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・テーマ「逃亡」

 霞がかかるほど遠く、地平線の向こうで歯車が回る。
 
 見渡す限りの草原が、緩やかな風になびき風紋を描いている。そこに、まるで間違えたかのように、一つポツリと小屋が建っていた。名を『円環の終着駅』。稀代の式術師ウンジン、生きる伝説が住まう小屋だ。といっても名ばかりで、ただの木造ボロ小屋であり、名前負けも甚だしい。そんな小屋に続く、ひび割れのような道が地平線の向こうまで続いていた。
「太陽はバカじゃないよなぁ」
 小屋の入り口で、行儀悪く座っている黒い塊が呟いた。良く見ればそれがメイドだとわかるが、遠目ではメイド服の黒と彼女の黒い髪とが混ざり、シミのようにすら見える。
 ウンジンの一番弟子であり、メイドのススキだ。
 小屋の入り口から空を見上げている彼女は、背中でウンジンの声を聞いていた。
「何度もいってる、弟子はとらん。帰れ」
 小屋にある唯一のテーブルが、大きく揺れた。上に乗っている客人用のティーカップが、飛沫のような音を立てる。
「おねがいします、ウンジン様ぁ!」
 どことなく、幼さの残る活舌で泣き声がにススキが振り返ると、小さなテーブルには面倒くさそうな表情のウンジンと、それに向かい合うように小さな少女が身を乗り出していた。薄暗い小屋の中でもまぶしいほどの金髪をみて、ススキは自分の髪の毛をみる。
 触ったところで金色になるはずの無い髪の毛を見下ろして、嘆息。そして立ち上がった。
「馬鹿らしい」
 自分のしたことにか、それとも全く進捗の無い会話を続ける二人にか、ススキは吐き捨てた。
「ススキも何とか言え。弟子はとらんといってる。只でさえ大喰らいが居る所為でヒモジイのだ、これ以上食い扶持が増えるのは困る」
 少女はウンジンの言葉に、肩を落とす。
「ああ、てめぇの食事が少ないのは別に私が大喰らいだからじゃなくて、これだ」
 そういって、ススキは白いエプロンの内側から、一枚の紙を取り出した。
『お手軽簡単、貴方も今すぐ即身仏! 水で1分、インスタント木喰行セット(天然
漆入り)、私でも出来た! 土中入定説明ビデオ付き』
 派手な文字で綴られる広告が扉から入ってくる風にゆれた。
「こ、殺すきか!」
「取り合えず、一人ぐらい弟子が増えても、別に食事には困らんから安心しろ」
「ウンジン様! 私少食ですから大丈夫です! お願いします、弟子にしてください!」
 畳み掛けるように、少女が叫んだ。
「ぐ……」
 もう、食事を言い訳にはできない。視線をそらしてウンジンは苦しげにうめいた。

