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・テーマ「雨」
 
 霞がかかる程遠く、空と大地の境目で歯車が回る。
 
 どこまでも広がる草原に、まるで間違えたように小さな家が一つ存在している。そしてその木造の小屋が終着駅とばかりに、細い道が地平線の彼方まで続いていた。
 開け放たれた扉の目の前で、座り込んだまま空を見上げているのは、一人の少女。
 名をススキノ ススキ。『円環の終着駅』と呼ばれる、この小屋の主人ウンジンに使えるメイドであり、そして一番弟子である。
 部屋の暗闇に溶けそうな彼女の黒い髪は、雨の湿気を吸い重たく垂れ、黒を基調とした服とあいまって輪郭をあやふあなものにしていた。
 彼女は箒を抱きかかえるようにして、座り込んでいる。竹箒のようにも見えるそれは、彼女の仕事道具でもあり、式術と呼ばれる術の構成を司る筆となる代物だ。見た目はただの竹箒のそれだが、よくよくみれば、まるで砲身のような細かい細工がしてあるのが解る。
 遠く地平の彼方で煙る歯車は、姿を霞ませながらゆっくりと確かに動いている。白く煙る歯車をまるで羨ましそうに見る彼女は、大きいため息を一つ。
「社会の歯車になりてぇ」
 ため息交じりの呟きは、雨の静かな合唱にかき消されていく。
 軒先で雨宿りをしていた鳥が、チチと可愛らしい鳴き声で返事をした。
 床の軋む音が後ろからする。その音は湿気ていて、いつものようなつんざく音ではなく重苦しい擦れる音だ。
「掃除もできないのだし、久しぶりに式術の練習でもしたらどうだ、ダメイド」
 まるで老人のテンプレートのような爺が、ススキの後ろにたっていた。小屋の主人であるウンジンだ。
「何故そんなめんどくさいことを」
 振り仰ぐこともしないまま、ススキは答える。視線はずっと遠く歯車に固定されていた。
「雨、だからかなぁ」
「雨、か。そういや前にきたヤツ、雨乞いがどうとかって」
 稀代の式術師ウンジンといえば、遠く歯車まで轟く名である。彼に教えを乞いに来る者、助けを乞いに来る者。数は多くないが、彼を頼って此処へたどり着く者は後を絶たない。
「日照り続きなのだそうだ、山三つ向こうの小さな盆地だ。めんどくさいんで、式弾わたしておいた」
「何を渡したんだよ?」
「瓶覗」
「ぶっ」
 瓶覗(かめのぞき)。藍染めの初期の段階で染め出される色で、水色についで青を呼び込む式の一つである。大六式である水色の次に扱いづらいとされる瓶覗は、それだけでも十分雨どころの騒ぎではない事象を呼び寄せるということだ。
「この干物! 村一つ水に流すきか!」
「いやぁ、そんな上手いこと言われてもなぁ。実際、雨に流すわけだしなっ――」
 振り向きざま、立ち上がったススキの体重の乗ったアッパーが、ウンジンの腹に突き刺さった。シワシワで干乾びた老人が中に浮く。
「このまま炭化して遠赤外線でも出して、人間に貢献しろ」
 言いながら、エプロンの裏に縫い付けられている式弾を、箒を持ったてで起用に取り出す。同時、箒の柄が展開。
『浸潤・落手の猩々緋』
 発動構成の宣言と同時、ススキは式弾を叩き込んだ。すぐさまスイッチが入ったかのように柄は元の形に戻り、唸りを上げる。
 式具は一瞬にして、赤い光を吐き出しススキの足元に陣を形勢した。モチーフは歯車。稀代の式術師ウンジンとその弟子のみが使う、殆ど伝承になりさがった奇妙な陣は規則的な動きで世界を塗り替えていく。
「ていっ」
 術が発動する瞬間、ウンジンはススキの白い腕に針を突き刺した。
 しかし、そんなものでススキの式が止まるわけもない。既に組みあがった式は、世界を塗りつぶし始めていた。
 一瞬焦げた匂いがウンジンの鼻に届く。と、その匂いを感じた瞬間――
 赤が爆発した。
 轟音は小屋を揺らし、炎の柱は天井に到達し、それだけではとどまらず天井を焼く。
 そして、天に登るかのような業火は、ゆらりと身をを捩じらせるようにして消えた。
