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・テーマ「束縛」

 多分、その音は生まれて始めて聞いた音だ。
 柔らかく、けれど残酷で、冷たく、鋭い――
 肉を貫く音。
 胸の真中、いやに冷たい感触にススキは我に返る。
「――」
 胸から、何かが生えていた。黒いなめした皮。玄関から差し込む弱い光を受けて光っている、使い込まれた――
 ナイフの柄。
「――あ」
 言葉と一緒に、口の中が血で溢れかえった。息を吐くよりも血を吐いた。粘性を帯びた泡が割れ、耳障りな水音がする。
 そして床に飛び散っていく赤。赤。赤。胸の辺りが、居心地の悪い冷たさに浸される。痛みは無かった。ナイフは綺麗に背まで貫通し、まるで放熱板のようにススキの体温を奪っていく。
 思い出したように、血が溢れ出した。体の熱を引き連れて。その喪失感がなんだか、悲しくて寂しくて切なくて、泣きたくなった。

 歯車は回る。偽りの大地が血に染まっても。いつまでも回り続ける。


「わたくしの勝ちですわ! サンタンカのケーキ一ヶ月分、約束忘れてませんこと?」
 叫びながら、十七になったばかりのカトレアが玄関を叩きあけた。
「最年少就任か……くそ」
 式術近衛団の団長就任時期を賭けて、ススキはカトレアと勝負していた。最年少就任をすれば、カトレアの勝ち。しなければススキの勝ち。
「コレが証拠ですわ! ……あら? あらら」
 カトレアは服のあちこちをめくり上げ、ひっくり返し始める。どうせまた、家に忘れてきたのだろう。しかし、賭けの対象である辞令書を忘れるとは恐れ入った。ススキは残りの紅茶を口に流し込み、幼馴染を見て微笑んだ。

「勝負ですわ! ススキさん、貴方が国に来たくないと言うのでしたら、今此処で白黒はっきりさせましょう。負けたら勝った方の言うことを聞く、という事でよろしいですわね!?」
 原色をあしらった中央式術近衛団の制服が、声の主と一緒に揺れる。相変わらず賭け事が好きだ、とススキは呆れ顔になる。
「か、カトレア。お前、こんな事を勝負なんかで……」
「幼馴染としてもお願いします。といっても、貴方は首を縦に振らないのでしょう。ですから、勝負ですわ!」
 とんでもない理論だ、でもススキはゆっくりと頷く。
「わかったよ……」
 彼女を生まれた頃から知っている。負けず嫌いで、意地っ張りで、甘い物が大好きで、賭け事も大好きで、忘れっぽくて、家にいるメイドがいなきゃ暮らしていけない癖に、いつも偉そうで……絶対服従を誓った王を心酔してて、ふられて、気が付いたら――
 夕焼けに赤く染まる空。街を見下ろせる丘に立って、銀色の髪の毛を赤く染めていた。
「お母様!」
 背後で、叫ぶ声にススキは振り返る。
 母親に似て、気の強そうな目と銀色の髪の毛。
「え? は? もしかして、おまえの」
 驚いて言葉をかけるとカトレアは恥ずかしそうにそっぽを向く。
「……そうですわっ」
 ――子供もいた。

 血まみれの子供を連れて、小屋にやってきたときもあった。三〇〇年前の大戦争の忘れ形見。身体調整を受けた子供達だ。細胞劣化を停止させられ、変わりに記憶は一過性。しかしゆっくりではあるが体に染み込んでいく記憶は拭えず、根源の精神は既に異常をきたしていた。
 痛みを忘れた、色無しの少年。殺さなければ、呼吸の出来ない少女。
 その二人を連れて、カトレアは泣いた。
「お願いです! この二人を……」
 三〇〇年前は、色無しにすら式術を使用出来た。いや、その方法があった。しかし、今彼女等の居る場に、そんな技術は一つも残っていなかった。殺さなければ呼吸の出来ない少女の施術はそれほど難しい物ではなかったが、色無しの少年に施せる術は一つだってありはしなかった。
 二人を抱え、カトレアは跪きうな垂れる。この子達に未来を見せてあげたいと。この子達が笑ってすごせる明日が欲しいと。そのためなら、何でもやると王国式術近衛団の団長は泣いた。恥も外聞も関係なく、彼女は泣いた。
 稀代の式術師ウンジンと、その最初にして最後の弟子ススキ二人の尽力により、その子供達は記憶を手に入れる事になる。変わりに細胞は劣化を始め、寿命という終わりがやって来た。
 だが、それでいい。「それが生きるということだ」――銀色は言う。
 二人をつれ、必ず二人に未来を見せるとカトレアは言い残して去っていった。
 身勝手な奴だと、ススキは笑う。
 相変わらずだと、ウンジンは苦笑いを返す。
 たまにカトレアがやってきて、言う事を聞かない子供達の愚痴を吐いて帰っていく。
 たまに娘のフィリフェラがやってきて、口うるさい親の愚痴を吐いて帰っていく。
 たまに養子のシュンランがやってきて、口うるさい親と姉の愚痴を吐いて帰っていく。
 たまに養子のフウランがやってきて、母と姉達が迷惑をかけたと頭を下げて帰っていく。
 寂しくは無かった。銀色の家系は何百年もずっと、ススキたちと共に居てくれたから。
 だけど――

