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 誰かが泣いていた。
 しゃくりあげるような、声を押し殺す泣き方に思わず胸が苦しくなる。泣き声の主を探そうと、目を開こうとしてみるが目は開かなかった。ただ泣き声だけが聞こえている。
 子供の泣き声だ。それもまだ生まれて二千日もたってないような幼い子供の泣き声だ。だというのにもかかわらず、必死で己の声を押しとどめようとしていた。
 一体だれが、こんな幼い子にこのような状況に追い込んだのか、あるいはそうせざるを得ない状況にさせたのか。
 誰かが泣いている。
 鼻の奥がツンとなる。声を押しとどめたせいか喉が擦り切れたような痛みを訴える。肺が痛い。心が――そこまで考えて、気がつく。
 ああ、自分が泣いているのだ。


 突然の衝撃に、アクレギアは驚きながらもシステムに忠実な反応を示した。状況把握など二の次で、とにかく己の体を安定させるために四肢を突き出し、重力方向へと伸ばす。同時に、閉じられていた神経回路を片っ端から開き、関節を一気にサスペンドから弛緩モードへと切り替えた。
 衝撃。
 四肢が土を掴む感触。肉まんのような胴体が地面にぶつかりそうになるまえに、一気に薬物信号で関節に火を入れなおす。衝撃を押さえ込み、体が水平に安定。そうしてやっと彼は状況を確認する。
「な、なにするんですか!」
 アクレギアの目の前には、足を振り上げたサフィニア。舞い上がる土煙。探偵じゃなくても、誰がどうしたのかなんて自明の理だった。
「うるさい! こっちが練習してんのに、グースカねてたくせに!」
 内蔵時計を確認。毎朝行っているトレーニングの時間なのを確認して、彼はしまったとメモリの中に吐き捨てると、言い訳を考えようとカメラをそらした。
「いやまぁ、その……。ほら私、やることありませんし」
 あぁん? といった具合の表情のサフィニア。生来の悪い目つきも手伝い、メンチを切ると、いまだ成人もしてない女の子には見えない。額には青筋がたっているようにすら見える。大人も真っ青の迫力だ。
「それはあんたが、オンボロの旧式バイドだからでしょ」
 式術を行使する補佐を行い、術者の相棒でもある機械、バイド――正式名称を無座式式術砲。アクレギアの場合、四足なので多脚無座式式術砲となる――には基本的に式術を行使するために、それにあった形状に変形する機能が備わっている。本来、バイドのオペレートで自動変形するのだが、それを手動制御でする訓練のため、アクレギアの助けはない。
「私のオペレートがなくても扱えるようにという訓練なのに、なぜボロとか言われなきゃいけないんですか! だいたい、さっき完全サスペンドにはいってましたよ! また間違えたでしょう」
「うっ、ちょっと手順間違えただけじゃん。ボロはボロじゃんか!」
「何ですかその理論! これだから生物脳は……。それに私はサフィニアさんより若いんですからね、そこんとこ忘れないでください。ほらこのツルツルのお肌!」
 いいながら、アクレギアは胴体をサフィニアに見せ付けるように体を振る。
 体を振ることに一生懸命だったので、プチンというサフィニアの堪忍袋の緒が切れる音がきこえなかったし、無音で近づいてくる彼女の手にも気がつかなかった。
「ほーらほーぉ……ぎゃああああああ!」
「……」
 おもむろに持ち上げたアクレギアを、彼女は地面にこすり付けはじめる。雑草が生えているが、下は土だけではなく、小石などが含まれた土地。こするたびに、ガキとかゴキとかいう硬いものが当たる音が聞こえる。
「ああぁぁぁ、やめて! やめてください! や、やめっ。あ、あぁぁぁぁ」
 遠く地平線の向こう、崩れた歯車がそびえ立っていた。空には朝だというのにぽっかりと黒い穴が口をあけている。その暗闇の向こう、星が瞬いていた。
 叫ぶアクレギアの声は風に乗り、木造の家からひょっこりと顔をだした博士が相変わらずの二人をみて、ため息をつく。
 世界はおおむね平和であった。

