家を改築した時のこと・・・
 

   自宅を結構大々的に改築した。

 昭和の初期に建てられた家は、かなり老朽化し、

  加えて夫の兄が家の庭に当たる場所だったところへ大きな家を建てたこともあり

  日差しがほと んど指さなくなり、手を加えずにはいられなくなったというのが本当のところだった 

 それと、やはり昔の家は使い勝手が悪く、水回り、収納等々、今の家は便利になっているから・・・

 夜、布団の中に入ると、眠るまでの少しの間、改築するプランをあれやこれや考えるのがとても楽しく  

  考え出すと夢もふくらみ.。o0○

 そんな風な時間をついやするのがほぼ私の日課になっていたくらいだった。

 でも、改築の部分があまりに多すぎて、

  結局は改築か新築かわからないくらいの大々的な工事となってしまった

 私が改築にこだわったのは、少し思う所があったからだった

 それは、玄関や、玄関両脇の漆喰の壁が使われた部屋の趣。

 日本間の障子の桟の模様、違い棚、書院造り

 どれをとっても、大工さんの話では、「もうこんなことの出来る職人はいなくなってしまった」

  という言葉だった

 新築するなら同じ風な家を建てたかったが、結局それを作る職人さんがいないとなると、

 この雰囲気を失わないためには改築しかあり得なかった。

 それと、それこそいたとしても莫大な費用がかかるらしい

 玄関脇の二間は、屋根瓦をやり直し、 日本間は、それこそ、書院造りと床の間以外はほぼ手を入れる形になったが、

 障子の桟の歯抜け状態も、建具屋さんのおかげで(同じ木を使ってとは行かなかったらしいが)

  ほぼ元の感じを取り戻した。

 簡単に言うと、美術品の修復作業のような改築工事だった

 台所横の四畳半の和室や、以前から居間として使われていたほうの和室は、消耗が激しく

 台所と三間続けて洋間することににした。

 ダークな色調の木のパーティッションをスライドさせて、仕切って使ったり、開いて広く使ったり

 夢が現実になり、とても快適な空間ができあがった。

 平屋だった我が家の上に屋根裏風のプライベートルームを増築し、 改築は終わった

 工事の間中、私は仕事が引けると、家に帰るのが本当に楽しみだった

 何が楽しみかって!♪

 大工さんたち職人さんの仕事を眺めることと、そういった職人さんたちと会話をすることだった

 職人さんたちは、それぞれの分野のプロで(あたりまえだけれど)

 私の知らない知識や、技術を持っている

 合間を縫っていろんな質問をすると快く答えてくださった。

 来て下さる大工さんもその左官屋さんも、気が良くて

 ちょっとした、家の直しなんかは、少しの時間を割いてよく無償でやって下さった

  ”頭領がいいと、いい職人がつく”

  そんな言葉がそのまんまあてはまるような

  大工さん、左官屋さん、建具やさん、ペンキ屋さんといった一連の家に関わる職人さんたちが

 頭領の元、見事な連携プレイを展開させて進んでゆく。

 職人さん達が一様に驚きの声を聞かせてくださったのも嬉しかった

 家を剥がしてゆくにつけ、骨組みが現れるにつけ

  「すごいなぁーこれ」    「今こんなものは見ようったって見られない」

  と言ったような、先輩の職人さんの技術に関した言葉だった。


  そうして、昔の話がひとしきり聞ける♪


 「こんな風な違い棚を、親方に何度もしかられながら一所懸命やり直し、やり直し、つくらされたもんだよ」

 「こんな風に漆喰で額縁(天井を縁取ること)やれる職人が今はいなくなったなぁ」

 「漆喰の天井を竹の細いので吊ってある、いやーびっくりしたねー」

 「今じゃ、こんな障子、作る職人はいないね!」

 ちょっと得意になってしまうくらい職人さんたちの感嘆の言葉が聞かれた。


 私は、というと、大工さんが木を切ったり、釘を打ったり左官屋さんが壁を平らに塗る

 ・・・そんな、職人さんたちにとってはへっちゃらだろう仕事に

 いちいち感心して見入っていた

  家のできあがりの時期もほぼめどがつき始めたある日

  外壁をどんな風な色にするか、選んで欲しいと職人さんに言われた

  ナチュラルな感じの色合いが好きな私は、目立たない少し灰色っぽい、生成と白の間の色見本を指して

  もうだいぶんお年かな?と、思える左官屋さんに何気なく聞いてみた。

  「おじさんはお弟子さんとかはいらっしゃらないんですか?」

 こんなに技術のしっかりした方なのに、お弟子さんが

  一人もみえないのが不思議な気がしてふいと言葉に出たのだった。

 そうすると「昔は若いのがいっぱいいたんだがなぁ」

  ・・・ と、小柄なおじさんの口からちょっと昔を見る風な感じで言葉が出た。

  そのときにも私は気づかなかった

 「もう、じゃあ、皆さん独立して行かれたんですね!」

 「いやーあれだよ、あれ、アスベストだよ。あれにみーんなやられちまった」

 「現場に出たやつはほとんど皆やられちまって」

 「死んじゃったよ」

 あっけらかんという感じすら受けるほどの印象だった

 きっと、そのお年を重ねた左官屋さんは、

 自分より若い、せっかく技術を教え込んでものになろうとしている、いや十分にものになっている

 働き盛りの弟子達を次々と亡くし

 さぞかし気落ちし、天を恨んだことだろう

 ・・・と、そのとき私は気づいた

 言葉が出なかった

 おじさんはその頃親方だったから、現場で直接働くというより、

 指揮をする立場だったから

 アスベストを吸い込む機会が若い人たちよりうんと少なかったのだろう

 黙々と、家の壁をきれいに一人で塗り終えて下さった、

 その技術にも感嘆したけれど、・・・

 あまり多くを語らずに、悲しい思いを壁塗りの作業に埋め込んでゆくおじさんのその人生にも、

 私は言葉に表せない何かを見たような気がする

 善意の方達のおかげで家の修復作業は無事終わった。

 私の人生に置いても忘れがたい、貴重な出会いをさせてもらったような気がする

                                            2005.9