 守れなかった。

 ススキは、目を開ける。木箱に詰められた、カトレアの体。既に血は流し尽くし、死斑が浮き出始めた肌。綺麗な銀色の髪は既に艶を無くし、酸化しきった黒色の血に汚されている。汚れをぬぐおうと伸ばした手は、届かなかった。
 胸のあたりから、熱が逃げていく。熱は大事だ。体が動かなくなってしまう。そう考えた瞬間、視界が一気に落ちた。
 倒れこんだのだ、と気が付いた時には既に床に伏していた。
「ススキさん!」
 アサガオの声に、一瞬だけ思考が引き戻される。だがすぐに、なんだかあやふやな場所へ引き戻されていく。
「ススキさん!」
 声が聞こえる。誰の声だっけ? ススキは焦点の会わない視線を彷徨わせた。
 懐かしい少年の顔が、目に入った。
 ――ニノ。
 ニノ・ブレスト。ああ、元気だったか。なんだか安心してススキの意識は白い闇へ落ちていった。


「三人の天使は、自分たちの身を捧げ大地を作りました。その後に現れた二人の天使が、人々を作りました。そして世界は出来上がったのです」
 良く響く青年の声。返り血に汚れた手をかざしながら、青年はアサガオを見る。
「ススキさん!」
 ススキの胸の中央、まるで何の抵抗もなく差し込まれたナイフの柄が見える。背中からは刃が顔を出し、血がとめどなく流れている。
 体中から血の気が引いた。三度ほど吐きそうになった。だが、アサガオは全てをこらえる。
 ――聞いていた話より、大した事はないっす。
 コレだったら、猟奇小説の描写のほうが気持ちが悪い。一見は百聞には及ばなかった。
「嘘なんだけどね?」
 ススキを抱きかかえるアサガオの顔を覗き込み青年が笑う。
「三人の天使は、大地を造り終えた後。身を捧げ、オリジナルのクローンを作り上げた。その後に現れた二人の天使がやった事は――」
「子供を一人置いていっただけっす!」
 遮るようにアサガオが叫んだ。
「だからどうした!」
「だから? 簡単じゃないか。その子供以外は偽者の人間さ」
 青年は笑う。アサガオは話しても無駄だといわんばかりに視線を外し、ススキを見た。
 ナイフは心臓を傷つけてはいない。だが気管がやられてる、微妙にずれた刃を見れば背骨も神経も大丈夫そうな角度だった。まだ生きている。
 このままではススキは血に溺れてしまう。だが、ナイフを抜けば出血は抑えられない。
 もう一度、吐き気が襲ってきた。腐臭に、体中が抉られるような不快感を覚える。カトレアの体が、もう腐り始めたのだ。
「クローンは、その本物を守るために作られた偽者。生まれながら、存在そのものがそいつを守るためだけにある。僕らは縛られてるのさ、細胞も精神も越えたもっと根幹の存在そのものからね!」
「……あなた、ヒマワリさんですね」
 ウンジンに貰った情報。カトレアづてで手に入った極秘資料。そして、ヒマワリに渡された銀色のディスク。そのことごとくをアサガオは読み漁った。結果たどり着いた答えは、ヒマワリと同じ物。世界はただ一人の子供を守るために作られた偽りの世界だ、というもの。本当にそれだけのためなのか、疑問は残る。だが、現実がそれを告げていた。
 だがなぜ、ヒマワリがそんな事を知っているのか。問いただす暇はなく、見回した部屋にウンジンの姿はない。
 歯噛みをするアサガオを見下ろして、青年に化けたヒマワリが笑う。
「あたり、あたりぃ。良くわかったね、アサガオちゃん?」
 ――式術さえ使えれば。
 なぜ、自分が式術を使えないのか。式術さえ使えれば、ススキの出血を止め、ヒマワリを追い払い、ウンジンを探し出す事が出来るというのに。
 どうして自分が式術を使えないのか。
 ――前を向け。諦めるな。思考をまわせ。ただ一つの可能性があるのなら。
「いま間違いなく、心臓を突き刺したと思ったんだけどこの有様だよ。でもまぁ、このまま放っておけば死ぬかな? 死ぬかな? どーせ死なないんだろうけど。でも、すぐには回復しないよね、しないよね。後は、あの干物をどうにかすれば」
 ――耳を傾けるな。考えろ。ススキを助ける方法を。
 手が血に滑る。ススキの体温を運ぶ血がどんどんと外へ流れ出していく。
「戦争がはじまるよ! ひ……ひひっ! アハハハハハハ!」
 腹を抱え、膝を叩き青年は笑う。
「一つだけ。教えて欲しいことがあるっす」
 ススキを力いっぱい抱きしめる。少しでも血が流れないように、少しでも可能性を広げるためにアサガオは腕に力をこめて、ヒマワリを見上げる。
