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・テーマ「さくら」

 霞がかかる程遠く、空と大地の境目で歯車は役目を終えた。

 どこまでも遠く地平線の向こう、遠近感すら無視したその巨大な歯車は夜の闇にかすみ、崩れ、それでもなお天を貫く巨大さで存在していた。
 荘厳にして威風堂々、神の建造物とも、伝説の建築士にして稀代の式術師の作品とも言われているその歯車を、いつも見上げていた彼女は今それらを見下ろす位置にいた。
 風が耳の傍で叫び、服を掴みあげ髪を揺らす。けれどその音が、抵抗が、彼女の目を開かせることは出来ない。
 はためいた服が作り出す乱気流が、夜空に溶けていく。今まで誰もが見たことの無い、嫌に明るい夜空。星というものが無かったこの世界に、忽然と現れたその星空を抱くように彼女は空を滑る。
 ところどころ焼けきれ焦げついたメイド服と、いつも彼女が持っていた箒だけが共にある。あとはそこに何も無い。
 地上からの距離、約二〇〇〇キロメートル。重力加速度、約九.八。地面激突まで、残り一〇分強。それだけで彼女の命は終わる。
 けれども、世界は――

 既に救われていた。


 いまだ、夜空の明るさと熱気に包まれた中央の城下町は、雪積る夜の下だというのに賑やかに咲いていた。ところどころでは、祭りなのではと思うほどの騒ぎが湧き上がり、親に引っ張られ眠たそうな目をこする子供の姿もちらほらと見え隠れしている。
 空中に浮き上がる、不思議な映像に誰もが疑問を抱かなくなったころ、カルミアが皆に静かに継げた「助かりました」の言葉が発端である。
 元気な子供になれば、先ほどの巨大な光の尾を追って、街をはしりだした者たちも居る。追いかけられるわけもなく、何かが落ちたわけでもないが、それでも走り出さずには居られなかったのだろう。
 中央の城から立ち上った強大な式術は、世界の三隅から立ち上った巨大な光と共に、世界を救ったのだ。
 稀代の式術師、生きる伝説ウンジンとその弟子は、見事その名に見合う働きをした。
 それでよかったのだ。
 それ以上の現実も、それ以降の事実もいらない。人々の祭り騒ぎの影を、数人の団体が人間離れした速度で走り抜けても、事実も現実もしらない彼らは主なき祭りを繰り返す。
 すでに、祭る神も祝う者もいやしないというのに。
 酒を城に向かって放ち、嬌声が夜空を彩る。騒ぎは騒ぎを呼び、世界が救われたことに、そしてそれに己も手を貸したのだという現実に、彼らは酔いしれる。

 一歩路地をずれてしまえば、祭り騒ぎの喧騒は逆に寂しさすら駆り立てるほどだった。地面にそして屋根に積った雪は、いまだ貪欲に熱と音を食べ続けている。星の光と街の火にその姿はおぼろげながらに夜の闇に浮かび上がっている。
「だから、服の空力シミュレートを早く! 初速はほぼ無かったところまではわかったっす、いい加減まじめに答えを!」
『初期パラメータの入力条件が少なすぎます』
「あああああ! もう! もっと柔軟に計算しろっていってるんすよ!」
『初期値の入力を』
 フウランの背中で揺られながら、アサガオが夜空に向かって拳を振り上げ叫ぶ。
「あ、あのそんなに暴れると」
 隻腕のアサガオが残った左腕を振り上げるので、フウランは必死で彼女のバランスを取らなければいけない。しかも、前を行くウンジンもシュンランも手加減なしの速度で走っている。
「ああ。アサガオさ――」
「このへっぽこー!」
 行き場をなくした怒りが、フウランの頭に拳になって降りかかる。思わずバランスを崩すが、何とか持ちこたえると、フウランは言われない苦労を飲み込み前へと加速した。
 彼の前を走るのは、ウンジンとシュンラン。シュンランの背には大剣が掲げられその腹にスモモとフィリフェラがしがみ付いていた。一見あぶなっかそうにみえるが、既に大剣の刃はこぼれ用を成していない、さらにフィリフェラは完璧な体裁きでその剣をほとんど揺らさずに走っていた。
「こ、こわい……」
「……がまんですわ」
 けれどしがみ付いている彼女らには、そんな言葉面の大丈夫なんかなんの足しにもならなかった。
 震える二名背に走るシュンランの前を、小さな影が先行している。ウンジンと彼が背負ってるカルミアだ。
「わし役得?」
「ちょっとふざけてる場合? ススキさんがピンチなんだから!」
「や、やめ。髪の毛残り少ないのっ!」
 頭の脇に残った幾ばくかの髪の毛を引っ張られウンジンがバランスを崩した。
「あ、あー!」
 夜の闇に落ちる中央通のすぐ傍ら、人気の無い路地を三つの影の塊が走り去る。街を飛び出し、そのまま弾かれた、あの流星とは逆の方向へ。
 街道に積る雪の上を彼らは走る。流星を追いかけていった子供達とは逆に、いま落ちてくる光り輝かないもう一つの流れ星を追いかけて。


