暁星山岳部のあゆみ 年代
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OB
森淳寿先生
松本光男先生
飛松伸治
小幡純
保坂邦彦
京野赳郎
安藤建一
三代川春一
戸沢正人
小沢昭
保坂邦昭
山口恒夫
小浦雅敏
堀口和利
肥沼俊夫
古宮正
黒田基
岡田利政
坂井聖一
平野徹
槍ケ岳山頂
●ルート
8月1日 上高地―横尾―一の俣 8月2日 ―槍沢 8月3日 ―槍ヶ岳―西鎌尾根―双六池 8月4日 双六池で停滞 8月5日 ―三俣蓮華―雲の平 8月6日 雲の平で停滞 8月7日 ―伊藤新道―湯俣 8月8日 ―濁小屋―七倉―大町
●1963年 山口恒夫(部報より転載)
8月1日(晴)上高地で待っているとなつかしい顔がバスからのぞく。何か嬉しさが胸をつく。あの苦しい荷上げも終わり無事任務を果たした自信を持てた。出発も予定どおり、何事もなく一ノ俣までの行程を終了した。 8月2日(晴)夜も明けぬころからテント場は活動し始めた。出発は予定よりも早く行い午前中の好条件のもとに歩調は続いた。先輩の「頑張れ!」の言葉がみんなにどれほどはげましになった事か。槍ケ岳、何度見ても味のある山、そんな姿を見たとき、全員の嬉しさも最高だった。今日の行程は午前中で終了し午後には槍沢の雪渓で楽しむ姿も見うけられた。 8月3日(晴のち雹)出発時、朝焼けと共に見せた太陽は出発を遅らせてしまうほど優麗で偉大であった。槍沢の登りは苦しくバテる者続出。「頑張れ、頑張れ」もむなしく予定時間を回ってしまった。槍ケ岳の山頂は、山の偉大さと厳しさを与えた。それは山を志す者の自信をためし、自信をつけるものであった。西鎌尾根は心配していたよりもスムーズに通過、イオウくさい乗越も通過し、すがすがしい草付きで体を休めた。やがて空模様が悪化、どす黒い雲が一面おおって今にも激しい雨が…。天気と競争であった。脱落者も数名出しながらやっと双六池が見える所に出た時「勝った」とそうつぶやいた。夕方大粒のヒョウに襲われその晩は濃いガスが我々を襲った。 8月4日(晴)森先生下山。今日一日疲労した体を労りながら今日までの反省を各自行う。 8月5日(晴)出発そうそうバテる者が出る。OB、先輩の厳しい声の中で一生懸命奮闘した。見ると泣きながら登った槍が朝日に映え一時心を奪われてしまった。それは遠い雲海の中に絵具をたらしたように赤い。黒く鋭く光る槍ケ岳がそれを従えているようであった。雲の平への途中、今まで見ることのできなかった自然の緑。目にしみるほどのながめ。雲の平へのきつい登りへと入っていった。 8月6日(晴)草原の美しさを知った日でもあった。 8月7日(晴)北アの雪水が原因か数名が激しい下痢を訴える。同じ頃、北アで大学山岳部が赤痢を起こしているので心配になり、無念ながらにも行程を大きく変更し下山という悲しい結果になってしまった。下山しても山行はまだ終了しない。想像していたよりも伊藤新道は苦しく、泣きたくなるほど重いザック、全員の顔も虚であった。 8月8日(晴)濁小屋までの道は長い。進んでも進んでも回りの景色は変化しない。七倉に着いた時みんな相当バテていたが歩き終えたという感激は大きかった。

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