「ハハ……あ?」
「式術は、物理理論体系上存在し得ない。そんな物を行使していた人間が、貴方が手に入れようとしているものを本当に望んでると思う? 戦争を起してまで、ソレを手に入れたところで何も変わらない」
「あら。やっぱ、アサガオちゃんはわかってたんだ。だったら、だったら賛同してくれるよね。じゃないと、世界は滅びるんだよ? それに、式術は初めっから物理理論の地平には存在していないからね、そう言う話ですらないよ、あいつ等は私達と同じ人間さ、精神も体も――」
 アサガオの言葉に、青年は心底馬鹿にした顔をする。
 物理理論の地平には存在していない技術。
 いま、間違いなくヒマワリはそう言った。体中に鳥肌がたつのをアサガオは意識する。口の中がカラカラだった。驚きと恐怖が頭の中を埋め尽くす。音を立てて断片的だった情報が形を作っていくのがわかった。まるで、破壊されたガラスの逆再生。
「じゃぁ、そ……創世記にある、黒い王は……」
「二つ目だから教えない、教えない。ひ……ひひひひっははっあははははは!」
 ケラケラとヒマワリが笑う。
「――いえ、必要ないっす」
 白い髪をした、白い肌の白い少女が笑う。眼は赤く、彼女に色は無い。真っ黒な髪をした真っ黒な服の女性を抱きかかえ、そこにある色彩はただ一つ、赤。
 故に、アサガオはヒマワリを見据え、呟く。
「もう、式術の理屈はわかったから」 
 式術が使えなかった。意味がわからなかったからだ。熱量〇から、瞬間的に空気をプラズマ化させるほどのエネルギーを式術を放つ。それだけではない、空気中では足りない水を何処からとも無く呼び出し、挙句の果てには気圧も変化させずに雲を吹き飛ばす風を起す。それが、彼女には理解できなかった。
 エネルギーが保存されていないから。
 世界を塗り替える構成媒体、それを制御する式具、術者の呼びかける言葉に反応する陣。
 一体何処にそのエネルギーは存在していたのか、物理法則を無視したあの力の発露は――
 理解が出来なかった。それゆえ、アサガオは式術が使えなかった。使おうとも思わなかった。
 しかし全てが繋がった。初めから、物理法則にのっとってなんか居なかったのだ。
 式術は、世界の構成を塗り替えていたのではない、新しい世界を汲み出して塗りつぶしていたのだ。
 アサガオは笑う。
 ススキの懐から取り出したのは、世界の構成を詰め込んだ構成媒体ではなく、新しい世界を汲み出すために必要なアクセス権限。
 式を組むのではなく、色を汲むための触媒。
 物理法則の鎖にがんじがらめにされた世界を、貫く力。玄関の近くに立てかけてあった、ススキが使っている箒に手を伸ばす。同時、まるで箒が答えるように展開を開始、アサガオの目の前に式弾を装填するシリンダが現れた。
 とっさの事に、ヒマワリが反応できていない。どうせ、式術が使えないものと考えていたのだろう、ついさっきまでそうだった。彼女の予想は、ついさっきまで正しかった。
『導出・風靡の赤朽葉』
 だけど、アサガオはすでに答えをつかんだ。必要なのは、理解と信念。理屈さえわかれば簡単だった。目の前で、しまわれていく式弾を見送り、アサガオは式陣を展開させる。
 熱に広がれと、叫ぶ。跳び退るように、ヒマワリが体をかがめているが遅い。肉の焼ける匂いが、鼻に届いて吐き気がこみ上げてくる。
「!」
 アサガオの行動を理解したのか、ヒマワリが後悔の表情を作る。
 炎は、ヒマワリを燃やすための熱ではなかった。ススキに刺さっているナイフを焼く熱。熱に、血が蒸発し傷口が焼けていく。
 柄を持って、真っ直ぐ。
「ああああああああああああああああああ!」
 引き抜いた。
 血の軌跡を引き、楔は引き抜かれる。傷口はすでに高温に達したナイフによって止血、躊躇わずアサガオは体を起こす。筋肉痛で軋んだ体が、意識を持ってく程の激痛を叫んだ。ナイフを握り締め、歯を食いしばり、アサガオは暴走しそうになった式術を無理やり押さえ込む。左手に箒、右手にナイフ。足を蹴り出せ。
 ――前に!
 偽りの世界から呼び出された、偽りの炎が燃える。円陣を組むように、同心円の炎が舞っている。中心にはススキ、円の向こうにヒマワリ。
 炎を貫くように、アサガオが跳躍した。
 それは、跳ねるような動きではなく、飛翔する力強い直線。
 突き刺すようにナイフを――

