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・テーマ「鳥」
 
 だから、彼が嫌われていたのは仕方がなかった。
 頑固で自分勝手、口をついてでるのは嫌味ばかり、さらに人間嫌いで、たまに意味のわからないことをわめき散らす。しかたがないといえば仕方がない。だとしても、彼が事故にあったからといって喜ぶ人間もいなかった。
 なぜなら、皆、明日はわが身なのだから。

「それにしても、無事でよかったよジュンさん」
「そうだ、そうだ。よかったよかった」
 濡髪・潤一は見舞いにきた二人の人間を見上げて、わずらわしそうに眉毛をゆがめる。
「ふん。“死んでくれたほうが”よかった。じゃないのか。何しに来たんだ。遺言でも書かせるきか? それとも判子が必要か?」
 鷲鼻に、細く鋭い目、真っ白な髪の毛もう散見できるほどしかのこっていない。始終イラついているのか、視線はぎらつき見舞いに来た二人をにらんでいた。
「そんなことないさ。なぁ、ケン」
「ああ、ないぞ。そんなことない」
 二人とも潤一の言葉には慣れたもので、苦笑すらせずに普通に言葉を返す。潤一は二人への興味をなくしたのか、視線を外し車椅子をまわし始めた。

 交通事故だったらしい。彼らの居る介護施設に連絡が着たのが三日前の夜。羽場・健司が巨体を揺らして池田のところにやってきたのは二日前の朝。
 老人とは思えない巨躯の健司が、池田の部屋の扉に挟まりながら潤一が事故にあったと叫んだ。ホームのほかの老人たちは、潤一の見舞いなんか行くかと文句を言いながらも、潤一がまだ元気であることに安心した風だった。
「なぁ、先生。ジュンさんの見舞いに行こう。うん、行こう」
 言い出したのは健司だった。先生というのは、池田のことである。昔教師をしていたので、そう呼ばれているだけで、別になにか頼りにされたりというような間柄ではない。
「そうだなぁ。よし、行こうか。ジュンさんもさみしがってるだろう」
 そして、外出許可を取り二人で縁起の悪い病院へときたのだ。

「ジュンさん。どこに行くんだ。まだ安静にしないと」
 一人車椅子を漕ぎ、潤一は部屋を出て行こうとする。
「あんたらが居ると部屋が狭くてかなわん。ただでさえ、俺の脚はもうこんなに邪魔なものになっちまった。狭い所は息が詰まる。棺桶に入るときだけにしてもらいたいもんだ」
 そういって、なれない手付きで彼は部屋を出ていった。
「ケン、追いかけよう。いくら軽い骨折とはいえ、もうジュンさんの体じゃ……」
 彼らの居る介護施設で、潤一はほとんど最高年齢といってよかった。もう、全快する見込みは誰の目からみても――無い。骨が完治する前に寝たきりになるか、最悪治る前に彼は――。
「うん。いこう。まだ、桜が綺麗だ。行こう」
 ふたりは小走りに病室を出ると、廊下をふらふらと車椅子で進む潤一の後を追った。

 結局、三人は院内から出してはもらえなかった。もう少し良くなってから、そう医者は言い。三人を病室にもどしたのだ。
 いやな空気の流れる病室で、潤一は舌打ちを一つ、車椅子を動かし窓の傍へとやる。
「くそ、桜も見れないのか。忌々しい」
 潤一はギプスに固定された足を力いっぱい叩いた。軽い音が病室内に響く。
「よくなったら、行こうじゃないか。今年がダメなら来年がある」
「ふん、安心しろ。来年はない。あんたらは桜でも眺めるといい、俺の埋まった桜をな」
「……ジュンさん」
「喜べ、どうせ長くない。……死ぬ前に、飛び回りたかった。ああ、この足さえなければ! この足を切り取ったら空を飛べたか。はん、こんな重たい鉄の車じゃ道すら満足に走れやしない。ああ、忌々しい。くそったれ、飛ぶことすらかなわん!」
「ジュンさん?」
 しかし、それ以上潤一は何も言わず、じっと外を眺めるだけだった。
 窓の向こう鳥が二羽、ついっと綺麗な曲線を描いて飛んでいった。


