skip to No. >>  1.  2.  3.  4.  5.  6.  7.  8.  9.  10.  << Return to Top.


【ウンメイノカタチ】


・三題話 第081話
お題 :「短剣」「青」「涼しい」
  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 結果に嘆き悲しむ意味はなく ―――

 夜風は、この時期になるととてもよく見える。あの時を境に自分は、いろいろと感じることが出来るようになった気がする。見上げた夜空には、大きな満月。うーむ、かっこいい。まるで、俺のためにあるような満月。さながら俺は、夜の王。うむ、エロイ。
「アホ」
 突っ込みを聞き流して、冬の夜空を駆け抜ける。夕日の街をでて、隣街へ。山を越えてしまえばもう闇のダムは見えなくなる。
「恭樹。見つけた、そのビルだ」
 言われて、急制動。
 っと、足場がない。そのまま慣性に任せて夜空を飛んでいく。目の前に入った電線に手を伸ばして掴む。続いて、足を蹴り上げた。慣性力は上に抜け、体は電線を支点に一回転し始める。世界がひっくりかえってい ―――
「ごあっ! 俺の大事なメルヘンボックスが! エマージェンシー! エマージェンシー! デカレンジャーはどこ!?」
 意外と近くに二本目の電線があったらしい。
「ふざけてる場合か、恭樹。いそげ」
 声が言う。苦笑して、ビルの入り口まで一気に跳躍。
 下から見上げるビルは所々明かりが付いているが、殆ど人はいないようだった。気配もまったくない。夜の街はやはり静かだった。
「んで。どこだよ?」
 入り口は空いてないので、そのまま散歩するように俺はビルの周りを歩き始める。と、ビルにかかっている看板が目に入った。
「音響科学研究所、か。音にもやどるのか?」
「ありえるが、その場合一瞬で消え去るから無理だな」
「ふぅん」
 判ったような判ってないような相槌を打っておく。実際良くわかってない。
 警備員はいないのか、物静かなものだ。といっても、わざわざ外の見回りをしてるようなやばそうな場所には忍び込みたくも無いけど。
「この上かな」
 言われて顔を上げるが、夜空の青を反射するマジックミラー処理のガラスしか見えない。ガラスに映った月は、普通に見上げるより大きく見えた。月を背に自分が移っている。月明かりを頼りにポーズをとってみる。
 高校生の平均レベルの背はやはりいただけない。けれど、まぁ見れる外見ではなかろうか。一人満足したように、俺は頷く。見慣れた自分の姿、けれど目だけが違う。赤いのだ。まるでカラーコンタクトをつけたような違和感、けれど今はこれが俺の普通の姿。ガラスに手を伸ばして力を入れる。沈み込む感覚と一緒に、確かな手ごたえを感じる。逆の手も同じように。
「真中辺りだ」
 夢為はいい気なもので、俺に取り憑いてからは始終奴隷のように使う。
「奴隷とは心外だ。あえて言うのなら、道具だ」
 しかも、心の中は常に丸聞こえ。プライバシー問題で訴えてやろうか。
 手の力だけで体を支える。意外とこういうことではあまり自分が人間離れしたとは思えない。むしろ目の赤さとか、頭から聞こえる声のほうが人間離れを感じさせられる。登りながら、自分の姿を見ていると、ふとガラスの向こうからは丸見えなんじゃないだろうかという、不安がよぎる。

「あたりまえだ。まるで変態スパイダーマンのように」
 一瞬、体の力が抜けるが手はガラスから離れない。もともとガラスに手がついてるのは、自分でやってるのではなくて、夢為がやってることだ。こうなれば自棄だとばかりに、俺は上へ上へと上っていく。とはいえ、スピードが出るものでもないわけだけど。風が寒い、手も疲れてきた。というか、だるい。休みたい。
「夜風は冷えますね、夢為さん」
「涼しいな、恭樹」
「……」
「どうした? まだまだ上だ速く登れ」
 心で泣きながら、どうしてこんなことになったのか嘆きながら、俺はビルの側面を登っていった。しばらく、登りつづけると、伸ばした手が触れたガラスが暖かかった。疑問に思ってゆっくりと、ガラスに顔を近づける。人の気配がした。
「覗けるか?」
 言われて、目を凝らすと少しだけ中がみえた、一人、ほかには見当たらない。背中を向けたまま、中にいる人間は何か作業をしている。マジックミラー越しなのでやはりよく見えない。
 音を立てないように一気に上に。無理やりに伸ばした手を支点に、体を回した。反動で、一気に窓一つ分上に飛び上がる。一瞬で移動完了、音はたてていない。
「あれだ、あの机にある短剣だ」
「はぁ? 短剣? 今のご時世に、何をいってるんだね。 うおっ本当に短剣がある」
 言われると、確かに何個も並んでいる机の上に一つ、短剣としか形容のできない刃物が置いてあった。何でビルに? 音に関係あるのか? 装飾にしてはおかしい置き方だし。
「何でもいい、中に入るぞ」
「え? ガラスは?」
「割れ」
 顔を隠したい衝動にかられる。しかし手ごろなものは無い、諦めて服に顔を半分ほど埋める。
「ジャミラ」
 突っ込みは無視したまま、一気にこぶしを叩きつける。水しぶきのような、ガラスが、舞わない。変わりに太鼓のような震える音が響いた。
「あれ?」
「盗難防止の、シートつきだね。それとも防音かな。なんにせよ頑丈だ」
 手加減しすぎたらしい。体の上下を入れ替えて、今度は蹴りつける。えーいままよ。
 まったく派手さの無いガラスの割れ方は、本当に格好がつかない。ぽろぽろとガラスがはがれる感じで、床に転がっている。割れた瞬間も、ぐももった変な音だけが響いた。奥の男は、作業ではなくて寝ていたらしい、今もまだ動かない。部屋の中は、暖房でかなり蒸し暑かった。こんな中で寝れば、体調が悪くなりそうなものだが。とりあえず、奥で寝ている人を無視して、短剣に向き直る。つけっぱなしのライトは明るく、十分すぎるぐらいだった。
「ウンメイノタチ! 貴様もここまでだ!」
「あ、まて! 恭樹 ―――
とうっ、とヒーローちっくに短剣にこぶしを叩きつける。夢為の声が聞こえたが、もうこぶしは止まらない。そのまま、短剣を砕き、机が割れていく。
「逃げた。取り憑いてるだけの夢魔は憑依対象を破壊されても無傷だっていってあるだろう!? ウンメイノタチは対象と融合はしない!」
「いや、追い出してから何とかしようと……んでどこいった?」
「このビルのどこかだ。遠くにはいけてない」
「あっそう、んじゃまた探そうぜ」
 そういって、埃を払う。顔を上げると、奥で寝ていた男がコチラを見ていた。
 しまった……。
「ジャミラだ!」
「ちげぇ!!」
  蜘蛛の巣のように割れた皹の向こうに、月が出ている。警報が鳴り響くビルをあとに、俺は月に向かって飛び立つ。
「ジャミラ待って! 待って!」
 手にもっていた、短剣のかけらを投げつける。軽い音と、人が倒れる音が中から聞こえた。


・三題話 第082話
お題 :「槍」「緑」「暖かい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 不治の病は絶望には足りない ―――

 思考の中で、口論しながらなんとか家に帰り着く。思考なので、思論なのか? もう、この際どうでもいい。頭の中でギャーギャー騒いでいる夢為を無視。高校に入ったころから借りてるアパートの一室に、倒れこむようにして帰宅。玄関先で、靴を脱ぐのもめんどくさくなりそのまま廊下に寝転がる。まいった、まさかビルの中で逃すとは。夢為は存外役に立たない。
「失敬な。細かい場所がわかるわけないだろう、感覚や透視ではないんだ」
 じゃぁいったいなんなんだ? 声には、少しすまなそうな調子が含まれてる。
「GPSをみてるようなものなんだから」
 だったら逆に判りそうなものである。
「別画面を見てる感覚なんだ。しかも見てる世界はまったく違う。ジャングルをこちらとしたら、私が夢魔を確認する視覚は太平洋で船を捜してるようなものだ」
 いみわかんねぇ。つまり、太平洋にある船だから障害物もなく見えるが、現実は建物や地面に邪魔されてわからないと。
「そういうこと。ビルから動いてないのは確かだけど、警備が強化されたのも確かだ」
 そうかよそうかよ、床から見上げる部屋は雰囲気が違ってみえる。ふと、この暗闇で目がしっかりモノを確認している事実に、また人間との乖離を実感する。昔は人間だったのに。
「私だって抑えてる、あの時はこうするしかなかったんだ。諦めろ」
 突き放す言い方なのに、なんだか暖かい感じがするのは気のせいだろうか。そこまで考えて、夢為が恥辱にまみれているのを心の中で確認する。精神的レイプとでもいおうか。あたらしいプレイだな。だけども、脳内彼女みたいで、一瞬で現実に引き戻される。
 と、玄関に人の気配。こんな夜中にだれだろうか? 気配は俺の家の前でとまった。一拍おいて、チャイムが鳴らされる。
「おーい、恭〜。はいるぞっと」
 確認の返事も聞かず扉が開けられる。声の主は、俺の家の隣に住んでるバカップルの駄目男の方だった。名前を外村智。
「言われて調べたやつだ」
 そういって、紙の束が投げつけられた。そういや、ウンメイノタチについて調べておいてくれといったような気もする。紙の束をうけとり、上体を起こした。
「すんません。助かります」
 紙の束はしっかりとレポート形式にまとまっており、内容も細かくすばらしいものだった。レポートの内容は、ウンメイノタチの研究レポート。
「外村さん、これパソコンのDATAでくださいよ」
 そういうと、外村さんはうなづいて、かってに俺の家にあがりこんでいった。靴を脱ぎ、後を追う。夢為は先ほどから無言、寝たのだろうか。
 時計をみて、予定を確認して、そして最後に外村さんをみる。
「明日も学校があるのですが、私は」
 だが、俺の進言は一瞬で無視。勝手にテレビをつけてくつろぎはじめた。俺の予定は無視ですか、そうですか。心の中でため息をつきながら、レポートをめくる。ウンメイノタチが取り付いたであろうモノの写真すら載ってる項目もあった。いつも思うが、いったいどこからそれだけの情報を調べてきたのだろうか。
「にげられたんだろ?」
「バレバレですか」
 みりゃわかると、外村さんは笑いながら言う。何をみたらわかるのか、ぜひ講釈願いたいところだけれど、それは止めておく。
 TVを見るのに集中し始めた外村さんを、そのままに俺は、パソコンを立ち上げる。パソコン独特のファンがこすれる音と、ハードディスクの軽い音。しばらくするとディスプレイが灯り、起動画面が映し出される。あじけの無い緑色の壁紙に、写し出されるアイコン郡。いいかげん、新しいのに変えろとみんなに馬鹿にされているパソコンだ。
「ウンメイノタチの単体移動距離は、600〜100Mほど。差があるのはその前にどれだけの運命を喰らったかによって変わる」
「今回の予測範囲はどれぐらいですか? ビルから出ていないと夢為はいってましたが……」
「200から100。時間的にみて300移動してるとは思えない」
 まるで、すべてを見てきたような物言いはこの人の特徴である。そして断定するのなら、間違えたことは無い。なんで無職なのか判らないぐらいだ。
「働いたら、負けだと思ってる」
「家にかえれ、ニート」
 そういうと、外村さんは床を指差す。
「ここが第二の家だ。おお、我が家よ」
 間違いなく、彼女と喧嘩をした。バカップルで名高い外村さんとその彼女の大内さん。大内さんは、大手会社のデザイナー部門で働いているすごい人だ。このアパートに住んでること自体おかしいのだが。それは永遠の謎である。
 体の力が一瞬抜ける。まるで金縛りに会ったように思うように動かない。すぐにもどってきた感覚は、通常の感覚じゃなかった。背骨に鉄の棒を突きこまれたように体が一直線に伸びる。痛い。まるで、鉄の棒どころか、槍かなんかだ。思考が裏に追いやられる感覚。夢為だ。外村さんを追い返すといって、先に聞いておきたいことでもあったのだろう。かなり無理やり前に出てくる。多分、先ほどの腹いせもあるに ――― 
 いてぇ……。
「外村」
 俺の口からでる声は、俺の声じゃない。科学者のような、冷徹で自信にあふれた声。夢為に体の主導権をとられたのだ。その声をきいても、外村さんはまったく動じないでTVをみてる。
「理屈で言えば、紙切れにすら宿る。特定は無理だ。スプリンクラーでも発動させるか?」
「存在を気が付かれる可能性」
「今回のことで、かなりあがったな。もうばれてると考えろ」
 二人の会話はどこかつかみ所がない、しかも早い。二人ともが無言になる瞬間がないのだ。そして、相槌もない。
「複製」
 会話を追うことすら、不可能になっていく。
「逃げられる前はどこにあった? 形状は?」「10階建て、6階。窓際の机。摸造の短剣」
「元からばれていたな、いま無いのなら故意にはされない」「使用」「個人的な、私欲の使用、もしくは悪戯」「組織」「ない、あくまで現在は個人」「BAKU」「しらん、美甘ちゃんにでも聞け」
 本当に、言葉のキャッチボールをしてるのかどうかすら怪しい速度で、二人はしゃべる。脳みそが上手く動いていない所為か、まったく二人が何を話してるかを追えなかった。難しい話は、眠くなる。
「俺にも質問させろ」
 一瞬の静寂が挟まり、外村さんが言う。
「断る、恭樹の予定がある」
 結局、すべて切り捨て夢為はそのまま俺と交代。体の感覚が戻る。
「くそっ、いつかヒーヒーいわせちゃる!」
 外村さんが吐き捨てるように叫んだ。思わず、尻を抑える俺。外村さんが、俺と夢為が戻ってることに気が付いた。嫌な沈黙がこじんまりとしたアパートの一室に下りる。
 隣から、壁が叩かれる音。間違いなく大内さんだ。
 外村さんは、そそくさと自宅へと帰っていった。