 歌が、歌が聞こえていた。響きも悪く、たまに思い出したかのように吹き出る炎や、爆ぜる壁の音が邪魔をするが、それでも歌が聞こえていた。
「貴様と俺とは同期の桜〜」
 元艦橋といっても、誰も信じないようなとんでもない状況のその場所で、炎より赤い髪をした女性が仰向けに寝ていた。
「同じ兵学校の庭に咲く〜」
 あれほど広かった艦橋は、既に大人五人だって収容できるかわからないほどの惨状だった。美しかった床は、ブロックごとに飛び出、へこみ、ひしゃげ、割れ、深淵の宇宙を映し出していた壁は、曲がり、皺のように波うち、崩れ落ちていた。既に、天井なんて見えやしない、見えているのは炎の欠片と飛び出したコードが上げるスパークぐらいのものだ。
「血肉分けたる仲ではないが〜」
 そのなかで、唯一原型をとどめている艦長席の前に体をなげだし、赤い髪の女性が歌を歌っている。体中が赤く見えるのは服の色でも炎の照り返しでもなくて、彼女の血。
「なぜか気が合うて別れられぬ〜」
「連結型惑星殲滅砲”絶対神判”の停止を確認しました。熱量のほぼ全ては、軌道をそれ天球儀後方へと飛び去った模様。資源惑星”四八七二B−九八二二AFD”の蒸発を確認。予測損害額は――」
「ああ、ツバキよ。助けられたはいいが、このまま野垂れ死にか」
「HUBICシステムは問題ありません、物理融解ジェネレータの損傷は甚大、航行可能修復時間は、三〇〇時間後となっております」
「向こうの様子は?」
「回線開きます、確認するまで少々お待ちください」
「まったく、生き恥どころの騒ぎじゃねーわな」
 駆動音を床伝いに背中で聞いて、ユウはため息を一つついた。


 風が容赦なくあたり抜けていく。星空に足をむけ、地面に頭をむけてススキは落ちる。天蓋をなくした世界は、それで急激に冷され雲を作り出す。さらに容赦なく冷される空気は、雲を凍らせ、雪すら作り出そうとしていた。
 灰色の雪雲。ゆっくりとだが、確実にその雲は広がりはじめもう一度世界に雪を降らせようと四肢を広げようとしていた。
 その中をススキは落ち続ける。
 闇に落ちた意識の中、夢すら見ることを許されない眠りの底。風だけが、騒ぎ続けている。

「式術さえ使えれば」
『現在HUBICシステムは停止しております』
「判ってるよ……」
 スモモが大きな剣につかまりながら呟いく。見上げた夜空はちかちかと賑やかで、その中にススキの陰を見つけることは出来なかった。
 平原はどこまでも続き、その先には崩れた歯車が見えている。冷たい風がゆっくりと吹き抜け、雪は星明りを写して青白く染まる。
『よう、バカ娘はいるか?』
 忽然と前を走るウンジンのあたりに光をともすディスプレイが浮き上がる。
 驚きに、ウンジンの体がかしぐのが見えて、スモモは、「あ」と声を上げた。
『ん? なにやってんだ?』
「ご無事でしたか」
『それより、バカ娘は――いないな。どうした。殴らせろ』
「殴る前に墜落中ですな。いま必死で追いかけてますが」
 背のカルミアを一度背負いなおしながら、ウンジンが言う。一瞬考えるようにユウは視線をそらし、すぐに厳しい目つきでウンジンをにらむ。
『HUBICシステムが落ちたか』
 無言で頷き返すウンジン。
「そっちの船のHUBICシステムを、使わしてもらえないっすか?」
『――使えると思ってるのか? システム効果範囲は、其処まで届いていない。さらにこちらのジェネレーターは既に停止している。たとえ効果範囲を伸ばせたとしても、テメェらの使う式術を発露させるほどの動力はない』
「……」
 アサガオは無言でフウランに合図し、足を止めさせた。つられて周りの皆も足を止める。
「クイズのつもりっすか? それとも試験? HUBICシステムは式術によって呼び出された世界を制御するために使われてます。ジェネレーターは、その世界そのものを作り出し、さらにそれを制御するためのエネルギーを生み出す場所。切って切れないものじゃないっす。ジェネレーターならこちらにあるのを使えばいい」
『へぇ、お前、どこまでしってんだ? まぁいいや。たしかにこちらのHUBICシステムで、そっちのジェネレーターを操作することは可能だ、同型機ではあるし、本来からジェネレータの貸し借りは仕様にある。連結型惑星殲滅砲も同じことをやって出力を上げてるしな。出来ないとはいわねーよ』
 誰もが口を挟まず、二人のやり取りを聞いていた。