 まるで、ゲーム機をつまらないから消す。そんなぐあいに、まるで躊躇いも戸惑いもないまま、濡髪・潤一は飛び降りた。
 池田たちが見舞いに行ってから、二ヶ月もたっていない晴れた日だった。それだけに、皆のショックは大きかった。介護施設は静かに沈んだが、それでも葬式に出る人間は少なかった。だれも、現実を目の当たりにはしたくなかったのだろう。あんなヤツの葬式にいったら、呪われそうでいやだね。などという言葉も聞こえたが、だれもかれもが今にも泣きそうな顔をしていたことを、池田は知っている。
 ――みな、素直じゃないな。
 池田は、煙になって空に舞い上がる潤一を見上げながら思った。後ろで、健司が巨体を揺らして鼻をすする音が聞こえている。涙も出せなかった自分も、素直じゃないなと、苦笑しながら池田は無言で煙を見上げていた。
「あ、の。濡髪さんと同じホームの方ですよね?」
 そういって二人に声をかけてきたのは、潤一が入院していた病院の看護師の一人だ。
「ああ、どうも。そのせつは、お世話になりました。濡髪はあんな性格ですし、きっと苦労なさったでしょう。最後の最後に自殺までして、ドコまで迷惑をかければ――」
「いえ、そんな。濡髪のおじいちゃんは、不器用でしたけどとても優しい方でしたよ」
「――そうですか」
 少しだけ、濡髪のことを判ってくれる人がいてよかった、池田はもう皺だらけになった顔をくしゃくしゃにして笑う。
「ああ、そうだ。コレを」
 そういって、看護師は大きな袋を池田の前に差し出した。
「これは?」
「濡髪のおじいちゃんが使っていた棚に入っていたんです。中は見てないんですけど、スケッチブック……ですかね。親族の方にと思ったんですが、いらっしゃらないようですので」
 池田は袋に入っていた分厚い物を取り出す。深緑とオレンジのクロス模様。どこにでも売っているスケッチブックが其処にあった。
「中、見てもいいですかね」
「多分……」
 池田は、ゆっくりと色鉛筆の匂いが残っているスケッチブックを開いた。

 空が其処にはあった。
 青い、青い空だ。まるで吸い込まれそうになるような空、下には満開の桜の木が顔を出している。桜と青の綺麗なコントラストに、思わず池田は息を飲む。
「きれい……」
 看護師が呟いた。
 画家が売るような、美しく訴えかける絵ではない。しかし、丁寧に丁寧に描き込まれた素朴な絵は、吸い込まれるほどに存在感があった。眼前に、あの日見舞いに行った日の桜が咲いていた。
「綺麗だ。桜、綺麗だな」
 上から覗き込むように、健司が言う。そうだな、と池田は頷き返した。
 一枚ページをめくる。
「……え?」
「同じ、絵?」
 思わず、ページを戻す。めくりなおす。しかし、其処には同じ絵があった。寸分変らずとはいかないが、同じ構図で同じ色使いでそこに同じ物が存在していた。
「どういうこと、だ?」
 もう一枚めくる、しかし、また同じ絵が顔を出した。
「ジュンさん……」
 偏執的なまでに、そこには同じ絵が続いていた。同じ構図同じ色。ほとんど同じ絵がそこに並んでいる。
「見せてくれ。スケッチブック」
 健司が上からぬっと手を伸ばしてきた。池田は、ため息混じりにスケッチブックを閉じると健司の手にそれを乗せる。
「濡髪のおじいちゃんはもう……」
 看護師は泣きそうな顔で呟く。
「もう、……おかしかったのかもしれない」
 偏執的なまでに続く同じ絵。空に飛びたいといい続け、そして彼は飛び降りた。
 なんだかやりきれない気持ちで、池田は拳を握り天に唾を吐く。
 ――くそったれ……。
 もう正気ではなかったのだろう。スケッチブックは、彼が落ちる前日までずっと手放さなかったそうだ。潤一は、空を飛べただろうか。それともただ、望みをかなえるために――
 ぞくりと、背筋にいやな感触が走る。
「せ、先生! これ見てくれ。これ」
 健司がスケッチブックを二人の前にずいと差し出した。
「桜の絵がどうしたんだ?」
「ほら、ほら!」
 ページがめくられる。桜の絵。
 ページがめくられる。また桜の絵。
 ページがめくられる。変らない桜の絵。
 ページがめくられる。やはり変らない桜の絵……。
「あ」
 ページをめくられる。また桜の絵。だが、そこに変化があった。
 ページがめくられる。桜の絵。画面の端に、茶色い何かがあった。
 ページがめくられる。
 桜の木の上を飛ぶ鳥が現れた。
 健司はスケッチブックを持ち直し、勢い良くページをめくった。

 紙がこすれる軽い音にあわせて、スケッチブックの中の世界が動き出す。
 桜が風に揺れていた。
 青い、青い空をバックに。桜が揺れていた。
 ついっと、綺麗な曲線を描いて鳥が空を横切っていく。大きく風がふき、桜吹雪が舞う中を、鳥は仲むつまじく空を踊る。
 鳥はすぐに空から姿を消し、ゆっくりと風が収まっていく。視線が下がっていった。
 桜の木の下で車椅子の老人が空を見上げている。そしてそれを押している巨躯の老人。
 その横で楽しそうに二人を見ている老人が描かれていた。
 ページがめくり終わる。
「……」
 池田はたしかに、桜の匂いを感じていた。
「ジュンさん……」
 見上げる空、火葬場の煙突から煙が伸びている。
 きっと潤一はまだ空を飛んでる、あの桜吹雪舞う、春の空を。
 

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