・三題話 第083話
お題 :「斧」「白」「冷たい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ―――  手を伸ばせばそこに希望はそこにある ―――

 夢為が伝えてくる驚愕と焦りは、そのまま俺の感情すら揺さぶる。あまりに近いぶん、相手の感情なのか、自分の感情なのかわからなくなるのだ。焦りが向かう先への俺をせかす。驚きがそのまま動悸へとかわる。電車の中で一人焦っている俺の姿は、ほかの人間から見ればさぞかし滑稽だろう。ポケットにあるCDを知らずに手でもてあそんでいた。それに気がついて、一人で苦笑い。もう、ここまでくれば立派な変態だ。
 今現在二つにウンメイノタチは増えている。増えることがわかったのは、外村さんのレポートのおかげだ。それと、夢為の頼りにならない記憶とあわせて、おぼろげながらウンメイノタチの在り方がわかってきた。
 ウンメイノタチは憑依しか出来ず、能動的な捕食、移動はできない。強力な捕食能力は、逆にウンメイノタチの行動すら縛っているらしい。ひとたび、使用されればその威力はすさまじく、運命という名の可能性をすべてくらい尽くす。
 出来ないことといえば、死んだ人間を生き返らすこと。死んだ人間には可能性はなく、それは物としての外部から与えられる運命のみだからだ。そして、この先におこる運命を喰らい続けること。これも不可能。たとえば、この先病気をする可能性を食うということはできない。その代わり、過去からつながる可能性を喰らうことは可能である。たとえば、病気を患っている人間の、病気であるという過去から連なる可能性をその場から食う。過去に負った怪我を食うなどは可能。そして、本来もっている可能性。たとえば、右手が存在する可能性なども食うなどである。
 そして最悪なのは、使用者が目的無く捕食を促す、つまり目的が無いまま使用した場合、ウンメイノタチはその場にいる根源の可能性、つまり生命を喰らう。これは、たちが悪く目的の運命を持たないものに使用した場合も同じ事が起こる。つまり、病気がまったくない人間を相手に、病気である可能性を食わせると、生命を食われるということだ。
「よくわからん」
 夢為が頭の中でふてくされる。まとめると、こうなる。夢為に説明するようにレポートの内容を思い返しながら判ってることをまとめる。
 1、使用すると、可能性を食う。
 2、使用されたとき、その可能性を持っていない場合、命を食われる。
 3、目的の無い使用は、命を食われる。
 4、ウンメイノタチ自身から逃げたり、能動的な攻撃は無い。
 こんなところだろうか、憑依対象も良くわからない。多分、概念に憑依しているのは間違いない。剣、槍、斧、刃物なら何でもいい。刃物全般だ。そして斬れるもの。つまり、ガラスの破片や紙の端など。
 そして、斬るために作られているもの。これが厄介で漠然としている。模造刀や、皮むき、斬る画像にすら宿ったこともあるとレポートは書いてある。ただ、この場合人を切っている画像ではなく、カメラに向かって。つまり、視聴者に向かって斬っている画像だったそうだ。”見ているものを斬る行為を撮ったテープ”。とんでもないが、斬るために作られたものには違いない。この際、違法駐車の切符切りにでもやどってみろといいたい。行動には宿る可能性は否定できないが、その行動が終わり次第憑依対象が無くなり、使用されなくてもそのまま次の憑依対象に移動するだけだ。これだけ長い時間宿っているので、そういうものではないのだけは確かだ。
「恭樹、使用された。しかも増えた。最悪だ」
 もしかして……
「一回目のコピーを使用しながらのコピーだ。このまま増えたらまずい」
 事態は坂道を転がるように悪くなっていく。使用したときにコピーしたら、完全なオリジナルを消さないといけない。行く先は、先日のビル。
「昼の日中に、警備が増えてるビルにいくのか? いまコピーされたものを確保したほうが早い。オリジナルはビルのなかだが、コピーは移動している」
 了解っと、手間ふやしやがってぇ。故意といってもウンメイノタチに気が付いてるわけじゃなさそうだな。それともわざと使用してこれからまた増やすか? 
「不確定だな、とりあえず早めに確保するのが先決だろう」
  了解了解〜。最悪な事態になってるのは確かだ。とりあえず、その使用された場所にでも行きますか。
 電車が止まる瞬間、慣性の法則を体で感じながら考える。そもそもコピーってなに?
「(1)複写。複製。写し。(2)本物に似せたもの。(3)広告のキャッチ-フレーズや説明文案」
 辞書かお前は。コピーの法則もよくわかっていない、多分オリジナルの子供という扱いになっている。オリジナルが使用され、憑依が解けるとコピーされたものはすべて効力を失う。問題は、『憑依が解けるまで』コピーは生きているということだ。オリジナルは未使用のまま、コピーだけが使用されたのだ。しかも、その後が最悪だった、今されたコピーは夢為が伝えてくる限りでは、使用された状態のコピーだった。憑依が解けないままコピーされたものは、オリジナルが消えても消えない。しかもたちがわるいことに、コピーのコピーだ。オリジナルは健在で、またコピー可能ときた。
 ホームを降りて、一息つく間も無く俺は走り出した。夢為が言う場所に向かって突き進むことは出来ない、ビルの向こうであったり川をはさんでいたり。道を選びながらなんとか言われた方向へと向かっていく。秋とはいえ、薄着できてしまったため、流石に寒い。走っているので体が温かくなるかとおもいきや、この程度ではあったまりすらしないらしい、嫌な体になったものだ。かといって昼の日中に本気で走れば、TVでさらし者確定である。屋根だろうがそれはかわらない。いつどこで見つかるか判ったものじゃない。
「一回目のコピーは消えたな、現在オリジナルと二回目のコピーの二つだ。そっちを右」
 左に慣性力を感じる。人をよけながら、道なりに通りを走っている。空を見上げれば、秋晴れせっかくだし、本当はのんびりしたいのだが。
 でもなんでまた、コピーのほうに向かってるのだろう?と考えた瞬間だった。夢為の驚愕が頭をぶん殴るように響く。
「増えてる。2,3,4……」
 驚愕は、一気に冷たい恐怖へと変わった。故意に複製されている。偶然コピーしてしまったというようなレベルではない。しかも使用中のコピーはオリジナルも親も関係ない。増えれば増える分だけ、憑依出来なくなるまでそこに居座りつづける。オリジナルを破壊か、使用かするまでは二回目のコピーは永遠いきつづけていることになる。俺も近づいたら危ないんじゃないだろうか?
「安心しろ、お前だけが死ぬ。夢魔程度に私が干渉されるようなことは無い」
 いや、死ぬんじゃん? あれ? なんかおかしな話ですよね?
「その塀の中だ。入り口を探せ」
 有耶無耶なまま、言われた塀を見上げる。巨大な敷地を囲む塀は、中を見せまいとするようにそびえ立っていた。塀沿いに走る、人通りが少ないのを確認して少し速度を上げた。服の隙間に風が入り込んでくる。夢魔じゃなかったら、この前みたいなことになるだろうか?
「憑依しか出来ないものがナイトメアなわけないだろう」
 じゃぁほら、JOJOみたいに、限定てきな力だからすごいとか? ハンターハンターみたいに、制限があるから強いとか?
「少なくても、お前の未来に可能性は無いから安心しろ」
 いや、根本的に違う気もしますが。お、門がみえてきた。
 速度を落とし、門の正面から中をうかがう。映画の撮影所か。厄介だなぁ。中を覗けば、警備員とか怖そうな人がいっぱいいる。中にはいって、コピーされたものを探すのは不可能か。これならオリジナルのほうに行った方が建設的だ。
「コピーされるとなると、映像といったところか」
 ほかには……思いつかない。映像か、そりゃコピーされまくりますね……って、封切りされたら大変なんじゃ!?
「一回きったら消える、最悪、映画館一つ丸々密室殺人事件がおきるぐらいだ」
 イやそれ十分大変ですよね? 人の気配がして、道を開ける。横を白いシャツをきた男が歩いていく。
 二回目のコピーはまだ使われてないんだっけ?
「ああ、今は三回目のコピーが増えている」
 待て、意味がわからなくなってきた。
「オリジナルは、未使用のまま健在。一世代は、使用され消滅。その時点で使用中にコピーされ、二世代は健在。今増えているのは第二世代のコピーの三世代だ」
 編集作業でもやってるんだろうか、ということは封切りはまだ先。昼の日中に忍び込むのも不可能だし。よし、ならこうしよう。
「これをやる」
  足早に通り過ぎた男を追いかけ、目の前にCDを差し出した。外村さんからもらったDATAをやいたCDだ。男はいぶかしげに俺を見ている。そりゃそうだろう。ウィルスだったらうれしくも無い。
「おい、何をしてるんだ」
 夢為が頭の中で叫ぶ。俺は頭悪いし、ここの人間が見つけて処分してくれればそれが一番だろ? しかも、こういうところの中って、夜でも人がいっぱいいるんだ。簡単に中をしらべられねぇ。それにオリジナルのほうをどうにかしないといけない。考えると、夢為は静かになった。
「別に怪しいもんじゃない。ただのレポートだ。都市伝説に関するレポート。多分、あんたの周りでこれから起こり始める。これは必要になるからもっておけ」
 そういって、CDをひらひら。男は俺の目の色に気が付いて息を呑んだ。意外と、こういう時には信憑性を帯びる目かもしれない。あまり使いどころはなさそうだが……後は、それっぽい演出すればいいわけだ。心の中でほくそえむと、夢為がため息をついた。CDをとりそうにないので、投げてよこす。男は、慌ててCDをキャッチした。視線が俺から外れた瞬間に ―――
「なっ」
 俺を見失って、男が声をあげるのを確認。すぐさまに、電線を掴んでいた手を離して通りに着地する。われながら完璧な演出である。
「恭樹、あの男ならもう撮影所の中にいったぞ」
  世の中そんなものである。