『だがな、さっきも言ったように効果範囲内じゃない。こっちは近づけないし、そっちには艦長がいない』
「先ほど、こっちからの効果範囲を広げたばかりっす。まさか、双方の効果範囲が重なってなきゃできないほどバカなシステムじゃないっすよねぇ?」
 アサガオの口元は笑っていた。対するユウの口元も引きあがっていく。
『はっ! いいねいいね。お前面白いな。だけど証拠がないな、それは推測でしかない』
「証拠? 式術やHUBICシステムを使用した物理干渉は、多分世界に偏在する何かを媒介にしてるっす。式術は意図的に集めたそれのことを構成触媒ってよぶっすけど、そういうものが絶対存在しているっす。でなければ、いきなり何も無い場所の熱量を弄ったり物理法則を弄ったりすることは不可能っす。エネルギーも多分同じ原理で行き来してるはずっす。つまり、効果範囲にかんしては戦術機が違おうが、根本が変わってない限り同じに使えるはずっす」
『へぇ』
「だから、そのがあの場まで延びたというのなら、既に効果範囲内。構成触媒はいま間違いなくそちらの船の効果範囲内に接触してるっす」
『ご明察。で、お前は何をさせたいわけ?』
「ちょっと、アサガオちゃん、急がないと……」
 よく判らない会話に、スモモが痺れを切らして叫ぶ。けれど、アサガオは笑って首を振った。
「大丈夫、ススキさんはHUBICシステムを借りることができれば絶対にたすかるっす。だから私がお願いするのは、HUBICシステムの一時的譲渡」
『こっちの戦術機は既に二基動かない。一基しかない』
「でしょうね、でなければもっと快く貸してもらえるはずっす」
『其処まで知っていて、貸せというのか?』
「……」
 アサガオは黙る。じっと、ユウを見つめる目には感情は宿っていないようにすら見えた。
「ちょっと、なんで貸してくれないの? 貴方の娘でしょ!? 実の娘が死にそうなのに、しかも貴方を助けてあんなことになったのに、何で!!」
 耐え切れなくなったとばかりに、カルミアが叫んだ。
『あいつがあんなことをしないで、私を見殺しにしてれば、吹き飛ぶこともなくHUBICシステムが飛ぶこともなく今頃地上にもどってただろうさ』
「はぁ? あんた、何言ってるの! つまりあんたの所為じゃない! 大体できるんなら貸しなさいよ!」
「カルミアさん」
 止めようとしたアサガオを突き飛ばし、カルミアは拳を振り上げる。
「ねぇ、何とか言いなさいよ! ふざけんじゃないっての! ススキさんは皆を救うためにあんなことになったってのに! あんたを助けたからでしょ! 責任ぐらいとりなさいよ!」
 空中に浮かぶディスプレイは触れない。振り上げた拳は空をきり、ユウは冷ややかな目でカルミアを見下ろしているままだ。
「ユウさんに、こっちの艦長になってもらえば?」
 スモモの言葉に、ユウは一瞥すると鼻で笑う。
『艦長になったとこで、HUBICシステムがうごいてないのにどうする気だよ。それに、今の私じゃむりなんでな』
「何でそんなに落ち着いてられるの!? 実の娘なんでしょ! 何とか言いなさいよ!」
「カルミアさん!」
 しりもちをついていたアサガオが、フウランに支えてもらい立ち上がる。
「大丈夫っす、絶対助けてみせるっす」
「でも……」
『私がHUBICシステムを貸したところで、あいつの居場所がつかめないなら意味が無だろう。全域検索してもいいが、それまでに間違いなくあいつは墜落死するぞ。ついでにいってやろうか? こちらの戦術機でそっちにある三連戦術機を直接使用するなら、艦長の許可が無い今、三〇分はかかる。だからこっちのHUBICシステムだけを与えることも不可能だ』
「ですから、そちらのHUBICシステムを搭載している現存する戦術機を一基、一時的に譲渡してください。式術が使用可能であるなら、ススキさんを受け止めることができる。既に接地点は絞り込めてます。あとは式術さえ――」
『判ってて、言ってるな?』
「もちろんっす」
『――だったら、直接言え。遠まわしに言うなよ。お前がやろうとしてることをさ』
 ディスプレイの向こう、ユウが笑った。凶悪で壮絶な笑みで、彼女は笑う。
「ススキさんを助けるために……」
 いいよどみ、アサガオは拳を握って顔を伏せる。けれど、一度かぶりをふると、星空を背にしたディスプレイを見上げる。
『助けるために?』

