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・テーマ「眠り」

 空に大きな穴が開いている。
 それは朝だというのに真っ黒で、まるで大きな口が世界を飲み込もうとしているかのようだ。だけどその遠く真っ黒な闇の向こうに、星が瞬いていた。
 それは、多分せめてもの救いなのだ。

 彼は、自分のすぐそばで空を見上ている少女の姿を見る。きっと彼女には、あの星の瞬きは見えていない。表情からはわからないけれど、それでもそうだと彼は思う。
 きっと彼女が見ているのは、あの真っ黒な空に開いた穴よりも深く暗い、試験管の蓋だろう。誰一人からも望まれず生れ落ちた彼女は、じっと空を見上げる。世界に恨み言を吐くわけでもなく、己を産み落としたもの達を呪おうともせず、ただじっと全てを受け止め空を見上げている。
 その表情はどこまでも澄んでいて冷たい印象も与えない、何もない本当の無表情。混ざり物なしの純水のような、どこまでもフラットな表情だった。
 遠く地平がかすんでいる。この辺りにもゆっくりと戦火は近づいてきていて、そのことを伝えるかのように空は煙り、地平はかすむ。
 まるでそれは、侵入者の存在を伝える狼煙のようだ。

「アクレギア、おなか減った」
 台無しである。
 じっと空を見上げていた少女が、そばに座り込んでいる鉄の塊に腹具合を伝える。彼女の言葉に彼は抗議するように視線を送ると、小さく咳をして軽くかぶりをふった。
 わかりにくく言えば、光学センサのいくつかを彼女に対して焦点し、外部スピーカーをマウント、物思いにふけっていた思考をメモリから追い出すと音響センサなどのアクティブセンサのいくつかに火を入れて、軽く辺りをクロスチェックした。
「朝の練習をサボったんですから、博士にどやされるのぐらい覚悟してるんでしょうね?」
「……そこを何とか」

「ログは、私の権限じゃいじれませんって。そんなの判りきってることじゃないですか。練習するか、博士のつくった防壁を突破するか、どっちが楽だと……」
「あーー! もう! いいじゃん! けち!」
 そんな大声を出したら、博士に居所がバレますよ。それより、ケチって……そう思った矢先、彼に搭載されている幾つかのセンサが悲鳴を上げた。センサが一瞬で振り切れた。その元凶は、
 足元。
「サフィニアさん、し――
 下です。最後まで言葉を叫べずに、声をかき消したのは爆音。同時に足元から見なくても、聞かなくてもわかる、とてもわかりやすい圧力がやってくる。
 衝撃。
「きゃあああああああ!」
 サフィニアの叫び声。アクレギアの自慢である四肢が、爆風に煽られそのまま彼は空に舞う。もとより、肉まんのような胴体に短い四足をつけたような体の彼だから、舞うというよりは飛ぶ。まるで巻き添いを食らったとばかりに不満そうな顔をして、彼の近くをサフィニアが上下逆になりながら吹き飛んでいく。
 あなたの所為でしょうが! そう叫びたいが爆風に飛ばされ何もいえないアクレギア。そして、もとより目つきの悪い目で彼を睨みながら、ウェーブのかかった赤毛を空に舞わせているサフィニア。研究所から発生した爆発は屋根を突き破り二人を吹き飛ばした。日常茶飯事な凶事に、アクレギアはそっとため息をひとつ。声にもならないため息は爆風にかき消された。
 遠く地平が煙っていた。まっ平らな世界を覆う青い空は、真ん中からぽっかりと穴が開いていて、肌を掠める風は寒期を告げるように乾き冷たい。空に開いた穴の向こう、小さな星が瞬いていた。地平の遠く、さらに遠く空と大地が溶け合うそのもっと先、遠近法すら無視した絶対的な大きさで、
 崩れ役目を終えた歯車が聳え立っている。