・三題話 第084話
お題 :「杖」「黒」「大きい」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 試練に喜悦と感謝を ―――

 最悪だった、ウンメイノタチは増えつづけていた。しかも、三世代目の固定された方ではなく、一世代目である。もちろん、三世代のほうも先ほどからコピーの勢いはとどまるところを知らない。夢為が告げるウンメイノタチの数を聞きながら、俺は走りつづける。オリジナルがあった、音響科学研究所と呼ばれているビルに向かって。タクシーを拾えるほど裕福な学生をやってるわけでも、近くを上手い具合に通るバスがあるわけでも、電車が上手いこと通ってるわけでもない。移動手段が無い。
「捜査の基本は足だと、どっかの刑事がいっていた」
 まず捜査じゃないし、どこでその台詞を覚えたのか問いただしたいところだが。今はそれどこではない。しかしこの数だと、本当にすべて始末できるのだろうか。
「……」
 第一、この街に長い間俺がいるのはまずい。有賀がいる。半分以上、夢為の恐怖に支配されているので本当の苦手意識ではない。けれど、顔を付け合せるのはまずい。ややこしいことになるのは目に見えてる。面倒くさいことは、この上なく嫌いだ。大体、ウンメイノタチなんてほっとけばいいんだ。警察でも正義の味方でもないのだから。
「じゃぁ、やめるか。家に戻ろう。別に金が発生するわけでもないし」
 言われて立ち止まる。秋晴れの気持ちよい空に、白い雲がふわふわと浮いている。夢為の感覚越しに、一世代が増えるのがおぼろげながら判る。だるい、家に帰って寝よう。

「……有賀真衣」
 言われて顔を上げると、其処にスーツを着込んだ有賀の長女がいた。最悪のタイミングだ。テレビをつけた瞬間、黄門様が印籠を出してるぐらいのタイミングの悪さ。
「それは、いいほうじゃないか?」
 馬鹿もの、印籠を出すまでのフラストレーションの高まりが、カタルシスにいたる為に、重要なファクターではないか!
「カタカナを織り交ぜればいいというものでもない」
 あーもー、お前は何もわかってないよ。ダメだよ、ダメダメ。コーヒー豆抜きのコーヒーぐらいダメ。のだめもびっくり。
「無桐……」
 やば、気が付かれた。走って逃げるか、いや向こうのほうが微妙に早い。そうだ!
「あ! あんなところに、阿東海が!」
「どこ!?」
 今だ! 三十六計逃げるに如かず! 走れメロス。
「相変わらずだな、有賀は」
 夢為が笑いを必死でこらえながら言う。昼の日中、強引には追ってこないだろう。人間の速度に見える程度にゆっくりと、逃げる。後ろを振り返ると、有賀真衣はいなかった。
 疑問に思って、それでも足を進めていると。
「無桐くん」
 目の前に、有賀が立ちはだかっていた。
「やぁ、有賀さん本日はお日柄も ――― ブッ」
 小気味のいい、音とともに脳みそが揺さぶられる感覚。顎がなぐられましたか? 意識がまとまらない。目の前が真っ暗になる。絶対なぐった、間違いなくなぐった。もうめっちゃくちゃ殴られた。けれど、辺りを見回してもそれに気がつく人は一人もいない。意識が遠のく。つーか、なんちゅう馬鹿力だ、首の骨折れたんじゃないか? ドス黒い闇に落ちていく感覚とともに、俺の意識は消えていった。

 夢為が叫んでいるのが判る。その叫びでやっと意識がはっきりしてくる。だいたい俺が気を失ったからといって夢為が出てこれるわけではない。もちろん寝てる間もだ。だから、夢為は叫ぶ。もちろんそれで目がさめるわけではなくて、誰かが俺の頭をなでているからだ。
「恭樹おきろー! 殺される、殺される!」
 夢為の叫びが思考をはっきりさせる。仰向けに寝てるのだろうか、空がまぶしい。身をよじって、目を開けると其処には……
「こんにちわ、無桐くん」
 満面の笑みの有賀真衣が其処にいた。しかし目は笑っていない。俺は知っている、怒りと殺意の限界は、顔に笑みを作らせるということを。俺は……
「な、何をされてるのでしょうか? 人体実験? 改造手術? 仮面ライダーですか?」
 何で、俺は膝枕されているのだろうか。なぜ、額を力いっぱい抑えられているのでしょうか。頭蓋骨があげる軋みを聞きながら、俺は考える。ああ、頭抑えられると体が起き上がらないんだなぁ。
「何故逃げたんでしょうか?」
 怖い、死ぬほど怖い。無理、絶対無理。いろいろ無理です。もっと、大きい心で接しませんか? 俺に夢為が憑依してるのをしって、しつこく追いかけてきてはいるが、ここまで無茶なことはしなかったはずだ。ああ、返事をしないといけない気がする。長いものには巻かれるべきだと、神様もいってる。夢為が抗議の声をあげるが無視。
「祖母の法事でして」
 一層頭蓋の軋みがひどくなる。痛い。中身でてるでしょこれ! 中身でてるよ、みてよ!
「夢為、出てこい」
 有賀が言うと、夢為が仕方なさそうにため息をつくのが聞こえた。へいへい。意識が沈み込む感覚は、本当に気持ちが悪い。何度やってもなれそうに無い。
 完全に夢為と入れ替わるが、頭の痛みは無くならない。体の感覚もある。金縛りのような感覚。在るのは判るが、意識して動かせない状態。この状態も俺はあまり好きじゃない。
 夢為は、一瞬体に力を入れると、有賀の束縛から逃げ出した。どうやってやったんだろうか? 足を蹴り上げて、頭を支点にして飛び上がったようなかんじ。よくわからないまま、気が付くと俺の体は有賀真衣の目の前に立っていた。
「ウンメイノタチがいるな」
 有賀は俺と対するときとはまったく違うしゃべり方をする。そんなに夢為が嫌いなのか、それとも夢魔そのものが嫌いなのか。
「だから?」
「いや、無桐くんに取り付いた悪霊退治につかえるかなと」
 有賀真衣は笑う。まったく裏の無い、純粋な笑い。だからこそ、逆に怖い。夢為から、しまったという感情が流れ込んでくる。ウンメイノタチは過去の運命なら殆ど食える、しかもナイトメアである夢為には干渉できなくても、俺本人には十分過ぎる。つまり、俺側に夢為が憑依し続けるという可能性をなくしてしまえば夢為は憑依を強制的に解除することができる。
 夢為の驚き、焦りが伝わってくる。ヤバイ、かなりヤバイ。あと先ほどつかまれたので頭もかなり痛い。俺もつられて焦り始める。いや、落ち着け。落ち着くんだ。これは ―――
「っち……」
 夢為は昼の日中だというのに、舌打ち一つ一気に飛び上がる。あー、馬鹿! 馬鹿! 俺の生活をどうしてくれるんだ。強烈な加速度はまるでジェットコースターに乗ったときのよう。体を使う意識が違うだけでこんなにも違うものなのかと思う。俺が本気で飛んでも、ここまでの速度は出たためしがない。まるで……まるで空に落ちるような感覚。
 じゃない、待て夢為。落ち着くんだ。これは有賀の罠だ。
「?」
 ウンメイノタチで俺らをバラバラにするより、焚き付けてウンメイノタチを始末させた方が楽なんだ。出なければ、あの有賀が仕事中に外をぶらついてるかってんだ。ええい、ちくしょー。だからとーまーれー! 夢為は、先ほどいた場所を見る。有賀がこちらに気が付いて、口元を引き上げて笑うと手を振った。
 ビルの上に着地すると、一息ついた。俺が騒いでなんとか意識を交代する。
「しかし、やりかねない。そうなると私は霧散してしまう」
 ああ、そうだなぁ。この増えっぷりからいって、少なくても一世代のほうは始末しないといけないのかもしれない。けど……
「あのビルから動いていないぞ」
 やっぱりだ。ああ、日が落ちてきた。風が冷たい。頭も痛い。
 あまりの頭の痛さに、手でさわると。嫌な冷たさと、水とはいえないが水っぽい感覚が指に触れる。あの、これ、血、でてませんか?
「出てる、有賀から逃げるときに無理やり逃げたから」
 はいいいい? なんと言うことをだまってますかあなたは。
「大丈夫、3針ぐらいだ」
 ああ、寒いのは出血のせいだったんですね。なるほど納得うんそうか。
「じゃねええええええええええ」
 隣のビルへジャンプ。目指すは病院。本気でやばいんじゃないかと心配しながら、また飛ぶ。頭に思い浮かぶのは、包帯を頭に巻いた自分の格好。何故か松葉杖までオプションでセット。青い入院用のへんな服を着せられて……最悪だ急げ、きっと急げば間に合う。
「おい、ウンメイノタチは?」
  しるか。



・三題話 第085話
お題 :「鎌」「赤」「柔らかい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 命に勝るものを宝を知れ ―――