「――死んでください」

 笑い声が聞こえる。
 凛と響く、存在感と意志に溢れる笑い声だ。腹の底から面白いという風に、その笑い声は夜の平原を駆け抜けていく。
 星空の向こう今にも崩れそうな戦艦のなかで、そして空を覆うものをなくした大地で、笑い声が響く。
『いいだろう』
 ひとしきり笑い終えたユウが、ディスプレイに顔を近づけて言う。
『この命、くれてやる』


 既に瀕死なんだと聞かされて、スモモとカルミアは驚きに言葉を失っていた。判ってたのはシュンランとアサガオとウンジン。
 ユウの体は既に胴体に風穴が開き、体中から血を流しているほどだった。かろうじて命をつなぎとめているのはたった一基、まるで奇跡のように壊れなかった戦術機のHUBICシステムだった。体組織の補填はすんでいるものの、いまだ生命維持装置として働いているHUBICシステム無しでは、息すらままならない状態である。
『わるかったな』
「いえ、娘ならともかく赤の他人に命を預けるんですから」
 彼らは既に円環の終着駅へと、移動を終了していた。ひさしぶりのようにすら感じる家のにおいに、ウンジンは一人笑顔で紅茶を入れていた。はじめから言えばよかったじゃないかと、カルミアは泣きながら客室にこもってしまった。シュンランとフウランは夜風にあたると小屋の外にでていったきりかえってこない。
 小さなテーブルには、アサガオとフィリフェラとスモモが座っていた。
『しかしまぁ、よく暗算だけでシミュレートしたな。お前、頭おかしくないか?』
「し、失礼なひとっすね……間違いなくこの地点、この辺りに違いないっす。HUBICシステムが落ちる寸前までの情報と、気流情報のおかげっす」
 テーブルには、地図が引かれている。といってもユウを写すディスプレイと同じく、空中投影の物だ。
「落ちる寸前HUBICシステムが、ススキさんを受け止めようとして一旦空中で静止してるっす。おかげで時間が稼げた。残り5、6分といったところっすけど」
『ふん、では早く引導を渡してくれ。そっちのアクセスと同時にシステムの切り替えをするようした。こっちは、いつでも死ぬ準備は出来てる』
「……誰も死なないっす」
『はぁ? 何言ってやがる。夢を見るのも――』
 アサガオはうつむいていて、表情は見えない。ユウはそんなアサガオの姿に眉をひそめる。
「命をかけて、助けた母親が目を覚ましたらいないなんて、そんなの私は認めないっす」
『……』
「もう、誰も死なせない。貴方も死なせない、ススキさんも絶対に受け止めて見せる!」
『そんな隻腕で、何がつかめる。諦めろ、手を伸ばすってことは、何かを捨てるってことだ。持っていた物を捨て、新しい物を掴むしかない。無理はするな、その代わりススキを頼――』
 言葉尻を遮るように、アサガオは立ち上がりテーブルを叩いた。乾いた音が響き、その音に驚いたウンジンが食器を落としそうになる。
「ふざけんな! 自己犠牲なんて、はやんないっす! そんなん、物語の中だけで十分だ!」
『それを薦めたのは、お前じゃねぇか。それに、私はいい母親じゃなかった。コレぐらいしか、あいつにはしてやれん』
 テーブルが、軋んだ。アサガオの腕が振るえ、それにあわせてテーブルもかたかたと乾いた音をたてて揺れ始める。
「親にいい悪いもあるもんか! 私は、この体を生まれてからずっと親に切り刻まれ続けた。今だって……今だって欠片も許せない。許せないけど!」
 軽い木を叩く音に、スモモが驚き視線を向ける。アサガオは泣いていた。涙が、テーブルに当って軽い音を立てている。
「でも! それでも私の母さんは一人なんだよ! 許せなくたって、どれだけ恨んだって、母さんは母さんなんだ! ススキさんだって、おんなじだ! じゃなかったら、あんなことするもんか!」
 ディスプレイの向こう。驚きに、ユウは目を丸くしていた。
「そうですわ。自己犠牲で居なくなられるなんて、まっぴらごめんです。正直、私はあの光を受け止めた貴方を許せそうにありません」
 フィリフェラが目を伏せたまま呟く。
「居なければ、文句の一つだって言えませんしね。私の母は、私が殺したも同然です。本人は自己犠牲のつもりだったかもしれませんけど。置いてかれたほうは、いい迷惑ですの。ほんと、自分かってな人ばかりで……」
 其処まで言うと、フィリフェラはため息をつくように長い息を吐いた。
「どうせ、はじめからああなることが判っていたのでしょう? 子を思って死ぬのでしたら、迷惑千万。貴方の助けなど必要ありません。せいぜい自己満足のなかで、一人愉悦に浸っていてください」
『……ったく、ガキどもに説教垂れられるたぁ、焼きが回ったか』
「絶対、誰も死なせないっす。だから、諦めないで下さい」
 アサガオの言葉に、ユウは苦笑し頭をかいた。
『三分だ。気合で生きていてやる』
「二分で十分」
 背をむけ、アサガオは歩き出す。
「私の右腕は、この世界だ。私につかめない物なんて一つもない」
 振り返りアサガオは笑った。それは壮絶で、あまりに鮮烈な笑み。ススキにもにた、その意志溢れる視線は、何者にも揺るがずただ前だけを見ている。
「人間の一人や二人、いくらでも捕まえてみせる」


 人々が住む生活圏の最果て。円環の終着駅とよばれる、小さな小屋がある。あたりは雪が積り、一面の銀世界。夜の闇にも埋もれず、星明りをうけてかすかな自己主張をしていた。
 小屋の玄関には、いつも座っている黒尽くめのメイドは居ない。代わりに、かわいらしい雪だるまが一つ、まるで小屋を守るように立っていた。
 そして、小屋の前には幾人かの人影がある。
「――以上が、概要っす。開始まで残り一分。頑張ってくださいっす」
「でもなんて、私たちなの? ウンジン様とかのほうが」
 話をきいたスモモが首をかしげる。アサガオの前には、フィリフェラ、シュンラン、フウラン、そしてスモモがたっている。
「ユウさんが乗ってる船の戦術機は一基っす。式具無しの式術は、負担が大きいので式具をもってる四人がベストなのと、あとは空間断絶式の正確な移動のために。体が小さいほうが有利だということぐらいっす。さぁ、時間ないんで用意してください」
 アサガオの後ろにはウンジンとカルミアが立っていた。ユウを写すディスプレイはアサガオの後方に浮かんでいる。
 スモモは、彼女らを見渡して頷きを返す。握りしめた式具は、いつものように手に暖かい感触を返してきてくれた。

 簡単な作戦ではあった。フィリフェラの銀の式術で予測接地点へ移動、フィリフェラがスモモを抱いたフウランを吹き飛ばす。空中で、多段式ロケットの容量でフウランがスモモをさらに上に。上空で、スモモがススキを捕まえるという至極力技な計画だった。
 地上で巨大な式術を引いてススキを受け止めるには、予測接地点の大きさと完全ではないHUBICシステムのため断念。今HUBICシステムが許容できる式術は、多くても程度が限度なのだ。予測接地点が絞り込めないのなら、空に登ればいい。そんな乱暴な考え方で、その計画は成り立っていた。
 時間さえあればもう少しまともな案もあるのだけれど、とアサガオはため息をつきながらフィリフェラに向かう先の座標を伝えていた。
「予測では、両手を広げれば捕まえられる範囲内まで登れるはずっす。ただ、相対速度でとんでもないことになってるので空中で掴みなおすような余裕はないっす。頑張ってください」
 その言葉に、スモモはたじろいだ。
「そんな重要なこと、私が……」
「じゃぁシュンランのように二名を空に吹き飛ばすだけのことができるっすか? それともシュンランの剣をうけて気絶しないで空に登れるだけの体力は? それとも、空間断絶式で、完璧な座標移動ができるっすか?」
「……う」
 スモモはうつむく。自信はない、だけど代わりをやってくれる人もいない。心臓が破裂しそうなほど鼓動をうち、だというのにスモモの顔は真っ青だった。
「大丈夫」
 ウンジンの声にスモモは顔を上げた。
「お前は、ススキの弟子だ。ススキはバカだが、少なくても何も考えずに式術を教えたりはしない。自信をもて、スモモ」
 頷きを返すスモモ。少しだけ顔色が戻ってきたところで、時間を告げるツバキの声がした。
『予定時刻です、状況を開始してください』
『娘を、頼む』
 ノイズを残して、ユウを写していたディスプレイが掻き消えた。
 躊躇いもなく、溜めもなく、銀色の腕輪が金属質な音を立てる。
『既済・連堰の銀鼠』
 フィリフェラの銀色の式術が四人を一気に包み込む。
「必ず、皆で帰ってくるっす」
 頷く四人を銀色の光が包んだ。空間が切り裂かれる、ガラスが割れつづけるような耳障りな音。世界そのものから、世の中をつかさどる法則から切り裂かれていく。

