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・テーマ「傘」
 
「弘樹。雨が降ってきた」
 先ほどまで静かだった部室に、先輩の声がポツリと落ちる。それをきっかけに、窓から雨音が侵入してきた。軽い布を掛けたような音は、ゆっくりと部室を埋め尽くしていく。既に時間は夜、窓をみても室内の光に負けた外の景色は何もみえず部室を薄暗く映し出すだけだった。
 静かで緩やかな時間の中にいた僕は、まるで先輩が雨を呼んだ様にすら思えた。
「先輩。傘もって来ましたか?」
 区切りのいいところまでペンを走らせ終えると、僕は原稿用紙を持ち上げて整える。会議室用の長机が思ったよりも重たい音を立てた。
「いや、忘れた。部室に傘は……」
 窓の近くの椅子に座った先輩は、不思議な色の髪の毛を揺らしながら出入り口を見る。僕は先輩の視線には釣られずに、鞄を開いて原稿を詰め込んだ。
「ないのか」
 そりゃ、あるわけが無い。だって、最後の一つは僕がこの前もって帰ったばっかりでさらに言うとウチの文芸部は部員二名のあまりに小規模な部活だ。用意がいいわけがない。
「弘樹、学校の七不思議をしってるかな?」
 ため息混じりに椅子から立ち上がると、彼女は学校指定の鞄を肩にかけながら言う。七不思議はたしかに昔、文芸部が文化祭の出し物で調べた経歴がある。ただそんな答えを彼女が求めていないのは確かだった。
「……ぬれない傘、でしたっけ」
 その傘を差すと、絶対にぬれずに目的地に着くことができるそうだ。しかし、目的地について傘を置くと、気がついた時には無くなっていて、また学校にもどっているという。
 ここまで聞くと怖くない話だとおもうが、実際怖くない話だ。残念ながら、僕たちの学校には怖い学園七不思議なんていうのは存在していない。おかげで文化祭では苦い思いをさせられた。
「探しに行こう」
「夜の学校を、ですか? 置き傘の一つや二つたしかにあると思いますが」
「いや、無いな。部活動の帰りで、他の部がほとんど持って行ってしまっている」
 返事の代わりにため息をつく。
 夜の学校で、あるかどうかわからない傘を捜すなんて、考えるだけで気が重くなる。
「どうした、行くぞ弘樹」
 ぬっと、いきなり目の前に先輩の顔が出てきた。先輩の髪の毛は不思議な色をしていて、少なくとも僕の語彙じゃ言い表せない綺麗な髪の毛をしてる。顔立ちは整っていて、目はクリクリと小動物のようで、先輩が使ってるのであろうシャンプーの匂いがふっと鼻を――
 いつもはあまり回らない僕の頭がくるくると回った。置き傘が一つしか見つからなかったら?
 ――ふむ。
「はい、傘を探しましょう」
 決して、やましい思いは無い。うむ。自己暗示をかけ、僕は夜の学校へと踏み出した。

