暁星山岳部のあゆみ 年代
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OB
吉野興一先生 遠西敬二先生
水沼二郎
山岡力
高野晋 井村真也 大島義信 矢橋岳彦 前田昭彦 山元崇
田口全男 後藤祐介
●ルート
山都駅―川入テント泊 ―三国岳―三国小屋テント泊―飯豊山―御西岳―御西小屋―大日岳―御西小屋泊 ―停滞でもう1泊―北股岳―飯豊山荘泊 ―小国駅
●2001年3月 矢橋岳彦
この合宿は個人的には一番思い出深い山行である。自分の在籍時、合宿は秩父、八ヶ岳、北アなど西に向かうものがほとんどであり、東北の山が珍しかったこともあるが、この合宿は台風で天気が大荒れし、何かと苦労したことが最大の理由である。アプローチは盤越西線で南側から入山した。自分を含め高校一年は直前までホームステイで散々遊び呆けた後だったが、特にバテた覚えも無い。むしろ部長の水沼がいつものように異常に重い荷をかついでバテていた印象がある。前半は天候もまあまあだったが、飯豊の山頂はガスで何も見えず。大日岳へのピストンでは荷も軽くなったため、大島、高野、前田などと馬鹿話しをしながら進む。3日目の夕方、夕食を作っている時、風が強まりテント泊から小屋泊になった。その時点では全員が喜んていた。だがその後、雨は暴風雨となり翌日は丸一日停滞。同じ小屋泊りとなった男女グループについて勝手にあれこれ話ししながら無聊を慰めた。その翌日の朝も強い風を伴う雨が降り続けていたが、予備日が無かったこともあり、出発となった。停滞で体力が充分だったことと、暴風雨の中で稜線を歩く緊張感とで全員が集団催眠にかかったようなトランス状態だった。景色を見る余裕など全く無く、「危ないっ!!」「伏せろ!!」などという言葉の飛び交う稜線の行軍だった。どれだけ風が強かったかというと、私のザックカバーが知らないうちにどこかに飛んでいってしまうぐらい。あるいは前田が「おっとっと」と人生を終えてしまいそうになるぐらいのもの。「メシを作るのが面倒臭い」というアバウトかつ危険な考えが何故か全員の一致した意見となり、とにかく前へと進んだ。尾根道に到達すると風も弱まり、はるか麓に飯豊山荘が見えてようやく一息つくことが出来た。ところが、山荘が見えてからが異常に長く、木にくくりつけられた番号が減っていくのを楽しみに数えていたら数字が突然増え、皆でまさに愕然としたのを非常に良く覚えている。
結局当初では2日で歩く行程を11時間ほどで歩き、飯豊山荘に到着。その日は山荘泊りとなり、皆で合宿の垢を心行くまで流した。宴会場での雑魚寝は快適だったが、間違えてふすまを開けたどっかのオバさんがパンツ一丁の大島と遭遇、「若いのネーー」と言われる事件が勃発。大島は男を上げたのだった。その晩、OBの田口、後藤は吉野と共にビールで宴会。現役部員はそうした行動に悪態をつきながら、合宿を振り返るといういつもの光景が繰り広げられて合宿は無事終わった。文中一切の敬称を略させて頂きました。そこから当時の「和気あいあいぶり」を感じとって下さい。

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