 空間を無視する光は雪積る草原から掻き消え、目的の場所へと現れる。ほとんど一瞬でそれは完遂し、四人は一呼吸にして見たこともない草原に立っていた。
 ススキが放った式術はそんな場所にまで雪を降らし、あたりは一面の白。星空をみあげても、ススキの姿は見えず、一瞬だけ不安が風と一緒に流れていく。
『あー、あ。聞こえるっすか。その場所は、小屋から九〇キロほど離れた場所っす。迷子になったらその場から動かないでいてくださいっす』
「アサガオちゃん?」
『HUBICシステムの基本ソフトには、ディスプレイ機能がついてるので、気にしなくていいっす。それより、シュンラン見えるっすか、ちょうど真上あたりに一つ色の違う星が見えるとおもうっす』
 振り仰ぐと、一つ赤く弱く光る星ちょうど真上にある。
『あれにむかって二人を』
「うん」
 頷くや否や、腹を見せた剣を地面に斜めに立てかける。
『フウラン、上空まではサポートできないっす。さすがに移動する座標を追いかける余裕は、ないみたいっす。ちょうど上昇が止まったところで、スモモちゃんを同じく赤い星へむかって!』
「はい」
 スモモを衝撃から守るように体を縦に、フウランが剣に体を預ける。スモモはフウランに抱きしめられるような形になっって丸くなる。
『大丈夫っす。絶対その両腕の中に、ススキさんが落ちてくるっす』
「うん」
「いくよ」
 世界がぶれた。
 魂が抜けるかと思うほどの衝撃と同時、体中を押さえつける風の音が聞こえた。
 景色が真下に吹き飛んでいくなか、少しずつ体が速度に慣れていく。初速だけを与えられた二人は、ゆっくりと速度を落としながらしかしとどまることを知らず空へと登っていく。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
 平然としているフウランを見てスモモはすごいな、と思う。自分の手は、こんなにも小さかったのだと思い知らされる。
 視界を占めていた白い白い雪景色は、すぐに夜空にとって変わられ世界が遠くなったかのような錯覚すら覚える。スモモは、一度だけ下をみて己がいる高さを実感した。
 ――もう、こんなに。
 いまだ速度は衰えず、二人は夜空を駆け上っていく。ふと、その小さくなる白をみて、小屋の前にあった物をスモモは思い出した。
「ねぇ、フウランくん。あの雪だるま」
「え? ああ、あれは、おまじないです」
「おまじない?」
 風の音がうるさいが、フウランの声はりっかりと聞こえる。
「家族が一緒に居られるようにって。おまじないです」
「そっか。……ねぇ。なんで私に伝言を?」
 中央で、フウランたちが捕まった日。ずいぶんと前に感じるが、実際は三日もたっていない。あの日から一日かけて、中央からアサガオが居る町まで行き、そのまま泥のように眠って気がつけばウンジンに起こされた。
 それが昼過ぎだったか。ウンジンにいわれて使った式弾で、アサガオを助けたが、彼女はその時右腕を失った。そのまま転移した先で、ススキを治療しそして夜には軍隊が攻めてきた。
 守るために倉庫を抜け出し、アシとサンショウに再開し、そのまま二人を残して中央へと向かった。夜中、雪がふり、中央でカルミアに再開したのさえ、何日もたったようにすら思えた。
 スモモは苦笑する。
「スモモさんは、絶対諦めないひとですから」
 そういってフウランは笑う。
 ゆっくりと風の音がやみ始めるのがわかった。流れていた風景は既に夜空に埋めつくさ、遥か遠くに白い地面が見えた。
「大丈夫です、きっとススキさんも受け止めることができます」
「うん」
『猛追・連堰の銀鼠』
 フウランの指輪から、銀色の光が放たれる。同時式陣を描きそれはゆっくりと、スモモを空へと押し上げていった。
「いってきます」
 スモモのその言葉を最後に、式術が爆発した。反作用で、弾かれるように真下に吹き飛ぶフウラン。まるで彼を生贄にしたかのように、スモモは空へと舞い上がっていく。
 風を聞いていた。
 豪という重たい音が耳朶を叩く、体が引っ張られそうになるほどの勢いに、スモモは目をひそめた。
 夜空にむかって弾丸のように飛ぶ。
 まだススキは見えない。
 速度はホンの少しずつだが収まりはじめ、初めに聞こえていたような風はもう聞こえてこない。
 まだ、ススキは見えてこない。
 ――どこ!?
 不安が体中を貫く。いまだ夜空は星だけを映し、ススキの黒い姿は見えてこない。
「!」
 ――黒い……影?
 見えるわけが無いのだ、夜空は暗く星が見えているところで、ススキの姿が見えるほどの明るさなはずも無い。
「そんなっ」
 思わず手を広げた。急制動がかかるが、まだスモモは空を登る。けれど、その手には風がつかまるだけで、ススキの姿はない。
「ススキさん!」
 精一杯叫んだところで、返事は当然ない。風だけが、耳を叩き体を舐め、服を引っ張る。けれども、ススキの姿は見えてこない。どこにも、ススキは居ない。
 このまま、取り落としススキが地面に激突する瞬間を想像し、スモモ体中を硬くした。
 ――このまま、見つけられないんじゃ。
 恐怖はからだの動きをこわばらせ、あせりに視線は焦点を定められない。心臓の鼓動が、あまりにうるさく、風よりも耳障りだった。
「え」
 ――風よりも?
 風の音が小さくなっているのだ。既に速度は落ちきり、体は地面へ引き寄せ始められていた。驚きとあせりに、スモモは上に手を伸ばすが、そんなことで速度が稼げるわけもない、今ココで速度を稼ぐために式術をうって、HUBICシステムに負担をかければ、今度は着地が危うい。
 ――そんな!
 めまいがするほどの恐怖とあせりが、体中を蝕んでいく。
「ススキさん!」
 叫んでも、手を伸ばしても陰すら見えない相手の名を叫び、スモモは必死に夜空を見上げる。

