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・テーマ「女体」

 畳の匂いに目が覚めた。青臭いけど、どこか埃っぽく、奥のほうが湿気ている水臭い匂い。目を開くと、木目を忘れかけた天井が規則正しく区切られているのが見えた。中央には、黄色い光を発する白色蛍光灯。タバコの匂いがゆらりと鼻に届いた。
「ん〜」
 心地のよい目覚めというのは、上手く考えられないから心地よいと思い込んでいるだけだ。アルコールと似たようなものである。
 一度大きく息をすって、僕は上半身を起こす。
 なんだか酷く体中が重たい。畳で寝ていたからだろうか。頭が痛むのは少なくても畳のせいではなさそうだけど。どちらかと言えば風邪のときの頭痛に似ている。頬にある大きな傷をなでながら、いまだ覚めない頭で考えたのは、
「あぁ、女の裸が見たい」
「そんなに見たいか?」
「のなぁは!?」
 頭からいきなり声がふってきて、僕は飛び退った。人生最高記録を樹立しつつ飛び退る自分にも驚き、心臓は早鐘どころか工事現場さながらに鳴り響いている。
「だ……れでしょぅ?」
 自分の声がひっくりかえっている。その声を、どこか遠くで聞くような変に現実味のない感覚。回り始めた頭で周りを確認すると、なぜか僕の部屋に女性が居る。セミロングよりは短いが、ボーイッシュというには少し長い髪。色は赤みがかった茶色。ともすれば、タバコのヤニにくすんだ天井の色に混ざってしまいそうだ。
「ユウ」
 そう彼女は一言呟いた。
「な、にか御用でぇ?」
 いまだひっくり返ってる声は戻らない。それもそのはず、部屋の中央であぐらをかいている女性は、いやユウさんは殆ど裸。いや、水着? えーっと、胸は薄――
「何かとても失礼なことを考えてる気がするが」
 ユウさんが立ち上がる。意外と背が高い、にしても何でこんな格好なんだろう。水着のような薄いインナーに、所々アーマーとかパックがついている。コスプレってやつか?
「俺は、あんたの様子を見にきたんだ」
「はぁ、僕の」
 なんだかよくわからないが、そう言うことらしい。なんだかよくわからないが、納得したという、なんだかわからない顔をしているとユウさんが頭をぼりぼりかいて唸った。
「めんどくせぇな。おい、」
 天井を見上げて彼女が叫んだ瞬間、
 
「つーわけで、心配になったから来たわけ。連絡もねぇし」
 久しぶりに家に訪れたユウが、めんどくさそうに言う。寝起きの頭を振って、僕はすまなかったと呟きタバコを火をつけた。
「お前、ほんとに大丈夫か?」
「ああ、うん。別に何とも無いよ」
 大きな瞳が僕のことを見ている。あきれたような、それでも心配そうな表情に少し申し訳ない気がする。
「ま、大丈夫ならいいんだ」
 相変わらずの言に、僕は苦笑しテレビの電源を押す。黒い画面が一瞬揺らいだ。
「タバコやめろって、いつもいってるのに」
 黒い画面に映ったユウが、少し怒った表情を作る。目よりも意思表示をする彼女の眉毛がつりあがっている。
「これだけは無理。タバコと、酒と、女はだけはねぇ」
 画面に映る僕の顔が、情けない表情で笑う。
「てめぇ、タバコどころか浮気まで!」
「や、ちょっとまってくれ。ちがっ。えと、ほら」
 めり、という聞きなれない音をつれて僕の顔がテレビに埋まった。黒い画面の向こう、緑色の文字が躍っている。

 ――全て異常なし――

 全く勘違いも甚だしい。ただちょっと女の裸が見たくて、いかがわしい雑誌を買っただけだというのに。
 鼻にティッシュをつめているから、息が苦しい。おかげで血の匂いが口からする。
「いやぁ、すまんすまん。はははは」
「なぁ、ユウ。何で来た? 連絡ごときで足を運ぶようなことしないだろ? 特に君は」
 笑っていたユウがいきなり笑いを止めた。しょぼくれた顔になると、とたんに女性らしくみえるから不思議だ。まるで怒られた子犬みたいだなんて、頭の隅っこで考える。
「遠くに行かなきゃいけなくなった。たぶん」
 嘘。彼女が目をそらすときは必ず嘘を言っている。長い付き合いだし、僕にはわかる。
「たぶん、もう会えない。だからお別れを言いにきたんだ」
「そか」
 遠くで、コンクリを打ち付ける音が聞こえた。よく響く乾いた音。窓から見える建設中の建物は、既に何年も同じ音を立てつづけている。出来上がらない建物。終わりのない日常。終わったのは、僕とユウの関係だけらしい。
 じわりと、血が滲む感触。差し込む日差しは、春だったか夏だったか。
「じゃぁ、元気でな。死ぬなよ」
 緩慢な動作で、ユウが立ち上がる。
「なぁ、ユウ」
 ビクリ、と背中が震える。またコンクリを打ち付ける音。
「最後なら、裸をみぶべらっ」
 面白おかしいポーズで僕は、八畳もない正方形の部屋で錐揉み。まるでゲームみたいだ。回転する視界のなか、鼻に詰めていたティッシュが外れて放物線を描くのが見えた。
「まったく、お前は」
 畳に無様に転がる僕を見下ろして、ユウはため息をつく。
「また会えたら、見せてやるよ」
 仕方なさそうに、でもどこか悲しそうにつぶやいた。僕の近くまで歩いてくると、彼女はしゃがみこむ。見上げる僕と、見下ろすユウ。
「……目ぇぐらい潰れって」
 意味がわからないまま目を閉じる。瞬間、やわらかい感触が唇に。
「!」
 驚いて目を開いたときには、彼女はもう僕に背を向けてたっていた。
「じゃぁな、死ぬなよ」
「あ、あぁ」
 僕の言葉から逃げるように、扉が閉まる。丸い乾いた音が、何もない部屋に転がった。
 はて、僕は彼女と何度キスをしただろうか。なんだか初めてのような……ひどく懐かしいはずなのに。
 何もない部屋の隅っこで、テレビがいまだに真っ黒な画面でたたずんでいた。その画面には緑の文字が浮かんでいる。

