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・テーマ「祝」

 街灯に照らされて、輪郭を夜に刻む桜の花。春の虫は静かで、街灯の唸る声だけが空気を震わせている。風はあるが肌には感じず、ただ桜を揺らすだけ。花弁の擦れた音が、まるで笑うように飛び跳ね闇夜に消えていった。
 夜桜を見にきていた人達も軒並み帰宅し、街で一番大きい公園は静まり返っている。周りを山に囲まれた街は、夜を湛え静かに闇の底に沈んでいた。
 公園で一番大きい桜の根元、一人青年が寄り添うようにして座っている。手には、ガラスの杯。なみなみに注がれた透明な液体の中心で、ゆるゆると氷が回っていた。
「ハッピーバースデー」
 呟き、男は静かにコップに口をつけ液体を飲む。
「ごぶっ」
 咳き込み、盛大に口から噴出した液体が、霧状になって夜空に舞った。
「カーッ、焼酎まずっ! ぺッ」
 彼はコップを地面に置くと、口に残った酒の味をなくそうと何度も唾を吐き出した。咳き込む音の向こうで、笑い声が響いた。
  耳に届いた笑い声に男は咳を止める。
「フフ」
 咳を止めると、なおさらに耳に届く笑い声。彼は本能的に自分が笑われているのだと感じる。あたりを見回すが、声の主は見つからない。たまに風にゆれて、桜が揺れる音がする。そして、やはりそれに混じって、笑い声が聞こえる。
「フフフフ」
 可愛い声だが、少し怪しげな色を混ぜた不思議な笑い声。彼は、不安になってせわしなくあたりを見回した。
「誰?」
 無意識に出た声は、思ったよりも大きく自分で驚く。そして、その声を合図に笑い声が止まった。
「私も、一緒にお花見していいですか?」
 いきなりの言葉に、彼は跳ね起きあたりを見回す。だが、やはり見つからない。右を見て、左を見て、後ろを覗いても声の主は見当たらなかった。
「どこ?」
 その姿に、また笑い声が漏れた。
「上です」
 言われて見上げると、桜の枝に腰掛ける女の姿。桜の花びらに溶け込みそうな髪の毛の色に、一瞬目を奪われた。現実が剥がれ落ちていくような感覚。
「お花見、一緒にしていいですか?」
 そして、彼女は同じ言葉を呟いた。同時、少し強い風が公園を走り抜ける。花びらが舞い、枝に腰掛けている女の髪の毛が揺れた。そして、
「水色の縞……」
「!」
 呟きに、彼女はワンピースの裾を押さえる。その瞬間、風が吹いた。
「あ、わわ……ぃっ!」
 支えを失った体が、重心を失い重力に引かれていく。万物はニュートンの魔の手からは逃れられず、それは妖精のような女の子にも適用されたらしい。
「げぇ!」
 思わず上げた悲鳴は、驚きではなく、逃げなかった自分に対して。そして、手を広げ受け止めようとした自分に対しての悲鳴。
 声が闇に溶けきる前に、鈍い音が夜の公園に響いた。後に残ったのは、静寂と暗闇。そして、街灯の銀光。光は、桜の根元で抱き合っている二人も、風に揺れる桜も、そして夜空も平等に照らし出していた。意識を取り戻した彼は、上に乗ってるやけに軽くて、いい匂いのする柔らかいものが何なのかを考えていた。
「うーん、マシュマロにしては重い。ああ、最近流行りのアロマなぬいぐるみか」
 そういって、一抱えもあるソレを彼は撫でる。
「ほひひひ」
 ぬいぐるみが身じろぎした。そして、ついでに笑った気がする。
「ん、最近のぬいぐるみは凝ってるな、声まで出るのか」
「ぬ、ぬいぐるみじゃないです!」
 抱きかかえられていたぬいぐるみは、上から降ってきた女だった。彼女は飛び跳ねるように上体を起こし、下敷きにしている男に叫んだ。
「え、あー、そうかなるほど、アレだな俺はとうとう二次元の世界に入ることに」
「なっ、どうしてそうなるんですか!」
「目の前に、ピンク色の髪の毛をした女の子が降ってきて、さらにツインテールでアニメ声、そして縞……」
 ジト目で睨まれ、男は口を噤む。ため息をつきながら、女は立ち上がった。体に降り注いでいた桜の花びらが、つられて舞い上がる。夜空に、光を浴びる花びらが舞う。ハイコントラストの風景に、男は一瞬言葉を失った。
「えと、私も一緒に、お花見していいですか?」
 エメラルドグリーンの目。本当に、夢でも見てるのだろうか。彼は、二三度目をしばたたかせる。
「これ、のむ?」
 奇跡的に、こぼれてなかったコップを差し出すと、彼女は小さな白い手でソレを受け取った。
「何で、こんな時間にお花見しているんですか?」
「花見は、桜の誕生日のお祝いだから」
「誕生日、ですか?」
 佇まいを直すと、彼女は男の横に座る。
「そ、誕生日。だから、皆桜の下でお祭騒ぎするだろ」
 少し、風が冷たくなり始める。いや、風が強くなっているのだ。髪の毛を手で押さえながら、女の子が首を傾げた。
「それと、夜明け近くまでお花見をするのは関係がないような」
 彼女の言葉に、男は薄く笑って空を見上げた。
「パーティーの後は、寂しくなるから、こうして朝まで付き合ってるんだ」
「じゃぁ、私も」
 そういって、彼女は持っていたコップに口をつけた。
「!」
「あ、ごめん。それ焼酎。そしてロック」
 女の子は目を白黒させていたが、途中で諦めたのか口に残っていた焼酎を飲み下した。ごくりと、飲み込む音が夜に響く。
「うーん、エロイ」
 肌に刺さる視線を無視して、男は夜桜を見上げる。朝が近い、風に力が戻ってきていた。 
 公園の桜が、木が風に揺れている。風に散った花びらが、風と一緒に舞い上がった。
 まるで――
「雪」
 女の子が呟く声も、風にのっていってしまう。
 空を埋め尽くすほどの花びらが、風にゆれて舞い降りる。思い出したかのように吹く風に、ゆらりと揺れる様は、まるで雪のようだった。
「赤い雪だ」
 男の呟きに反応したのか、舞い降りていた花びらがゆらりと揺れる。
「桜の木の下には、死体が埋まっていて血をすって赤いんですよ?」
 と、いきなり風情の無い言葉を吐く彼女に向かって、男は苦笑する。
「んじゃ、幽霊になって一緒にパーティーしてるから、寂しくないだろ」
「寂しく、ないですか……」