 後に残ったのは、一瞬で炭化し穴があいた天井と。決死のブリッジで何とか難を逃れたウンジンの姿だった。
「つっ、ジジィ。何しやがった」
 ススキの腕には、突き刺された痕が赤く腫れあがっている。そして、その部分は心臓ができたかのように拍動していた。痛みよりも、体全体に広がるのは酒による酩酊のような、力の抜ける感覚。
「ほ、れぐすり。貴様は、次目を閉じ、その後みた物に惚れる。ウンジン特性の薬だ。ちこうよるが良いぞっ」
 ブリッジしたまま答えるウンジン。次第に膝と腕がぷるぷると震え出しているが、ススキもそれにたいして、突っ込みを入れるどころの騒ぎではなかった。
 瞼が重くなってきたのだ。思考が警鐘を鳴らしたところで、薬はどんどん血液に乗って体を駆け巡っている。
「くっ、そ」
 悪態すら力はなく、ススキは重くなる瞼に抗えずに目を閉じた。体中の力が同時にぬけ、倒れこむ。
 ウンジンは、ススキが倒れたのを確認して体を起こそうとした。ススキの目の前で目を開けるのをまとうという算段なのだろう。
 だが、体を起こそうとした瞬間、
「!」
 背骨が、面白おかしい音を立てる。余りの痛みに、床をのたうち回るウンジン。
「ぎっくり腰! ぎっくり腰!」
 叫びながら、床を転げまわる。それでも諦められずに、ススキの目の前に移動しようとしているが、いかんせん転げまわる移動では、彼女までの距離は遠かった。
 気合と根性でなんとか四つんばいになったウンジンは、はいはい歩きを開始。じわりじわりと距離が縮んで行く。
「ん……」
 寝ぼけ眼のススキには、既にウンジンの警告は頭になかった。
 その騒ぎを不思議に思ったススキは、目を開けようとしている。それに気をとられたウンジンは、降り込んだ雨に手をとられすべった。
「おがっ」
 そのまま顎を打ちつけ、余りの痛みに仰け反ったが、仰け反った所為でさらに腰を痛め、バランスを崩しそのまま後ろに倒れこもうとしているウンジンの姿。ギリギリでバランスを保っていたが、雨に濡れた床にすべり、あえなく後ろに倒れていく。
「……ステキ」
「ぶふぉっ」
 ススキのその声を聞きながら、ウンジンは一人バックブリーカーを完遂。頭、顎、腰の三重苦に白目をむきかけていた。
「ステキだわ!」
 そして飛び掛る勢いで、ススキはウンジンに抱きつき、
「ステキ!」
 締め上げた。
「ぎゃあああああ!」
 仮にも、老人で乾燥しているとはいえ、それを片手一本で吹き飛ばすほどの腕力だ、ぎっくり腰のウンジンにはたまらない。次第に泡を吹き始め、痙攣を始める老人を、
「ステキな服! なにこの干物、邪魔!」
 張り飛ばした。
 仰け反った所為で、ウンジン本人をススキは認識できなかったらしい。
 綺麗に服が脱げ、上半身裸になった老人が痙攣している。その横で、服にむかって愛をささやく倒錯メイド。天井からは、思い出したかのように炭が雨と共に落ちてきている。
「あぁ……あっ……あ」
「ああ、この肌触り、色、艶。なんてステキな服……」
 天井からは光ではなく雨が降り注ぎ、二人を濡らしていた。
「チチッ」
 雨宿りしていた小鳥が、部屋を覗き込んで可愛らしい鳴き声を上げた。振り込む雨を囲んで、服を抱き締め恍惚とした表情を浮かべる少女と、腰をさすりながらのた打ち回る上半身裸の老人が居た。ソレをみた小鳥は一瞬首をかしげ、そして、また可愛らしい声でなく。



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大六式:色三原(水色、赤紫、黄色)、光三原(赤、緑、青)の六つ。
瓶覗:(かめのぞき)藍染めで使う藍瓶を覗いた程度にちょっとだけ染めたときの色。:#47A9C9
猩々緋:(しょうじょうひ)特に強い調子の黄みを有した赤い色。:#EB1434







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