 太陽が空に開いた穴に姿を隠した。ちょうど昼過ぎといった時間だろうか。空気清浄機が吐き出す独特の消毒臭と埃にまみれた研究室で、サフィニアはため息をひとつ。遅々として進まない研究はいつもどおりとはいえ、いや、いつもどおりだからこそやる気が無くなる。彼女の目の前にはALF(空中放射誘導放出光ディスプレイ)のウィンドウが幾つも空中に踊っていた。その数字の羅列はいつもどおりの失敗しか表してなく、だからこそため息を吐き出す。

 部屋の中はALFの照り返しでおぼろげな輪郭だけを残し、後は闇に溶けている。そんな中、白を貴重としたボディのアクレギアが体中に配線をくわえ込み、せわしなくカメラアイを光らせていた。
「ねー、さっき来たお客さんって誰?」
 ややあってアクレギアはカメラアイの明滅をとめた。
「さぁ? 見てみますか? 音は拾えないですがカメラはあるんで侵入できますよ」
「んー」
 背もたれに体を預けサフィニアは、手を横になぐ。その動きにあわせて開いていたウィンドウが一斉に消えていく。一瞬の静寂と暗闇。そしてその闇を切り裂くように大き目のウィンドウがひとつ現れた。
「……なにこの、おっさん?」
 ディスプレイには、博士と四十半ばぐらいの男性がテーブルを挟んで向かい合っている姿が映し出されていた。神経質そうに体を揺らしながら、なにやら言葉をつむいでいるものの、相対する博士の様子は至って平静、それどころか冷ややかにすら見えた。
「あ、ばれた」
 アクレギアのつぶやきと同時。博士の視線がディスプレイごしに二人を射抜いた。
「あーあ……」
 怒られるだろう未来に思わずもれる言葉。
 が、博士は薄く笑うとカメラにむかって指をまげた。来いといってる。薄暗い部屋でサフィニアとアクレギアは目を合わせて首をかしげた。


 あの人に、気持ちを伝えた。本当の気持ちを。
 それをきいたあの人は、驚いたように目を丸くして、そして笑いながら――
 
 林の中を走っている人影は、まるでそうしなければ走れないと言う様に、何度も倒れ、そして起き上がる。足がもつれているのか、道が不慣れなのか、それともなにか別の理由があるのか。とにかく彼女はまるで己の体が己ではないといわんばかりに倒れ、そして立ち上がり、また走り出す。
 お金持ちの令嬢といった風体ではあったが、すでに草木の枝葉に服を引きちぎられ、それは落ち延びた悲劇の姫といった様でもある。日の差さないうっそうと茂った林のなか、彼女は草を掻き分け、枝をへし折りながら逃げるように行く。
 ――誰も自分のことなんて、必要としてくれない。
 悔しさよりも寂しさに息が詰まる。走り続けた疲労よりも、走り続けても意味が無いという現実に力が抜ける。家にいる使用人はいつものように冷たい視線を向け、話しかけてもすぐに逃げ出す。自分をまるで気持ちの悪い何かを見るようにしかみず、食事すら稀にしか運ばれてこない。父はそんなこと知らないだろうが、もとより自分になんて興味の無い人間なのだから、知るすべも無い。誰も自分を必要となんてしていない。
 その思いは日に日に強くなり、彼女の孤独感をことさらに煽る。そして、自分を必要としていない世界から逃げ出そうと、彼女は自分の思いを打ち明けたのだ。死ぬまで黙っているつもりだったその秘密を。


