暁星山岳部のあゆみ 年代
写真
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OB
小川先生
和田洋三
牟田口章人
松林公蔵
宮川紳三
加藤賢朗
保坂邦彦
甲武信岳
●ルート
7月26日 学校=新宿=
7月27日 韮崎=増富―金山―瑞牆山荘―富士見平
7月28日 −大日小屋―金峰山―朝日岳―大弛小屋
7月29日 −北奥千丈岳―国師岳―甲武信岳―破風避難小屋
7月30日 −破風山―雁坂峠―広瀬=天科=塩山=新宿(解散)
●2001年2月19日 和田洋三
部の存続問題で微妙な時期で憧れの北アルプス合宿を断念し、OBと協議の結果奥秩父に決定した。その上中学生の部活も禁止となり、高校生のみとなっていた。
天気には恵まれていて、合宿中晴天だったと思う。サブリーダーの牟田口は初めての合宿なのでチームワーク、計画等に心配だった。
牟田口以下数名の疲労が激しかったので、2日目の全員での往復を中止し、加藤、松林のみ往復する。後の反省材料となる。
瑞牆山往復の途中の岩場で採取してきた『岩タケ』を夕食の味噌汁にするが、とても苦くて飲めなかった。
今合宿の一番の失敗が食料係の計算違いで米の量が不足したことである。
大弛のテント場で気付き小屋やほかのパーティーからカンパをお願いし、大変恥ずかしい思いをした。
翌日の早朝、国師ヶ岳より北奥千丈岳に登ったときの、早朝の爽やかさと奥秩父の最高峰からの眺めが今でも一枚の写真のように記憶に残っている。
計画ではコブシ小屋で三日目のテント場の予定をひとつ先の破風避難小屋に延ばしたが、水場が非常に遠くヤブとアブがひどいため苦労した。また、合宿最後のコンパでコーヒーを飲み2〜3人寝られず朝近くまで話していたので雁坂峠まで辛かった思い出がある。
広瀬に下山後、ダム工事の為、バスが天科までしか来ず車道を1〜2時間歩くはずが先生のお蔭でトラックに便乗することができて非常に嬉しかった。
合宿後、OBの小幡氏・中村氏と共に、北ア・立山剣岳に入山することが出来た。

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