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・テーマ「偶然」

 月が昇っている。
 雲は一つもなくて、星も微かにしか見えない。一人ぼっちの月が昇っている。光は弱く、街灯の光よりも役に立たない月明かりは何も照らすことが出来ないまま、どこかに発散して消えていく。どこまでも月は一人ぼっちで、そして役に立たない存在だ。
 それがまるで私のように見えて、少しだけ気が安らいだ。
 電話を受け取ったのは、昨日の朝。その電話で、私は最後の家族を亡くした。
 そして私は、一人ぼっちになった。

 葬儀は慣れたもので、いや慣れてるからこそ気が重たかったし苦痛だった。遺影に写る痩せこけた母の写真を見上げながら、私は喪主としての勤めをこなしていく。参列してくれた母親の知り合いは、みな一様に顔を伏せ涙を流している。これからどうするのだ、そういって私のことを聞いてくれた人もいたが、私はあいまいに首を振ることしか出来なかった。
 手際よく通夜を終え、そのまま次の日の朝に母や白い灰になって消えた。そうして、私の家族は一人も居なくなった。
 読経を聞きながら、焼香をする人たちに一人ずつ礼を返す。
 アリガトウゴザイマス。
 ハハモキットヨロコンデオリマス。
 ワザワザトオイトコロヲアリガトウゴザイマス。
 ホントウニオセワニナリマシタ。
 テープのように繰り返す小声の謝辞。ロボットのように繰り返す礼。催眠術のように繰り返し流れる読経。すべてが、私に家族はもう居ないのだという事実を繰り返し突きつけてくる。
 そんなことは、判っている。そして、もう仕方の無いことだと理解している。かといって、私はその事実を受け入れて前に進めるほど強い人間ではない。
 もう、私は前に進めない。

「よう」
 葬儀が終わり、すっかり顔なじみになった僧侶に礼と共にお金を渡し終えた所で声をかけられた。聞きなれた声だったが、笑顔で振り返る自身がなくて私はその場で固まってしまう。
「ご愁傷様。大丈夫か?」
 誰にあてた言葉だろうか、そんな捻くれた考えが頭の中でころころ音をたてて転がった。
「大丈夫、だよ」
「そうか? 立て続けに家族をなくして大丈夫な人間が、世の中に居るとは思えないけど?」
 振り返らず、私は何も言わない。もう、葬儀場になった家には私と彼しかいなかった。
 親戚は居ない。両親は駆け落ちだったから、二人共が二人共勘当されている。連絡をすれば、駆けつけてくれたかもしれないが残念ながら、その連絡先を私は知らない。
 父が事故で死んだとき母が泣き崩れていた姿を、今も鮮明に思い出せる。あの日から母は衰弱し、まるで後を追うように息を引き取った。
 私は一人ぼっちになった。母はきっと私より、父のほうが大事だったのだろう。私は両親がいても結局あの月の様に一人ぼっちだったのかもしれない。
 何も言わないで空を見上げていると、無言に堪えられない幼馴染がため息を盛大に吐き出した。
「ったく。泣きたかったら泣けばいいのに。なんでそんなお前は……」
「別に、泣くようなことじゃないし」
 言いながら、私は逃げ出すように歩き出した。家を片付けないといけない。そんな義務感にさいなまれて私は寂しくなった家を見渡す。
「手伝うよ」
 持ち上げようとしたテーブルを、逆側から彼が持ち上げてくれた。
「ありがとう」