 小屋の周りは、ススキがいつも掃除をしているのか、雑草も無く綺麗な更地が顔を覗かせている。適度に湿った土は砂煙を上げることもなく、大きな岩もなく完璧に整っていた。
 ともすれば庭のようにも見える、その小屋の周りでススキと先ほどの少女が向かい合っていた。ススキの手には箒、少女の手にはバトンが握られている。
「本当にやるのか?」
 ススキの呟きに、少女は頷きで返答した。真剣そのもの目に、ススキはため息を返す。
「ルールは確認した通り、そこのダメイドに傷一つつけたら合格。それまでに気絶したら弟子の話はなしだ。いいな?」
 意地の悪い爺だとススキは思う。けれど目の前の少女は、絶望的な現実に全く怖気づかずまっすぐ前を見ていた。白いワンピースに綺麗な金髪。しかし、その足は傷だらけで、手にも数箇所傷が見えている。長い距離を走った、そんな傷だ。草に削り取られ、砂利に擦られ、それでも進んできた傷がそこに残っている。
「どうして、弟子に?」
 ススキが箒をぞんざいに構えながら言う。しかし視線に容赦は全く無かった。
「式術の……勉強がしたいからです」
 少女の答えにススキは大きなため息をついた。嘘だ。そんなことはわかっている。
「式術なんて、どこでも習える」
「でも、ウンジン様でないと……誰にも負けない式術が使えないといけないんです!」
 有無を言わさず、少女がバトンを振った。
 バトンの先、式弾が装填されている場所がある。振った遠心力で装填されているケースから式弾が一つ外れ、バトンの中、へと落ち込んでいく。
『回旋・塵芥の瓶覗』
 ススキは見る。バトンどころか、辺り一体に一瞬にして浮かび上がる陣。モチーフは魔術様式のそれだ。
 ススキの口元に鮮烈な笑みが浮かんだ。少女の選択した式術も色の選択も。
 ――完璧。
 しかし構成媒体と世界の構成力を反応させる式具、それが少女の手で暴れていた。陣の動き鈍い。式具は力で、陣は心で制御するものだ、彼女の技量では例え心が勝っても、あの細腕では瓶覗の反応を押さえ込むことが出来ないだろう。
 ススキは彼女から目を離さず、エプロンの内側に縫い付けてある式弾に手を入れ、
「なっ!」
「お探しのものはコレですかね?」
 声に振り向くと、ウンジンの両手にはススキがいつも持っている式弾があった。
「ジジィ!」
 叫びと同時、ススキの真横が一気に温度を下げた。
 ――ねじ込んだのか!
 そちらを向けば、数え切れないほどの水礫。その向こう、唇をかみ締めすぎたのか口の傍から血をたらした少女がいる。振り上げられているバトン。持つ手も赤く滲んでいた。
「やべっ」
 振り下ろされるバトンが、太陽と式術の水礫を反射して綺麗に光っている。
 礫だったはずの水が、一瞬にしてその姿を線に。動きは視認出来ないほどに早く、ただ風きる音と、光に反射する煌きだけがススキの目に映った。
 ススキは箒を投げ捨て、足を踏みしめる。手を眼前に、空を掴むように握り締め、
『万難・豪――
 手をほどいた。目の前には、幻想的なほど光を反射させた水礫が迫っている――
 ただただ一直線。響いたのは、爆音ではなくて突き刺すような鈍い音と、風を切る甲高い音。連続という連続を連ね、同時という同時を重ね、音が舞い上がった。
 残ったのは土煙と、湿気の匂い。場違いなゆっくりとした風が、その土煙と匂いを運んだ後に残ったのは、漆黒の塊。
 穴のあいたメイド服が風にゆらりとなびいている。ススキは一歩も動かず、その場に立っていた。
 彼女の足元は広範囲に大きく抉れ、綺麗な地面はどこにも残っていない。
「そこまでして……」
 呟いたススキの頬に、赤い線が幾重にも走っている。水礫によって切り裂かれた傷だ。
「どこに逃げようってんだ、お前は」
 彼女の目の前に、綺麗な金髪が広がっている。少女は気絶し地面につっぷしていた。白い指が更に白くなるほどに握りこまれたバトン。細い腕には何度も転んだのであろう擦り傷が見える。靴も良く見れば擦り切れ穴があき、服も裾が解けていた。
 
 久しぶりに湯気の立つ台所、そして久しく使われていなかった客間の扉が開いている。客間といってもベット一つと小さな棚がある程度の客間だが、そこで少女が寝息を立てていた。ススキはそれを見て一瞬表情を緩め、ゆっくりと扉を締める。
「調べ終わったぞ」
 声に振り返ると、テーブルでウンジンがお茶を飲んでいた。
「山三つ向こうの小さな国で、国営の高利貸しに大量の借用履歴があった。多分両親は借金のかたにただ働きさせられてる。おおかた助けるために、直接的な手段にでることにしたんだろうよ」
「それで家を飛び出して、此処に着たのか」
 助けを求めず、立ち向かうために逃げ出した少女。不器用だな、ススキは思う。
「馬鹿め」
 にべも無くススキは吐き捨てた。
「手を止めたヤツは、馬鹿じゃないのか?」
 ウンジンの言葉に、ススキは一瞬目をそらす。
「ふん、さてね。あーそういや、山三つ向こうの国から、式弾の作成願いが来ていたな」
「ああ刈安の作成だ。断りの手紙なら、ここに」
 そういって、ウンジンはポケットから紙を取り出し、ススキに見せる。
「隣町に郵便屋が来てたはずだなぁ。悪いんだが急ぎだし、ススキ届けてきてくれ」
 ススキは、その手紙を受け取り、口元を引き上げた。
「隣町は遠いな」
「ああ、遠いな。そうさな、太陽が七回顔をだすぐらいは遠い」
「んじゃ、ちょっとの間留守にするよ。飯はそこの棚に入ってる」
 手紙をエプロンの裏にしまいこみ、ススキは扉をくぐる。背には箒。太陽はまだ空
高く、外はまぶしかった。
「ああ、そうだ」
 逆光の中、ススキが振り返る。
「あいつが先に気絶した、だから目がさめたらすぐに家に返せ。弟子じゃないヤツは
逃げ出した場所に帰るのがお似合いだ」
 伝えておく、ウンジンはそういって軽く手を振った。

