松代で思ったこと・・・


 最近、私は長野県の松代というところへ行く機会があった。
地名は「聞いた事があるな」というくらいで、行ってみるまではそれ程の期待もなく流されるままに訪れたという感じだった。
それが、自分の心の中にこんなに深い印象を残す旅になるとは思いもよらなかった。

松代は昔から勉学の士を多く輩出したところだったらしい。
佐久間象山は、あまりにも有名で、それにしてもこの松代の地から輩出された人物だとは知らなかった。

この地は歴史的にかなり重要な意味を持つ土地だった。土地の方達は佐久間象山(サクマショウザン)という人物を(サクマゾウザン)と呼んでいた。
実際象山という象の形をした山もあり、歴史の教科書で習った呼び名と、どちらが正しいのかはわからないけれど、その象山の地下に大きな大きな、岩を砕いて掘った地下壕があることを、いったいどれだけの人々が知っていたのだろうか?少なくとも私は知らなかった。それは自分にとってはかなりショッキングな出来事だった。

知らないということは、また知らされなかったということは、一体どう解釈すればいいのだろう?自分自身の怠慢なのかもしれないし、意図的に知らしめないとすれば、それは罪かもしれない。

今、ネットの普及で、こんなちっぽけな存在の自分でも堂々とこういう事を書けることの幸せを感じる。各メディアにはあまりにも規制があり、投稿しても採用されるかわからないという危惧もある。 自分のホームページに書く限りは、思ったことを素直にそのまま書ける。その意味ではフラストレーションが溜まらないから、いい手段だと思える。  

松代にある地下壕は、三箇所あり、ひとつは象山地下壕(私が見学したところ)と、戦時下天皇を移そうとしたという、”舞鶴山”(現在地震観測所になっているという)、そして、 
象山と目と鼻の先にある”皆神山”という、地下壕とがある。
皆神山は松代群発地震によってかなり崩れた個所が多かったらしいが
象山は硬い岩石であったこともあり、保存状態がいい。
逆に考えれば、それ程硬い岩を砕きながら工事をすることの大変さはどんなだったのだろうか?

松代の地にはボランティアの方が何人かいらっしゃって、地下壕を訪れる人々に丁寧な解説をして下さる。
そのお陰で、私は詳しくまた、生々しくその実態を理解する事ができた。
入り口は少し頭を下げるほど低く、狭いが、奥はかなりどころかの広がりだった。
硬い岩の塊を削りながら作ったその労力はいかばかりだったのだろうと、想像を絶する空洞の広さに圧倒される。
ここまですることの、発想の異様さと、滑稽さのようなものを感じる。

でも、ここで、滑稽だと笑い飛ばすにはあまりにその陰に隠れた被害者の方々に申し訳ない気がする。 
この作業に携わった方々は、ほとんどが日本人でなく、朝鮮から拉致され海を渡って連れてこられた人々であったという。(これを聞いた時フト、昔読んだ本”ルーツ”で、クンタ・キンテが太鼓の木を選ぶため森に入り突然連れ去られる場面が頭をよぎった)
畑で農作業をしていた男の人が突然数人の日本兵に囲まれ連れ去られる場面・・・(どんなに悔しく情けなく、つらく、望郷の念にかられた事だろう)

ボランティアの方の話では、ちょうど昭和19年11月11日11時11分より始められ翌20年の終戦を迎えるまで続けられたというが、ちょうど寒い季節がやってくる頃からである。
この地の冬の寒さは氷点下を越えるというのに、労働者の住宅は暖房設備は無く、狭い狭い三角の形をしたやっと立てるほどの小屋とも言えないしろもので、寝具はむしろを使い、朝にはその上に雪が積もっていたり凍りついたという環境下に雑魚寝状態で、
次々と亡くなって行く人は、記録も無く、未だに人数の確かめようが無い状態という。
労働は苛酷を極め、栄養状態も悪く、まさに人間の使い捨て状況だったらしい。
この広大な地下壕をたったの半年と少しで作ることは並大抵の労力ではできなかっただろうことは容易に推測される。

まだ、これが日本の人々のことであれば、亡くなった人も身元は判明するだろうし、いつまでも語り継がれる事だったであろうに、
労働者が拉致してきた朝鮮の人達であったため、記録が残されていず、また、抹消されていたりと、不明な点が多いらしい。

思ったことは、自分の身内、また、自分本人がこのようなことになったらと、考えれば理解できるということだった。
戦争が起こしたとはいえ、いくらなんでもあまりの理不尽さ、運命に、言葉も出ない。
よくニュースで「日本人は少しも反省をしていない」と、中国や朝鮮の国々から批判されたり、「反日感情が強い」といったことも納得できる。

まず、
ここに行って、実際に自分の目で見、ボランティアの方の話に耳を傾け、考えてみることを、私のような大人のみならず、次世代を担う子供にも勧めたいと切に思った。
                       

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2001/6