 体が止まった。

「あ」
 呟いた言葉を上に、まるで世界が全てを否定したような勢いで体が――
「ススキさん!! いやっ! まだ見つけて無いのに! まだ、まだ!」
 風が聞こえる。押さえつけていた、あれほど邪魔だった風が、逃げ出すように下から上へと流れていく。
 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「どうして、もうちょっとまって! なんで! まだ、まだススキさんが!」
 声は頭上へと流れていく。支えをなくしたように、スモモの体は落ち始めた。


「ちゃんと捕まえたかな」
 見上げながら、シュンランが呟く。横で空も見上げずフィリフェラが薄く笑みを浮かべていた。フウランが墜落した場所は、雪が吹き飛び地面が顔を出していた。その黒い土に、白い染みのようなものが落ちてくる。そういえば、アサガオがまだやることがあるからと、通信をきった時に、そろそろ雪が降るといっていた。
「雪だ……」
「天蓋がなくなって、空気が冷されたから。また降り始めたんだ……」
 座ったまま、フウランが言う。相変わらず夜空には星が並び賑やかな空だった。薄い雲が立ち込めているものの、夜空を全部覆い隠すほどではない。
「大丈夫かな?」
「きっと」
 吹き始めた風に揺られながら、シュンランは空を見上げる。


「心拍数低下。低血圧によるショック状態だと判断します」
「かっ、は……ハハ。いい、構わん」
「艦長を見捨てろと、おっしゃりますか」
 ただでさえ崩れそうな艦橋で、ユウは仰向けに倒れたまま笑う。
「私が死んだら、娘を頼むぞツバキ」
「お断り致します」
 にべも無い答えに、思わずユウは目を見開く。
「おまえ……」
「死んで花実が咲くものではないと、存じます。いい加減、艦長は、自己犠牲精神を矯正、されるべきかと。あの事故の責任はどこにも無いと、既に裁判でも結論が出ております」
「おい、ツバキお前……」
 途切れ途切れの言葉に、ユウは眉をしかめる。
「私は三連戦術機が生み出す擬似人格インターフェースの一部です。泣いてなどっ」
「……死んで花実が咲くのなら、お寺の周りは花だらけってか。はっ! いいだろう……ごほっ、見事、咲かせてやろうじゃねぇの」
 いくつの時間、共に居ただろうか。笑いながら、薄れる意識のなかでユウは思う。もしかしたら、誰よりも共にいた船、そして常に傍にいたツバキ。
 実の娘より恨まれるかもしれないと、ユウは心の中で苦笑した。
「こりゃ、本格的に死ねんな」
 食いしばり、体中に力を入れる。激痛と筋肉が押し出す血液に、体中が叫んだ。まだいける。無理やり吸い込んだ空気と激痛に、必死で意識を繋ぎ止める。
 ――早くしやがれ、バカ娘!


 雪だるまを見下ろしながら、隻腕の少女が後ろに立つ老人に呟いた。
「だから、言ってるじゃないっすか。大丈夫っすよ」
 残った左腕を振り回し、アサガオは笑う。
「しかしだなぁ。夜空を背に、あの黒ずくめのダメイドが見えるのか」
「その点なら、ほら」
 左手で空をさす。雪が降る空の向こう、指の指し示す先には――
 しかし何も無い。
「何もないじゃないか」
「いいえ、でっかい祭りの始まりっすよ!」
 アサガオの叫びと同時――

 世界が咲いた。

 何が起こったのかわからない。閃光に目を奪われ、それが花火なのだと気がついたときには次の物がやってくる。
 轟音。
 式術ではなしえない、火薬を使った花火だ。
「さぁ! スモモちゃん、後は貴方の手だけっすよ!」


