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・テーマ[海]

 灰色の匂い。
 そう表現するのが一番しっくりくる暗闇と埃舞う部屋で、私は一人で頭を抱えている。自室として与えられた研究室は、パソコンと計測機器で埋まっており、趣味や研究用の本が壁になるほど詰まれている。私の雇い主である都紙博士は、現在昼のテレビウォッチングに精を出しているところだろう。少なくてもこの時間帯は、呼び出されるようなことは無い。多分。できれば、そう信じたい。
 そして、その時間を過ぎれば私の自由は保障されない。
 ふと顔を上げたとき、ディスプレイに表示されているデジタル時計の数字が目に入った。
「13:50」
 しまった、既に時間はきている。もう最後の砦である黒たまねぎの番組は、終了を向かえる時間だ。コマーシャルにはいっているかもしれない。ゲストがどうでもいい場合、ギリギリまでは見てはいないだろう。そう、そろそろ。
「若洲君いルかな」
 そして地獄は再開する。何も変わらない日々が。

 トシ情報総合研究所、TOSI Information research institute。は窪地を見下ろす形で山間に腰をおろすように建てられている。建設当初の白い綺麗な外壁は、なぜか全くの手入れ無しに真っ白なまま、維持しつづけている。といっても、最近外に出たことは無い。
 なぜなら、私は極度の花粉症だからだ。この春先は特に花粉が酷い、部屋から出るどころか、私は人が研究所に入ってくるだけでクシャミがとまらなくなる。
「今日は花粉症対策のために、新たな空気清浄機をせっちしてみタんだ」
 言われてみれば、部屋の扉が開いたのに私は一度もクシャミをしていない。博士の足元に置かれているなんともいかがわしい白い箱がそれだろうか。都紙博士は、外見どおり図太く花粉症の苦しみなんぞわかってはくれないものだと思っていたのに。
「なにか、スごく失礼な顔をしているのだが……。まぁ、いい。どうかな?」
「え、ええ。まぁ。今のところは」
 取り合えずクシャミは出ていない。
「そうだろうとも、この”海は広いな大きいな”は花粉、粉塵は愚か空気中の水分すらも逃がしはしない!」
 そんなもので、今回のテーマはこなしたとかそういう事ですか? 今までだって、既に何度も跡付け臭いなんていわれ続けてきてるのに、ここに来て名詞使えばいいとか言うレベルになっちゃってますか? 大体空気中の水分も取るって、乾燥させてどうする気ですか? 大体何でも取ればいいってもんじゃないと思うんですが、そこらへんはどうなんでしょう?
「ついでに、強にするト」
「すると?」
「酸素も逃がサない」
「いみねー!!」
 私は、叫んでから苦しいことに気がついた。もしや既に、”海は広いな大きいな”は稼動レベルを強に設定され……ている。しっかりとLEDは強のところで赤く輝いていた。
 すかさず、博士の右手に納まってるリモコンにチョップ。
「どあッ」
 奇怪なリアクションとともに、博士がよろめき手からリモコンを落とした。
 手を伸ばし、リモコンをゲット。ボタンを確認すると、そこには――
『電源入 風量調節 強』
「ふふはハはは、こんなこともあろうかと!」
 地面に仰向けになり博士が笑う。手はちゃんと腰にあてられていた。
「電源はリモコンでしか切れない! しかモ、そのリモコンは電源onしかないのだ!」
 威張って言うことですか、それにそれはリモコンでも切れないというべきではないでしょうか、つーかどんどん苦しくなってきてませんか? 気のせいですか、そうですか。私は既に呼吸が荒いのに対し、博士は地面にねっころがったまま元気に笑いつづけている。既に意識までが朦朧としてきた。かくなる上は……。
「えい」
「アーー! コンセントは反則だぞ! 若洲君!」
 扉の向こう、白いいかがわしい箱の向こうからゆっくりと風が流れてくる。すぐに目が痒くなり始めたけど、呼吸ができる喜びに比べればどうって事は無い。
 脳みそに酸素を送りながら、寝ている博士を見てやっと思い立った。ああ、酸素の比重は1.11で一応重たかったんだ。でも、二酸化炭素の方が重いはず……。
「ヘクシッ」
 クシャミで思考が中断される。既に花粉が流れ込み始めているのが見えるようだった。
「とまぁ、冗談はさておき。外でユキ君が車を用意している。出かケるぞ」
 博士は立ち上がると、楽しそうに廊下を歩いていった。
 後を追おうと足を進めた瞬間、目眩がした。いや、精神的にではなく物理的に。振り返ると、”海は広いな大きいな”が勝手に稼動している。酸素の無い、おおよそ空気と呼べない気体を必死で吐き出していた。
「バッテリー駆動かよ!」
 