 病院の匂いというのは、いつ嗅いでもいいものだ。リノリウムの冷たい床と、清潔な白い壁。その白い壁には、補助の手すりがどこまでも続いている。廊下の奥から差し込む光が床に反射し壁に反射し、廊下を白く染め上げる。天井についているライトは控えめで、一番奥にある非常灯の緑が目を凝らすと確認できる。街に一つしかない病院は、繁盛しているというわけではないが、それでも暇であるわけでもないようだ。ときたまに、部屋を回っている医師を見たり、忙しそうに走り回る看護士を見かける。そういえば、つい最近まで看護婦だったなぁ、などと感慨にふける。目の前を通り過ぎる看護士に目が行く、あの看護士の制服は男にとって、抗いがたい魔力を秘めているに違いなかった。
「制服フェチとは、まったく変態性癖もここに極めりか」
 制服で変態を極められるのなら、世に言う変態はそれを超えた次元にいるに違いない。頭に巻かれた包帯を手でもてあそびながら、廊下をぶらつく。有賀につけられた傷は、思いのほか深く、安静を言い渡された。ウンメイノタチの捜索は諦め、まずは傷を治すことにする。体のいい逃げ口実なのは自分でもわかっている。けれど、見つかればその分俺は危険にさらされる。有賀と違って後ろ盾も無いのだから。外村さんの、調べによれば、有賀はやはり動いていないとの事だ。あれは、やはりウンメイノタチの捜索を夢為に任せるためのただの儀式だった。表面上とはいえ、追う側と追われる側がまともに取引などできないのだろう。くだらないプライドには違いないのだけれど。
 傷のほうは本日包帯が取れるとのことで、運動も大丈夫だといわれた。後は、呼ばれるのを待つばかり。なのだが、暇をもてあまし病院をぶらつこうと夢為が言い出した。仕方なしにこうして適当に歩いている次第だ。
「もう、三回使われた。一回目以外は命を食われている」
 判ってる、別に正義の味方をしてるわけじゃない、最終的にウンメイノタチを破壊すればいい。目覚めは悪くなるが、いまは流出する一世代を何とかしないといけない。仕方が無いのだ。
「有賀が圧力をかければすぐにでもどうにかなりそうなんだが」
 そりゃもっともだが、なにかワケがあるのだろう。別に私設軍隊がいるような面白いこともない、簡単に開け渡して調査させろ、というのにも明確な判断材料や根回しが必要なんだろう。出来ないこともないが、其処まで荒立てたくないといったところか。
 包帯の奥が少し痒くなって、俺は包帯をいじる。包帯独特の手触りは、やはりどんな布にもないすばらしいものがある。と、包帯に集中していたため、人に当たりそうになった。
「とと、スンマセン」
 入院している人だろうか、ショートカットの……なんだこの匂いは。一瞬、目眩がするほどの臭い。いや、現実には臭っていない、むしろ女性のいい匂いといったほうがよい。そうではないのだ、臭うとしかいいようがないものが女性から発せられている。死神の鎌が突きつけられたときにきっとこういう恐怖を伴う臭いがするに違いない。その臭いは間違いなく。
 死のにおい。
「お話に夢中になっていると、危ないですよ」
 死の臭いとはまったく真逆ともいえるような、意志のあるはっきりとした声。しかもすごく通る。その声だけで、彼女から死の臭いが消え去るような錯覚を覚える。
「ばれた?!」
 夢為の驚愕の声。言われて気が付く。会話!? なんで話してると判った? 振り返ると、女性がコチラを見ている。いったい何者だ。
「何故?」
 相変わらず馬鹿な言葉が口からでる。とっさの反応なんて俺にはやはりできない。
「別に。そういう病気には見えませんし。けれど、あなたは会話してるように表情をコロコロ変えていました。それだけです」
 夢為が見えたら、それは夢魔の証拠だ。そうではないと判っただけで十分だ。胸をなでおろす。彼女は血色のいい赤い唇をゆがめて笑う。
「私とすれ違って、目眩を起こしましたね? 理由を聞いていいですか?」
 まいった、なんて観察力だ。夢為に意見を求めるものの、お手上げだと言わんばかりに諦めの感情が伝わってくる。前に出ていれば変わるのだろうけど、いまさら交代すると逆に怪しまれるだろう。諦めて、彼女に話すことにする。
「臭いがしたんだ」
 そういうと、彼女は目を見開いて自分の臭いをかぎ出す。こういう反応は普通の女性っぽい。死の臭いは今だ衰えないが、なぜか彼女と向き合っていると不快ではなかった。
「いや、体臭じゃなくて」
 そういうと、納得したとばかりに表情を緩める。意志に満ち溢れ、希望を知っている人の顔。
「私は……末期癌だそうです」
 彼女は口を開く。いきなりのことに、思考が停止する。
「医者に言われただけで実感はないですが。死期だといわれた日も遠の昔にすぎてしまって現実味がない。あなたが感じたのは、私の死期ですか? それとも病気?」
「多分病気だと思う」
 そう言うと、彼女はそう、と呟いた。末期癌の人を見たことすらないので、こんなにも元気なものなのかと勘違いしそうだ。けれど、普通は薬漬けできっとボロボロな闘病生活を送ってる。きっと、薬すら無意味と医者に判断されたか、薬を飲みたくないと断ったか。たぶん、両方だろう。それよりも、もっと死の恐怖におびえるものではないだろうか?  彼女は悟ってしまった諦めでも、状況を理解できていない無知でもない。
「なぜ、そんなに笑ってられるんです?」
「あなたはなぜ、不機嫌そうな顔をしてるんですか?」
 全部見透かされてるんじゃないだろうか、なんて一瞬頭をよぎる。夢為は相変わらず、ため息だ。仕方ない。そう、しかたないのだ。事を荒立てるワケには行かない。でも、俺はその代わりに、人を見殺しにしている。見殺しにすることを判っていて、そのままにしてる。
「嫌なことが続けば、それが普通になって、ちょっとしたことでも嬉しかったり、幸せを感じたりするんです。大げさにね。でも、それは本当は全然幸せじゃないの」
 意味が汲み取れずに俺は無言で彼女の言葉を聞く。
「幸せじゃないけど。それでいい。ほんの少しでも希望があるなら十分。ずっと病気で苦しんできた私は、そのほんの少しのあたりまえでも救いです。まるで、毎日暴力を振るう夫が、一年に一度の結婚記念日を覚えてて、贈り物をしてくれるようなものかもしれないけど」
 そして、俺を見る。今度は俺が答えるばんか。夢為は、無言。夢為が無理やりに突入をいえば俺は迷い無くそれを行うだろう。そして、その後普通の生活はなくなる。だから、夢為は強制しない。俺が決めなければいけない。程なく出回るであろう、一世代のコピーが有賀に渡れば間違いなく夢為は切り裂かれ、拠り所をなくし霧散する。ああ、そうだ。あまりに有賀のアクションが無くて呆けていただけだ。何を俺はしていたんだろう。
「俺は……」
「じゃぁね、私は病室に戻ります。幸せなあなたが、ほんの少しの不幸せに気をとられて、当たり前の幸せをなくさないように祈っています」
 
踵を返し、彼女は歩いていく。俺も走り出した。包帯を触る、柔らかい感触が帰ってくる。
「包帯はまだ取れていないわけだが」
 ああ、そうだった。まずは医者の所にいかないと。


・三題話 第086話
お題 :「大剣」「黄」「まぶしい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 人生に勝る希望を知れ ―――

 真夜中、月の明かりの下で冷たい風は、ビルの壁面を伝いながら通り過ぎる。隙間にもぐりこむ風の悲鳴が弱々しげにだが、確かに耳に届いた。ビルの屋上のコンクリは、室外機で殆どの面積を消費していて、まるでまだら模様のようにしか顔を覗かせていない。そんな頼りないコンクリにたって顔を上げてみる、室外機のジャングルに、身を潜めながら見上げる空は、奇妙な形に切り取られている。重く低いうなりを揚げて室外機が動く、あわせて風の甲高い悲鳴が混ざり奇妙な音楽を奏でていた。遠くで、車のクラクションがする。単車の廃棄音が列をなして通り過ぎる。夜の寒さに、暖められたコンクリの屋根が軋みをあげた。靴の底を突き抜け届くのは、屋上の暖かい温度。これでもかというぐらいに暖められた屋上が今まさに冷えていく。
 屋上への入り口はエレベーターのエンジン室へとつづくおざなりな階段のみ。おかげでそんなには警備と出くわす可能性はないだろう。夕日の街ならどれだけ動きやすかっただろうか、そんなとり止めも無いことを考える。夢魔が特殊な状況にあるというのも運が悪かった。ドアノブに手をかけて息を吸い込む。人を救う為にやらなければならない、なんて大仰な理由より。ただ、夢為が殺されるのを防ぐため。ドアノブを握りこむ。一瞬金属の千切れる音が聞こえ、扉は開いた。暗い階段が扉の向こうに続いている。
「恭樹は本当に、理由がないと動けないダメ人間だな」
 人助けに動機を求めろとは言わないけど、殺人には少なくても動機を求めておきたいものだ。そのおかげで少なくても、自分は安心できる。
「別に、人を殺しにいくのではないのだけれども」
 ぶっちゃけ、ただのテンションと勢いであるのは間違いない。冷静に考えれば、家でうずくまって、事の顛末がわかるのを待つべきだ。けれど、こうなったら後に引けないというのもある。
 階段の下を覗き込むと、床がライトを反射してまぶしく光っていた。夜中になっても、音響科学研究所は、完全に人の気配がなくなることが無い。一瞬まぶしかった床に影が映る。床を叩く靴の音が聞こえる。夢為の感覚では、殆どのウンメイノタチはこの最上階に集められているという。殆どのというのが気になるが、中には動いてるものもいるということらしい。誰かが、もって歩いてるのだろうか……。
 足音が聞こえなくなってから、俺はゆっくり廊下へと歩いてく。影が消えたほうを見れば、手洗いの標識が出ていた。すぐに戻ってくることは無いだろうと、そのまま夢為の感覚に任せて歩く。
「盗難騒ぎになって、指紋とか調べられるのかな? 窓についてる君の指紋とか」
 ……。
 一気に血の気が引いていく。しまった、考えてなかった。というか、前の騒ぎのときはどうなったんだろうか。警察とかきてたみたいだけど。
「それなら、有賀が何とかしてくれてる」
 他人任せですね? それじゃぁ今回も ―――
「次は無いぞという警告も含まれていたと思うが? この前の真衣の台詞は」
 平然と、ドアノブを破壊したのはまずかったかも知れない。まぁ、なるようになれである。最悪は美甘に保護してもらおう。
「なっ―――!?」
 夢為が怒り狂っているが、無視しておく。BAKUは夢魔を保護し、決まりを守らせるための組織だろうが、こういう時に役に立ってもらわないでどうするんだ。
「―――!!! ―――?!」
 あまりの怒りに、言葉にならない憤りが流れ込んでいる。イメージ的には、身長ほどの大剣を振り回して、なりふりかまわず辺りを破壊している感じ。夢為の怒りは当分収まらないだろうが、無視して先に進むことにした。
「夢魔憑きの人間が犯人だったとはね」
 背中から声をかけられた。夢為の怒りで、感覚が鈍っていたらしい。背中をとられた、そう思った瞬間には体が動いている。半分以上、夢為の反射行動だった。確認せず、攻撃。音がなった場所へ、渾身の蹴りを叩き込む。
「夢魔じゃないな、ナイトメアか? そういや、この辺りにナイトメアが大量に発生したっつー噂があったが。その中の一人か ―――」
 俺の蹴りは声の主には届いていなかった。あと、5センチといったところか。相手の台詞を無視。軸足を足首から回転、つま先を支点に、足の長さ分を稼ぐ。けりだした右足は声の主にめり込む、が勢いもあったおかげで、簡単に軸足の骨がいかれる。夢為から、しまったという後悔の感覚が響いた。判ってて抵抗しなかった。俺に後悔は無い。相手が人間でないのなら、体の主導権が人間である俺は、たとえナイトメアが憑いていても勝ち目が薄い。入れ替わる時間もない。体ぐらい捨てる覚悟で望んでいる。変に力の入った軸足は、痛みを訴え体を支えることを拒否する。蹴りだした足はめり込んだまま。そのまま今度はその足を軸に飛び上がる、無理やりの重心移動に、めり込ませた足が悲鳴をあげる、ついでに相手の腹の肉も。相手の腹に肉がついていたのが幸いした。しっかりとした足場の感触、いける。