 久しぶりに静かな小屋に、腹の虫が鳴り響いた。
「くっ、ひもじい……」
 いそいそと、ウンジンは言われた棚を開ける。中には、
『水で1分! インスタント木喰行セット(天然漆入り)』
 派手な文字でそう印刷された袋が大量に入っていた。





瓶覗:かめのぞき
藍染めの初期の段階で染め出される色で藍瓶を覗いた程度にちょっと染めたと言う意。浅い浅葱色程度の色。

刈安:かりやす
イネ科の植物で近江刈安の茎や葉を乾燥させたものから得た黄色染料で染めた色。

即身仏:そくしんぶつ
 非、即身成仏。
 即身仏とは、過酷な修行の最終形と位置付けられている。
 即身仏になるためには、死後も腐りにくいように肉を落とす必要がある。
 本来の修行の目的は即身仏になることではなく、己の悟りを開くことにあるという説。もう一つは、死後も人々を救う為に入定するのが目的という説がある。現代に残る即身仏は、入定を目的とした物が多く見受けられる。
 即身仏にはまず肉と水を落とす木喰行というのがあり、これは五穀断ち(米・麦・粟・黍・大豆。もしくは、 米・麦・大豆・小豆・胡麻)さらに、その後十穀断ち(五穀に咥え、蕎麦・小豆・稗・芋・唐黍。もしくは、粟・蕎麦・黍・稗・唐黍)を千日、五千日という間続ける必要がある。仏海上人は35歳から41年(一万五千日)も続けたといわれている。
 そして漆を飲む。即身仏を志す修行者が行ったもので、「死後に体が固まりやすいように」という理由で、毎日漆を飲んでいたという。水垢離や手行灯などという修行も平行して行うこともある。
 土中入定:最後の仕上げとして、土の中に入って入定するというのが、最もポピュラーな入定方法で、入定を決めた修行者は、完全な断食状態で土の中(かろうと)に棺で入り、上から土をかけて入定する。棺には、空気穴だけがあいていてその中で修行者は、鉦を叩き、念仏を唱えながら餓死していく。死後、体内水分50%から細菌の活動が弱まり、ミイラ化しやすくなる。自然にミイラになるには、砂漠でのたれ死ぬのが一番現実的なので、皆もレッツトライ。
 さて、入定が済むと、だいたい三年後に掘り起こし、即身仏とします。百年後に掘り起こせなどといった方も居るそうですが……。もちろん、掘り起こされるのを忘れられた場合、即身仏とはされず。修行中に命を落とした場合も同様に即身仏とは扱われません。
 土中入定前の修行者は、そのまま水に浮くそうです……。キモッ。
 蛇足ですが、即身成仏の「即身」は、直ちに速やかにその身のまま、という意味。行者は本来的に仏である、ということを知るために、長い間の修行はいらないという考え。「即」、肉身を基本とするから「身」である。空海の「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く。一字に千理を含み、即身に法如と証す」は有名ですね。即身仏は、基本的には死後も人々を救う為にする行で。即身成仏は、この身このまま仏果を証し、仏身を成ずることができるという意味。





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