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・テーマ「森」

 つぎは、飯野校長の挨拶です。そんな言葉で、危うく沈みかけた意識を雄平は必死で揺りもどした。梅雨明けの湿気と熱気につつまれた朝礼は、あまりにも苦痛で今にも意識が飛びそうだった。目の前に立っている森・祐樹も意識の焦点がさだまってないのか心なしかふらふらとしていた。
「最近、へんな事件が多発しています。生徒の皆さんも――」
 へんな事件。ふと頭にひっかかったが、雄平はそんな言葉よりも己の体調のほうが大事で、そして前にたつ校長の腹が不愉快だった。
 ふと視線を目の前にもどすと、森の頭が揺れたきがした。自分が倒れたのか、そんな感じに森の頭がぐらりと揺れる。
 同時だった。爆音が轟く。めくれ上がった大地がまるで津波のように目の前を覆った。
「はぁ!?」
 驚きは、恐怖よりもむしろ疑問を。衝撃のような音が体中を揺さぶったと同時、雄平は吹き飛んだ。
 吹き飛ぶ瞬間、森の下から何かが飛び出してきた。その光景を網膜に焼き付けながら雄平は意識をうしなった。

「おーい、さとうー」
 頬を叩かれながら名前を呼ばれ、雄平は目を開ける。意識が覚醒したしゅんかん、しこたま打ち付けたからだが痛みを思いだし、思わず雄平はうめき声を上げた。
「ん……ああ、有野」
 目の前にいるのは、同じクラスの有野・麻美だった。ミツアミのお下げが二つ、肩口からおちて雄平の顔をくすぐっている。
「なにがどうしたんだ」
「それがねぇ、森君が」
 麻美の言葉をききながら、心なしかあたりが暗いことに気がつく。周りでもなんだか叫び声のようなパニックになったざわめきが聞こえてきている。
「そうだよ、森。あいつどうなったんだ。いきなりぐわーって」
「森君が」
 なんていったらいいのかわからないといった顔で麻美が見上げる。
「えーっと、森になったみたい」
「はぁ!?」
 目の前には森が広がっていた。木々が生い茂り、風に草葉が揺れている。
「フィトンチッドくさい……つーか、森はいったい」
「あやまれ! 旧ソ連のB.P.トーキン博士に謝れ!」
 首根っこをつかみわめく麻美に揺さぶられながら、雄平は空を見上げる。見事なまでに学校の校庭は森になっていた。
「森が森にって、わらえないな……。なんだってこんなことに」
「謝れ! トーキン博士に――って、なに、なに言ってんの? 校長が言ってたじゃない」
「なにを?」
「へんな事件がおこるからって。あれでしょ最近ニュースでやってる」
 そこまでいわれ、やっと雄平は校長がなにといっているのか、目の前の麻美が何を言っているのかを理解した。
 『苗字擬態症候群』――原因不明。発病条件不明。治療法皆無。どこかの霊能力者が先祖がえりだとかなんとかいっていた。簡単にもなにも、病名が全てを物語っている病気。
 なるのだ、苗字に。突然に、そして一瞬で。苗字の音、漢字、意味、何かしらにつながりの在る何かに変貌してしまうその病気は、発病例を急激に増やしながらいま世界を覆い始めている。らしい。
 らしいというのは、雄平にはまったく興味がなかったからだ。なにせテレビでみただけで、身近になんか感じたことはない。どこか遠くの話しだとばかりおもっていたのだ。
「はー、なるほどね。こんな見事にね。あれってたしか、意識はあったんだっけ」
「うん。だから、この森全体は森君なわけで……ああ、ややこしい」
「つまり、森の森なわけだ」
 返事をするように木々がざわめいて、森・祐樹がそこにいるような気がした。
「とりあえず、休校? 森にいたっては家に帰れなくなったわけだけど……」
「のんきねぇ」
 とりあえず先生を探そう。麻美はそういって立ち上がると勝手にあたりをつけて歩き出した。思ったより鬱蒼と茂った森は、歩きづらく木々に足を取られる。いたるところに倒れた生徒や、呆然と空を見上げている生徒がみうけられる。なかには、木の上に取り残されてしまった不運な生徒が枝にひっかかっていたりもしていた。