「なっ」
 驚愕の声とともに、膝が相手の顎に到達。一緒に倒れこむ。
 地面との激突の瞬間に、相手は逃れるように体を抜いた。重力に任せた落下はその影響で左側にバランスを崩し、倒れこむ。ひねりきり、骨の折れた左足はもうつかえない。手を伸ばし床を掴む。其のまま、腕の力だけで体を回してけりこむ。今度こそ、クリーンヒット。右足に感触を得る。
「がっ」
 豚のような悲鳴をあげて、声の主は廊下に転がった。廊下の、明かりに照らし出されたのは、小太りのひげもじゃ親父だった。
「さすがナイトメアといいたいが、其れにしては動きが無駄すぎる。どういうことだ?」
 口だけは達者らしい。めんどくさいが、人間どころか夢魔すら喰うなとBAKUにきつく言われてる手前、これ以上何も出来ない。無言で男を見下ろしていると、ポケットから黒い箱を取り出した。
「恭樹! あれはウンメイノタチだ! あまりに男と近すぎてわからなかった」
 夢為の驚愕した感情が流れ込んでくる。普段無口なくせに、ほんと感情だけははっきりと伝わるなぁ、と変な関心をする。
「攻撃された運命を斬る」
 黒い箱状の何かを振り上げ、男が言う。けれど、男の傷はふさがらなかった。俺がけりこんだ顎は割れ、踏み込んだ腹からは出血している。ウンメイノタチは発動していなかった。
「なにっ」
 慌てて、男がもう一つ箱を取り出した。黄色? いや、ベージュっぽい色。明るい色のおかげで、その箱がやっと何なのかわかる。
「テープか、厄介だな」
 夢為の呟きと同時、男が先ほどと同じように箱を振り上げて叫んだ。
 しかし何も起こらない。静かに時間だけが過ぎていく。
「どうやら、夢魔の意志はウンメイノタチを動かす原動力にはならないみたいだな」
 夢為が言う。どうやらそのとおりらしく、男は何度もテープを振り上げては叫んでいるが一向に何も起こらない。テープを振り上げるのに熱心な男に近づくと、俺は腰の辺りを蹴りつける。蹴りこんだ左足に激痛がはしった。携帯の壊れる音。気が付いて、青ざめる男。だがもう遅い。
体の感覚を切ってる夢魔の反応は遅かった。簡単に、手からテープを奪う。そのまま力をこめて握りつぶす。プラスチックのかけらが、床に散らばった。
「恭樹、オリジナルだったらどうするきだ。また逃げられるところだったぞ」
 ああ、そういえばそうだった。今バラバラになったテープには反応は無い。コピー品は新しく取り憑くことはないようだ。
「ひっ」
 男が恐怖に顔をゆがめて、飛び退った。倒れた体制から、すごい体移動である。小太りのおっさんとは思えない機敏さが笑いを誘う。
「私達も使えないか、困ったな全部の運命の太刀を破壊しないといけなくなった」
 それは、後で考えることにしようか。視線を上げると、おっさんが目の前で立ち上がるのをみて、俺は後退る。まずい ―――
 予測どおりに、おっさんの腕が壁に叩きつけられた。耳を劈く非常ベルの音。おっさんが、警報装置のスイッチを押したのだ。その音に反応したのか、夢為が前に出てくる。沈む感覚。自分の顔がゆがむのがわかった。俺の筋肉の使い方とはまったく違う。それに違和感を感じながらも、そのまま感覚が沈み込むのに任せる。そして、夢為になった俺が口をゆがめて凶悪な笑いを作り出すのを感じた。
「下手な行動をすれば、順番が変わると覚えておけ」
 踵を返し、足音を立てずに階段に向かう夢為。後ろで、おっさんが恐怖のあまりへたり込む音が聞こえた。
 折れた左足の痛みを無視、夢為はそのまま屋上に踊り出る。
「まったく、邪魔ばかりだ」
 ビルの下に、警備会社の車が止まるのが見えた。夢為はため息を一つ闇夜に踊り出る。
 雲の無い夜空に、大きな月が出ている。足元では、サイレンが響いていた。


・三題話 第087話
お題 :「銃」「茶」「厚い」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 病に伏せることを良しとせず ―――

 四人目の犠牲者が出た。三世代目はもうあちこちに広まって、使用され、消えてる。しかし、命を奪われているのはいまだ四人。これは奇跡的な数字なのかもしれない。あのレポートは役に立ってるのだろうか。これほどまでにウンメイノタチがいると、ほかの夢魔がどこにいるのかさっぱり判らない。あちこちに夢魔がいるのと同じ状態だ。集まってる場所は特定できても、それがウンメイノタチなのか、それともべつの夢魔なのかも判らない。例のビルにある、ウンメイノタチは移動していないので確認可能だけれども、いったん街に流れるともう手におえない。何か引っかかる。これではBAKUが出張ってきても取り締まりと称した粛正すら不可能だ。有賀は静観を決め込んでるのか、真衣ぐらいしか見ない。この状況はかなりまずい。
 それとも、あのデブ夢魔のねらいはこれか。自分の食事を隠すのにしては大仰ではあるきがするが。馬鹿そうだしありえる話である。
「呼ばれたぞ」
 夢為に言われて顔を上げる。病院の喧騒が耳に戻ってきた。スピーカーで、俺の名前が呼ばれていた。左足につけている包帯は固定すらされていない。折れたとおもった骨は、折れてなく、ただ筋を痛めただけだったようだ。痛いのには変わりないが、おかげですぐにでも歩けるようにはなった。痛みと腫れはまったく引いてないが。待合室のソファを立ち、言われた場所へ向かう。おなじみになった外科の医者は俺の足を見るなりため息をついた。頭の次は足か、と。夢為と出会ってからここにくるのが猛烈に多くなっている、そろそろブラックリスト入りも時間の問題だ。慣れっこになった診察を適当にこなし、痛み止めの飲み薬をもらう話をする。難しい話をするが、やはり何度聞いても呪文のようにしか聞こえない医者の説明。すべては作業と成り果てていた。診察が終わり、薬を受け取れといわれ、そのまま部屋を出る。顔なじみゆえに茶の一つも出ないまま俺は、薬が出されるのをまた待合室で待つのだ。丁度、昼のテレビ番組がやっている。
 口を開けながら呆けてみていると、目の前に見覚えの有る女性がたった。
「また、怪我ですか?」
 聞き覚える有る印象的な声。後ろにまとう死の臭い。すべてを貫くような力ある目。ショートカットの髪は末期癌の患者には見えないほど艶をもっている。唯一、体が病魔に冒されていると示すのは、やせ細った体と、後ろから付きまとってきている死の臭いのみ。
「横、いいですか?」
 返答も待たず、彼女は横に座る。俺は佇まいを正した。夢為が何ともいえない気分になってるのが伝わってくる。怒りとも、憤りとも、悔しさとも取れるような感情。あと焦りとかも混じっている。夢為の感情を整理してる間に、彼女が口を開いた。BGMは昼ドラのオープニングソング。
「隣町の音響科学研究所に、泥棒が入ったそうです。丁度居合わせた、黄原監督のお手柄で何も盗まれなかった様ですが」
  一瞬からだが、こわばる。それでも、表情は崩していないだろう、多分大丈夫だ。あせも背中にしかかいてない。
「へぇ、初めて聞いたよ。泥棒ってことは、監督は何もされなかったの?」
 我ながら完璧な、嘘っぷりである。一人悦にはいると、夢為が呆れたという感じで苦笑する。
「ええ、監督をみて逃げて帰ったそうです」
 そりゃ良かった、そう適当な相槌を打つ。一瞬、彼女の目が俺を見る。見透かすというのは、生易しい、これは俺の心を貫き通す視線だ。こめかみに銃を突きつけられたような緊張感が体を襲う。
「インターネットていうのは便利ですよね」
「え? あぁ、そうですね」
 嘘だ、実は殆どいじったことは無い。
「泥棒は、屋上のから侵入、逃走も屋上に向かったそうです。不思議ですよね? 屋上からなんて逃げられるはず無いのに」
 なんだかまずい気がする。尋問を受けているような気分。
「なんかあったんじゃないかな? はしごとか、隣のビルに飛び移るとか。非常ベルが鳴ったから焦って逃げただけじゃない? もしくは、監督の見間違えで屋上行ったと見せかけて、下に逃げたとか」
 夢為が叫んでいる。なんだ、どうした? あまりの感情の奔流にコチラの焦りとあいまって目眩すらしてきた。彼女は、テレビを見ながら続ける。
「音響科学研究所に、即物的価値の有るものは一つもありません。高価なスピーカーとかでも盗むんですかね? あんなのもって歩けるなんてよほどの力持ちなんでしょうか」
「さ、さぁ? 泥棒的にはなんかあったんじゃないかな? 盗みに入るほどの理由が」
 夢為の怒りが頂点に。無理やり上がってくる感覚。逆に俺は沈む。俺の受け答えにそんなに問題があったのだろうか。いきなり感じが変わったらばれるんじゃないだろうか? 俺じゃない俺が口を開く。
「いつから?」
「怪我のタイミングですね、大した変装もしないで目撃されたのも問題でした」
「馬鹿が……」
 あー、今のは私にいってますね? 現役大学生を馬鹿にすんじゃねぇですよ! 夢為は俺の叫びを無視して、彼女に視線を戻す。
「決定したのは、非常ベル。大学生にしては、最初の表情はすばらしいですね」
「前はもっと、毅然としてた。今はただの優男だ」
 俺と夢為が入れ替わったのすら、彼女にはもとより予想済みなのか、まったく動じてない。
「お願いがあります」
 二人はまったく顔を合わせない。ずっと昼ドラを見ている。静かな声は、二人の耳以外には届かないぐらい。周りからみたら、テレビの話をしてるようにしか見えないだろう。
「賭けはお前の勝ちだ、出来ることなら受けよう」
 夢為は一瞬視線を送ると、ドラマに視線を戻す。
「これ、あなた達の差し金ですね?」
 彼女は、そういってCDを取り出した。俺が撮影所の前で渡したCDだ。
「これを追っている人がいます。私の病気のためだけに、簡単に人が死ぬようなものを探しています。その人が最後に選択するとき間違わないように、見守ってください」
 その瞬間、死の臭いが濃くなった、厚い壁が崩れて隙間から染みこむように。実際からだのほうはもう限界なのだろう。本人が一番わかっている。夢為は、一瞬表情を緩めると、静かにうなずいた。
「この体が言うことを聞けば……」
 彼女は、静かに言う。小さい声なのに、テレビの音を物ともしないで耳にとどいた。悲痛な言葉。何も言わず、夢為は静かにテレビを見つづける。
 俺の名前がアナウンスされた。静かに夢為は立ち上がり、待合所を後にする。昼をすぎ、人通りが多くなった病院の中をあるく。背中からドラマのエンディングソングが聞こえてくる。


