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・テーマ「再会」


 硬い、硬質の壁はどこまでも続いている。直線という言葉を、そのまま形にしたような床は、天井の薄明かりを受けておぼろげに光を返していた。
 薄暗く鉄色の大きな部屋の中央に、赤い燃えるような色をした髪の毛がゆらりと身じろぐ。
「貴様と俺とは同期の桜〜」
 冷たい部屋とはうらはらに、暑苦しいコブシのきいた唄があたりにこだましていた。
 一瞬、震えるような細かい振動があたりに響く。それは波のように広がると、無機質だった天井を塗り替えた。
 まるで落ちそうになるような、広い広い夜空。しかし、夜空というには、あまりにも星は鮮明で、そして中央には歯車が浮いている。
 まるで天球儀のようなそれは、歯車が幾重にも重なり、惑星のような形作っていた。
 辺りに恒星はなく、真っ暗な夜空の中たった一つその星はゆっくりを駆動を続けている。
「待っていろ、もうすぐだ。俺の――」
 赤い髪の持ち主は、喜びと期待を混ぜた呟きを吐き出した。


 霞がかかる程遠く、空と大地の境目で歯車が回る。

 木造一戸建てというよりは、ロッジといったほうがしっくりとくる小屋でススキは目を覚ました。
 天井は規則正しい丸太が並び、窓からは朝日が差し込んでいた。朝日の向こう、遠近法すら無視した巨大な歯車がゆっくりと回っている。
「よりにもよって、アイツの夢なんか見るとは」
 寝起きの掠れた声は、夏の日差しを溜め込んだ布団に広がってゆっくりと消えていく。
 二、三度呼吸をすれば、意識がゆっくりと焦点を結び始め、部屋を埋め尽くしている自分の匂いが鼻に届いた。いつもどおりの朝だ。ススキは首を回して布団から起き上がった。
 『円環の終着駅』などと大仰な名で呼ばれいるくせに、この家はあまりにも古くそして所々に改修の跡も見受けられる。家の主人は、稀代の式術師と呼ばれるウンジンという干物のような爺で、ススキの雇い主であり式術の師でもある。
 いつものように黒を基調としたメイド服に体を通し、部屋の扉をあけようとする。だが、ススキはその手を止めた。扉の向こうから珍しく人の気配がしたのだ。
「客? はやいな」
 一瞬身なりを確認し、寝癖がないのを確かめるとススキは扉を開ける。
 居間は、小屋の大きさに比例して小さく、テーブルと椅子が四つ。奥には小さい流し場と、食器棚が並んでいる。
 その中央、テーブルを囲んでいるのは、ススキの師であるウンジンと、燃えるような赤い髪をした、女性が一人。
「なっ」
「おお、ススキ。久しぶりだな」
 明朗快活、男勝りというよりは、まるで覇王のような威厳を宿す声。そして何者にも揺るがせない、あまりにも強固な意志を湛えた赤い、赤い瞳がススキに向かう。
「ななななな、な……」
 何かの見間違いだと思い、ススキは光速を超え低速で扉を閉める。ゆっくりと、扉は丸い音を立てて閉じられた。
 扉に背を預け、ススキは一度深呼吸をする。飛び跳ねた心臓はいまだ収まりそうもなく、呼吸は不規則で落ち着くそぶりもない。
 それはトラウマ。
 幼いころ、苛められた記憶がありありと浮かび上がる。高い高いと称した天井ダイブをさせたり、食事という名の毒を食わされたり、かくれんぼと称して山の上においていかれたり、水泳と称した沖合い二十キロの放置。数え上げればきりがない。
 相手にしてみればただ遊んでいたといった所なのだろう。だが、いまさらその事が理解できたところで、昔の恐怖が消えるわけもなかった。
 少し落ち着いてきた心拍を手がかりに、何とか呼吸を整えるとススキは拳を握り締めた。
 これは千載一遇のチャンスなのだ。