 結局のところ、引きずられるように車に乗せられれ、気がつけば車は発信していた。目は痒みで血が流せそうなほどだし、鼻水は体中の水分がなくなっても止まらないだろうと思えるぐらい出続けている。
「あの、博士。どこ行くんですか?」
「ナイショだ!」
「ユキさん、どこ行くんですか?」
 無駄そうなので、質問を諦めた。運転席でハンドルを握っているメイドの格好をしたお手伝いさんのユキさんは、振り向きもせずに「海です」と一言そっけなく答えた。そっけないのも、まぁ博士の作ったメイドロボという触れ込みなのでしかないのかもしれない。
「若洲君が私を無視しタ!」
 後部座席に座っている私に、助手席から掴みかからんと見を乗り出してくる博士。
「うわっ、止めて下さい」
 乗り出した博士の白衣にユキさんのひらひらの服が引っかかっている。それにつられてハンドルがぶれる。
「む、ユキ君。ハンドルを戻したまえ。ぐおおっ」
 命令を実直に遂行したユキさんの腕に引きずられるように、都紙博士は運転席と助手席の隙間に挟まれる。
「だ、だれだね! ユキ君にこんな服ぐふぉ! 着せたのは!」
「あんただ! 大体お手伝いだっつーのなら、もっと実用的な服装にするべきですよ!」
「なにかね、若洲君はメイドは図書館にでもトいうのかね」
 ココロ図書館ですか? 前回そのネタ誰もわかってないような感じでしたけどどうなんですか? 一人暴走って感じで肌寒いどころか、薄ら寒いですよね? これが世に言うイタイですか? 
「とにかく、ユキ君! 手をどけてくれタまえ!」
 多分わざとなんだろうけど、ユキさんが言われたとおりに手をどけた。同時にユキさんよりも素直でバカ正直な車はハンドルの操作のなすがまま、道を離れ飛び出した。あまり聞きなれない車のタイヤが空回りする音を聞きながら、私は車の窓から外を見る。気持ちいいとは、言いがたい浮遊感が体を襲う。
 辺り一面の青。季節はずれも、車内ですら感じる肌寒さも全て吹き飛ぶ完璧な青。車体が横になっていくのがわかる。倒錯してく重力と視界の中で、足の下の窓に、遥かな高みに青く、
 
 海が、


 全く持って残念な結果では在るのだけれど、やはり予想通りといったらそれもありきたりである。それは、都紙博士がありきたりなマッドサイエンティスト然とした人間だとしてもだ。つまるところ車は、かの林檎の英雄の狂言に従うほか無かった。
 つまりは――
「予定では、若洲君だけ落とすつもりだったのだが」
 海の中であり、浸水中であり、暴れる博士の足に私は踏まれている。
「博士、取り合えず出ましょうよ……」
 私の言葉に博士がうなづきユキさんをみる。同時、ぐももった音が鳴って車体が傾いだ。ああ、空気が抜けたからバランスが崩れたんですね。って、そろそろヤバ目な感じですが。
 埋まっていく海水の中で、体が引っ張られた感覚と一緒に私は意識をそこに忘れてきてしまった。

「フむ、減圧に瞬間的な加速。それと、危機的状況下における不安定な精神状態」
 博士の声が聞こえて僕は目を開ける。体中が冷え切っていて、思うように体が動かない。散々といえば、常に散々な研究所に勤めてるとはいえ、流石に春先の寒中水泳は勘弁こうむりたいものです。視界の端に捕らえた博士は、一人焚き火に当たり体を乾かしている。
 僕はスルーですか。
「おや、若洲君きがついタかね」
「……はぁ」
 上半身を起こすと砂が体中の関節にこびりついてるような錯覚に襲われる。実際は服と頭なのだけど。
「よし、そろそろ帰るかネ、ユキ君が変わりの足を拾ってきてくれてるはずだ」
「わかりました。でもなんで、海なんかにきたんですか……」
「最近見たテレビでね、花粉には海水がいいという、あまりにふざけた内容の番組をみて試してみたのだよ」
 そして、博士はくしゃみはまだ出るのかといった。そういえば、満身創痍で気がつけなかったけど目も痒くなければ、鼻水も出ていない。
 一度、海水が混じった鼻をすする。
「本当だ、大丈夫っぽいです」
「ふむ、懐疑的ではあったがそれなりではあるみたイだね?」
 やり方はともかく、一応は私の花粉症を気遣ってくれていたらしい。少しだけ、横暴を許せるきがした。まぁ、間違いなく反動による感覚誤差なんだろうけど。
 浜辺の向こう、一台の車がブレーキの音を立ててとまる。ユキさんが車を運んできてくれたらしい。
「よし、これでしばらく花粉を払って研究室に入るなんて、億劫なまねはしなくて済みそウだね」
 結局そっちですか。
 
 後日。私こと若洲研究員は、自室で寝込んでいた。
 横では、一応ユキさんが無言で私を見下ろしながら看病してくれている。確かに美人なのだけど、無表情と無言の所為で無意味に威圧感を感じるのは気のせいだろうか。
「そういえば、都紙博士から託を承っております」
「なんですか? ズズッ」
「海水が花粉に聞くことはありえないが、風邪を引けば免疫機能が弱まり花粉症は抑えられる、とのことです」
 ……。
「ハックシ!」
 結局何も変わりはしなかった。


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