暁星山岳部のあゆみ 年代
●2001年3月 吉野興一
地下鉄サリン事件以来、オウム真理教の施設の立ち退きを求める住民の運動が激しかったが、この年の直前に木曽福島に置かれた教団道場もそういった施設のひとつで、駅から乗ったタクシーの運転手氏もさかんにグチをこぼしていたものである。一泊目は、こがらスキー場の上部にテントを張った。そもそも中央アルプスが暁星山岳部の合宿地になったのは、私の知る限りでは初めてのケースで、それも木曽側から入山するということになれば、歯ごたえのある合宿になることは間違いなかろうと思われた。たしかに二日目の登りはキツかった。そもそも強化合宿の主旨から言って、下級生がいない分だけ厳しい縦走の山が候補にあがるが、今回は中学3年生4名に中学2年の青木が参加。中学生だけで強化合宿を行うのは初めてだったもしれない。テン場出発が4時05分。8合目で昼食を取り、9合目が10時42分。山頂に着いたのは11時30分であった。昼食や小休止を入れるとはいえ、登りで7時間半の行程は、食料も燃料もたっぷり状態の合宿二日目にしてはきびしいものがあった。「木曽駒の山頂は俗化されてるぜ」と友人から聞かされていたものの、実際、山頂に着いたとたんにスニーカーで歩き回る大量の人々に出くわすと、いささか戸惑うものである。それでも私達は晴天の山頂を踏めて喜んでいた。その晩、天気が激変した。おまけに中3の佐藤が発熱。翌朝3時起床。、風はますます強まり、ガスで視界は5メートル。雨が断続的にやってくる。出発を見合わせて9時10分のラジオ気象通報から天気図をとる。やはり低気圧は前線をともなって押しあがってきている。結局、千畳敷からロープウェーで下山することに決定。10時すぎにテント撤収。雨が本格的になってきた。幸い佐藤は元気である。残念ながら縦走は中止となったが、部にとってはとてもいい経験になったと思っている。やはり3000メートル級に匹敵する稜線の自然環境は凄まじいのである。8月も下旬となれば、夏でも凍死しかねない寒さと言って差し支えなかった。わずか二泊の合宿になってしまったものの、部員諸氏の記憶に深く残る印象的な合宿であった。
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吉野興一先生
遠西敬二先生
井上豊先生
磯部紀之
森川誉久
坂口亮
佐藤龍一
土屋主税
青木駿介

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