「どうかよろしくお願いします!」
 勢いよく頭をさげ、テーブルに額を打ち付けた男はそのまま微動だにしなくなった。
 あまりのテンションにサフィニアは引きつった笑いで一歩退く。
「覗き見の罰です。ニア」
 腕を組んだまま博士はつぶやく。
 男は、人探しを頼みに来た近くの町の住民だった。サフィニアたちが住んでいる家から一番近くの町、その町の住民からたびたびこうした依頼を受けては、
「報酬は、幾らでもお支払いしますから! お願いします! 私の娘を! エリカを!」
 報酬をもらっている。そのほとんどは、地下にある研究施設の設備維持や増設費用となって消えるので、サフィニアにうまい話ではまったくない。
「……わかりました」
 男と博士にむかってサフィニアはつぶやく。それが、たとえどれだけうまい話ではなくても、彼女は受けざるを得ない理由がある。それは、彼女が物事を断るのが苦手だからというわけではなく、食事にありつけるかどうかという切実な理由からだ。
「帰ってきたら、お昼にしましょう」
 博士の言葉に、サフィニアは目をしかめながらうなずいた。
「ありがとうございます! 外に、私のバイドを待たせてます。娘の写真はバイドの中に」
 そういって男は勢いよく立ち上がる。いやに腰の低い男だ、と思っていたが身なりは平民のソレではなく富豪然とした服をきていた。何処にでもいるおっさんの顔に、高級な服はまったく似合っておらず、思わずサフィニアは顔をそらし笑いをこらえた。きっと、泡銭で手に入れた地位なのだろう、彼の存在そのものがそれを物語っていた。

「おわ」
 サフィニアは、男の後につき外に出て声を上げた。彼女の足元でアクレギアも驚いてひっくり返ってる。
 外で待っていた富豪のバイドは珍しい人間型、しかもメイド姿という、あまりにもあまりなモノだった。
「これまた……すごい趣むぐ」
 サフィニアの口を、あわててアクレギアがふさぐ。
「ははは、趣味ではないんです。使用人一人を五年雇うよりは安いですから。人型バイドでしたら、お金を払う必要はないですし、メンテ費用を考えても安上がりなんです」
 人型バイドの肌の色が鉄色だろうが赤だろうが、肌を露出していない服を着てしまえば遠目からは区別がつかないほど人間そっくりにできている。
 人形バイドのシルエットは人間そっくりにできており、近寄らなければ区別がつきづらい。紹介された人型バイドは、優雅に一礼。
「でも、第三級以上の電子脳は人権が発生するから給料が必要なんじゃ……」
「そうですが、こいつは第四級です。それでも十分役にたってくれていますよ」
 そんなもんかと、少し納得のいかない顔をするサフィニア。第四級の電子脳は人権が発生しない。それは、精神と呼べる代物が存在しない程度のものだからである。つまり、こんなきれいに礼をしたりはできない、そんな先入観があるからだ。
 サフィニアは言葉にできないもやもやを抱えながら、アクレギアを抱えあげると人型バイドにむかって差し出した。カチカチとアクレギアの目が明滅する。情報をやり取りしているのだろう。
「……はい、完了です。これは……」
「私の大事な娘なんです。よろしくお願いします」
 男が勢いよく頭を下げた。きっと大事にされているのだろうな、とサフィニアは思う。少しだけ、胸の奥の辺りが傷んだ。


 倒れこみ、土のにおいが鼻につんと突き刺さる。あまりなじみの無いその匂いに、彼女は一瞬顔をしかめるとゆっくりと立ち上がろうとして、
 腕を滑らせ倒れた。
 このまま朽ち果てるのもいいかもしれない。そんな思いに、薄い笑いを浮かべたまま彼女は土の上に横になる。
 ――あの人も、私を必要としてくれなかった。
 出会いは、自宅の大きな玄関だった。荷物を運ぶ運送業をしている彼をはじめてみたときから、気になっていた。何度か出会ううちに、彼といくらか会話をするようになった。家では誰とも話さなかった、だからこそ彼との会話は大事なものだったし、唯一の慰めだった。
 だから、その人が心の中で大半を占めるようになるのには、たいして時間もかからなかった。
 誰にも言わず、伝えるつもりはなかった。使用人たちが、自分のことを不良品扱いしてる会話を聞くまでは。「お嬢様は人形だし」確かに感情を表に出すのは苦手だったが、まさかそこまで揶揄されてるとは思いもよらなかった。そして耐え切れず己の想いにすがり、そして気持ちを伝えた。本当の気持ちを。
 それを聞いたあの人は、驚いたように目を丸くして、そして笑いながら言った。
『はははは、面白いな君は。びっくりしたよ、誰に教えられた冗談だい?』
 多分その瞬間、彼女は世界からも否定されたのだ。