・三題話 第088話
お題 :「棍」「紫」「薄い」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 諦めではなく望みを知れ ―――

 静かな夜に、身を預けて俺はビルの屋上で伸びを一つ。寝転がっていた、ビルの一番高みはエレベーターのモーター室で微妙に暖かかったので良く寝てしまったらしい。夢為が目覚めの挨拶をしてくる。薄い雲が空を覆い、月は朧になっていた。冬の空は、空気の揺らぎが少ないので良く見える。そのまま、俺はじっと空を見上げていた。と、軽く鉄を叩く音。モーター室から屋上を見下ろすと、二つの影が立っていた。片方は、手足がひょろ長いマッチ棒のようなシルエット。もう一つは、その背の半分ぐらいしかないシルエット。美甘剣護(みかも けんご)、美甘美甘(みかも みかん)の兄妹だ。昔は普通の人間だったのになと、少し哀れに思いながら見る。黒フードに身を包んでいるところからして、BAKUの仕事だろう。

「青の時。何をしている」
 剣護の声。元幼馴染。いや、一応人間のころの人格も残ってるから幼馴染には代わらないのか。
「夢為なら、引っ込んでるよ。それと、その呼び方は止めてくれといったはずだ」
 俺の声に、一瞬影がゆれる。擬似夢魔は無表情に俺を見つづけている。感情も記憶も持っているくせに、やけに人らしくないのはこいつらがあまりにも仕事に忠実だからだろうか。
「では、恭樹。何をしている?」
 相変わらず剣護しか話さない。美甘は剣護の後ろで静かに佇んでいる。人間の美甘の性格とは大違いだ。
「化け物退治」
 言って、モーター室から飛び降りる。室外機の上に立っている二人は俺をみて、屋上に降りる。室外機の外装がゆれた。薄い金属板が震える音を残して、二人は俺の目の前に着地する。有賀なら、音すらたたないのだろうなどと、一瞬頭をよぎる。
「何があるのか知っているのか」
 距離が詰まる。あー、これ以上近づくと……
 体が沈み込む感覚。夢為が危険を感じて表に出てきている。落ち込む瞬間俺は心の中に叫ぶ。
「攻撃は止めてくれっ」
 静かに判っているという意志が伝わる。夢為なら大丈夫だろうとはおもうが、熱くなるとすぐに我を忘れるのが困る。大体、今は戦う必要なんか無いのになんで臨戦体制になってますか?
「知っていたらどうする?」
 俺の意志では動かせないような表情を作りながら、夢為が笑った。
「青の時か……そうだな、力ずくで聞き出す」
 擬似夢魔どもまで馬鹿ときた。目の前が真っ暗になっていく。夢為は楽しそうに目の前の二人を見ている。
「正当防衛なんて言葉があったなぁ」
 あったなぁじゃねぇ! 俺の叫びはむなしく響き、夢為はただじっと目の前を見ていた。
「修復可能レベルで破壊する」
 擬似夢魔がなんだか物騒なことをいって、視界から消えた。あれ? こんな早かったっけ? 疑問に思った瞬間、横殴りに衝撃を受ける。剣護の長い手足が、わき腹に突き刺さっていた。
「なっ、かっ!」
 肺の空気を一気に吐き出させられて、夢為がむせる。というか、俺の体がむせる。と、いきなり俺の感覚が戻りわき腹の痛みが伝わった。
 声に出せないような痛いみに、夢為に突っ込みが出来ない。
「あ、すまん。あまりに痛かったものでね」
 絶対嘘だ。でも何も言わない。そんなやり取りの中でも、剣護と夢為の攻防は続いていた。棍のようにながい剣護の手がいたるところから飛んでくる。知っている剣護の攻撃より数倍も速くなっていることに夢為も驚愕していた。けれど、まだ夢為が反応しきれない速さじゃない。
「どうした、その程度でもう私を捕らえられると思ったのか?」
 夢為の挑発は、擬似夢魔には通用しない。言葉を無視して、攻撃は続いている。相変わらず、一撃ごとの攻撃力は半端なく、夢為は必死で攻撃をそらしていた。
「今回は、急ぎだ。このまま黙秘つづけるのなら手を抜かない」
 同時に、強烈な蹴り。肩口から胴体を切断するような勢いで剣護のけりが振り下ろされた。流れる景色のなかで、夢為はコンクリを蹴り上げて上手いこと空に力を逃がす。が、逆に月を背に無防備な姿を剣護にさらすことになった。夢為は、静かに剣護をみる。
 月明かりを受けて形を浮き彫りにする赤い剣が見えた。存在干渉兵器の一つ。夢為の記憶では有賀の衛星軌道上の存在干渉兵器が最大。剣護が持っている剣は二本一対の小型干渉兵器だ。けれど、剣護が使えばただではすまない。赤いつや消しの二本の剣を携えm剣護は見上げる。あちらからは月をバックに真っ黒な俺が見えているに違いない。空から見下ろした剣護は、フードの中まで良く見える。このまま攻撃されれば夢為だけが死ぬ ―――
「チェックメイト」
 剣護が呟いた、いやみな言葉だけはいえるようになりやがって。こういう場面の溜めというか、機微というかそいういうのがこいつらにはわかってない。ためらいも無く剣護はコチラに飛び込んできた。
 赤い剣の間が紫色に放電する。いや、放電のように見える。実際は、世界の存在が切り取られてうんたらかんたら。やっぱりどうでもいい。あれが痛いというのが判ってれば十分。空中で無理やり体重移動、そんな筋肉を動かしたら筋肉痛だ。そんなことを思いながら、夢為の思うとおりに体は動いている。目の前を剣が通り過ぎる、剣護がしまったといわんばかりの顔でコチラを見ていた。剣護を掴んで一気に体を入れ替える。
「筋肉バスター」
 屋上に叩きつけるように、俺の体と剣護が落ちていく。視界の端に美甘がみえたようなきがした。
「え?」
 夢為の間の抜けた声。下を見ると間違いなく美甘が見上げていた。流石にこの状態でよけるすべはない。落ちるのみ。と、いきなり夢為がとんでもない行動に移った。掴んでいた剣護を下に叩きつけて、反動で体を飛ばしたのだ。
 浮遊感に胃の中をかき混ぜられるような不快な思いをしながら、体が屋上に着地する。剣護と美甘は仲良く屋上でもみくちゃになっている。
「作戦どおりだ」
 ほんとかよ。
 とりあえず、ウンメイノタチのほうが先決だ。二人をおいて俺は音響科学研究所の中へと向かっていった。背中でうめき声が聞こえたが気にしない。



・三題話 第089話
お題 :「突剣」「藍」「悲しい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――― 汝はいまだ ―――

 床に転がった大量の元テープ。いま、月明かりに照らされているのは黒いプラスチック。過度の環境対策に対する抗議ポスターにすらなりそうな、プラスチックの山。その中に俺は立っている。後ろには、あのデブ監督と美甘兄妹がいる。机の下に築かれたプラスチックの山、いただきに立つのは俺。呼吸は乱れにみだれ、まともに酸素を取り入れられているのかすら判らない。体のいたるところから、出血し、肋骨も数本いかれている。幸い四肢に関しては、傷みは有るものの、動きはする。むしろ問題なのは、呼吸だ。苦しい、脳みそに酸素がきていない。目の前にある机には、まだ一つだけシールの張ってるテープが残っている。
「一世代……」
 呟く声すら、まともに口からでない。空気が漏れるような音が、なんとなく言葉になっている。背中で黄原のデブがうめいた。さすがに人間の体じゃないだけ有って、復活が早い。美甘兄妹は、まだ気絶したままだ。屋上でもみくちゃにしたあと、しつこく追ってくるものだから手加減できなかった。黄原も居合わせたついでに殴り飛ばしたが、よく考えればあとはBAKUに任せてしまえばよかったんじゃないだろうか。浅い息が思考の邪魔をする。頭の中にあるのは、自分の思考と息の音。真っ暗な部屋に差し込む月明かりはすでに弱く、少しずつ空が明るくなってきていた。
「恭樹、こいつさえ破壊すればあとは、オリジナルと、固定化されたウンメイノタチだけだ」
 街中にひろがった、ウンメイノタチらしきものは、黄原にいわせると固定化されている、つまりもう使用中のウンメイノタチだそうだ。念入りに、拷問したのでたぶん間違いない。
「おい、恭樹! 黄原が」
 最後の一世代のコピーをもって振り返ると、黄原はいなくなっていた。横たわっているのは美甘兄妹のみ。オリジナルを守ろうとでもいうのだろうか。まぁ、オリジナルも増えない限りコチラから急ぐ必要すらないだろう。あれだけ拷問したのだ、少なくてもすぐになにか起こすようなことは無いだろう。
 一瞬目眩が襲う。というか、やっぱり出血しすぎた、目の前が暗くなってくる。
「恭樹ねるな。せめて真衣に電話してからにしろ」
 言われてテープの山の上、俺は携帯をとりだした。殺し合いしてるわりには、なぜかよく連絡を取ったりしてる、美甘兄妹にかんしても、擬似夢魔が出張ってなければいつもどおりの幼馴染だ。へんに馴れ合った殺し合いというのはなんだか緊張感がそがれる気もするけど。
 三回ほどのコールで真衣がでた。
「殺す」
 寝ぼけた真衣の声が電話越しに伝わってくる。
「後は、オリジナルと、固定化されたのだけだ ゴホッ」
 口の中に血の味が広がる。なれた味だ。けれど喉に引っかかる感覚は変わらない。
「ちょっと、大丈夫?」
 いきなり、素にもどる真衣に苦笑する。
「こっちは、BAKUに追われて死にそうなんだ、あとはしらない。じゃぁ」
「まって! 無桐くん!」
 電話が手から滑り落ちる。プラスチックの山に携帯が埋まった。なんだか遠くで真衣の叫び声が聞こえる。けれど真っ白に塗りつぶされた音が耳を使い物にならなくする。薄れていく視界の中で、見上げた窓には朝日が昇る直前のあの青い光が世界を埋め尽くしていく。
 冷たい空気のなか、紫なのか青なのか、紺とか藍色とかいうのだろうか、もっと明るい。かといって蒼だとなんか違う。そうだな、やっぱり青だ、とても悲しい青だ。夜が終わるのを嘆き悲しむ、青い青い空が広がる。青空の青じゃない、朝日が登る前、一瞬だけ顔をみせるマジックブルー。夢為の名前 ―――
「恭にぃちゃん!」
 倒れこむ瞬間、美甘の声が聞こえた気がした ―――

