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連載の番外編です。連載のログはこちらへ。
・テーマ「神社」

 霞がかかる程遠く、空と大地の境目で歯車は役目を終えた。

 眼前に広がる気が遠くなるほどの広い草原。青い空にと白い雲。遠く遠近感が狂いそうなほど大きな歯車が傾き役目を終え、空には巨大な裂け目がいまだに残っている。
 中央と呼ばれる大きな国から一番離れた辺鄙な田舎の片隅で、屋根に登っていた少女があくびをこらえた。
「くぁ」
 艶のある少し明るいブルネットの髪の毛を無造作に後ろに流し、眠そうな目をその街の外に広がる草原に向けている。
「おーい。スズラン。おまたせぇ」
 少し間延びした声が足下から聞こえてきた。スズランと呼ばれた彼女は、ぱかんとまるで電気がついたようにしっかりとした顔つきになると、躊躇いもなく屋根をすべって一気に地面へと飛び降りた。
「おそい! ヤツデ! なにしてたの」
 飛び降りながらスズランは叫ぶ。二階建ての家から平然と飛び降りると、ちょうど目の前に彼女を呼んだ人影があった。タレ目に金髪、スズランよりも小さいがこれでも一応彼女と同い年の男の子がそこにたっていた。気の弱そうな表情につけて、肩を落とし彼は頭を垂れる。
「うん、ごめん。お弁当つくってたぁ」
「いいから、いこ。今日は風が強いから桜、散っちゃう」
 しっかりと手をつなぎ走り出した二人を追いかけるように、ひときわ大きな風が街のなかをすべるように駆け抜けていった。

 街から少し離れた場所に、街を見下ろせる小高い丘がある。その丘の先は見上げるほどの岩肌が見える。彼らが目指しているのはそこだ。街を見下ろす丘の上、崖になっているその上に桜の群生地がある。街の誰もが知っている、桜の名所なのだ。スズランもヤツデも両親に夜にお花見に行きましょうといわれていた。
「だったら、お昼から場所とりしましょ!」
 そんなスズランの企てに、昔から彼女と一緒にいるヤツデは考える必要もなく頷いた。街の皆は夜にむけてみな英気を養っている。わざわざ夜にイベントのある日の昼から宴会を開いている人たちはいないだろうと、二人は自分たちの計画にほくそ笑んだ。

 昼の日差しに照らされ、輝くように花開く桜が目の前に広がっている。二人は手をつないだまま呆けた顔で山の入り口で立ち止まっていた。
「すごいねぇ」
「うん」
 強めの風がいくら吹いても、桜はなくなりそうに無い。それほどに真っ白な山をみあげ、しばらく二人は身動き一つ取れずにいた。
「のぼろ」
「うん」
 素直に頷きヤツデは小脇に抱えた弁当を抱えなおす。容赦なく手を引っ張っていくスズランの背中をみながら、彼は必死に倒れないように足を動かした。
 木の幹の茶色と、桜色、その強いコントラストにモノクロにも見えるトンネルを二人は走りぬけていく。
「千本鳥居みたいだぁ」
 昔スズランと読んだ写真資料をツナデは思い出す。赤い漆の塗られた鳥居。それは階段の斜面にそって、ずっと見えなくなるまで続いているのだ。こんなに華やかで明るくはないが、綺麗な場所は華やかで明るいほうが絶対にいい。ひとりツナデは頷く。
「だったら、この先に神社があるの?」
 振り返ったスズランはツナデの言葉に笑う。モノクロの視界の中、スズランのブルネットの髪の毛だけが息を呑むほどに色彩をはらんでいて、ツナデは目を白黒させながら頷いた。
「あるかも」
 手をつないだまま、二人は山道を駆け上っていく。桜の花びらのトンネルの先、少しずつ青い色彩が見え始めてきた。息も荒く、たまに地面に顔をだした桜の根に足をとられながらも、二人はとうとうその先へと躍り出た。
 まるで一緒についてきたのかといように、二人の背中から強い風が吹き抜けていく。見晴らしのいい高台には、少し大きな広場になっていて風に花びらが舞い上がった。真っ青な空を埋め尽くすほどの桜の花びらに思わずツナデは息を呑んだ。
「神社はないね」
 舌を出しながら、スズランが笑う。肩で息をしながら、振り返ったスズランの肩越しに、ツナデは驚きの声をあげた。
「すごい」
 彼のこえに、スズランも振り返る。視界を埋め尽くしていた桜の花びらがゆっくりと舞い落ちるなか、高台の向こうに街が広がっていた。そして、その街の向こう、ずっとずっとむこうなのに、すぐ其処にあるような歯車が見えた。その歯車がまるで神々しいなにかにみえる。
「あれが、神社かな?」
 切り取った一枚の絵のような光景に、ツナデはただ頷くのみ。
「もっと近くにいこうよ」
 手を引っ張られたしゅんかん、ツナデは親に言われていた言葉を思い出す。この高台の切れ目は崖になっているのだ。落ちたら下にある丘までまっさかさま、たしか崩れやすくもなっているので高台の切れ目のあたりは立ち入り禁止になっている。不安げなまなざしでスズランを見ると、大丈夫と彼女は胸をはった。
「だ、めだよぅ。ほら、立ち入り禁止の看板も立ってるし」
「大丈夫! 私たち軽いし、ね?」
 ぐい、と腕をひっぱられスズランの言葉に逆らうということをしらないツナデは渋々と頷く。