「どうせ、近くの林でしょ。街中だったらすぐに見つかってるだろうし」
 アクレギアの出力するALFには依頼者の娘が映し出されている。ソレを見ながらサフィニアはつまらなそうにつぶやいた。
「でしょうね。どうします? 飛んだら間違いなく見落としますよ」
「……走る」
 そういってサフィニアはアクレギアを持ち上げた。
 おもむろにいつも背中に刺している棒を抜き放つと、アクレギアの腹の辺りに開いている穴に突き刺した。
「増感視界と、脚力増幅で」
「了解」
 解けるようにアクレギアの体が分かれていく。いくつかのパーツがサフィニアの目を覆い。残りは、全て足に装甲のようにまとわりついた。
『右脚部ping、全帰着。左脚部ping、全帰着。増感用バイザー駆動確認。いつでもどうぞ』
 イヤホンからアクレギアの声。その声にサフィニアは無言でうなずくと前傾姿勢をとり、息を大きく吸った。
『黙過・懸隔の水浅葱』
 彼女の言葉に、三つの式陣が出現。同時、両足から式弾の空薬莢が排出される。それは乾いた音をたてて地面に転がった。
『カウント行きます。三・二・一。マーク!』
 アクレギアの合図と共に、サフィニアは足を踏み出す。増感された視界のなか、背後で驚いてメイドに寄りかかっていた男の姿が、一瞬にして小さくなった。

 風は感じない。足からくるはずの衝撃も感じていない。その全ては簡易催眠でパージされ意識しても感じることはできない。あるのは、鼓動とほとんど三六〇度にちかい増感された視界だけ。
『十時方向。林が見えてきましたよ』
 言われて視線をやりソレを確認し、体をそちらに向ける。昼過ぎだというのに林の中は薄暗く、増感された視界の中でも闇を湛えている。
 あの先に、あの男の娘がいる。サフィニアは足に一度力をこめると速度を落とす。
 吸い込んだ空気は湿気ていて、肺の中でぐるりと淀んだ。
 ゆっくりと速度は落ちていきサフィニアはそのまま林の入り口で立ち止まる。
『これはまた……』
「すごいね、逃走というよりは追跡みたい」
 つぶやいた彼女の前には、一本の道があった。それは、はじめからある道ではなく、草木を分け枝葉を落としてできた道だ。まったく追跡のことを考えていないようなその逃げっぷりに、思わずサフィニア達は苦笑する。
「増感視界は解除。使う必要なかったな……とりあえず走って追いかけよう」
 声には出さずに、バイザーをはずしてソレに答えるアクレギア。元に戻った視界に、サフィニアは一度頭を振ると深呼吸をした。
「あー、増感視界ってほんと気持ち悪い……。昼ごはんいらないかも」
 いいながらも、彼女は逃亡者のつけた道にそって走り出した。
 
 強化した脚力が踏み込む足音は、人間のそれではなくまるで巨大生物が走ってくるような轟音だ。しかも容赦なく踏み込む地面には、枯れて倒れた木や岩などが転がっている。それらが足で粉砕され、足音だけではすまないような音が響く。
『もう少しおしとやかになりませんかね』
 アクレギアがあきれたようにつぶやいた。
「おしとやかにしたら、お昼ご飯食べれる?」
『食事は無理でも、言い寄ってくる男性ぐらいなら』
「食人の趣味はないの」
 いかんともしがたい返答にアクレギアはそれ以上何も言わず、プライベートメモリにため息をこぼした。サフィニアは誰にも依存しない。彼女は、誰からも世界からも望まれずに生まれたから。それでも初めてあったころよりも、ずいぶんとましになったとアクレギアは思う。だからこそ、そろそろ好きな人の一人でもと考えてしまうのは尚早なのだろうか。
 それとも自分が親父くさい考えをしてるのだろうか。第一級の電子脳は悩む。悩んだところで答えは出ないのだけど。


