暁星山岳部のあゆみ 年代
写真
LT
CL
SL
SL
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OB
松本光男先生
三代川春一
小澤昭
保坂邦昭
肥沼俊夫
宮川紳三
松林公蔵
長谷川一郎
奥山義公
飛松伸治
土井清之
●ルート
8月2日 学校−飯田橋−上野 8月3日 =徳沢=弥平四郎 8月4日 −松平峠−切合 8月5日 −草履塚−飯豊神社−飯豊本山 8月6日 −御西岳−大日岳−御西岳−天狗の庭−烏帽子岳−十文字鞍部 8月7日 −北股岳−門内避難小屋(停滞) 8月8日 −門内岳−地神山−飯豊温泉 8月9日 −長者ヶ原=小国=郡山 8月10日 上野(解散)
●飯豊1964 2001年3月12日 三代川春一
写真 今回、暁星山岳会時代の日々を思い起こす機会を頂き感謝します。インターネット、携帯電話の普及している昨今とは比べものにならない、あの飯豊夏山合宿の1964年は東京オリンピックの年でもありました。当時は登山口までのトラック便を運送会社に往復はがきで予約を行う時代でした。卒業後は山からすっかり遠ざかってしまいましたが、暁星山岳会で養われた体力、気力そしてサバイバル能力?のおかげでが今の自分があるのだということを改めて感じています。
以下は暁星山岳会会報第9号(昭和40年4月1日発刊)にある36年前の筆者による夏山合宿(飯豊連峰)記録よりの抜粋です。稚拙な文章ではありますがご一読いただければ幸いです。
「8月2日、出発、色々あわただしい準備もすみ、ついに出発。メンバーはCL高二(すなわち僕)と高一3名、中二4名及びOB2名と松本先生。上野駅では2時ごろから並んで待ち、森先生その他多数の人に見送られて列車は発車した。山に行く時いつも感じる期待と不安の混ぜ合わさった妙な気分になる。しかもこの合宿では僕にCLとしての責任がのしかかっている。8月5日、いよいよ飯豊本山を通過する日だ。この日の出発は大分遅くなってしまった。太陽に照りつけられて登る。いつもトップを高一にして二番、三番目に長谷川、奥山をつけたが、いつも三番目の者が遅れるようだ。この日、天気はものすごく良く、気持ちの良い縦走を行えた。数年前縦走した先輩の話とは違い、相当人が出ている。雪渓も今年は少ないようだ。飯豊本山の少し手前に、きれいな水場があったのには驚いた。この縦走では予想していたよりよい水がありそうだ。この日のテント場は、御西の少し手前の、雪渓の所に変更した。この日は最も縦走の気分を味わえた日であった。夏山後記(これは高一某君記す)8月7日、門内小屋のとき、OB飛松さん、土井さん、小澤に肥沼が水をとりに雪渓の方に下っていった。途中から草があり我らは全員草の上に乗ってすべってしまった。一回目は何とかとまったが、飛松さんが又すべりだした。あぶない!と思ったときはピッケルをつかって滑落停止をした。お見事。雪渓の水は真黒。まるで都会のドブ川であった。しかし水がなかった我々はこの水を飲んだ。おれは死んだねずみが入っていた水や、きたない水を飲んだことがあるから平気だった。高一は3人とも十貫を超えた。それゆえバテたのが一人いた。中二は軽かった。高一にしてみれば誠にうらやましい。」
写真

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