「ああ、寂しくないな」
「それなら良かったです」
 そういって笑った顔を、彼は当分忘れられないだろうと思った。本当に、妖精のような……。
 長い間無言で二人は桜を見ていた。ゆらりとたまに思い出したようにふく風に、揺られ、静かに佇んでいる。
 ふと、女が口を開いた。
「もうすぐ、夜明けです」
 彼女の呟きに顔を上げると、空が闇を払い青く染まり始めていた。桜色に混じらない、綺麗な青紫。今日はきっと快晴だ。桜も散らないで済むかもしれない。
「ああ、夜明けだ」
「誕生日パーティーも終わりですか?」
「そうだな、終わりだ」
「じゃぁ、また」
 そういって、彼女は立ち上がる。
「また?」
「うん、またです」
「そうか、また……か」
 男が苦笑すると、目の前に立った女が笑った。
「また、来年です。来年の誕生日に」
「そうだな、また来年」
 一際強いかぜに、地面に積もった花びらが空へと舞い上がった。一面を桜色に変え、彼の視界は桜の花びらで埋まった。
 桜が舞い散るむこう、彼女の姿はみえなくなっていた。
 男は笑う。花びらの吹雪の中で、朝焼けを見る。
「さて、そろそろ帰りますかね」
 自分の薄れていく手を見て、寂しそうに。しかし、満足そうに笑う男。
「ああ、いかんいかん。満足してしまったら、来年化けて出てこれなくなる」
 笑い声は、桜吹雪の中に消える。桜の雪が降り積もった頃には、男の姿はなくなっていた。

 公園を振り返った女は、風に舞い上がる花びらを遠めに見て、目を細めた。朝日が顔を出す、もうすぐ夜が明ける。
「ハッピーバースデー」
 呟きは、夜明けの空に広がって消えていく。
 

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