 なれた病院の臭いに頭がクリアになる。美甘か、それとも有賀か……。気がつけば病院というのも意外とベタベタなきもするが。体の傷を確認する、骨折部を固定しているバストバンドが邪魔だ。まぁ、バンドして手術後も無いところを見ると、大事ではなくてたぶん皹程度なんだろう。起き上がると、体中の傷をふさぐための包帯が邪魔をする。そろそろ、面会時間外だ、人ごみにまぎれて移動するのにも、今しかない。扉へと向かうと、廊下から一筋の光が漏れていた、完全に閉まりきっていない。廊下から差し込む光は、細くまるで突剣を差し込んだような鋭利な光。一度、体中に力を入れる、傷が自分の居場所を教えてくれる。ゆっくりと力をぬき、体が動くことを確認する。血液が流れるのが判る。少々傷口が開いたかもしれないがかまわない。扉あけ ―――
 いきなり、差し込んでいた光が消える。人がいる気配、いやなんだろう、この臭いは……。逡巡した瞬間、扉が向こうから開いた。明るい廊下の光が差し込んでくる。
「無桐くん、その体でどこへ?」
 目の前には、有賀真衣が立っていた。ヤバイ……
「えーっとその、トイレ?」
 光が差し込んでいて、真衣の表情は読み取れない。けれど、声自体は柔らかなものだった。そんな声ぐらいで、信じていいほど甘い人ではないのだけれど。
「オリジナルと固定化されたの以外ははすべて破壊?」
「はい、一世代以下です。オリジナルはあのビルの地下に保管されてます」
「貴方のポケットに入ってた一世代は破壊させてもらいました」
 ――― やはりばれていた。美甘に運んでもらったらばれないと、淡い期待を抱いていたが。表情を動かさないように、意識する。夢為が、頭の中で謝罪している。かまわない、あの場で倒れていたら病院のまえに取り調べだ。
「そうですか、壊す前に気絶してしまったんで。助かりました。じゃぁ、トイレいくんで ―――」
 そういって、俺が横を通り抜けようとした瞬間。動かなかった真衣が口を開く。
「何に使うつもりだったの? 夢為の判断ではないでしょう?」
「なんのことですか?」
 あくまでもとぼける。たとえばれていても、目的まではばれていないだろう。
「病院への手配、治療費、事後処理」
 恩着せがましい。まぁ、その分は働いたつもりなのだが。
「助かります。」
「まぁいい、早くオリジナルの破壊をお願いしたいところだけど、その体じゃまだむりそうね。固定化されたウンメイノタチならそうは怖くないし」
 夢為も、有賀も固定化されていないオリジナルのウンメイノタチのほうが怖いという。何故だろう、固定化されれば永遠に消えないし、人を殺し放題じゃないか。
「そうじゃない、使い方を知っている人間に渡るのが怖い。まだいまは黄原だけのようだからいいようなものの」
 夢為がいう、固定化されていないのがそこまですごいのか。
「今現在ある、存在干渉兵器の大部分は、ウンメイノタチが元になっている」
 ってことは、剣護のあの剣とかもそうなのか。夢為が肯定の意志を返してくる。
「何が恐怖かおしえてやる、あれは人類の存在そのものすら食いかねん。さすがにそんなことを望むものは居ないと思うが、やろうと思えばやれる。それだから早めに処分したいんだ。かといって差し迫ってるわけでもない、大きく動けないが、急ぎたいといったところだろう」
 限界がないのか。やっとわかった気がする。真衣の横を通り過ぎ、俺は廊下を歩く。自分の足音だけが聞こえる。それなりにまだ人の気配はするが、もうじきそれもなくなる。エレベータに乗った。駆動音に身を任せて考える。黄原を逃がしたのはまずかっただろうか。かといって、あいつはもう人間としての地位も関係も築きあげてしまっている。排除するには、少なくても俺一人ではまずい。となると、やはり無視してオリジナルをどうにかしないといけない。今のところ、オリジナルと思われるものはまだあのビル付近にはあるらしい。
 予想外の、減速に顔を上げる。一階につく前に止まったらしい。完全にとまると、エレベータの扉が開いた。
「あら、また怪我したんですか」
 入ってきたのは、あの女性。本来なら、ウンメイノタチを渡せたが、もうそれもかなわない。
「ちょっとね」
 そういって笑う。会うたびに、彼女の死の臭いは強くなってきていた。扉がしまり、エレベータが動き出す。静かな駆動音が箱の中をうめつくしていった。ほんの少し、彼女のショートカットの髪がゆれる。
「殆ど終わり?」
「お見通しですか」
「まだ、一つのこってますね」
「大丈夫、約束はたがえない」
 いま、ウンメイノタチを追っている人間がいる。そいつが選択を間違えるようなら、俺は。
 減速し、エレベータの扉が開く。扉が、開いていく。俺の答えに満足したのか、彼女は頷いて歩き出した。
「ありがとうございます」
 俺は、その時の顔を絶対に忘れられない。苦しみと、絶望の中であがきつづけて、諦めること以外できなくなった、そしてその諦めすら納得してしまった顔。諦観、達観とでも言うのだろうか悲愴の先にある確たる意志。世界を救う為にそれ以外を捨てることのできる、勇者がいるのならきっとあんな顔をするだろう。
「必ず……」
 扉をくぐり彼女を見送る。背中でエレベータが閉まる音を聞いた。



・三題話 第090話
お題 :「刀」「灰」「嬉しい」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 闇のダムは、たとえ管理人がいなくてもその機能をとめることは無い。世界が夜を忘れた歪は、こうして光を忘れた町に皺寄せてくる。じわりじわりと、ひしめき合う闇は密度を濃くしたまま、町にわだかまり続ける。町の中央にたって見下ろすと、それが良くわかる。
 やっとなおったわき腹を触る。もう痛みも無い。体中にあった裂傷ももう傷があった名残しか残っていない。振り上げた手に、闇がまとわりつく。目には見えないが、体中が感じる濃密な闇の感触がそれを教える。深呼吸を一つ、闇を吸い込む。俺は、闇を呼吸する。
 
 ――― 結果に嘆き悲しむ意味はなく。不治の病は絶望には足りない ―――

 飛び出す、闇が遅れてついてくる。闇の尾を引いて、俺は隣の町へ飛び出した。ずいぶんと、時間がたっているが、オリジナルは複製されていなかった。黄原への脅しは功を奏したのだろう。何かしら狙っているのは間違いないが、いまはそれを知る由もない。耳に届く、風を切る音と肌をなめる闇の感触を感じながら、俺は目的地へと走る。夕日の街はあまりに闇が濃くてわからないが、こうして隣の町を見るとまだまだ深夜には程遠い時間だ。
 山を越えたところで、いっきに闇の感触が無くなる。体が軽くなるわけではないが、なんだか動きやすくなるのは確かだ。黒に統一した服が、俺の姿を隠す、それでもやはり明るい町は気が抜けない。ビルの屋上を渡り歩き、音響科学研究所へ。やはり、電気は消えていない。遠めにその姿を確認し、俺は人気の無い路地に着地した。あとは、徒歩でいい。地下にあるのに、屋上から攻める馬鹿はいない。小走りに、町の中をいく、流石に冬本番といったところか、雪でもふりそうなほどだ。服を貫き浸透してくる温度が、まるで質量をもってるかのように痛い。
「……」
 夢為は病院を出るときからずっと無口だ。病院知り合ったあの女性は、そういえば未だに名前も知らないな……。その人は、いま薬漬けで目も開けられないほどになっていた。夢為は怒っている、静かにしているがかなりだ。医者のいう、幸せはあんな苦しみの上にしか成り立てないのかと、けれどそこまでして生きたいという人間は跡を絶たない。そこまでして、生きていて欲しいと願う人間も跡を絶たない。感傷なのだ、ただ別れがつらいというだけの我侭だ。そんなことは判っていても、それでもおいていかれるほうはつらい。本人の意思とは無関係に、周りが決める命はそうやって延ばされていく。死んだ後もだ、体を焼かれ、灰になり、土に埋められ、それでもなお感傷は続く。それは死者への思いではなく、生きているものがただ生きていくために編み出した儀式だ。他人に関して、干渉することが殆ど無い夢魔たちはそれがわからない。だから憤る、もっとほかに幸せがあるだろうと。もっとほかにしてやれることがあるだろうと。

 ――― 手を伸ばせばそこに希望はそこにある ―――

 車が横を通り過ぎる。今走ってる車なんて、大型トラックとタクシーぐらいだ。排気ガスの臭いに、足が止まる。空を見上げると、雨が降りそうなほど雲が出ていた。予報は、曇りといっていたがどうなることだか。きっと、この雲は排気ガスで出来ている。灰色の雲は排気ガス、黒いアスファルトは人間の死体。ポケットからタバコを取り出した。火をつけ煙を吸い込む。吐き出した紫煙は、まるで柱のように空に登る。白い建物はきっと、タバコの煙だ。すいながらポケットをまさぐるが、携帯灰皿がない。仕方なく、公園の中に寄り道することにする。俺の後ろには白い煙。横手に、音響科学研究所が見える。頼りなさげな、ライトが公園の何とか照らそうと明滅している中を、一人灰皿を探して歩いた。
 見つけた灰皿の横にたち、公園の木越しにビルを見上げる。まだら模様の光が、ビルの中からもれている。タバコの煙越しに見えるビルは、窓からもれる光以外の姿を隠す。ビルを眺めていると、ポツリと光が一つ消えた。それを合図に短くなったタバコを灰皿に押し付け、俺は歩き出す。枯葉と土を踏みしめる音が聞こえる。

