暁星山岳部のあゆみ 年代
写真
LT
CL
SL








OB
松本光男先生
小浦雅敏
戸沢正人
肥沼俊夫
和田洋三
長谷川一郎
宮川紳三
加藤賢朗
保坂邦和
松林公蔵
金沢和巳
保坂邦彦
●ルート
7月31日 新宿出発(中央線)− 8月1日 −甲府−芦安−広河原小屋 8月2日 −白峰御池−肩ノ小屋 8月3日 −北岳−中白峰−間ノ岳−農鳥小屋 8月4日 停滞 8月5日 −西農鳥岳−農鳥岳−大門沢小屋 8月6日 −奈良田−甲府−新宿解散
●1965年 松林公蔵(部報より転載)
7月31日 山男で超満員の夜行で新宿を出発。8月1日(晴れ)3時30分の甲府駅は登山者のみでどことなく淋しかった。僕たちは列車の窓から降りバス停へと急いだ。芦安でマイクロバスに乗り換え広河原まで入った。広河原は夏とは思えないほど気温が低く、皆ガタガタ震えていた。周囲を見回すと巨大とも言うべき雄大な諸峰の山容が鋭く張り出していて、その岩肌は白銀に照り返っていた。明日からの行程に備えて散歩で体力調整後、沢の水で氷のように冷した“有難迷惑な”差し入れのスイカを食べた。20時半の消燈後、肥沼が水と間違えて石油を飲み大騒ぎとなるが別状なし。8月2日(晴れ)5時半出発。重いザックは肩にめり込み、急な登りが果てしなく続いた。長谷川バテ気味の内に白峰御池を通過して、「草すべり」と呼ばれる初めて経験する急な斜面を登った。途中、保坂や和田が鼻血を出したことなどもあって、4度小休止をとって、4時間かかって稜線に出た。約30分で肩ノ小屋に到着。消燈21時半。8月3日(晴れ)食当起床3時、出発は7時30分。約1時間で何のこともなく北岳に到着した。山頂は日本第二の高峰にふさわしい展望で、甲斐駒・鳳凰三山・間ノ岳・農鳥岳などが一望できた。保坂が鼻血を出したり、長谷川が落としたヤカンをはるか下方まで保坂氏が取りに行ったりしたことなどで少々遅れ、北岳小屋分岐で昼食。中白峰を経て間ノ岳に到着したのは13時だった。農鳥小屋までは急な下りを、テント場確保のため駆け下りた。農鳥小屋の少し手前で雷鳥を見るため2分間小休止。8月4日(晴れ)停滞。水場の掃除をしたあと、ゆっくり休養。8月5日(晴れ)2時50分食当起床。中学生だけで共同装備を持つことになった。パッキングの最中、御来光を見て6時に出発。西農鳥山頂はとても狭く、12人登るのがやっとだった。ここからの展望は最高で、北ア・荒川岳・塩見岳・富士山に至るまで一望できた。大門沢下降点に9時着、急な下りが谷底深くまで続いていた。今まで苦労して獲得した高度を一瞬にして奪い去られるのかと思うと情けなくなった。小休なしで約2時間走り続け河原まで降り、昼食。頭が痛くなる者が続出したので、大門沢小屋に設営。コンパをして23時に消燈。8月6日(晴れ)奈良田発のバスにあわせてゆっくり出発。始めは沢に沿って歩いたが、しばらく山に入りやがて再び沢に出た。このあたりから吊り橋が急激に増え、トラック道に出るまで続いた。トラック道を歩いて11時40分奈良田に到着した。ここで牛乳を一人2本ずつ飲んだ。この1週間の間でこの牛乳が一番美味しく感じられた。13時半奈良田を出発。途中、保坂氏と先生は再登山をするため下車。甲府には16時に着いた。ここから小浦は生研の夏合宿支援に八ヶ岳に向かった。食事をしてから汽車に乗り、21時40分新宿着解散。

←前年へ     次年へ→

●当サイトでは部歴掲載情報を募集しています
追加・修正・補完情報等がございましたら こちら までご連絡いただきますようお願いいたします【暁星山岳部OB会事務局】