 あの女は、本当に思い出したかのようにしか現れない。詳しい経緯もススキは知らない。どこに住んでいるかも知らなければ、ウンジンとの仲も詳しくは知らない。風のように現れては、竜巻のように去っていくのだ。
 だから今こそが、トラウマを払拭するチャンスだ。ススキは唾を飲み込み決心する。
 そうだ、これ以上トラウマを背負って生きていくわけには行かない。
 まるであの赤い髪の持ち主に勝つことで、トラウマがなくなると信じているように。実際、そんな簡単なものではないはずなのだが、すでに彼女の精神はテンパリ、まともな思考をしていなかった。
 ススキは、部屋に立てかけられている箒を手に取る。箒が返してくる冷たい温度が、頭の芯を冷やしていく。
 箒は、式術を行使するための式具と呼ばれるもので、式弾を燃料に世界を塗りつぶす力を発揮する。箒を握り締めるとギミックが起動し、柄の部分が硬い音を立てて中央でずれた。中には式弾を詰め込むリボルバーのようなものがあった。
 メイド服のエプロンの裏地、いつも縫い付けてある式弾を抜き出し、中にはめ込む。
 式弾の色は、裏葉。白味がかった緑色。流れをつかさどる構成をもった緑の色。はめ込み、さらにもう一度箒の柄を握りこむ。同時、ばね仕掛けのように箒は元の形に戻った。
 箒を確認し、静かにススキはうなづく。扉に手をかけ、
「なーに、逃げてんだよ」
 勢いよく、扉が向こう側から開けられた。
 だが、ススキに驚きはなかった。一瞬で部屋の奥へと飛び退り、距離をあける。
『連累・桎梏の裏葉!』
 式を構成する光が、一瞬にして式陣をススキの足元に形成。その色は明るい緑。巻き込む風と同時、陣は歯車の形を取り駆動を開始する。
 緑色の風の向こう、赤い髪が揺れた。
 風は質量を持ち、まるで触手のように一気に広がる。だが、それは触手というにはあまりにも苛烈な風の刃。目標を見つけ、何千という風の鞭は赤い髪の持ち主へと襲いかかり――
「なんだ、また遊んでほしいのか」
 すべてを掴みとられた。まるでテーブルにおいてあるコップをつかむような自然な動作で。
 同時、行く先をなくした風は、まるで握りつぶされるように霧散する。
「くそっ」
 二発目を打とうと、ススキはエプロンの裏に手を伸ばそうとする。
「今日は、遊びに来たんじゃないんだよ」
 その言葉に、ススキは手を止めた。
「遊びなんかじゃ、ない……」
「いいや、遊びだね。式術なんてのは、おもちゃだ。ガキがおもちゃで遊んでるのを、遊びじゃないと?」
 ススキは答えられない。握り閉めたこぶしは、骨が見えそうなほど白く染まっている。
「わかってるんだろ? 式術は魔法なんかじゃない。種も仕掛けもある玩具だ、それに――」
「それに?」
「おめぇには、俺は倒せない」
「力がないとでもいうのか! だったら!」
 エプロンの奥から取り出したのは、漆黒の式弾。全二式と呼ばれる、式術の最高峰にして伝説。色三原、光三原の大六式すら使えるものはいないとされる中、それ以上の難易度をもった色。すでにそれは、御伽噺の領域。何者にも犯されず、何者をも飲み込む色。

 黒。

『滅月・侵削の黒!』
 しかし、式具は震えもせず、陣は光すら発せず、巻き起こる風もなかった。
 窓から湿気を含んだ風が、部屋に入ってくる。あまりにも静かで、耳が痛くなるほどの静寂。
「だめだ、ススキ。おめぇには無理だ」
 箒を取り落とし、ススキは床にひざを突いた。
「何度もいってんだろ、武は力にあらず、覇は力にあらず」
 その声は、どこまでも力強くなのに優しい声だった。
「武も覇もすべては心意気だ。怖気るな、僻むな、受け入れろ、焦るな、迷うな、胸を張れ、前を見ろ、どんなときでも笑っていろ。武人には武人の、王には王の心意気ってもんがあんだよ」
 それが判らないうちはだめだ、彼女はそういって背を向ける。
 その背はあまりにも大きく、そしてやさしかった。