「お嬢様は死んじゃったし」
 死んでしまえばいいのに。そう聞こえた。
 フられて帰った屋敷で聞いた最初の言葉に、気がつけば彼女は走り出した。いくあてはなく、どこか遠いところへという思いだけで林へと足は向かい、そのまま夜通し寝ずに走り続けていた。
 誰にも必要とされず、それどころか死ねとまでいわれた。現実から否定された気がした。それがあまりにも怖くて、その恐怖から逃げられると信じて走り続けていた。
 そしてそれが無駄だと知った。
 汚れることも気にせず、地面に倒れこみ、空を見上げている。木々に覆われた空の上、それでもぽっかりとあいた穴が見えていた。
 このまま朽ち果てるのも悪くない。もう誰も自分を必要となんてしていないし、いなくなっても誰も何も思わないだろう。
 自暴自棄な心は、体中から力を奪っていく。
 もう自分はいらない。世界中から見捨てられた。その思いだけが頭の中をぐるぐると回り、それ以上のことは考えられない。
 ――もう、どうでもいい。
 死神が来るなら、来ればいい。死神が自分のことを必要としてくれたら、それはそれで良いかもしれない。彼女は空を見上げる。そして、空に穴が開いた事件を思い出した。そういえば、大祭害ディグ・ザ・スカイを祭った星流祭がもうすぐだ。どうせ一緒に行く人もいなければ、楽しむ気力もない。どうでもいい。あの大祭害の日、空から降り立った死神は自分のところへ来てくれるだろうか。真っ黒な服を着て、真っ黒な髪をなびかせ真っ黒な目で世界を見る黒尽くめの死神が――
 やってきたのは、爆撃音のような巨大な何かの近づく音だった。
 驚きに彼女は上体を起こすが、音は遠くから来るのか音の出所はわからない。だんだんと近づいてくるその音に、恐怖を覚えたのか思わず彼女は立ち上がる。
「な、なに? 死神?」
 そしてそのつぶやきに答えるように、
「みつけたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 爆音すら切り裂く叫び声。そして、黒ではなく真紅の影が躍り目の前に墜落した。
 土煙というよりは土の津波のようなものが収まった向こう、赤い色がゆれる。
「あなた、エリカさん?」
 そして彼女は自分の名前を呼ばれ、腰を抜かした。
 

 元の形に戻ったアクレギアの出力するALFにうつる写真を見ながら、サフィニアはめんどくさそうに眉をしかめた。
「ほっといてください! どうせ私なんか!」
 目の前では地面に座り込み、かたくなにその場を動こうとしないエリカと呼ばれる依頼主の娘がいる。
「私なんて、誰にも必要とされてないんだから!」
 その言葉に、ピクリとサフィニアは動きを止めた。
「もしそうなら、何であなたのお父さんが私のところに来るわけ?」
 引きつった笑みを浮かべながら、サフィニアはそれでも何とか言葉をつむぎだす。
「父なんて、どうせ体面しかきにしてないのよ! 娘がいなくなったことで自分に悪いうわさが立たないか心配なだけなのよ!」
 ぴくぴくと痙攣する笑みを浮かべるサフィニア。なき叫ぶエリカに、サフィニアの我慢の限界がやってくる。
「うるさい! あんたの都合なんてしらない! さっさと立て! そして家に帰れ!」
 ため息をついたのはアクレギア。サフィニアの剣幕に、肩を震わせるエリカ。しかし、それでも、地面からは立とうともしなかった。
「私は必要となんてされてない! 使用人だって私が早く死ねばいいんだって言ってた! そうよ、死んだほうがまし! 誰にも必要とされな――」
 言葉は最後まで吐き出せなかった。
 襟首をつかみあげられ、無理やり吊り上げられたのだ。咳すら出ず、エリカは思わず自分の襟首をつかむサフィニアを見る。
「!」
 そして、驚愕した。
 そこにいたのは、先ほどまで怒鳴り散らしていた活発な少女のソレではなく、
 まっさらで何もない、本当に何もない無表情で自分を見上げる、『何か』だった。
「そう、よかったじゃない」
 そしてそれは、つぶやいた。感情もこもらず、非人間的な響きでもなく、かといってその声が人間だとは信じられない、何もない声色でつぶやいた。
 