 驚きに声が出なかった。夜空を一瞬にして昼のように染め上げる、大量の花火。しかし、其処に大きい花火はなかった。きっと携帯していた小型の花火をまとめて打ち上げたのだろう。
「……アシ」
 光は遠く、こんな僻地のさらに空の上まで届いていた。
 ――すごい。
 力強く、そして暖かい光にスモモは空を見上げる。
「ススキさんっ!」
 また、空が光った。コレで最後だといわんばかりに、夜空が染め上げられる。真っ赤な花火は、それでも夜空に吸い込まれて一瞬にして消えていく。
 が、その中で一つ黒い影が赤い光に輪郭を浮き上がらせた。
 ――見えた!
「ススキさん!」
 既に相当な速度でスモモは落下している。登るときよりも相対速度は格段に落ちていて、なんだかススキの落ちるスピードが遅く感じた。
 それでも既に、ススキの落下速度はすでに終端速度へと達している。消えそうになる花火の光を頼りに、スモモは空を泳ぐようにして手を伸ばした。
 体を水平にして、頭から落下してくるススキの傍へ。地面が近づいてきている、耳を打つ風の音がうるさい。
 花火の音が今になって耳に届いた。腹をくすぐるような重たい音、世界を揺らすその音が体中を駆け抜けていく。
 体が同じ高さに並んだ。
 同時スモモは、ススキと同じように頭を下にして、一気にススキに近づく。
 ――あと少し。
 手を伸ばす。地面が近い。風がうるさい。あと少し。体を必死に伸ばすが、落下中で上手く体が動かない。焦ってバランスを崩し、一瞬上にもって行かれそうになる。
 必死て風を切って下へ。
 急げ。急げ。白い地面が見える。さっきまで降っていなかった雪が降り始めたのか、顔中に何かが当り目が開けていられなくなった。
 手を伸ばす。弾丸のように地面へ向かって落ちる。手を伸ばす。まだ足りない。
 急げ!
「ススキ、さんっ!」
 掴んだ。
 風にあおられていた手を掴み、一気に引き込むようにしてススキを抱きしめる。体を叩く風の質がかわったのを感じながら、スモモは大きく息を吸った。
「皆! 捕まえた!」
 叫び、背に結びつけていた式具を引き抜き眼前に構える。
 ――止めてみせる。
『急伸・懐抱の瓶覗』
 真っ青な、光が走る。右腕に式具、左手にススキ。すぐにでもはじけ飛びそうな式具を右腕一本で押さえ込む。
 思わず左手にも力が入るのがわかったが、気にかける余裕も無い。スモモは、ただ前を向いて式術を放つ。
 細かな水滴は一瞬にして氷結する。
 まるで強大な雪の塊。それが眼前に現れる。綿のような雪。降る雪よりも密度が高く、けれど積った雪よりもやわらかく、それはまるで綿。
 そこへ、ススキをつかんだスモモが突っ込んでいた。勢いで雪が吹き飛び、それでも彼女らの勢いは止まらず、その雪の柱は爆発したかのように広がっていく。

 目の前に現れた巨大な雪の柱に、驚きシュンランたちは空を見上げる。
「帰ってきた!」
 上げた叫びと同時、雪柱の上部が爆ぜた。まるで巨大な木が枝を広げるように放射状に広がる雪。そして、雪を吹き飛ばす曇った音が聞こえてくる。
「アサガオさん! 確保完了です! 急いで!」
 フウランが叫ぶ。同時、世界が一瞬だけかすかに震えるような揺れを残してプルタブとの接続が切れた。
 まだ、空高く雪の柱は聳え立ちその先の雪を吹き飛ばして二人が振ってくる。
 巻き上げられた雪は、空に枝のように広がって幻想てきな姿をさらけ出す。背後には星明りと薄い雪雲。飛沫を上げるように、枝葉を広げるように、雪の柱が飛散していく。
「全く、心配ばかり……」
 呟いたフィリフェラの言葉に反応するように、天球儀を照らす恒星が顔をだした。

「な、なに? まぶしい……」
 今まで天蓋の内週を回っていた人工照明だけだった世界に、本物の恒星の光が、陽の光が差し込んできた。
「……すごい」
 スモモが作り出した雪柱から、巻き上げられた雪が、そして先ほどからほんの少しだけ振っていた雪が、その光にあたって光を乱反射させる。
 地面に積っていた真っ白な雪が、まるでそれが光ってるかのように、目の奥に突き刺すような輝きを放つ。
「おーい」
 雪の柱の上で、スモモの声が聞こえた。乗り出したあたりから、ごっそりと雪が落ちる。ほとんど綿のようなその雪にうもれ、真っ白になったスモモが手を振っていた。
「スモモだっ!」
 シュンランが手を振り返す。それをみて、気が抜けたのかスモモの手がすべり体を支えていた部分の雪が崩れた。
「あ!」
 落ちる、と思った瞬間スモモの背後から手が伸びてくる。
 真っ黒な、雪に埋もれてなお漆黒の髪を揺らし、疲れきった顔が雪の塊から顔を出した。
「全く、無茶ばかり……」
 めんどくさそうに呟いた言葉は、静かな夜明けに凛と響き渡った。
「無茶はどっちですの!」
「ん……あ、あぁ。すまん」
 見上げるフィリフェラの頬に、涙の筋が日に当てられて光っていた。一呼吸を置いて、上から飛び降りる黒い影とスモモ。人間でいえば、十人縦に並べても足りない高さから、いとも簡単に飛び降り着地すると彼女は真っ黒な髪の毛についた雪を払って苦笑した。
「ただいま」


 叫び声が聞こえていた。
 彼女の視界に見えているのは、ひしゃげた天井だった板と顔をだしたコード類。いまだ沈火できずに顔を出した火と、切れたコードが放つスパークの欠片。
『聞いているのかね! ユウ艦長!』
 宙域連邦の総督府からの連絡に、ユウは眉をひそめため息を一つ。
「うるせぇ。資源惑星に飛び火したのは、後で責任とるっつってんだろ!」
『そうではなくて、なぜあんな危ないことを!』
「連結型惑星殲滅砲の特殊事後処理をしってるか?」
『……完璧であるがゆえ、事後確認の必要性はなく、機密漏洩の観点から記録は一切残さず、公式には発射時刻と許可承諾証明書だけを残し……』
「そうゆうこっと」
『なにが、そういうことなんだ! もっとちゃんと説明してくれんか!』
 怒鳴り声の音質は悪く、ところどころ音が割れている。画像も送ることが出来ないのか、完全に声だけが聞こえていた。
「だからー。うったらそれで終わりの、お役所仕事。途中で止めらることはねぇし、止められたら威信にかかわる。いいか? 既に"絶対神判"は放たれた。天球儀は、書類上――」
『……消滅した』
「そゆこと」
『……ちょ、ちょっとまってくれ』
 いきなり声が小さくなる。気の小さな男性らしく、息があらくユウの耳にまで鼻息が聞こえていた。
「呼吸うぜー! マイクに近づくな! キモイんだよ臭いまで届きそうだ」
『ひどっ』
「申し訳ありません、現在ノイズカット処理もままなりませんので」
『ツバキまで……つ、つまり。いや、たしかに既に天球儀の処分は終了した……そうか、しかも今後一〇〇〇年は、禁止区域になる。全部機密保護を理由に、あの宙域はすべて広宙域連邦の庇護下で守られる……、ユウ艦長、もしかしていまだにあの四億人の贖罪を……』
「うっせぇ。てめぇ、他言したら髭引き抜くからな!」
「ノイズカット処理復旧します」
『え、あ、ちょ――』
 最後に接続切断のノイズをのこして、通信が切れた。
「ノイズか?」
「ノイズです」
「ノイズだな」
 急におかしくなったのか、からからとユウが笑い出した。
「さぁて、一千年は伸ばしてやったぞ。どうなるか見ものだな」
「その前に、お怪我を」
 ツバキの言葉に、ユウは判っているよと笑って答えた。