 ―――  試練に喜悦と感謝を。命に勝るものを宝を知れ。
                     人生に勝る希望を知れ ―――

 大抵、新しく出来たビルだろうが、なんだろうが裏口というのは質素で適当な作りをしているのだ。裏手に回ると、表の路地とは大違いの静けさが待っていた。一つだけ光っているのは、守衛が座っている事務所だけだ。出入りの確認のためなのだろうが、居眠りをしている。無視して近づくが、まったく起きる気配はない。静かに横を通り過ぎる、扉に手をかければ簡単にノブが回った。ノブが手の温度を根こそぎ奪っていくのが判る。まるで氷を持ってるみたいだな、などと考えながら廊下の向こうを覗き込んだ。
「黄原が気がついた」
 予想通り、黄原は鈍い。たとえ取り憑いている状態であれ、ナイトメアがこの距離まで近づかないと気がつかないなんてあまりにも鈍い。夢為がいうには、そのものの能力とかそういうのではなくてただの身体的特徴だという。視力とかと一緒なのだと。夢魔も、元はこの世界の住人じゃないとかなんとか、難しいことを言っていたが、聞き流していたので良くわからない。扉をくぐり、後ろでで閉める。鉄の重たい音が小さく響いた。廊下は、新しいビルだけあって、綺麗なもので天井のライトを律儀に移しこんでいる。下に降りるための階段を探して歩く。廊下にはちゃんとした経路案内がある。世の中便利なものだ。まるで、泥棒に入ってくださいといわんばかりである。業務用のエレベーターは使わない、自分の意志以外での移動は何が起こるかわからないから怖いのだ。自分の生活の安全を守るのが先決、ならこんなとこにいないで家に帰れというきもするが、そうもいかない。何度も問い掛けてきた疑問。厄介ごとに首を突っ込むような性格は持ち合わせてない。人当たりはいいほうだと自覚してるが、かといって世話焼きといわれるほど優しいわけでもない。初めて夢為と会ってから何かが変わったわけでもない、殆どバイト感覚なのには違いなかった。嫌というわけでも、やりたいというわけでもない、あやふやな感覚。まるで数年たった社会人のようだ、会社に恩義があるわけでも、やる気に満ち溢れてるわけでもない。ただ、なんとなくこうしてやることをやってるだけ。そんなものだ。
 階段をみつけ、降りていく。廊下の材質とはちがって、足音が響く。ときたまに足をとめて、ほかに人がいないか確認するが特に階段を使う酔狂な人間はいないようだ。地下一階までの階段が異様に長かった。二階分ぐらいあっただろうか。そういえば、正面玄関からスロープが伸びてるへんな作りだったのを覚えている。一階の床が下がっているのだ。B1とふと文字ゴシックで書かれた扉を前に、俺は足を止めた。黄原も同じ階にいる。扉のノブに手をかけまわす。外のノブより、幾分冷たくないノブが音を立てずに回った。

 ―――  病に伏せることを良しとせず。諦めではなく望みを知れ ―――

 黄原をどこかに縛り付けて、オリジナルをコピー、後はあの女性の彼氏がくるのをまって事情説明。二つ有れば迷うことはない、すべては上手くいく。けれど、コピーしたことに対する、有賀のお咎めが確実にある。けれど、夢為がもうその気だあの姿を見てからずっと、そうするためだけを考えている。扉が開ききると、廊下の闇が流れ込んでくる。黄原もコチラに近づいてきていた。
「いい事を教えてやる」
 黄原の声が、廊下の曲がり角から聞こえてくる。誰もいないのか、無遠慮な声の大きさだ。
「例の、使用中のウンメイノタチは今日の試写会で流れる」
 なっ、時間を確認する。確かに夜のパーティーならまだ今からの時間だろうか。最悪だった。
「もう一ついい事を情報をやろう」
 まるで、勝ち誇ったように黄原が笑う。
「ウンメイノタチが収められてるオリジナルテープは、映画丸々一本作れるだけの効果音が入ってる。通常のコピーでは、1時間はかかる。試写会は19時から、あと30分ぐらいかなぁ」
 下卑た笑いが廊下にしみわたっていく。闇を汚す汚らしい笑い。
「貴様のようなやつが、夢魔だというだけで不愉快だ」
 廊下にいるであろう、黄原に辺りをつけて蹴り込む。だが、その足は簡単に宙をきった。
「だが、俺なら高速コピーができる機器の場所と使い方を知っている」
 講釈は続く。頭のなかで、夢為が怒る。あまりの怒りに入れ替わるのがわかった。沈み込む感覚はいつもどおり。だが速度が段違いだった。自分の体が自分ではなくなる。いつも動かない筋肉が動くのを感じながら俺は沈み込む。
「黄原、今すぐコピーをして死ぬか、今すぐ死ぬか選べ」
 視界がぶれる、夢為は諦めていない。コピーさえできれば、あの女性を助けることができる。けれど、犠牲をこれ以上出してまで、彼女は生き延びたいとはおもってないだろうし、それで生き延びたらきっと俺たちは許されない。
 選択は一つ、コピーを間に合わせて、すべてを終わらせる。蹴り出した軸足が、床を抉る。反動でまるで爆発したかのように進む体。黄原は余裕な顔をしてそれを見ていた。こぶしが突き出される。音速超過一歩手前のこぶしが、空気の壁を切り裂きながら突き進む。逆の手を一気に引く。骨と筋肉が猛烈な勢いに軋みというより悲鳴をあげた。夢為はかまわない。反動で、拳が一瞬音速超過。空気の壁を越えた拳が黄原に突き刺さる。
 轟音と、水蒸気の尾を残して拳が突き刺したのは黄原ではなかった。
「擬似夢魔……」
「そういうこと、本当の俺は試写会会場だ。残念だったなぁ ココからじゃもうまにあわねぇよ。ギャハハハハハハ! あーばよ」
  ラジオが切れるような、太い紐が千切れる音が聞こえ擬似夢魔の黄原が消えた。最悪だった、多分会場にいって黄原を捕まえてコピーさせてももう遅い。試写会はつつがなく始まり、集まった人間を根こそぎ殺すことになるだろう。
 もう、うつ手段はなかった。体の力が抜ける。夢為が沈み込んでいくのがわかった。体の感覚が戻ってくる。頭に響くのは、絶望と後悔。右手のいたるところに裂傷が出来ていた。きていた上着もボロボロ、もうこの際そんなことはどうでも良かった。
 彼女は助からない。
 それだけが頭をもたげている。

 ――― 汝はいまだ ―――

 廊下を歩く、時計は18:45を指している。真っ暗な廊下を歩き、オリジナルがおいてある部屋の前にきた。間違いなく扉越しに、オリジナルのウンメイノタチがいる。扉に手をかければ、かぎも無く簡単に開く。ふと、退院予定びが変に延びたのを思い出した。ああ、すべて仕組まれていたわけだ。いまさらながらに、のんきに入院していたと腹が立ち始める。部屋の中は真っ暗で埃臭かった。机にのっていた、テープを掴む。間違いなくウンメイノタチのオリジナルだ。時計をみる、もう残り五分ぐらいだろうか ―――
 蝶番が軋みをあげる。誰かがはいってきた。いや、もう誰かはわかっているが。暗いなかで、入ってきた男は、辺りをさぐっていた。明かりを探してるのだろう、自分の横にあるスイッチを押す。
「なっ」
 声があがるが、それ以上は何もしない。何もしない男を、俺はにらむ。こいつが、あの彼女を助けようとしたのなら、その場で殺さなければならない。けれども、自分が同じ立場なら、俺はそれを選ぶだろう。男は、じりじりと後ずさりをはじめていた。ボサボサの髪の毛と伸びたひげ。多分、いろいろあったのだろう。
「残念ながら、コピーは不可能だ」
 俺は、彼の希望を打ち砕く。映画の関係者だろう、もう時間が無いのはわかってるはずだ。
「なぜ……」
 まるで現実をみないような返答に、俺は笑う。それをみて、男が部屋を見回した。そう、ココにはコピーするための器械はない。そして、彼なら高速コピーの機器を扱えるだろうが、残念ながらそれもどこにあるか判らない。5分ではどちらにしろ、なにもできないだろう。
「好きにしてくれ、俺は使えないんだ」
 あとは、男の判断だけだ。できれば、ころさせないでくれと願う。テープを投げて渡す。
「それより、早く決めるんだな。もう時間が無いんだろ?」
「うっ」
 逡巡しているのが手にとるようにわかる。俺にできることといえば。
 俺は嘘を付こう。
 彼が、間違わないように。それぐらいなら、あの彼女も許してくれるだろう。
「冒頭で流れる。本当に時間はないぞ」
 その言葉に、青ざめていくのが判る。最後の望みも切り捨てられたのだから、当然だ。
「斬る効果音にとりつくとはね……おい、あんたが使わないなら破壊するぞ」
 テープを取り上げる。早く、早く決断してくれ。頼むから……
「あ……」
 情けない声をあげる男。残念だが、神様は両方取ることを許してくれない。テープを持つ手を緩めてまつ。時間まであと2分か1分か・・・
目の前の男からテープを引っ手繰ていく。
「……」
「ウンメイノタチが存在する運命を斬る ―――
テープに手をかけ引き出し男が叫ぶ。一瞬、何かがちぎれる音がした。同時に、男の体が崩れ落ちていった。それはそうだ、ウンメイノタチがそこらじゅうの存在を貪り食っていくのが見える。過去から連なる存在をすべて刀で切りつけるように切り裂き、バラバラにして貪り食う。オリジナルはコピーなどとは桁がちがった。反動で、辺りの存在がゆれる。普通の人間が立っていられるような状態ではなかった。
「……大した英雄だな。反吐が出るぐらいに」
 男が一瞬俺をみて、そして目をつぶった。存在の揺らぎが収まる。ウンメイノタチは己を食い尽くしてこの世から消滅していく。ほんのすこし、悲鳴が聞こえる。時計をみると18:59をさしていた。まったくどうして、完璧じゃないか。最悪なほどに ―――

 ――― 汝はいまだ ―――

 男を担いで夜の町を飛ぶ。山を越え、闇のダムが見えてくる。
「結局何もできなかった……」
 夢為はいうが、俺はそうとも思わない。多分、これが一番の正解なんだろう。嫌になるほど救われない現実の答えだ。
 見慣れた病院が見えてくる。部屋の場所は確認しておいた。見回りの看護士に気をつけながら窓を叩き、開ける。もう、彼女は立ち上がる元気すらない。室内に入り、すぐに窓をしめた。
「お届けモノですよっと」
 勤めて明るく言いながら、俺は彼女の横に男を寝かせた。
「ありがとう……彼は間違わなかったみたいね」
「本当にこれでよかった?」
 静かに頷く気配。俺は窓に足をかけて空を見上げる。
「……」
 無言、一拍をおいて窓から飛び降りる。夜は夕日の街に静かに落ちていた。

 葬式が行われている。静かな冬の夜空も寂しさを演出するのにはもってこいだ。本当に、意味の無い儀式が執り行われ、なんの慰めにもなら無い言葉が飛び交う。俺は早々に、葬式の会場を後にした。ああ、雪が降り始める。立ち止まり、空を見上げる。
 タバコを吸おうとポケットに手をやったとき、人の気配がした。あの男だ。抜け出してきたのだろう。振り返り、男を見る。
「英雄さん、気分はどうだい?」
 声をかけると、男は心底不愉快そうに口を開いた。
「最低だ」
 横を静かに通り過ぎ、男は歩きつづける。雪が頬に当たって溶けた。

 ――― 汝はいまだ絶望すべきにあらざるなり ―――

 生きている人間の、生きている人間のための慰みの儀式は、男には必要が無かったらしい。思わず笑いが漏れる。少なくても、死んでいった岸川唯は満足だろう。それが何よりの慰みだ。生きる限りの地獄。闇のダムの底で俺は笑う。

.

▼戻る