 やる事をやらなければ、欲しい物は手に入らない。己の皿には何も乗っておらず、コップには幾ばくかの水が入っているのみ。対して、目の前にはおいしそうに湯気を立てている目玉焼きと焼き立てのパン。それとコップには、サフィニアの好物であるフルーツジュース。義務と権利の基本関係を目の前でこれでもかと言うほどに見せつけられ、サフィニアはこぶしを握り締めている。
「トレーニングはいいです。そんなことのために私は怒ってるわけじゃありません」
 真っ白な肩の下まで伸びた髪の毛と、女性なら誰もが羨むほどの真っ白な肌、唯一の色彩は真っ赤な目。アルビノと呼ばれる生まれつき色素を持たない遺伝疾患をもった己の教師であり育ての親である女博士の言葉を、サフィニアは無言で聞いていた。ここで、「じゃぁどうして怒っているのか」と聞いてしまえば、火を見るより明らかな結末しかなく、彼女の足元で犬のように丸くなっているアクレギアもそれを知って何も言わずじっとしていた。
「何度も言っていますが、ニア、あなたの考え方は――」
 くどくどくど。相変わらずな博士の説教に、反省など何処吹く風なサフィニアは足元に転がる、物心ついたころからともにいる相棒に蹴りを加える。
 腹が減ったの合図である。もとより年齢設定は大人なアクレギアであるからして、そんなサフィニアのちょっかいにも動じずじっと床にうずくまっているばかりではあった。
 種明かしをすれば、彼は己の創造主たる博士の言葉を聴くに絶えず、センサというセンサを全てサスペンドし、回線もカットしていた。スタンドアロンといえば聞こえはいいが、実のところ己の殻に閉じこもって出てこない引きこもり状態である。
「大体ですね、あなたのレポートはいつも――」
 反応のない足元の鉄塊。ソートの仕方があまりにもセンスがありません。空腹による腹痛。ですから、状況という系に対してソートしなければならない。うんともすんとも言わないアクレギア。そもそも整理というものは。目の前の真っ白な皿がさらに空腹を煽る。観測条件があやふやな場合は、まずその。目の前には焼きたてのトースト。
「博士」
「条件下でならです。ですから――。なんです?」
「さっき、空まで飛ばされたときに配達の人が見えました。そろそろ到着するころじゃないかと、思うんですが」
「! ……なるほど。それは待たせるわけにはいかないですね。ニア、話はまだですから勝手に部屋に戻らないように」
「はーい」
 それだけ言うと、博士はそそくさと天井のなくなった部屋を後にする。閉まる扉を見ながら、サフィニアは口元に笑いを浮かべながら手を振り見送った。
「話おわりました? あれ? 博士は?」
 二十五分。いつもの時間にきっかりとセンサーに火をいれ目を開けたアクレギアは、サフィニアの足元からゆっくりと滑り出す。
「また閉じこもってたでしょ! もー、私一人にするなんて酷い。今日は、オイル抜き」
「え、えぇぇぇ! そんな!」
「博士は、荷物とりにいったよ」
 テーブルの向かい側に並ぶ焼きたてのトーストに手を伸ばしながらサフィニアが言う。
「荷物? そりゃまたなんで。ここで受け取ればいいじゃないですか」
「大事な荷物が今日は届くから。昨日からそわそわしてたし」
「ああ、アレですか」
「……そう、アレ」
 思い出してサフィニアは重いため息をひとつ。生まれつき目つきの悪い彼女の目がめんどくさそうに細められる。
「前回のは傑作でしたね! ぎゃ!」
 足元の鉄の塊をキック。重苦しい音を立てて木造の床をアクレギアが転がる。トラウマになりかけてる過去を思い出して、さらに彼女の目つきは悪くなった。
 間違いなく博士のゆがんだ性癖だというのはわかっている。博士は子供のころずっと入院を繰り返し、女の子らしい遊びをしてこなかったという。そんな過去を差し引いても、サフィニアには納得がいかない。あれはそういう幼少時の反動なんかじゃなく、生まれ持った変態性に違いないのだ。
「ひどいなぁ。大体、服ぐらいいいじゃないですか。私は服なんて着ないですけど」
「よふなひ!」
 トーストを加えながらサフィニアは叫ぶ。かわいい服なら自分もほしい。着て似合う自信はなくても、着てみたい。そこはやはり女としていわば体に刻まれている欲望だ。だが、博士の着せてくる服はそういった類のものではなかった。
「大体、あんなの部屋で着るものじゃないでしょ!」
「じゃぁ何処で着るんです?」
「……プールとか?」
「本当に着るんですか?」
「う」
