとの思いで博士から離れると一度大きく咳をする。
「はっ……博士。エリカは?」
「ああ、もう治りましたよ」
「じゃなくて!」
 サフィニアの声に、思わずアクレギアは戦闘用のプロセスをキック。はじかれるように、サフィニアの手から外れると、剣の柄のような形へと変形していく。鉄のぶつかる硬い音は、廊下に乱暴に投げ出され、おぼろげな光はサフィニアの顔を照らさない。
「エリカを改造したんですかってきいてるんです!」
 組みあがったアクレギアは、刃のない大剣の柄の姿でサフィニアの手に収まる。アクレギアを掴むと、鍔からひとつ突き出る激鉄をサフィニアは躊躇無く引き絞った。
 空気を焼く熱量が瞬時に発生、熱量の塊を吐き出しているアクレギアからは空薬莢がひとつ飛び出した。
「ええ、たった今、終わりましたよ」
 ――とめなければ。博士をやり過ごして、エリカの腕を落として……それから、
 それから? 思考が真っ白になる。博士の背後、真っ黒な光のない部屋の中で何か動くような気配がする。いやにゆっくりと流れる時間のなか、なぜか明かりのないその部屋の中で、エリカの顔だけがはっきりと見えた気がした。
 エリカを壊さないと。いや、壊さないにしても無力化しなければ。けど、どこを? 腕を? 足を? それとも頭か。手が鈍る。アクレギアが暴れたときはまったく躊躇なく動けたというのに。エリカを切る自分の姿が想像できない。
 床をたたく空薬莢の音がする。乾いて、まるで氷でできた刃物のほうなするどい音。その音に、サフィニアは我に帰る。
「エリカ!」
 博士の脇をすりぬけ、暗闇の部屋に飛び込む。一歩。リノリウムの床の感触。冷たく硬いその感触をたよりに、熱量の塊である剣を振りかぶる。
 剣閃をなぞるように光が部屋を塗りつぶした。あらわになった部屋の中央には、エリカが上体を起こしてコチラを見ている姿があった。
 そして、
「あ、ニアちゃん……」
「――」
 サフィニアは剣を掲げあげたまま動きを止める。
「どうしたの? ん? やだ、なにこれ」
 エリカは自分の姿をみて声をあげた。
 
「かわいーー!!」

 アクレギアの剣に照らされたエリカの姿は、
「な、なんでそんな格好してんの……」
「いやーん、かわいすぎる!」
 メイド服だった。


 生も根も尽き果てた。机に突っ伏し、サフィニアは窓の外を眺めている。片頬をテーブルに押しあて、ふてくされた顔をさらにゆがめ、背後で上がる黄色い声を聞いていた。
「いいですねぇ。エリカさん、似合ってますよ。お嬢様なのに、使用人の格好! すばらしい! これはもうデータを保存するしかありません」
 嫌がるアクレギアを持ち上げ、メイド服を着たままくるくる回るエリカを博士は追いかける。時折、アクレギアの目がちかちか光っているのは、光学情報記録の合図だ。いわばカメラである。
「博士、まずいですよ。エリカさんのお父さんに知られたら」
「問題ありません! このかわいさを見れば、きっとわかってもらえます!」
 スイッチの入った博士に、アクレギアの言葉は届かない。
「サフィニアさんもなんかいってくださいよ!」
「そんなにやりたいなら、アクレギアを女機械体に作ればよかったじゃないですか」
 ずりずりと、顔だけ振り返ったサフィニアがつぶやく。
「うちには、お嬢様という要素はないですから!」
 深いため息をつき、サフィニアは目を閉じる。まぁ、エリカが喜んでいるならそれでいいかもしれない。彼女の背後の窓からは、大きく口を開けた空の穴が顔を覗かせている。
 ――あんなのが、隻腕の式術師なわけがない。
 ため息は、博士とエリカの嬌声にかき消された。



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