暁星山岳部のあゆみ 年代
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OB
吉野興一先生
遠西敬二先生
浅井秀明
森定司
井波喬之
野垣岳稔
生川友恒
五十嵐啓
高野晋
●ルート
8月26日 ―太郎平小屋―薬師峠幕営
8月27日 ―薬師岳山荘―薬師岳―北薬師岳―スゴ乗越小屋幕営
8月28日 ―越中沢岳―五色ケ原山荘―キャンプ場幕営
8月29日 ―五色ケ原ヒュッテ―ザラ峠―獅子岳―鬼岳東肩―富大研究室―浄土山―富大研究室―雷鳥沢キャンプ場幕営
8月30日 ―一ノ越―雄山―大汝山―雷鳥沢分岐―キャンプ場―室堂ターミナル―
●薬師立山縦走の思い出 2001年2月26日 浅井秀明
どうも僕らの学年(H6年度卒)は他の学年と比べて山に関する知識、意欲が足りなかったように思う。その最たる例はサブリーダーであった森定司という男である。彼は今も山の話をするときその山の名前を全く覚えておらず、何をやったかというイベントを言うと思い出すのだ。ましてやどれが何という山なのか知っているはずもない。そんな彼が唯一形を覚えている山が鹿島槍であり、それを覚えた(覚えさせられた)のがこの合宿であった。
彼は小休止のたびに吉野先生に「鹿島槍はどれだ?」と質問され間違えてよく蹴飛ばされていた。森定の他にも僕らの学年は各々課題を与えられ答えさせられていたが、彼ほど蹴られた者はいなかったように思う。そして、森定を蹴っている吉野先生の楽しそうな顔がとても印象的だった。
もう一つこの合宿で僕らの学年をあらわすエピソードとして立山ピストンをあげたい。これまで縦走を続けてきた我々は一ノ越小屋に到着しそこに荷物を置き、雄山、大汝山へピストンをすることになった。予定ではこの日に立山を登ったあと室堂で一泊し翌日下山というものであった。しかし、今まで背負ってきた重いザックから解き放たれた我々は山頂まで1時間かかるはずの行程を15分で登頂してしまった。そして、その日の内に下山できるということがわかると、予定を短縮し、東京まで帰ってきてしまった。当時の我々にとっては室堂を散策するより少しでもはやく東京に戻ることの方が大事だった気がする。今思うともったいない気もするが・・・。

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