暁星山岳部のあゆみ 年代
写真
LT
CL
SL


OB
平敷哲先生
大堀雅之
佐野聖文
秋山哲弥
松田弘之
高橋 宏
●ルート
8月21日 集合 新宿===甲府 8月22日 ----広河原----小休止----二股----お花畑----小太郎尾根----肩小屋 8月23日 −停滞 8月24日 ----北岳----稜線小屋----中白峰----間岳----巻き道分岐(昼食)----西農鳥岳----農鳥岳----西農鳥岳----分岐----三国平----熊ノ平 8月25日 ----展望岩----北荒川分岐----北荒川岳----北股岳----蝙蝠岳----北股岳----塩見岳----塩見岳小屋----本谷山----三伏小屋 8月26日 −塩見小屋----本谷山----三伏小屋----分岐----稜線----鳥帽子岳 前川河内岳----小河内岳(昼食)----ザレふち----板屋岳----高山非難小屋---テント場 8月27日 A隊(佐野・大堀)高山裏露営地----荒川前岳----荒川小屋----大聖寺岳----小赤石岳----赤石岳----小赤石岳----大聖寺平----荒川小屋----前岳----中岳----悪沢岳 B隊(松田・秋山・高橋氏・先生)高山裏----中岳----悪沢岳 A.B隊合流 悪沢岳----千枚岳----マント沢ノ頭----ロボット雨量計----小休止----二軒小屋 8月28日 ----転付峠----保利沢小屋----広河原----田代入口−−−身延===新宿
●1975年 大堀雅之(部報より転載)
この合宿の構想をたてたのは半年程前であろうか。去年の失敗もあるので今回は、どうしても成功させたかった。合宿直前といってもいい7月になって僕はリーダーになった。7月中には強化合宿として奥多摩でボッカ訓練をした。体力面では自信があったはずの僕らであったが、パーティが何度か分裂してしまったのは過信によるトレーニング不足ではないだろうか。半年前からの構想には、合宿直前にパーティが全員そろって仕事をするということが少なかった。リーダーとして僕がいたらないため、何度か失敗もしてしまった。最初の計画は北岳〜赤石岳であったが僕自身どうしても聖までいきたかった。北岳で台風にたたかれた時もテントのポールをおさえながらがぜん闘志がわいてきた「赤石までは、何としても行く!」こんな意地みたいなものがあった。これを達成するには、少しぐらいの苦しみにくじけては絶対にならないのだ。ひとりひとりの南アルプスの自覚も欠けていたのではないだろうか。一日一日の行程を出発前によく考え、それなりのトレーニングをしていれば、この合宿は完全に達成できたはずだ。部員の団結も足りなかった。「全員が合宿を成功させる気があるのか。」など、つまらない疑問が何度か僕の頭をよぎったこともあった。パーティの最弱の者に合わせるのは鉄則だが、二軒小屋まで下りることが決まった時は内心くやしかった。リーダーとは、常に部員の安全を考えてなければならぬのに、僕は完全に失格である。赤石山頂に立った時はうれしかった。一応、半年間、頭の中であたためていたことが実現したのだから。前途には部員同士のはげしい口論はしょっちゅうで、つかみあうことも何度かあった。この合宿で喜び、苦しさ、助け合いなどの人生の縮図を僕は見た気がする。この貴重な体験をもとに次回はより強靱な体力と精神力で挑もうと思う。最後にお忙しいのに付きそって下さった先生、親切なご指導をしてくださったOBの方々にあつくお礼を申し上げます。

←前年へ     次年へ→

●当サイトでは部歴掲載情報を募集しています
追加・修正・補完情報等がございましたら こちら までご連絡いただきますようお願いいたします【暁星山岳部OB会事務局】