暁星山岳部のあゆみ 年代
●ルート
1日目 昇仙峡―金桜神社―水晶小屋泊
2日目 ―金峯山―大日小屋泊 3日目 ―瑞牆山―金山平(有井館泊)
4日目 ―信州峠―信濃川上―戸倉
●かもしか会の発端 2000年8月 佐藤文夫
自立心の湧いてくる年頃でもあったか、それは中学三年の夏休み。ひとつの冒険旅行に向かって出発することになった(1939年・昭和14年)。学校の山岳部というものに所属して、山を歩くという知識はあったものの、今から考えると、軽い山行を数度重ねただけの連中が、若干経験の深い学友をリーダーにして、仲間は六人、奥秩父連峰の主峰 金峯山(2599メートル)から瑞牆山の縦走コースに挑戦しようということになった。誘われるままに、自分達で計画し、無人の山小屋に泊まる登山プランに、わくわくして、新宿駅を夜行で発ち、甲府から昇仙峡へ…。しかしそれから先の山道に入って初日からつまずいた。どこで道を間違えたものか、目的の水晶小屋は見当がつかず、日は暮れてくる、仲間は居るといっても心細さが先立ってくる。泣きたい気持ちを隠して、ヤミクモに歩いて、当初のコースとは外れていたのだが、幸運にも遭難小屋らしきものを見つけ、初めての自炊経験。気持ちも落ち着いて、一夜の眠りを結んだ。翌日、金峯山山頂に立ってからは、コースも順調に捗る。帰途は、予算も余ったということで、突然の予定変更、信州戸倉温泉に向かう。こうなると、わが暁星ボーイは大様なもので衆議一決、一流の旅館へ、となって教えられるままに、笹屋ホテルに乗り込み、二の膳のつくような最高級のお泊り。当時で四円五十銭という料金であった。フカフカの布団で疲れを取った分、財布のほうはスッカラカンで帰宅したものである。しかし、これがキッカケで、学校の山岳部では安全なコースしか歩かないと、個々にグループを組んで、丹沢や奥多摩の沢歩き、裏妙義コースでは遭難まがいの山中行で、やっと横川駅の終列車に間に合う始末。そろそろ食料不足が深刻になりつつある時代で、晩飯を食べる機会もないまま、腹ペコで上野駅から我が家へたどり着いた事もある。今は行列の続く尾瀬の湿原も、秘境といわれて訪れる人も少なく、静かな別天地を満喫したものだった。その間、四年生に進級した年に、暁星山岳部は解散という事態になった。(この夏1940年・昭和15年7月21日-25日、長谷川先生と有志で北アルプス大滝山から燕岳まで縦走)山岳部長の長谷川先生はリベラル派、この思想傾向が気に入らないと、軍部からやって来た配属将校の陸軍大尉が、星の徽章を後ろ盾にゴリ押ししてきた結果ということである。この頃は中国相手に、ドロ沼の戦争状態、やがて太平洋戦争に突入しようか… というサーベル族が幅を利かせている頃だったから、悪代官の一言で消滅してしまっても、対策は立てられない。だがそこは山仲間、ともに息を喘がせながら山道を登り、同じ飯盒のメシを食ってきたという意識で、二人、三人と集まって輪は広がり、いつのまにか気の合った仲間が、十数人集まるようになってきた。校庭の一隅で打合せをしているだけでは間に合わなくなって、学校に近い友人の家に押しかけ、アーじゃない、コーじゃないの挙句「かもしか会」として発足、会長は決めたが、細かい会則など一切なし、プランがまとまった段階で適当に山行きを実行、長谷川先生の主宰した文藝部にも所属していた友人からは回覧誌の発行も提案され、これも呑み込んで、何が目的というでもない、それでいてまとまりのよいグループがスタートすることになった。山行きに関しては前記のように、東京周辺の山々を歩き、回覧誌の方は、すでに用紙類の入手の困難な状態の中、いろいろと手を尽くして二・三回 回覧したか…?次の段階は少し進歩してガリ版刷りの小冊子をつくり、各自の手許に残すような、活動は中々活発なものであった。学窓を巣立つた後も、軍務につくまでのしばらくの間、戦況もそれほど逼迫していなかったこともあって、折にふれて仲間と山歩きは続けられた。戦後は各地から復員の仲間を迎える度に旧交を温め、社会人として仕事の第一線で働く合間にも、元気者は適当に登山歴を重ねたり、それがなくても、逢う機会をつくり合って六十年の長い交友関係が続いている。四・五年前には古い文集「樹林」「かもしか」などを、百一才の長命で亡くなった長谷川先生(1994年5月没)の蔵書の中で見つけ出し、友人の協力でガリ版刷りそのままの復刻版も出来あがった。しかしそんな友も年齢には克てず、一人欠け、二人欠け かもしかの群れも淋しいものになった。山に行こう、回覧誌をつくろうという幼い行動が、出発点となって続いてきた六十余年の友情、その友が欠けて行く淋しさもあるが、今になっても新鮮な感じで浮かび上がってくる日々は、めぐまれた友人関係の結果だと思う。本棚から古い一冊を取り出した。それは昭和16年(1941年)発行という、扱い次第で背ノリの部分がバラバラになってしまいそうな本だが、加藤泰三の「霧の山稜」という中学生以来、愛蔵のものである。

その中の詩の一篇から

「過ぎし日は 遠く昔のようだと お前は言うが
          過ぎし日は 近くて昨日のようだと 僕は黙っていた」
CL
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