 紺色のダサい水着。博士はスクール水着だといっていた。胸の辺りには白いゼッケンが張られていて、そこに「ニア」とかわいらしい丸文字で書かれている代物だった。
 ――ダサすぎる。
 しかも朝起きたらその格好だったのだ。布団の中で水着。まさにありえない状況に、サフィニアは数分意識を失った。そんな変態趣味の服が、今日も届くらしい。どうやって博士の魔の手から逃れるかは別として、とにかく現状から逃げ出すことしかサフィニアには頭になかった。どうせ起きている間は着替えさせることなど不可能なのだから、その後のことは後で考えればいい。
 彼女はくわえていたトーストを飲み込み、続いて怒りに任せ目玉焼きを「飲み込む」と、フルーツジュースで一気に流し込んだ。当然のことながら軽く咽る。
「ごほっ。アクレギア。いこ、どうせここにいなければ、しばらく届いた服眺めてるだろうし」
 その意見には賛成なのかアクレギアは何も言わず、席を立つサフィニアの後ろについて行く。ふと、テーブルに新しくきた服を広げ怪しい笑いを浮かべる博士を思い浮かべ、アクレギアはぷるぷると震えた。
「あ、れ? なんだろ、目の前が……やば、これ」
 いきなりサフィニアは立ち止まると、ふらふらと壁に手を着く。
「サフィニアさん?」
「しまった、先手打たれてた。くそ変態博士め……」
 そこまでいって彼女はぱたりと床に倒れこむ。
「わぁぁぁぁ、サフィニアさん? どうしたんですか!? って寝てるし」
 目の前で倒れたサフィニアに駆け寄るアクレギア。だが、彼女の眠りは睡眠の眠りではなく、
「麻酔、これは……ケタミンですか。経口摂取なんて危ない真似を」
「ピンポン。あたりー」
 のんきな声が扉のほうから聞こえてきた。アクレギアはため息混じりにカメラをそちらに向ける。白衣に真っ白な髪。抱えるようにして持っている箱には、博士御用達の衣装屋のロゴが刻まれている。
「まぁ、経口摂取といってもバターにちょっと混ぜただけですし、起きたときに少し気分が悪いだけですよ。問題ありません。ニアぐらいの若さなら臨死体験様作用もないでしょう。若いっていいですね」
 あなたの見た目も相当若いです。それと薬の効果は年齢ではなくて体質のほうが要因になりやすいです。アクレギアは突っ込みをプライベートメモリの中に吐き捨てる。とはいえ、彼も博士の本当の年齢は知らない。確か空に穴が開いたあの忌々しい事件の時には生きてたというのだから、軽く百歳は越えているのだろうが。
「起きたとき、また暴れますよ?」
「大丈夫ですよ。お説教中に勝手に人の食事を食べて勝手に倒れたのですから、文句言われる筋合いはありません。この程度の罠に引っかかっているようじゃ、まだまだですね」
「罠って自分で言ってるじゃないですか」
 アクレギアの言葉を聞き流し博士は楽しそうに、倒れているサフィニアの体を抱え上げる。その顔は、心底うれしそうな顔だった。あまりにもうれしそうな顔に、アクレギアは何も言えずじっとサフィニアが服を着せ替えられて行く姿を眺めるほかなかった。
 食器を片付けたテーブルに、裸に剥かれたサフィニア。ケタミンの麻酔作用は体の表層に強く出るため、触る程度のことでは彼女は起きない。内臓をこねくり回せば痛みで目を覚ますかもしれないが、そんなことしたらただではすまないだろうな、とアクレギアはなにも言わないずカメラアイを伏せる。
 でもきっと、サフィニアが起きたら自分も被害にあうだろう。そそくさと彼は部屋を後にすると、地下にある対爆仕様の研究室にもどっていった。


 数時間後。轟音とともに叫び声が、アクレギアの聴覚センサに聞こえてきた。
「なんじゃこりゃああああああああ!」
 ノイズカットしながら彼は暗闇で丸くなって二人のやり取りを聞く。
「由緒正しい、鎧ビキニです!」
「見せるのか、守るのか!」
 ずいぶんと冷静な突っ込みですねぇ。スピーカーをマウントしていないアクレギアは声を出して笑わない。変わりに彼はメモリ領域のなかで笑う。
「どっちもですよ! 八十年代の芸術品にケチをつけるきですか!」
「ふざけるなぁぁ!!」
 いつの八十年代だろう。そういえば大昔、人が丸い岩の上で暮らしていたって時期もあったらしい。よく転げ落ちないものだ。今日も空は黒く、快晴である。遠くの戦も、最近は少し落ち着いてきている。世界はおおむね平和である。アクレギアは排気口から、ゆっくりとエアを吐き出して、眠りについた。







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