 衝撃はあった。
 だけど、それだけだった。
「ひ……あ。貴様……」
 体の中心を貫かれたヒマワリは、歯を食いしばってアサガオを見下ろす。
 同時、青年の姿がほどける。アサガオの髪の毛がヒマワリの体に触れたのだ。色なしの、真っ白な髪の毛、所々血とススに汚れたが真っ白な髪の毛は、ヒマワリの体にかけられていた式術を否定する。
「!」
 そして、かけられていた式術がほどけるように霧散した。まるで体中を包帯か縄で縛られていたのがほどけたように。青年の体がばらけていく。
 中から現れたのは――
「え……」
 アサガオの知っている、メイド姿のヒマワリではなくて。
「子供?」
 少年の姿だった。
「……っち。あんただって、ガキだろうが」
 まるで逃げるように少年は背を向け、走り出した。思わず追いかけようとしたが、体がついていかずアサガオは倒れこんだ。草と土の匂いがする。頬に湿った冷たい感触。体はもう動かない。
 アサガオの倒れた音を聞いて、少年は振り返り笑う。
「残念だったなぁ。もう来たみたいだ」
 声と同時、ヒマワリだった少年の奥に陰が出現した。空間を切り刻む残滓が、背後の山並みを歪ませていく。肌が、髪が、大地が震えた。それは大量の人間が立てる足音と、叫び声。
 ゆっくりと、影が揺らいで形を作っていく。それは蜃気楼のような物ではなくて、人の影。何十人、いや……何百人にも達する人影。
 声が聞こえる。
 空間を切り裂き、原色をあしらった制服の団体がやって来る。
「あ……あぁ……かみ……様」
 手には、式弾の入っていない式具。体は動かず心は折れかけていた。背後には、意識不明のススキ。ウンジンは行方知れずで、スモモは街に。
 戦争が始まる。最悪と最低で塗りつぶされた戦争が始まる。
 生き残れる可能性は、欠片も残っていなかった。



赤朽葉 あかくちは 251 103 053 #FB6735


簡易人物紹介:
ススキ
 ダメイド。略して駄目メイド。主役まで奪われ意識も奪われ、駄目さ街道まっしぐらに、ドリフト中。崖から墜落。

アサガオ ――初出:第11回「早起き少女アサガオと絵本の天使」
 白い。ナチュラル引き篭もりの対人恐怖症。最近主人公に昇格したと勘違いし、調子に乗ってる。

ヒマワリ ――初出:第15回「アキメネス死地に行く」

 なんだか良くわからない。ヒマワリじゃなかったらしい。じゃぁ誰よ。




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