 ゆっくりと、だけど確実に部屋は片付いていく。
 頭にはもやがかかったような気だるさだけが残り、葬儀の痕跡が消えていくたびまるで母の最後の残り香までが消えていく気がする。
 そして最後に母の位牌と遺影が残った。
 すっかり片付いた私の家に、まだ彼は残っていてる。
「な、雛由(ひゆ)。これからどうするんだ?」
「……」
 私は、一人ぼっちだ。現実を直視するだけの強さはもう私には無い。
「雛由?」
 顔を覗き込んできた幼馴染に、私は力の無い笑顔を向ける。
「どこか」
「?」
「どこか、迷惑のかからないところで死のうと思う」
 祖父も祖母もいない。母も父もいない。高校卒業前の私には生きていくすべはない。生活補助が受けられるとかなんとか、誰かが言っていた。けれど、手続きをするほどの元気がない。このまま、私はこの場所で朽ち果てるのがいいかもしれない。月のように、ただ静かに何も照らせないままに。
「……ギャグにしては笑えないな」
「本気だよ」
「そうか」
 同時、目の前が赤く染まった。
 顔をはたかれたのだ、理解したときには私は部屋の隅まで吹き飛んでいた。背に壁がぶち当たり、衝撃で肺の空気が吐き出される。
「ごほっ、なにすんの……」
「死にたいなら、俺が殴り殺してやろうか?」
 言い終わるか言い終わらないかの間、腹に衝撃を受ける。血反吐を履くようなことはないが、一瞬胃液がこみ上げてきた。殴られた場所が。そこに心臓が出来たみたいに脈打つのが判る。痛い。痛い。痛い。心臓が動くたび、頬と腹が叫ぶように痛む。痛い。痛い。
「痛いかよ。雛由」
 覗きこんできた彼の顔が視界に入る。思わず私は自由になっている左手で、彼の顔面をはたき返した。あまりに綺麗にはいった平手が、快音を響かせる。
 しかし、彼は倒れなかった。そむけた顔を、ゆっくりと戻し私を見下ろす。
「痛いだろ、手」
 その言葉に、私は思わず目を伏せてしまった。彼をはたいた手は、殴られた場所よりも痛い。そして、殴られた痛みより、とてもいやな感じがした。心臓が脈打つたびに、その左手が「人を殴った手だ」そういっているように聞こえる。
「なぁ、雛由。俺と賭けをしよう」
「はぁ?」
 突拍子もない言葉に、私は思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。
「コインの表が出たら、もう俺は何も言わない。裏が出たら、死ぬな。その代わり俺が何でもしてやる」
「――」
 何も言えず、私は倒れこんだ格好のまま彼を見上げる。のんびり立ち上がった彼は、まるで私がその賭けに乗ってくると信じきっているようにポケットから一枚の硬貨を取り出した。
 銀色のコイン。
「さ、どうする? このまま俺に殴り殺される、ってのもありだ」
 頬が痛かった。腹も痛かった。けれど、左手がもっと痛い。
「……わかった」
 んじゃ、そういって彼は軽い足取りで縁側に歩いていく。夜にぽっかりと穴が開いたように登っている月。
 思わず私は立ち上がって、彼の後を追った。きっと、不正をされたらという不安からだったんだと思う。
「こっちが表、こっちが裏な」
 そういって、私に見せた硬貨は外国の硬貨だった。宮殿のような物が描かれているコインの表と、裏に数字と女性の胸像が刻まれている裏。
「んじゃ、やるぞ」
 そういって、彼は縁側に腰掛けるとコインを指で弾いた。

 凛と、コインが振動するような硬く済んだ音。まるで、何も無い夜空のように、冷え切り張り詰めたような音がする。
 ゆっくりとコインは高く跳ね上がっていく。銀色の軌跡。目の前を通り過ぎ、まだ高く。
 くるくると回るコインが、月光を浴びて光っていた。
「……あ」
 月の明かりはたしかに差し込んでいたのだ。銀線を描き、コインは綺麗に彼の手元に落ちていく。
「っと」
 ぱちんと、音をたて受け止められるコイン。手の甲と手の平に挟まれ、コインは沈黙する。
「……」
 覆いかぶさった手がゆっくりと退けられていく。
 彼の手の甲には、銀色のコイン。数字と女性の胸像が描かれている裏。
「というわけで、死ぬな」
 話しは終わったとばかりに、立ち上がると彼はそのまま庭へと歩き出す。夜空には依然月がぽっつりと浮かんでいる。
「これ、お守りにやるよ。じゃぁな」
 そういって、コインが放物線を描いて私の所へ飛んでくる。あわてて両手を広げると、まるで吸い寄せられるようにコインは手の平に収まった。
 何も言えず、私はそのまま彼の背中を見送る。
 おもむろに空に向かってコインを投げた。月明かりに照らされ銀色に光るコインは、なんだか一人ぼっちじゃない、そういっているようにも思える。
「っと」
 コインを受け止めようとして差し出した手。しかし、私は上手く受け止められずコインを落としてしまった。
 硬い音を立ててコインが地面に転がり、しばらくして倒れる。
 数字と胸像の刻まれたコインの裏。思わず、私は笑った。


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