 ぬれない傘は、どんな雨でも風でも、傘を差してる人をぬらさずに目的地までつれていってくれる。見た目は金色という、悪趣味だがすぐにわかる色だ。大きさまでは話には出てこないが、少なくとも高校生一人が入れる傘であるのは間違いが無い。
「うーん、やはりないな」
 悔しそうに先輩が呟き僕は現実に引き戻された。一階の昇降口にある傘立てには一本の傘も残っていない。錆付き、骨だけになった傘が一本、寂しげに傘立てと共にあるだけだった。
 非常灯の光で照らされた昇降口は薄気味悪く、僕は思わず先輩に近づく。
「逆の昇降口もいってみよう」
 近づいた僕のことを知ってか知らずか、ついと先輩は歩き出してしまった。怖がりというほど怖がりではないのだけど、それでも暗い校舎が楽しいわけもない。いきなり一人ぼっちにされた気分になり、僕は慌てて先輩を追いかける。
「先輩まってくださいよ」
「なんだ、怖いのか」
 肩越しに振り返り先輩が笑う。子ども扱いされたみたいで、恥ずかしさに僕は赤面していく。ほてった頬を一度叩くと、しっかりと先輩のあとを付いていく。一階には職員室があり、まだ電気がついていた。そんなことに少しだけ心が休まる。
 反対側の昇降口にたどり着くが、やはり傘立てに傘はのこっていなかった。教室にもぐりこんで置き傘を探せばどこかにあるかもしれないが、ことごとく教室はしまっているだろうしさすがに巡回している教師にみつかれば、只ではすまないだろう。
「ないですね……」
「雨強くなってるな。よし、弘樹ちょっとここでまってろ」
「え!?」
 驚いた言葉が先輩に届くまえに、すでに先輩は走り出していた。上へと続く階段にその身を躍らせる瞬間僕は思わず叫ぶ。
「先輩、どこに行くんですか!」
「大丈夫、すぐ戻ってくる」
 そんな言葉を残して、彼女はいなくなってしまった。足音が校舎に響いて僕の耳にも聞こえてくる。が、次第にその音も小さくなり非常灯が照らす誰も居ない昇降口に、僕は取り残された。雨によって冷された空気がゆっくりと地面から這い上がってくる。思わず身震い。
 大丈夫だ。うちの学校の七不思議は全部怖くない、どちらかといえばであったほうが良いぐらいの噂話ばかりだ。成績のよくなる下敷きや、願い事が叶う上履きなんていう他愛の無いものばかりだ、怖くなんかない。
 まるで自分が怖くて言い聞かせてるみたいじゃないか。そんなわけ無いのに。馬鹿っぽいな僕は。先輩かえってこないな。雨の音が――
 水滴がどこか反響する場所に落ちた。水琴窟のように、澄んだ透明な音。だけどそれは、この状況ではあまりに冷たくそして恐怖を駆り立てる音だった。
 もちろん断然常識人の僕だからにして、飛び上がって悲鳴などはけっして上げていないわけだが、驚いたのは認める。思わず振り返り、僕はあたりを見回していた。
「せんぱぁい」
 呟いた自分の声が、あたりに反響して耳に戻ってくる恐怖といったらない。呟きは弱く、雨は音を消すが、声の響く音域だけが反響して既に僕の耳にかえってきたときには別の音になっているのだ。まるで、獣がうめくようなそんな声。
 と、視界に変な色彩が横切った。体中の血液が固まったような、心臓の辺りが緊張と恐怖で縮んだかのような感覚に襲われる。
「……」
 あまりのことに言葉が出ない。暗闇で黄色く光る何かがそこにあった。脂汗のようなものが浮いてるのか、背筋が冷たい。ゆっくりと視線を動かしていく。みたらやばそうな気がするが、見ないでいるのも怖いのだ。
 黄色の色彩は、いまだ其処にあった。傘立てのところにぽっつりと。折り畳み傘よりも小さく、傘立ての底にある水受けに転がっているそれは、紛れも無く金色で、傘だった。
「傘……」
 思わず近づいて僕はソレを手に取った。携帯電話より少し大きめのソレは、折りたたみ傘にしては小さくみえる。ポケットにだって入りそうな大きさだ。不思議に思って眺めて見るが、暗がりで良く見えない。
 仕方なしに非常灯の下まで歩いていくと、ちょうど足音が聞こえてきた。すぐに先輩の足音だとわかる軽快なステップに、僕は思わず顔をほころばせ――
 頬を叩き咳払いを一つ。
「弘樹。ごめん、やはり傘は……」
 階段から顔をだした先輩は、丸い目をことさら丸くしてこちらを指差した。
「ええ、噂。本当だったみたいですよ」


「まさか、最近流行のポケットサイズとはね」
 先輩は上機嫌で笑っている。ついでに言うと、僕は猫背になって先輩の隣を歩いている。
「ですね」
「しかし、本当にぬれないとは……これ、本物なのか」
 うれしそうに傘を差して先輩が言う。ああ、それだけで僕は満足です。「君が見つけたのだから、私が傘をさしてあげよう」なんて、優しい言葉をかけられ、僕はその行為に甘えた。
「そうですねぇ。まぁ本物でも偽者でもいいじゃないですか」
「そうだな」
 金色の傘の下、不思議な髪の色をした先輩はころころと笑う。僕より少し背が低いので、傘をめいいっぱい上にもちあげ、気を使ってくれてさえいてくれている。
 そして、先輩がもつ金色の傘は間違いなく噂どおりの傘で、先輩は体半分を傘から出しているのにもかかわらず雨にぬれていない。
 それでいいと僕は笑う。
「明日、傘がなくなってたら本物だな」
 傘は一人用。僕は、体半分を傘に入れてるにもかかわらずずぶぬれだった。でもまぁ、特に文句は無い。家に帰ったらすぐに風呂に入ろうと心に誓いながら、そうですねと僕は笑った。
 
 

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