「ウンジン! 酒だ酒!」
「酒なんて、置いておりませんよ」
「何だと!」
 開け放たれた扉の向こう、声が聞こえる。
 悔しさと、情けなさにススキはうなだれていた。
「紅茶なら、ありますが」
「なにー! 大体今日は、ススキちゃんの成長記録閲覧会だぞ!」
 ぴくり、とススキの手が反応する。
「酒なしたぁーどういことだ! せっかく、ススキのオネショ布団とのツーショッ」
 小屋がはぜた。
 半壊した小屋の前、黒い髪と黒いメイド服の鬼神は、箒を携え背に炎をまとい立っている。
「たまにきて、何をしているかとおもえば……」
 言葉に青筋が入っているかのような怒気を含んだ声。ウンジンと、赤い髪の女は小屋とともに吹き飛び、地面に突っ伏している。よく見れば、赤い髪の女のほうは無傷。正確にいうと、ウンジンを盾にして無傷であった。干からびた老人で、ススキの師匠で雇い主で、稀代の式術師と呼ばれ、生きる伝説とまで言われるウンジンは口から煙を噴出し気絶している。
「ま、まぁ待てススキ。落ち着け」
「……」
 鬼神には、人の言葉は通じなかった。ゆっくりと、まるで黒い煙のようにゆっくりと風に乗るように、ススキは近づいてくる。
「でぇい!」
 苦し紛れに、女は手に持ったウンジン(稀代の式術師と呼ばれ、生きる伝説とまで言われる人間)を投げる。
 ウンジン(稀代の式術師と呼ばれ、生きる伝説とまで言われる人間)は、放物線を描きススキに向かって飛んでいった。
 ウンジン(稀代の式術師と呼ばれ、生きる伝説とまで言われる人間)はススキの目の前で地面に激突、砂煙を巻き上げた。
 一瞬のすき。その目を離した瞬間、赤い髪の女はかなり遠くへと走り去っていた。
「あはははははは、さらばだ! またくるぜ、ススキ!」
「……っち」
 あきらめ、ススキは歩みを止める。
 まるでキャンパス一面を塗りつくしたような緑色をした草原、その一角は茶色く焼け焦げ荒れ野になっている。
 遠く、見送った先で大きい歯車がゆっくりと回っていた。
「あのー、ススキさん? 足、どけ……ぎゃ」
 老人の見苦しいうめき声が響き渡った。



 硬い、硬質の壁はどこまでも続いている。直線という言葉を、そのまま形にしたような床は、天井の薄明かりを受けておぼろげに光を返していた。
 薄暗く鉄色の大きな部屋の中央に、赤い燃えるような色をした髪の毛がゆれた。
「よろしいのですか?」
 まるで天井から降ってきたような声は、無機質で部屋そのものといった感じの音。
「あん? なにが?」
 赤い髪の女性が答える。
「いえ、いまだススキ様には何もおっしゃられて――」
「いーんだよ、久しぶりに会えたんだ、それ以上はいらねぇよ」
「……了解しました。これより帰投します」
 硬質な声の後、部屋は静かにうなりを上げる。
 ゆっくりと、ゆっくりと天に浮かぶ歯車の惑星が遠ざかっていくのが見えた。
 赤い髪の女性は、目を細めその惑星を静かに見上げている。
 まるで、その目は――





裏葉(うらは):平安朝から広く使われて
いる色名で、草や木の葉の葉裏のような白味の緑色をいう。


*絵師さまは、作者とは別の方です。



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