「私は、死ぬことすら望まれなかった」

「サフィニアさん!」
 肩口で叫ばれた名前に、サフィニアは我に返り手を離す。
 どさりとしりもちをついたエリカはもう何も言う気力もないのか、がっくりとうなだれたまま、何も言わなかった。サフィニアは一度気持ちを落ち着けるために大きく深呼吸をする。
 寒期前だというのに湿気た空気が肺を満たした。
「さぁ、帰りましょう。あなたのお父さんがまってる」
 観念したのか、サフィニアの手をとるエリカ。それをみて安心したのか、サフィニアが歩き出そうとすると、ぐいと手を引き返された。
「でも、私は戻っても居場所なんて……食事も出してもらえない家にかえっても」
「え? なにいってんの?」
 思わずサフィニアは、振り返る。そして、目の前でうなだれるエリカの姿をみて、
「だって、あなたバイドなんだから食事いらないでしょ?」
 そうつぶやいた。


 結局無理やり引っ張ってエリカを依頼主に引き渡した。
 晴れて昼飯にありつけたサフィニアは、そのまま何も言わず自室に戻って寝息を立てている。
「おつかれさまです」
 博士が、サフィニアの様子を見に行ってきたアクレギアに声をかける。木造の家の小さな窓からは、空に開いた穴が見えている。まるで切り取ったようなその風景をみあげながら、アクレギアは外部スピーカーをマウント。
「予想通り、亡くなられた娘さんの記憶の違法コピーされたバイドです」
「そうですか。ま、大丈夫でしょう」
「そうなんですか? いきなり自分が人間じゃないって言われて、心が――」
 どこか自分を重ねているのだろうか、心配そうにつぶやくアクレギア。
「あの子の電子脳は第二級。自分が何者かちゃんと理解し、ちゃんと自分を見つめることができるものです。子供のころから、動物のように育てられた人間だって人として生活できるようになるのですから、何の問題もありません。心配しすぎです」
 それと。そう博士は付け加える。
「はい、間違いなく生命倫理研究所です」
 生命倫理研究所。サフィニアの生まれた場所。
「お疲れ様、アクレギア。あなたも戻っていいですよ。少し用事ができたんで、出かけてきます。留守番おねがいしますね」
 真っ白の髪の毛と、真っ白な肌。白衣をきた博士の姿は、あの死神と対極にある姿のようにも見える。
「まさか、生命倫理研究所に?」
「読みが甘すぎますね、アクレギア。報酬を受け取りに行くついでにちょっとお願いに」
 博士は、笑いながらそういうと家を出て行った。きしむ扉の音だけが誰もいなくなった部屋に響いた。


 真っ青な空に真っ黒な穴。地平線の向こう側には崩れて動かない巨大な歯車が聳え立っている。
「うるさいな! 朝っぱらから邪魔しないでよ!」
「ひどい。何もいってないじゃない」
「あーもー、やめてくださいよ。博士に怒られますよ」
 いつもは二人のやり取りに一人加わっていた。
「もうさー、ニアちゃん私のマスターになりなよ」
「……いいかも」
「ええぇぇぇ! ちょっと!」
「だって、エリカの家お金持ちだし」
「そんなぁぁ! ほら、幼馴染補正とかないんですか? つーか、電子脳の能力的には勝ってますよ?」
 あの後、エリカはちょくちょくとサフィニアのところに来るようになった。相変わらず屋敷の使用人はエリカの存在には慣れてないらしいが、それももう気にならないとエリカは笑う。
「なによアクレギアは、博士のバイドにでもなってればいいじゃない」
「ええええぇぇぇ、いやですよ! あの人本物の式術師じゃないですか! バイドなんか無くても式術使う人間の下なんて、バイドの存在意義が!」
「え? 博士って式術師なの? さすがDr.白眉。後でサインもらおっかなー」
「大祭害のときも生きてたっていいますからね。ホントかどうか知らないですけど」
「ああ、もううるさーーーい!」
 サフィニアの叫び声がこだまする。何処までも広がってるように見える草原に、ぽつりと木造の小屋がひとつ。道が細く長く、遠くへ伸びていてその先には町並みが見えていた。ほんの少しだけ、遠く戦場から上がる煙が薄くなっている気がする。
 にぎやかな三人組を窓からながめ、博士はカップに口をつけた。懐かしい紅茶の味。空に開いた穴の向こう、星空が顔を覗かせている。


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