 別段教師があつまっていた場所まで距離があるわけではない。歩きづらいとはいえ、すぐ校舎が見え隠れする場所まで二人はやってきた。
「先生はっと……ん、なんだあれ」
 ふとみると、なぜかそこに握り飯が転がっている。しかもそれは、いままさに作りた手といった具合だ。雄平はふむと首をかしげ、その握り飯に近づいた。盆に載せられた皿のうえ、二つの握り飯が湯気をたてていた。そして黄金色に輝く沢庵もある。盆にはいっしょにお茶までがそろえられていて、完璧なバランスが取られている。
「……」
「食べようかなとかおもってんでしょ」
「うっ。そんなことはないぞ? いや、その」
 そこで雄平の腹がなった。朝礼の時間だ。朝だ。けれど、男の子は腹が減るのだ。自分に言い聞かせるように何かをぶつぶつと呟いた雄平はおもむろに握り飯を掴むと、躊躇い泣く口に運んだ。
「うん、旨い。飯はできたてに限る。そうだ、俺は冷えるまえに握り飯をすくったのだ」
 口に物をいれたまま、雄平は胸をはって言う。あきれたように麻美はため息をつくと、辺りに教師がいないか視線をめぐらせた。
「先生いないねぇ」
「おまえはくわねぇの? ほれ」
「え、いやだよ……だってそれ。多分」
「多分?」
「校長先生だし――」
 盛大に口に入ったものを噴出す雄平。
「ごほっ、ごほっ」
「飯野って苗字でしょ校長先生。この辺りにたっていたし……」
「そういうことは早くいいましょう!?」
 ひっくり返った言葉で雄平は叫ぶ。麻美は取り合わず、涼しげな顔で笑っただけだ。口の中の校長を吐き出そうにも、吐き出したら吐き出したでそれはそれで失礼なきもして雄平は身動きが取れなくなった。
「いや、だいじょうぶよ。殺人にはなんないし。どーせなおんないし。先生も腐るよりはましだとおもってるわ。きっと。たぶん。いたくはないだろうし。恨んでなんかないと思うよ」
 ごほごほと、咳き込む雄平をみながら麻美は笑った。
「ほっぺたに、お弁当ついてるよ」
 そういっていきなり麻美は雄平の顔に顔を近づける。
「お、おう」
 いきなり怪しい雰囲気になった麻美に、雄平は一歩さがる。が、木の根に踵があたり動きが止まる。
「ほら、じっとして取ってあげるから」
 頬に、ぬれる感触。ざわりと森が揺れた。森・祐樹が見下ろしているのだ。底冷えするような恥ずかしさをかんじるが、かといって身動きが取れるわけではない。雄平は抵抗もできないまま米粒が舐め取られるのを感じていた。すぐに麻美がはなれるかとおもったのだが彼女はそのまま雄平に寄りかかったまま、口を開く。
「……おいしい」
 耳元でささやかれる言葉に、思わず体が硬直する。
「う」
「ね、食べていい」
 妖しい雰囲気におされ、雄平は頷いた。
「それじゃ遠慮なく。いただきます」
 いきなり自分の肩が軽くなり、雄平は思わず麻美をみる。
「はぁっ!?」
 自分の肩から先がないのだ。ごっそりとぬけおちてる。腕はどこにいったのだと、見回した瞬間、それが麻美に咥えられてることに気がついた。
 しかし言葉がでない。あまりの事体に雄平は口をぱくぱくとさせ麻美をみる。
「貴方の苗字は?」
「……さとう」
「私の苗字は?」
 ああ、そういうことか。雄平の体中から力が抜け、どさりと地面に転がった。眼前に麻美の顔が近づいてくる。森が揺れていた。



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