 高台の端から見下ろすと景色はあまりにも圧倒的だった。切り取ったなどという言葉ではなくそれは、視界いっぱいにひろがる世界だった。真っ青に広がる青空と、どこまでも広がってる草原の緑。その中央に霞がかった歯車が横たわり、そこへ続くように街が広がっていた。
「きれい」
「うん」
「あの歯車がご神体。で、あの草原がご神体を奉ってる神社で……」
 そういって、指差していくスズラン。風が吹いた。舞い上がる花びらで一気に視界が白く染め上げられていく。そのなか、スズランの小さな叫び声をツナデは聞いた。
 真っ白で彼女の姿は見えない。一瞬すっと、まるで差し出されたかのようにスズランの手が現れた。吸い寄せられるようにその手を握るツナデ。同時だった。とんでもない力で手が引っ張られる。
「うわぁ!」
 引っ張られた方向は前ではなく下。体中の肌があわ立つ。落ちる、と頭の中の叫びと同時ツナデは自ら体を落とし地面にすがりつくようにして伏せた。それでも彼は手だけは離さなかった。
 スズランの手は容赦なくツナデの手を引っ張り続けていた。体中が全てを理解する。落ちたのだ、スズランは崖から足を踏み外したのだ。
「スズラン!」
 怖くて己の手の先を覗き込むようなことはできなかった。間違いなくツナデの手のなかにはスズランの手があり、その重さは現実だった。ツナデの声にスズランの手がピクリと反応をかえし、あわてて彼の手を掴み返してくる。
「スズラン! 大丈夫? 今すぐ引き上げるから」
「ツナデ……」
 か細い声が、下のほうから聞こえてくる。その事実に地面にへばりついた体が、じわりと汗をかいた。引き上げられるのだろうかという恐怖。体制を変えただけで下に引きずり落とされそうになるほどの力が量の手にかかっていた。しかし急がなければ自分の手も持たないのも明白だった。じっとりと汗が浮き始めてきているのだ。
 ずるり、と手が滑る。
 胃が痛くなるような恐怖が駆け上がり、思わず力いっぱいスズランの手を握りしめる。
「いま、すぐに上げるから」
 スズランの返事をまたず、ツナデは動きやすいようにと体を起こした。
 瞬間、彼の筋力では抗え切れない力に一緒に崖に引きずられそうになった。ほとんど体重が一緒なのが問題なのだ。地面との摩擦でぎりぎり均衡を保っている状態なのに、体制を崩したら――
 その逡巡はスズランに伝わった。一度、優しく手を握り返すとまるで諦めたかのように彼女の手の力は抜けた。
「ツナデ、手を離して。それで、すぐに下に迎えにきて」
 ツナデにはスズランが何をいっているのかが判らなかった。呆然とした表情になり、すぐにその表情をけして泣きそうな顔になる。
「そんなことできるわけ、ないよ!」
「ツナデまで落ちたら誰が助けに来てくれるの! 早く。大丈夫、私からだ軽いから、骨折ぐらいですむとおもうし。ね?」
 高さは三階立ての屋根より高い。大丈夫だと言われて、はいそうですか、と離せるような高さではなかった。
「やだよ! 離さない!」
 力いっぱい手を握りしめる。心臓は早鐘のようにうち、緊張と恐怖で今にも体が震えて動かなくなりそうだった。それでもツナデは涙をながしながら、手に力をこめる。
「いやだ! 絶対に離さない! 誰かが来てくれるよ! だって今日は花見だもん、すぐにだれか――」
 ゆっくりと手の平にかきはじめた汗が二人の手の平の間を、まるで二人の仲を切り裂くようにすべりこんでくる。いやだ、いやだと、頭のなかでどれほど叫んでも、物理法則に全てをゆだねた汗は、二人の隙間へとしみこんでいった。
「絶対、誰かが――」
 すっと、視界が暗くなった。
「なんだぁ? あれか、リポビタンごっこか」
 頭上から声がいきなり降ってきたのだ。思わず天の助けとばかりに、ツナデの手の力が緩みそうになる。
「た、すけてください……」
 呟くように、ツナデが言う。けれど、背後では全く動く気配もなく、影はツナデの頭の辺りでゆらゆらと風に揺れていた。振り向こうにもかなり無理な体勢で、その影がどんな人かもわからない。
「お願いです……」
 ゆっくり二呼吸ぐらいの間をあけて、言葉が返ってくる。
「この場所は、立ち入り禁止だ。しってるか?」
「……はい」
 この人に助ける気はないのだ。それが判った。絶望が体中にしみこんでくるのが判った。自分たちは決まりを破った。そんな人間に手を貸すことなんて、ありえないのだ。
「あ、貴方だって入り込んでるじゃない!」
 叫びは崖の下、スズランの叫び声だった。
「あー、ああ、そうだな。私も入り込んでる。だから、決まりを破った私は、どんなことがあっても、私一人で責任を負うつもりだ」
「う……」
 極論過ぎる。が、スズランにその極論に反論できる言葉はなかった。口を噤み、せめてこの手がツナデから離れることを祈る。
「ごめんなさい……」
 呟きはツナデのものだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい……。勝手に入ったのは謝ります、だから助けて――」
「謝ったら許してもらえるなんて、思ってるのか。おめでたいな」
「違います。許してもらうために、償うために助けてください!」
 いつもよりはっきりとしたツナデの口調に、スズランは目を丸くした。
「ははは! ガキの言う言葉じゃないな。いいよ、助けてやる」
 同時、いきなり吹き飛ぶような衝撃を肩に受け、ツナデは目を回した。世界が暗転するなか、視界いっぱいに広がる青空はドコまでも澄んでいて綺麗に見えた。


