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・テーマ「時計」

 霞がかかるほど遠く、地平線の向こうで歯車が回る。
 
 遠く遠近法すらぶち抜いた巨大な歯車を望む、なにもない草原がある。
 その果てなく広がる草原に、ポツリと間違えたように小さな小屋が建っていた。貧相な木造の小屋の名前は『円環の終着駅』。大仰な名前で呼ばれているが、余りの貧相さに名前ボロ負けである。小屋からは草原が裂けたような細い道が、地平線の向こうまで続いている。それ以外には何も無かった。
 小屋の前で、箒を持ったメイドが屈んで地面を覗き込んでいる。黒いセミロングの髪の毛とメイド服の黒い色が混ざって、まるで黒い塊のようにすら見えた。
「大佐大変であります! 敵襲、敵襲です!」
「なにー、急げ! 急いで外にでるのだー」
「うわー、洪水だー」
「大佐、大佐ー!」
「俺のことはいい、あいつをたのんだ……うぼぁー」
 地面を覗き込みながら、メイドが呟いている。
「何ぁにやってんだ、ススキ」
 ススキと呼ばれたメイドは、顔を上げた。視線の先には、小屋にあいた申し訳程度の窓から顔を出している、干し柿のような老人が一人。
「界面活性剤と共に去りぬ。悲劇、あり地獄以外の天敵」
 ぼんやりとしたまま呟いた言葉に、老人が呆れ顔で返した。
「……今日は客が来るから、早く掃除終わらせておけ。あと洗剤でアリ殺すのも止めておけ」
 彼女の雇い主であり、式術の師匠でもあるウンジンはそう言うと窓から顔を引っ込める。
 到底、雇い主兼師匠相手に対する態度ではない格好で、ススキは「あいよ」と呟きを返した。
 洗剤入りの如雨露が空になったのを確認して、彼女は立ち上がる。地面では、洗剤が流れ込んでいくアリの巣が一つ。空気が押し出され、ぽこりと泡を一つ吹いた。
 立ち上がり細く頼りない道の先を眺めると、人影が見えている。ススキはそれを一瞥すると、箒を抱えて小屋の裏側にあるいていった。
 遠く、地平線の向こうで静かに歯車だけが回っている。