 ――全て異常なし――

 無音。宇宙はどこまでも無慈悲で、どこまでも無関心だ。
 鉄の焼ける匂い。そして、血の匂い。だだっ広い円柱の空間は、ほとんど灰色一色で埋め尽くされている。まるで虫の巣みたいに、壁に並んだ冷凍睡眠装置。しかし、カプセル状の睡眠装置のほとんどがカプセルの形を残していないどころか、壁から落ち、底に山になってつみあがっていた。今も断続的に上から破片が降り注ぎ、耳障りな金属の合唱を続けている。
 底から天井を見上げても、霞んで見えないほど煙が充満している。
 そんな円柱の底に一つ赤い色彩。うずくまり、そこでじっとしている。ほんの少し背が上下しているので生きているのは確かだった。
「外宇宙探査艦『干し葡萄』。メインブースター現在推力10%。冷凍睡眠区画大破。艦橋中破。生命維持装置、稼動率1%。……」
「とうとう、声だけか?」
 赤い塊がつぶやく。
「中央戦術機も半分しか機能していません」
「憎まれ口も利けなくなったか」
「艦橋を閉鎖、酸素流出は停止。現在、生命維持装置は冷凍睡眠区画のみとなっております」
 調子が狂い、ユウはため息のような笑いを漏らす。
「生命維持は、冷凍睡眠装置のみ。あとは蘇生後に節約」
「艦長の生命維持に支障が」
 遠く、上の方から乾いた音がする。冷凍睡眠装置が一つ壊れ崩れ落ちた音だ。外宇宙探査のために出発した『干し葡萄』は、航行中に小惑星帯に突入。復元不可能なほどのダメージを負った。すでに最重要施設の冷凍睡眠区画すらもまともに機能していない。
「かまわない。俺の体は俺が一番知っている」
「了解しました。生命維持は冷凍睡眠区画の装置のみに限定し、艦はこれよりスリープモードへと移行します」
 風を切る音がした瞬間、ユウの背中に金属の破片が突き刺さった。『干し葡萄』に搭載されている、半永久擬似重力場は愚鈍にその力を発揮し続けている。破壊されようが、破片ですらその力を発揮するそれが、いまさらになって邪魔になっていた。
「ぐっ」
 うずくまった彼女の下には無傷の冷凍睡眠装置が一つ。そして、彼女の背にはいくつも金属片が突き刺さり、背が赤く染まっていた。
 次第に酸素が薄くなってくるのがわかる。生きているコップレッサーが残った酸素を節約するために吸い上げているのだ。朦朧としていく意識のなか、ユウは痛みをこらえ笑った。
「死ぬな……お前だけでも」
 見下ろした冷凍睡眠装置には、男が一人。頬に大きな傷がついてる、若い男だ。今も、冷凍睡眠装置の中で、彼は夢を見ている。夢にもぐりこんだ感じでは、彼の精神はまったくの正常だった。
「ユウさま」
 声に、ユウが顔を上げると目の前にはメイド服の姿のホログラフ。いつも、ユウと共にあった戦術機のホログラフだ。
「なんだ、壊れたんじゃないのか」
「私もお供します」
「おいおい、戦術機が……はっ……壊れたら船はどうすんだ」
 ユウの目の前で、メイドは一礼。
「お供するのは、パーソナルデータです。戦術機は生まれたてに戻ります。それで、使用できる容量は格段に上がり、演算速度も上がります」
「……ばかめ」
 薄くなる空気に喘ぎながら、ユウが笑う。
「馬鹿です」
 メイドも笑った。
 無音。宇宙はどこまでも無慈悲で、どこまでも無関心。見下ろした冷凍睡眠装置の中の男は無表情のまま寝ている。
「生きて会えたら、裸ぐらい見せてやるよ……」
 明かりもなくなり、闇が落ちる。静かに、ただ静かに『干し葡萄』は外宇宙に向かって進んでいる。
 暗闇の中、冷凍睡眠装置についたディスプレイに緑色の文字が点灯していた。

 ――全て異常なし――


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