「あんまりいじめちゃだめっすよ」
「あ? ああ、いや。脅しとかないとまた同じことするかもしれないし」
 凛と通る声を、ツナデは朦朧とする頭のなかで聞いた。
「本人たち目の前にして言ったら意味がないような」
「いやー、それにしても昼なのに場所取りすらないなんて」
「ついてましたねぇ」
 数人の人の声が聞こえる。
「ツナデ。ツナデってば!」
 ぐいと、体を揺すられてツナデはやっと我に返った。痛む頭を抱えながら、目を開けると数人の見知らぬ顔と、スズランが自分を見下ろしている。
「……あ、おはよぅスズラン」
「よかった。怪我してない? 大丈夫?」
 いいながら、彼女はツナデの手を握る。もう、あの時のような恐怖はない。そのことに、ツナデは笑う。
「お、起きたか」
 ずいと、二人の目の前に一人の影が落ちた。声で、自分を助けてくれた人だと、ツナデは理解する。黒い服に白いエプロンの典型的なメイド服と、始めて見る髪の毛の色は影なんかよりも深い黒い色だった。
「あ、その。ありがとうございました」
 上体を起こすと、いそいそとツナデは座りなおしその女性を見上げる。あわててスズランもたたずまいを直した。そんな二人をみて、その女性はニィと強烈な笑みを浮かべ――
 同時、ツナデの視界がぶれた。
「てっ」
「たっ」
 頭の中に響く、ごつんという重たい音に、殴られたのだと理解する。
「ま、死ぬ思いしたんだやれつっても、もうやらないだろ。ほら、荷物」
「はい。これ。もう危ないことしちゃ駄目だよ」
 そういって、目の前にツナデがもってきた弁当が入っていたかごが差し出される。金髪のツナデたちより少し年の行った少女が籠を持っていた。
「あ、りがとうございます」
「おかげで私たちが先に場所とれたわけだが」
 もちろん文句なんて言わないよな、といった笑顔でメイド服を着た女性が笑った。
「あ」
「……諦めよう、ツナデ」
 うつむいた視界には、綺麗な茣蓙がまるで領土を宣言するように敷かれていた。
「ま、来年だな。今年は私たちの勝ちだ」
 箒を持って、メイド服をきていた女性が立ち上がった。背後には、地平線の向こうに傾く歯車が、そして歯車を守るように広がる草原が見えた。そして其処へ通じる道のように自分たちの街が広がっている。
「巫女じゃなくて、メイドなのかぁ」
 ん? と箒をもった女性が首をかしげる。昔の写真は巫女が神社の掃除をしていたらしい。今の神社はきっと、メイドが守ってるのだ。ツナデはまだ冷め切らぬ頭のなかで、そんなことを考えた。
 風が吹く。桜の花びらが、世界を染めんとばかりに空に広がった。





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