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・テーマ「戦う乙女」

 霞がかかる程遠く、空と大地の境目で歯車が回る。
 どこまでも遠く地平線の向こう、遠近法すらぶち抜いたその巨大な歯車は、あまりに遠く霞にかすれ、それでもなお天を貫く巨大さで存在していた。
 荘厳にして威風堂々、神の建造物とも、伝説の建築士にして稀代の式術師の作品とも言われている。その歯車を見上げているのはひとりの少女。
 着慣れたエプロンと、持ちなれた箒を携え、彼女は小屋の前を掃除している。平原がまるで空のようにどこまでも続いており、そこにポツリと小屋が建っている。そしてその小屋が終着とばかりに、道が一本どこまでも遠く地平線の彼方まで続いていた。
「暇」
 掃除をしていた少女、ススキノ ススキは箒に体を預けながら呟く。答えるように、風が彼女の頬を掠め、広がったスカートの裾を揺らしていった。肩まで伸びた髪の毛は、草の緑を振り払うような黒。黒を基調とした服にまざり、まるで一滴墨汁をたらしたように緑の世界に存在していた。
 彼女の背にある小さな家は、呼び名も高き『円環の終着駅』。
 その実、ただの木造の小屋で、家主はもうろくしたエロ爺で、メイドは少女一人で、そして客は殆どこない。
「おぅい、ススキ。お茶にせんか?」
 小屋に申し訳程度についている窓から、しわくちゃの老人が顔を出した。彼女はもうろくエロ爺が、なぜこんな辺鄙な場所に住まいを置くのか知らない。ただ見晴らしがよく、栄えている村と違い、あの歯車がはっきりと見えていることは確かだ。
「あいよ」
 およそ主従関係などを無視した言葉使いだが、老人は一向に気にした風でもなく、彼女の言葉にうなずき顔を引っ込めた。
 手早く集めていたゴミを纏めると、彼女は箒を肩に担ぎ小屋へと入っていく。
 小屋にはいると、鼻を掠めるのは木の古ぼけた匂いではなくて、紅茶の熱い匂いだ。
 淹れたての葉の匂いに混じって鼻腔に届くのは、埃っぽいいつもの小屋の匂い。木と、そして老人の、
「じじぃ、死臭がするぞ」
「ごふっ」
 ススキの言葉に、口に含んだ紅茶を噴出す老人。名を、ウンジン。自称、イケメン式術師。すでに見る影はない梅干のような顔なので、ススキにはその正否を断ずることはできない。
 飛び散った紅茶を、自分で拭きながらウンジンはため息をつく。
「師であり、雇い主である者に対する言葉かなぁ」
「かなぁ、とか言うな。老人語しゃべれ」
 しっかりとススキは自分のカップを持ち上げ、飛沫の被害から逃れていた。それをみて、ウンジンはため息。老人は優しく接するべきだと、呟きながら掃除を再開した。あわれな老人を横目でみながら、ススキは箒をテーブルに立てかける。  世界は沈むほどに静かで、静寂こそが正義だと信じて止まない。まるで小屋は異質なのではないか、生物すら存在を許されてないのではないか、そんな気にすらなるほどの静寂。
 彼女は紅茶を口に含む。程よい熱さに、喉から抜ける匂い。年の功だけあって、ウンジンが入れる紅茶はうまかった。
 はずだった。 「じじぃ、何を入れた……」
 胃に流れ込んだ瞬間、熱を感じた。それは、たちどころに違和感となって体中を駆け巡りはじめる。一呼吸も間を置かずに体中が熱くなる。それどころか、心臓は早鐘のように打ちはじめ、足に力が入らなくなった。揺らいだのは世界か、それとも視界か。
「媚薬」
「この、エロじじぃ、め。殺、す」
 テーブルに手をつき、ススキが震える足で体を立て直す。立てかけてあった箒を手に取り、振り上げる。彼女の意志に呼応するように箒が吼えた。
 箒の柄に幾筋も亀裂が走ったと思った瞬間、ソレは構造をもち柄の中央辺りからスライド。顔を出したのは、まるで銃のシリンダだった。
 エプロンの裏側に縫い付けられていた薬莢を一つ取り出す。薄紫色の薬莢は、式を司る構成要素。彼女はそれを迷わず叩き込んだ。
 まるでスイッチが入ったかのように、スライドした箒の柄は元の形にもどる。
『掌握・輪転の紅藤』
 言葉と同時、トリガが引かれるような軽い音。変化は一瞬、飛び出した光は一瞬にして彼女の足元で式陣を構成する。モチーフは歯車。
 円を描き、およそ世界のすべての理を詰め込んだ歯車は、彼女の意志の元に回り始めた。一つ一つかみ合うように、歯車が回る。