 訪れた青年は、数日歩きつづけてきたといわんばかりのボロボロな格好で、フードに隠されていた肌以外は埃に汚れ、泥のような色になっている。そして疲弊しきってはいるが、意志に溢れた視線が爛々と輝いていた。
「これか」
「はい、私の村の最後の時計です」
 小さな机に置かれた手には小さな箱。手にとるのは男の向かいに座る、小屋の主で稀代の式術師のウンジン。彼が手にとった箱の外観には、一つだけ光を照り返す窓のような物がある。そこには透明な板がはめ込まれており、覗き込むと透明な板の奥に灰色の板が見えた。
 液晶板だ、とうになくなった過去の技術の一つである。砕け散った遺跡から発掘されたのだろう。ウンジンはしげしげとその時計を確認していく。
 今、この世界で時を知る術は、歯車で出来た機械時計のそれしかない。調速機の精度は悪く、まったくといっていいほど不確かだ。
「直りますか?」
 青年がウンジンを覗き込むような格好で呟いた。その言葉に小さくため息をついて答えるウンジン。彼の後ろでは、真っ黒なメイド服を着込んだススキが静かに立っている。
「無理だな。こんな物直してどうする。正確な時がもたらすのは人の死だけだ」
 彼は投げつけるように、小さな箱を机に置く。乾いた音が小屋に響いた。
「なっ。時計で人が死ぬわけがないでしょう。正確な時間が教えるのは、正確な距離と正確な速さです。そしてそこから手に入る正確なものこそが――」
「人を殺すのだ。技術は怠惰を生み、文明を滅ぼす。時計が刻むのは時間ではなく、我々人類の寿命だ。帰りたまえ」
 ウンジンの言葉に男は顔を真っ赤にして立ち上がった。床を擦る椅子のけたたましい音が小屋に響いた。
「もういい! 他の人間に頼む!」
 自分が持ってきた箱に手をのばし、
「なっ」
 ウンジンの後ろに控えていたメイドに、箱を奪われた。
「悪いが、これは処分させてもらう。大人しく帰りたまえ」
 ウンジンの言葉に男の額には青筋が浮かび上がる。
「そんなわけにいくか! それは私のだ!」
 怒りにまかせ、男が手首に巻いた腕輪のような物を振った。
 それは式術を起動させる式具。通常式具は、式弾と呼ばれる構成触媒を燃料に世界を描きかえる力を発揮する。だが、男が持っていたのは簡易式術具と呼ばれるもので、式弾を新たに装填できない、単発式の式具だった。利点はただ一つ、隠せるほどに小さくまとめられるその形にある。
『延着・貫流の躑躅』
 男の手首に巻かれていた腕輪が赤い光を発する。一瞬で彼の手を中心に陣を形成した。陣のモチーフは文字。式術の効果を飛躍的に上げる世界の構成が書き込まれた陣が、彼の手を中心に回りだした。
 同時、メイドのススキが飛び出し箒を振るった。箒が一瞬はじけるような音をたて光を放つ。
『到達・始終の躑躅』
 全く比べ物にもならない速度でススキが振るった箒の光は、瞬間という間をもって彼女の足元に陣を形成。モチーフは歯車。精巧に刻み込まれた、まるで時計の中身のような陣が回りだす。
 男がそれをみて驚愕の表情をつくるが、反応は遅すぎた。彼の手から突き刺さるような炎が伸びる。
 だが、同時ススキの眼前に巨大な炎の弾が浮かんでいた。男の炎がその弾にぶち当たるが弾は全く微動だにもしない。逆に大きくなって。
「ひっ」
 熱の弧を引いて炎の固まりは男を吹き飛ばした。質量すらあるのかそのまま男を小屋の入り口の方へと男は押し、爆ぜる。
 残ったのは、焼ける空気の匂いと、平然と座ったまま成り行きを見ていたウンジン。
「ひああああっ!」
 顔を上げたウンジンの視界。窓から走り去っていく男の姿が見えた。
 ススキは、無表情のまま箒を一振り。箒の残っていた残り火がじりっと音を立てて消えた。

「これ、本当に直るのか?」
 男が居なくなった小屋でススキがぶつぶつと木箱を弄っている。先ほど男が「好意で」置いて行った時計である。
「直せるが、直さないほうがいいなぁ」
「なぜ? せっかく形になって残ってる時計があるってのに」
 机に座ってススキがふて腐れる。目の前には、バラバラにされた時計があった。小さな基盤とそれに付随する液晶板。そして基盤から伸びているコードが何か白い塊に差し込まれている。
「実際こわれてないしなぁ。 電池在れば動くだろうよ」
 言われてススキは部屋の隅からいそいそと電池を持ってくる。既に無くなった技術ではあるが、なぜか殆ど新品の電池。それをススキはためらわず端子に接続した。
「ん? なんだ?」
 液晶に映し出されたのは、十のデジタル表示。
「カウントダウン?」
「そりゃ、それ時計つっても時限爆弾の時限装置だし。C4なんて、下手すれば人が何人死ぬか。大体、昔の技術に頼ってるようじゃ……ってススキお前!」
「えいっ」
 ススキが時計、もとい時限爆弾をウンジンに投げつけた。
 思わず受け取るウンジン。手の中に収まった時限爆弾の液晶は、
「二……」
 振り仰いだときには、机に座っていたはずのススキが、部屋の奥の方に消えていった。
「あ、の。ダメイドめ!!」
 叫びと同時、小屋の半分が吹き飛んだ。





躑躅(つつじ):
 赤い躑躅に由来する色で強い調子の紫みを帯びた赤色。
 
C4:(composition 4『――そして基盤から伸びているコードが何か白い塊』)
 C-4爆弾と呼ばれる有名な爆弾。劣悪な程度のものであれば、製造は容易。
 燃やしても、叩いても爆発しないとても安定していて扱いやすい爆弾。電子信管をしようして爆破させます。





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