 遠く地平線の向こう、崩れた歯車はその場で佇み動いていない。

 天蓋はなくなり、世界は始めて外を見上げることができるようになった。空は青く、ドコまでも突き抜けるように綺麗に輝いていた。
 目の前に広がる草原には、小屋からつながる小道が遠く地平線の向こうへと伸びていた。小屋の名前は、円環の終着駅。名前とは裏腹に、貧相な小屋にしか見えない。玄関には黒を基調とした、メイド服を着込んだ、真っ黒な髪の女性が一人腰をかけて崩れた歯車を眺めていた。
「暇」
 呟きは、風に乗って小屋の中へと吹き込む。
 小屋の奥、台所に立った干物のような老人が顔を上げる。
『皆さんこんにちわ、今日のニュースを――』
 老人の視線の先、壁に立てかけられるように、ディスプレイが一つ浮かんでた。まるで場違いのそれに誰も疑問を抱かないままそれは存在している。
『本日づけで、即位されたアグラオネマ・フィリフェラ・アルミナ女王のご会見の儀の様子をどうぞ――』
 ディスプレイは、淡々とその日のニュースを流し続ける。そのなかで、銀色の美しい髪をした少女が正装をし、人だかりの中央にある赤絨毯をしずしずと歩いていた。傍に控えるのは、式術近衛団の団長と、親衛隊の隊長の二人。双方とも女王に引けず劣らずに若い。おかげで、話題だけはとびかっていた。
 真っ白な髪の毛をした式術近衛団の団長は、色無しと呼ばれる先天性白皮症の少年。その横のブラウンの長髪をした親衛隊の隊長は、身の丈よりもながい強大な剣をつりさげていた。
 三人は、ゆっくりと最近修繕を終えた中央の城へ、消えていく。
『続いて次のニュースです――』
 火にかけていた薬缶が、カタカタと音をたてて湯気を吹き上げる。老人は、見入っていたディスプレイから視線を外すとあわてて火を消す。
『一年をあけ、復活した降臨祭の話題です。本日は、降臨祭で行われる花火大会のなかでも全世界で唯一の火薬を使う花火職人の方をおよびしております』
 ディスプレイにはキャスターの女性の横に、初老の男性が映っている。一見すれば、同じくキャスターにすら見えるほどきっちりとした紳士は、優雅に一礼をした。
『さっそくですが――』
「おぅい、茶がはいったぞ」
 部屋の奥からかかる声に、玄関に座っていたメイドが立ち上がった。
「あいよ」
 玄関の横に箒を立てかけ、彼女は物憂げにテーブルに着く。
「久しぶりに、ツユクサにいってブレンドしてもらってきた」
「へぇ、相変わらず暇だな爺」
 いやみたらしく笑うメイドに、老人はため息を一つ。
「そういや――」
 と、切り出した瞬間、ガラスが切り刻まれるような甲高い音が響く。
 あわてて立ち上がると、窓からもれる銀色の光が目を覆った。
「!」
 すぐにその光も収まり、空間を切り裂く音も霧散。光の中心には、
「だー! もうちょっとで小屋にぶつかるところだったじゃないっすか!」


「あら、文句があるならご自分でやればよかったじゃありませんか」


「あ、紅茶だ!」


 声と一緒に人が、わらわらと入ってくる。。
 隻腕の少女が、先ほどテレビに映っていた女王の頭を叩き、女王は――女王のはずだが――負けじと隻腕の少女の真っ白な髪の毛をひっつかむ。
 そんな喧嘩の隙間をぬって、ブラウンの長髪をした少女が小屋に駆け込んでくる。そんな三人の後ろ、足蹴にされつぶれていた少年と、それを助け起こす金髪の少女の二人が見えた。



「ったく、騒がしい」
「あ、カルミアさんでてるー」
「どこどこ?」
「大体、城から抜け出すの手伝ったの私なんすから、もっと感謝したらどうっすか!」
「あら私が助けてもらったのはスモモさんで、貴方じゃありませんわ。とうとうその頭も焼きがまわりまして?」
「あ、もうニュースの時間だったんだ」
 騒ぎは、ゆっくりと小屋の中を侵食するように広がり、叫んだり笑ったりの大騒動が小屋を満たしていく。
「だー! うるせぇ! 黙れ! 静まれ!」
 凛と響く声は、騒ぎの喧騒をつきぬけ一瞬にしてそれを沈静化させた。
 ぴたりと止まる騒ぎに、メイドは大きく息を吐くと顎でテーブルをさす。
 総勢五名がテーブルに着くのを確認すると、頷き振り返った。
「おい、爺。お茶」
「いや、それはメイドの仕事だとおもうのだけど、どうよ?」





 世界はゆっくりと動き出した。回り続けていた円環は終わりを告げ、ゆっくりと前に。
 もう歯車は回っていない。











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