「な! 式をこんなとこで! 家を壊すき――」
「負けた方が片付け」
 後悔と迷いが浮かぶウンジンの表情を無視。モチーフの歯車に合わせるように、陣は規則的にそして実直に、定められた式から導き出される力を吐き出し始めた。
「くぅのぉ! ダメイドめ! ちょっと媚薬もったからって」
「絶対、……殺す」
 薄紫色の光は、ウンジンの目の前で形を変えはじめる。それは、まるで巨大な手だった。手がおもむろにウンジンに迫り掴みとろうと広がった。容赦も遠慮もない速度で襲い掛かる。
 しかし、効果範囲が見えてるかのように、ウンジンは飛び退った。
 と同時、手を一振り追いかけるように光が走る。ススキの放つ光の手に対抗するように、緑色をした光が一瞬にして陣を形成、ウンジンの足元で光を放つ。
『耳朶・逆流の緑青』
 ウンジンの言葉に、緑色をした陣が唸りをあげる。モチーフはススキと同じく歯車。しかし、回転速度は雲泥の差だった。まるでエンジンのように唸りを上げた陣は、高速で式を構成していく。
「なっ、この、エロじじぃ!」
 言葉の答えは、ススキの足元からすぐに来た。まるで爆発したのかと思うほどの上昇気流。ススキのスカートがめくり上がった。
 しかしそれだけではとどまらず、風は更に強くなる。そして空気抵抗と、重力のせめぎ合いはすぐに決着がついた。ススキの足がゆっくりと持ち上がる。同時、重心を崩した体は一気に持ち上がった。
「っち、ペチコートか」
 ウンジンの言葉に、必死でスカートを押さえ込もうとするススキだが、媚薬のせいか体に殆ど力が入っていない。逆に体制を崩し、そして
「きゃぁ!」
 空気抵抗にまけ、天井に盛大な音を立ててぶつかった。
 同時、風が消えススキの体は重力に引かれる結果になる。水っぽい情けない音をたて、ゴミが散乱した床へたたきつけられた彼女は気を失った。
「まったく、こんなときに客でもきたらどうするきだ」
 もとより、物が多くないとはいえ、椅子は吹き飛び。壁にかけられていた絵や、食器棚から飛び出した食器が床には散乱している。その有様を見下ろしながら、ウンジンは無事だった紅茶のカップを取り上げる。
「目を覚ましたら、掃除させんとなぁ」
 ウンジンは、そういって既に冷めかけた紅茶を一気に飲み干し、
「ごぶほぉあ!」
 盛大に吐き出した。
 が、吐き出せたのは、半分。残りは彼の胃の中にしっかりと収まった。
「ス、スキ。何を入れた……」
 その言葉に、倒れていたススキが顔をあげる。顔には、残忍な笑みが張り付いていた。 「αブンガロトキシン。神経筋接合部にある、シナプス後膜のニコチン性アセチルコリン受容体と結合。神経終末から放出される神経伝達物質アセチルコリンの結合の阻害。その結果、筋肉弛緩がおこる。安心しろ、1mgいれておいてやった。苦しんで、もがいて死ね……」
 そしてススキは笑いながら力尽き、もう一度気絶した。
「ち、致死量の10倍……」
 その呟きを最後に、ウンジンも倒れこんだ。

 遠く地平線の彼方、巨大な天突く歯車が回る。ゆっくりとした風が、まるで空のように何も無い草原を笑いながら駆け抜けていく。
 その草原に一つ、ぽつりと存在している小さな小屋。そして、そこが終着駅といわんばかりの細い道が、地平線から伸びて小屋の前で終わっていた。
 一人、その道を歩く影。破れた靴を引きずって、杖を突き歩く男の姿。ボロに体全身を纏わせ、杖を支えに歩いている。手は既に、血豆が潰れ血と泥で黒く変色し、杖もまたその血で黒くそまっている。
 伸び放題の髭に隠れた口元が、小屋の目の前にきて引き上げられた。
「ついた……円環の終着駅。伝説の式術師ウンジン様がいらっしゃるという」
 扉を叩き返事を待つが、一向に返事が無い。痺れを切らし、男は強く扉を叩いた。
「ウンジン様!」
 しかし、返事は無かった。だが、そのノックの勢いで扉が開く。
 軋みを残し、ゆっくりと開いてく小屋のなかには、
「う。うわぁぁぁぁ」
 涎をたらし致死量をもってしても、しぶとく生き残っているウンジンと、M字開脚で気絶したまま客を迎えているメイドの姿があった。






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